第1話 紺碧のハルリス・始まりは黄昏の下で③
十八時過ぎの夕暮れ。大学の正門を出てすぐのことだった。
正門の前に見える建物の角。そこに立っていた一人の男が俺のもとに歩いてくる。
「こうして二人で顔を合わせるのは久々だな、ロイド」
そう声を掛けてきたのは、つい数時間前に同じ教室で試験を受けていたジル・ロイヴァスだった。
しかしこの人物、さっきのメンバーとは違いとりわけ仲がいい友人という位置づけではなかったりする。
それでも付き合いがあるのは単に勉学の競争相手という理由だけではない。
この男は俺と同じ異端、魔術師なのだ。
俺は脚を止めることなく真っすぐに駅へと向かう。
ジルは俺の隣につき、傍から見るとまるで仲のいい友人のように同じ速度で歩いていた。
「まだ帰ってなかったのか。どうしたんだよ、こんな時間に。おまえのことだから試験が終わったらとっとと家に帰って魔術の修行でもしているのかと思っていたよ」
「確かにいつもはそうだな。修行だけでなく街の見回りもしないといけないのだから。管理者のひとりとして当然の役目ではあるけれど、やっぱり俺には荷が勝ちすぎるよ」
大きなため息をつきながら力なく苦情するジル。
俺にとっては経験のないことだが、正規の魔術師は最上位の魔術機関が定めた様々な規則の下で活動をしているらしい。土地ごとに管理者が定められ、規則に則さない者がいれば、それを罰するという。
もっともメジャーなもので言えば魔術という存在を裏の世界から漏らさないことが上げられる。そのためにも徹底的な隠蔽工作が行われている。
人間では到底敵わない常軌を逸した力で表の人間を危険にさらさないようにするため――
というのはただの名目。このような善性な考えを奴らは持ち合わせていない。むしろ技術の独占が主な理由だ。
しかし、誰しもがそのような考えの下で動いているわけではない。
特に魔術師として規則から道を外れてしまっている俺からすれば周りの皆を危険にさらさない為、そして機関から目を付けられないようにするため、という意味合いの方が強い。
「お前は俺に愚痴を言いにきたのか? だったらやめてくれ。面倒だ」
「ああ、気に障ったか。それは悪かった。だが、愚痴が目的じゃないぞ。ただ、あんたと久々に話がしたくなっただけだ」
「そりゃ、嬉しいねえ。それで? 何の用かな」
「おいおい。用がなければ話しかけちゃダメか」
「そんなことはないよ。だだ、珍しいなって思っただけだ」
ジルの方から話しかけてくるなんて一週間に一回あればいい方だ。
そういえば、と思いついたように質問する。
「……ああ、そうだジル。今回の試験はどうだった」
「は? 余裕だったに決まっているだろ。あの程度で何故俺が手こずらなければならない。魔術の扱いに比べればどうってことないだろ」
「うわ、それ本気で言ってるのか? いや、本気なんだろうなお前のことだから。そうだとしたら腹立つわ」
俺がそういうと、ムキになってジルも言い返してくる。
「俺こそ同じことを言いたいね。何故おまえはそんなに魔術の扱いがうまいんだ。まだ本格的に使い始めてから時期が浅いだろうに」
「だからさ、俺のは根本的に違うんだよ。何度も言ってるだろ。あれは礼装による強化のおかげだ。本物の魔術を使えって言われたら、どうあがいてもジルに負けるよ」
それを聞いて微笑するジル。
「なんだよ、その殊勝な態度。だがそうだな。もし、その借りた力で何の努力もなしに意気揚々としてたら、おまえを本気で軽蔑していたよ」
過去を思い出すように頭を揺らしながらジルは唸る。
「えーっと。たしか、代々おまえの家系に伝わる礼装を身体に埋め込んで、体内の魔力を活性化させてるんだったか」
その通りだ、と俺は頷いた。
「魔術って本来なら基本である五属性のうちどれかが現出し、そこから発展させていく形なんだろ。だけれど、俺の場合は逆だ。礼装の属性である幻が先に現出して、それに活性化されて本来持っているはずの炎の属性が動き始めた。そのうち礼装の力無しで魔術を扱えるようにしたいんだけど、今はまだ無理だな。たぶん暴走して自滅する」
