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エピローグ さようなら・また逢う日まで①

 翌日、早朝。俺は郊外の森の奥、湖の神殿に向かっていた。

 あのルーバス大聖堂での戦いから一週間、霊獣ライブラが全くの反応を見せなくなっていた。そんな彼女のことが多かれ少なかれ気になってはいたのだ。

 どれだけ呼びかけようとも、あの時は確かに聞こえた傲慢不遜な女の声が今では全く聞こえてこない。

 別にあいつのことが心配になったってわけじゃない。むしろ心配するだけ無駄かもしれない。ライブラは人間ではなく霊獣だ。そこには俺の知らない原理原則が働いていてもおかしくはないのだ。

 だがしかし、俺はどうしても彼女に会って話しておかなくてはならないと思ったのだ。この異変における最後の戦いを乗り切ることができたのは、やはり俺の中に潜んでいたライブラが力を貸してくれたことにあるのだから。

 だからせめて言っておきたかった。人として最低限の礼儀として。

 魔術機関により厳重に貼られた結界を通過し、森を抜けるとそこには霧が晴れた透き通った空気の漂う湖が広がっていた。

 以前とは違いその全体像を見渡せる神殿。それは今もなお荒れ果てた姿のままで一週間前の戦闘の激しさを未だに色濃く残していた。

 現在機関による復旧作業中であり、その合間の数時間の間に限り様子を確認することを許されたのだった。結界を通過できたのもそのおかげだったりする。その手配をしてくれたジルには本当に感謝だった。

 いくつもあるクレーターに落ちないよう安全な道を探り、神殿の中央に位置する祭壇前まで移動する。


「さて。ここまで来れたのはいいけれど、どうしたものか……」


 確信のないまま幻属性の魔力を込めて祭壇に手を添える。

 何も反応はなかった。

 続けて大鎌を精製して軽く振り回す。

 何も反応はなかった。

 幻属性を付与した黒い炎も発生させてみた。


「――あ、これダメだ」


 たったの数秒。それでも力尽きてしまいそうなくらい魔力の消費が激しかったのですぐに消した。

 結局、何をしようとも一向に進展はなく、最後までライブラは姿を現してくれなかった。もしかしたら気配を察知できないくらいに魔力を遮断して俺のことを見ているのかもしれない。

 真相は定かではないが、せっかくここまで来たんだ。今も近くでライブラが見守ってくれていると仮定して礼でもしておこう。

 深く頭を下げて礼をする。


(この度はどうもありがとうございました。あなたのおかげでこの事件を乗り切ることができました。これから先、あなたとお会いすることがあるかは分かりませんが、あなたはあの時『契約』という言葉を使いました。もし俺があなたの御眼鏡にかなったのであれば、どうか今一度姿をお見せください。今度は俺があなたの力になる番です。ただの人間が霊獣の願いを聞けるかどうかは分かりませんけど、できる限りの恩は返すつもりです。それではまたいつの日にか。縁があったらまたお会いしましょう)


