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第1話 碧海のハルリス・始まりは黄昏の下で⑥

 再び二ヶ月ほど前の記憶を辿る。

 俺は呪いに侵されたエレナを救うために、ここハルリスを離れテレジアへ向かった。

 理由はエレナにかけられた呪いを解除するためにテレジアに眠る光の至宝を呼び覚ますためだった。

 星座の魔術。

 それを成就させるには俺という魔術師ともう一人の能力者が必要だった。

 そして、俺の標的になったのが今ここにいる少女、ティア・パーシスだ。

 そう。ティア・パーシスは能力者だ。

 分類でいえば空間操作の異能を操る空属性の能力者。自身の設定した出入口をティアが作った隔離空間につなげて自由に物を出し入れすることができる能力だ。

 ティア自身は戦闘には不向きな能力だと認識しているが、決してそのようなことはないだろう。

 使い方によれば不意打ちには最適だろうし、広範囲の攻撃を避けるための逃げ道にもなりえる。

 最後に俺がティアとの一騎打ちを果たした時は、彼女の能力者としての一面を垣間見ることとなった。

 だからだ。隣に歩く彼女の鞄を見て思う。

 こんなにも稀有な能力をこんなにも俗なことに使うなど考えられない。普通の魔術師が見れば即倒ものだ。

 けれど、同時に思いもする。

 こいつは決して魔術師ではないということを。

 魔術師は言わば常識から外れた存在だ。

 己の目的のために自ら裏の理に手を伸ばした異常者の総称。

 だからこいつは違うんだ。自分の意志とは関係なしに手に入れてしまった不思議な力。それを使うただの一般人なんだって。己の意志で力を手にした俺とは違い、いくらでも救いがあるんだって。