「それでもだ。強大な力を手にしてもおまえは壊れなかった。その時点で俺は魔術の扱いそのものでは負けている。認めたくないけどな」
「だからさ。何回も言ってることだけど、それもジルの勝手な思い込みだって」
大学を出てから駅までの道のうち、一直線に続く下り坂がある。
緩やかな坂道は数キロメートル離れたその先にある建物の群れの中に消えていく。それも超えた直線上には海があり坂道の頂上、つまり今俺たちが立っている場所からは水平線が見える。
夕暮れ時のこの時間。赤く染まった夕日が海に沈んで半円のように見えていた。
先を歩いていたジルは俺の行く道を遮るように真ん中で立ち止まり、沈みゆく夕日を背にして俺に訊ねる。
「それでは本題だ、ロイド。おまえ、何か危ないことに足を突っ込んでるんじゃないだろうな」
夕日の陰になっているせいか、ジルの表情はよく見えなかった。
「何の話だよ」
「俺の勘違いならいいんだ。おまえ、またテレジアで行った魔術と同じことをするつもりじゃないだろうな」
テレジアで行った魔術。星座の魔術。
暗示をかけられていた状態での行為あろうとも、決して許されるべきではない背負うべき罪。
それを訳あってジルにはこのことを打ち明けていたのだった。
もし俺に何かあった場合、俺に暗示をかけた魔術師が俺を始末しに来ようとした場合、俺の代わりにエレナを守ってほしいと。
今の俺が魔術関連で頼れる存在と言えば、ジルくらいしかいなかったからだ。
仲のいい友人だから、というわけではない。
ジルは昔から俺の事情を知っていて且つ魔術を使える信用に足る人物がこのハルリスにはジルくらいしかいなかった、という理由だ。
結局ジルからの回答は『自分で何とかしろ』だったけど。
ジルは何も言わず、まるで俺のことを見定めようとしているかのような視線を向けたまま。ジルの思惑はいったい何なのか、今の俺には見当もつかない。
俺を疑わなければならない何かがジルの周りで起ころうとしているのだろうか。
俺も視線をジルから離さずに思いを紡ぐ。
「あれは俺の求めているものとはかけ離れた禁術だ。詳細を知った今、あれに手を出すような馬鹿な真似はしないよ」
「信じていいんだな」
「これに関してだけは俺を信じてほしい」
「……そうだな。野暮な問いかけだったよ。おまえがどれほどあの出来事を後悔していたるかはそれなりに感じ取れたからな」
「だったらなんでそんな質問したんだよ」
「秘密だ。こっちにも事情があるんだよ。ほら、行くぞ」
そうしてジルと共に紅い夕日に向かって歩き出す。
心の中には決して消えない罪の意識。まるで俺は贖罪を求め煌々と燃え盛る炎に身を投じるようだった。
「で、ジル。まだ俺に何か話すことがあるのか?」
「ああ、むしろこっちの方が本題だったりする。ロイドも気づいてるだろうが、最近ハルリスで奇妙な事件が起きているだろ。あれのことで情報を共有しておきたくてな」
「あのさ、気づいてるだろうけどって俺がすでに知っている前提で話してるか? 何にも心当たりがないんだけど」
「まさかおまえ、気づいてなかったのか?」
「気づいてないよ。ていうか何にだよ。ここ最近はテスト勉強で忙しかったよ」
そう答えると、ジルは大きな溜め息をついて頭を抱えた。
「なんだよその大きな溜め息は。まるで呆れてるみたいにさ」
「実際呆れてるんだよ。テスト勉強で忙しかった? それを言い訳にせずどのような状況にあろうとも常に感覚を研ぎ澄ませろ。エレナさんを守りたいんだろ」
「それはそうだけどさ……」
すると、ジルは一枚の写真を手渡してきた。
「それでは何も知らないロイドに一つ情報をくれてやろう」
受け取りそれを見ると、そこには――
「これ、は……」
息を呑む。不意に見てしまった光景に吐きそうになる。
そして魔術師の彼はゆるりと口を開いた。
「昨夜、身元不明の死体が発見された。郊外にある石碑に磔にされた状態でな」