 そうして、礼をして深く下げた頭を元に戻す。


「――あれ?」


 なぜだろう。さっきと変わらないはずなのに。目の前の祭壇は崩れた天井の隙間から射しこむ太陽の光に照らされ、穢れの払われたような清らかな雰囲気を晒していた。

 まるで今この瞬間だけこの場所が切り離された空間にあるかのような、そんな錯覚さえ覚える。

 すうっと柔らかな風が頬を薙ぐ。木々の自然な香りとほのかな甘い香りを乗せて。


 ――誰かがここにやってきた。

 そんな予感がして振り返ってみる。

 すると、そこには本当に人が現れていた。まるで姿を消していた霊が突然実体化したかのようで。

 夏の日では考えられないくらい全身を黒色の服で覆った漆黒の髪の女性。一見地味だというのに、しかし固さや暗さ、そして陰鬱さというものがまるで感じ取れない。

 むしろ清楚さ? 彼女のイメージを一言で表すならば、エレナがもう少し大人びたようなところ。

 懐かしい雰囲気。懐かしい香り。それらが相まって穏やかな気分にさせてくれる。言葉では言い表せない、自分の頭でも理解できない不思議な感覚だった。

 だが、ある一点のせいで俺の警戒は解かれることがなかった。


「――あなた、いったい誰ですか?」

「そんなに冷たい目で睨まないでよ。わたしはただの通りすがりの観光客。けっして怪し者じゃないよ」


 と、軽く手を振って微笑む彼女。


「……」


 呆れた。見え見えの嘘じゃないか。こんな人里離れた森の中に、加えて人払いの結界が張られたその内側にただの『通りすがり』の人が来るわけがないじゃないか。

 もし来ることができるのだとすれば、それは結界を破ることができる『魔術師』だけだ。目の前に佇む女性から感じ取れる奇妙な魔力の流れ。この人は紛れもなく魔術師だった。


「この神殿は今、関係者以外立ち入り禁止になっているんです。監視だってもちろんされている。この地の復旧が終わるまでの間ここに到達するなんてこと普通の人にできるはずがないんですよ」

「普通の人、ね。じゃあわたしは普通じゃなってことかな。だったら君はどうするの? 通報でもしてみる?」


 優しく、まるで教師が生徒に問いかけるときのような声で、目の前の彼女は訊いてくる。


「……いや、別にどうもしませんよ。今のところはですけど。あなたから不吉な感じはしますけれど、だからと言って敵意や悪意はまったく感じませんから。このまま何もしないでいてくれるのなら俺から手を出すことはありません」


 俺の答えに目の前の女性はふふ、と笑みを浮かべる。

 ただしそれは寂しさか。少なくとも明るいものではなかった。


「そっか。それはよかったよ、安心した。わたしも君と争うつもりはないからね。だから安心してもらっているうちに言ってしまうよ。わたしは魔術師だ」

「そうでしたか……」


 その言葉にすでに感づいていますよ、とそんな表情でもしてしまったのだろう。女の人はまいったなあ、と頬を掻いた。


「あれ? 魔力は抑えてるつもりったんだけれど、これでも分かっちゃうんだ。とすれば、君はなかなかに凄腕の魔術師なのかな?」

「ご謙遜を。俺はただの無名な魔術師です。あなたが魔術師なのに気が付いたのだって偶然でしょう。ここ、すごく空気が透き通っていますから。魔力の残滓もほとんどないに等しい。 ……ところで、あなたはどうしてこんな場所に?」

「わたし、こういう遺跡巡りが好きなんだ。いろんな遺跡を見て回って、今日はこのハルリスの遺跡ってわけ。いやあ、いろんなところを回っているけれど、ここはここで神秘的なところよね」

「神秘的、ですか……」


 無断で入ってきてることについては触れないんだな。そうは言うもののにわかには信じられない。ただ遺跡巡りが好きというだけでなく、何か裏の理由がきっとあるはずだ。

 言って、その女性は軽い足取りで俺の元まで向かってきて祭壇を眺める。

 そして彼女は言った。


「それより君こそどうなんだい。今回の異変の解決に導いた立役者が、こんなところで一体全体何をしているんだい? まさか霊獣に救われたお礼でもしにきたのかな?」

「――!?」


 ぞっとした。背筋か凍りそうな気分だった。

 俺はこの『霊獣に救われた』という事実を共に行動していたジルやネロ、ティア以外の誰にも話してはいないのだ。多少表情には出ていただろうけれど、この立ち位置からだと見られはしなかったはずだ。

 誤魔化すか?

 いいや無駄だろう。

 この人の言葉ははったりなんかじゃない。その立ち振る舞い、自然体な話し方。それは真偽の確認ではなく事実の提示だ。となれば、この人はユリウスやジェインの関係者か?