 いつか遠い未来の話かもしれないけれど、ティアにはこんな魔導の道から抜け出して平穏な日々を過ごしてほしい。

 ティアのことを思って、というよりも自分の失敗や後悔を他の人に味わってほしくない。その思いの方が強かったりする。

 だから、そのためにも能力の使い方はちょっとだけ弁えてほしかったのだ。



          ◇



 午後八時前。

 店に寄って夕食を受け取ってから俺たちは十数分歩いて家に辿り着いた。


「ここがロイドくんの家なの?」


 複数の住居が一棟に繋がっている建物が並んでいる。

 そのうちの一つの扉の前でティアが言った。


「そうだよ。意外か?」

「ううん。そういうわけじゃないけれど。わたしはこんな家に住んだことがないから、ちょっとだけ珍しかったりする」


 ティアの住んでいるテレジアのような街では珍しいのだろうが、俺たちの住むハルリスではこのようなアパートメントが一般的なのだ。

 戸建ての住宅に住むなど、夢のまた夢。強く望んでいるわけではいないが、あこがれはあったりするのは事実だったりする。


「ふーん。けれど中に入ったら落胆するかもな。おまえの住んでる部屋と何ら変わりはないと思うから」

「寮の部屋みたいってこと?」

「雰囲気だけはな。さすがに広さはあれと比べて何倍もあるけど」


 言って、俺は家の扉の前に立ち鍵を開ける。

 そしてそのまま扉を開けて中に入り「だだいま」と、誰の気配もない暗がりに向かって言った。

 後から入ってきたティアも続けて「お邪魔します」と言う。

 返事はなかった。


「エレナ、寝てるのかな?」


 壁のスイッチを押して明かりをつけると廊下の全貌が明らかになる。

 廊下と言えるのか怪しいくらいに短い通路。右手にキッチンがあり、そこで普段の食事の用意をする。

 反対側には扉があり、そこは浴室に繋がっている。今は関係がないので特に案内もせずに正面の扉まで歩いていき、それを開く。

 再びの真っ暗な空間。

 目が慣れていなくとも分かる電気のスイッチの場所に手をやりスイッチを押すと、そこには一日の終わりを過ごす憩いの空間が待っていた。

 決して大きいとは言えない部屋ではあるが、テーブルにソファー、テレビに本棚、クローゼットと揃っている。生活に苦のない空間であるということは分かってくれるはずだ。


「ティア、ここで待ってろ。ほら、疲れただろ。ソファに座ってもいいからゆっくりしておけ」

「うん。分かった」


 と言うもなかなか座ろうとしないティア。

 気遣う必要はないんだけれどな。けれど、ずかずかと踏み込もうとしない分、常識を弁えた娘だと思えば可愛くも思えてくる。


「……じゃあ、少し待っていてくれ。エレナに声をかけてくるよ」


 そう言ってスライド式の扉で隔たれた隣の寝室に行こうとすると――


「――その必要はないわ、ロイド」


 その扉の向こうから微かに声がした。

 ガラッと軋む音を鳴らせながら開かれた扉からパジャマ姿の女性が現れる。

 肩下まで伸びた黒の髪。

 説明するまでもなく俺の妹、エレナだった。


「おいエレナ。歩いて大丈夫なのか、まだ寝てても……」

「心配する必要はないわ。最近は妙に身体が軽いの。これもマーベルさんのおかげかしら」


 マーベルさんのおかげ、か。

 確かにあの一件以降、エレナの体調はみるみるうちに回復していった。まるで呪いの苦痛がただの悪夢だったかのように。遠い回想のように。

 苦しんでいた頃のエレナはもう見る影もない。

 しかし、マーベルさんでさえ解けなかったただ一つの後遺症があった。黙っていれば誰にも気づかれはしないだろうけれど。

 魔力の残滓さえ無いから外部の魔術師に気付かれることはないだろう。ずっと一緒にいる俺でさえ、それを知らなければ気付けないほどの症状なのだから。

 何もなければ、いつか寿命が来るその時まで問題のない体質の変化。だからエレナの言う通り、心配する必要はないのだろう。

 きっと、これからも。

 と、俺がエレナの状態を観察していると、エレナは俺の背後を覗き見るようにしてから「あらあら、まあまあ」と嬉しそうに手を合わせる。


「そちらの娘がティアちゃん? 初めまして、兄のロイドがお世話になってます。それに迷惑をかけてしまったこともごめんなさい。不器用な人だけど、もしティアちゃんが良ければ仲良くしてあげてね」


 エレナは俺のことなど無視して、ティアの方に軽快な足取りで向かっていき挨拶する。

 少し腰を落として目線を合わせる様は、まるで小さな子供に対するお姉さんような振る舞い方であった。

 対してティアはというと……


「――ひゃ、ひゃい。しょうでひゅね」


 と顔を赤くして目を回しながら訳の分からない返答をしていた。


「どうしたティア。緊張してるのか?」


 俺の言葉にティアは瞬時にムッとした表情に切り替えて、何も言わずに俺の服の袖を引っ張り部屋の隅に連れていく。


「ねえ、ロイドくん。妹さんはどこ」


 と、俺にだけ聞こえるような声で耳打ちする。


「何言ってるんだよ。妹ならそこにいるだろ。ほら」

「え、あの人が? お姉さんじゃなくて?」

「妹だよ。正真正銘、エレナという名前の俺の妹だ」

「本当に?」

「本当だよ。俺のことはどう言ってもいいけど、俺の家族のことを悪く言うなよ」


 ティアの顔色がみるみるうちに青ざめていく。


「嘘だ――!」


 予備動作無しの爆裂音。俺の耳元で起爆したせいか、俺の耳はキーンと耳鳴りが起こる。少しだけ痛かった。


「うるさいぞティア。ちょっと黙れ」


 と反射的にティアの口を塞ぎにかかる。

 それでも何かを叫ぼうとしていたのか、俺の掌の中で口がもごもごと動く。

 しばらくして叫ぶのを諦めたティアはその場で力なく崩れ落ちてしまった。

 あーあ、俺の掌、ティアの唾液でべっしょりだ。

 気持ち悪かったのでテーブルの上に置いていたティッシュで綺麗に拭い去った。


「ねえ、ロイド。ティアちゃんにはどのように伝えたの。わたしのこと」

「特に詳しくは伝えてない。エレナという名前の妹がいる、というだけだ」


 それを聞くとエレナは黙って思考する。

 俺も続けて予想してみた。


「ああ、そういうことね。察しがついたわ」


 と数秒後にティアの様子の理由について閃いたエレナ。


「俺もだ」


 と続けて勘づいた俺。


「たぶんティアちゃんはわたしのことを年下の女の子だろうって予想していたんだと思うわ。普通、妹といえば年下だもんね」

「だから俺より年下、つまりは自分より年下である。そのイメージが刷り込まれてしまっていたんだろうな。テレジアでは俺の年齢を言っていなかったから。俺がティアと同じか一つ上の年齢って思っていてもおかしくない」

「だからこうして実際のわたしを見て理解が追い付いていないと」

「そういうことか」


 だとしたらここに到着するまでの間、ティアは年下の女の子と遊ぶ風景まで想像していたはずだ。楽しい想像をしていただろうに、すまないな。


「すまないな、先に言っておくべきだったか。エレナは俺の妹だけれど、年下ってわけじゃない」

「それってもしかして、双子ってこと」


 と沈んだ口調で囁くティア。


「その通り、正解よ。ロイドとわたし、どちらも十九歳の大学生なのよ」

「つまりだ。俺とエレナはどちらもお前より年上ってことになるんだ」

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