「……あなた、どこまで知ってるんですか?」

「どこまでって言われると答えるのは難しいかな。けれど、少なくともこれだけは言える。このままだと君はいずれ至宝に取り込まれるよ」

「どういう意味です?」

「そのまんまだよ。君の身体は至宝を守護する霊獣の器に成り下がるということさ。心当たりはないかい? 霊獣の力、大本をたどれば至宝の魔力。それを使う度に君の身体に異変が起きていることに」

「それは……」


 確かに心当たりがなくはない。

 幻属性の魔術を発動した瞬間、髪の色が銀色に変色する。他の魔術師が幻属性の魔術を使用したところで俺と同じような現象が起きるという事例は一切ないのだ。


『特に害はないだろうが、使い過ぎには気を付けろよ。元に戻らなくなる可能性があるからな』


 あの時には理解できなかったマーベルさんから忠告されたあの言葉。もしかしてそれがこの『霊獣に取り込まれる』ということにつながるのか?


「……けれど、どうしてそのようなことが言えるんですか」

「単純な話よ。わたしの親友だった人のひとりがそうだから、よ」


 そう言って、肩をすくめて語る。


「わたしの親友の男の子のことなんだけれどね。どうしようもなく追い詰められて、それでも自分の信念を貫くために至宝の力を使ったのよ。霊獣の断片なんかじゃなくて至宝の力そのものを。最後の戦いを経て元に戻りはしたけれど、それも一時的だった。彼の内には霊獣が住み着き、今では完全に霊獣が主導権を握っている。どうすれば元に戻るかも全く見当つかず。霊獣が至宝を守護するということは既に知っているわよね。けれど、霊獣の役割はそれだけじゃない。至宝顕現のために、星座の魔術を完遂させるために優れた魔術師を選定し導くこと。彼らはね、けっして人間の為には動かないの。あくまで至宝の為。それは逆もしかりだし、結局のところ認識のズレはどうあっても埋めることのできない溝のようなもの。利用されると理解してもなお、君はその力を使い続けることができる?」

「……」


 予感はしていた。暗闇の中での一度限りのライブラとの対話。彼女が俺の身体を器にしようと企んでいるのは真実だろう。

 今のところは俺が俺でなくなるまではいかないけれど、徐々に俺の魔力が侵食され始めていることは実感している。紅い炎が黒く濁ったこともその一つだろう。


「俺にだって思うところはあります。本当に使ってもよかったのかって今でも不安になるくらいに。けれど、他の人がどうかは分かりませんが少なくとも俺は信じてますよ。彼らともきっと分かり合えることができるって。だって、俺はあの時彼女の声を聞くことができた。そして俺の声は彼女に届いて応じてくれた。見知らぬ相手だとしても対話をかわすこと。それはたぶん相手を信じる始めの一歩だと思うんです。それが出来たということは可能性がないとは言えないですよね」


 数か月前のテレジア学園であったことと同じだ。ティアが初めて俺の目の前に現れたとき、彼女とのやり取りは一瞬のうちに終わった。

 けれど、あいつはそれがきっかけで再び俺の前に姿を現して俺のことを知ろうと考えを巡らしていた。

 それを実際にやられた身としては希望を持ってしまっても仕方がないだろう。


「そう。ずいぶんと優しいのね、君は」

「……」


 その微笑みにどこか違和感を覚える。既視感のようなものだろうか。それはまるで、俺が小さな子供の頃に見たことがあるような……


「――あなたは……もしかして、俺とどこかで会ったことがありますか?」

「さあ、どうかな。少なくともここ数年の間に君と出逢ったことはないかな。けれど十数年前とかならもしかしたら可能性はあるかもね。わたしそこまで昔になると記憶もあやふやだから。って、そんなに昔だときみは何歳なんだって話だよね。だとしたら会ってたとしても分からないか」


 と恥ずかしそうに頬を掻く。


「確かに。そんなに昔になると俺も小さな子供ですから」


 もう俺の中に残っている小さなころの記憶なんて、母親が俺の目の前から忽然と姿を消したということだけだ。そのときの母親の顔は忘れやしない。

 しないのだけれど、なんだろうかこの頭の中に流れる映像は。


「……え?」


 ちょっと待て。待ってくれ。今俺の目に映った彼女の姿。十数年前のあの日に重なるその影。頭が痛くなる。思い出そうとすれはするほどに、それを阻害するように頭を締め付けられる。


『――ロイド。強い子になりなさい。どんな悪いものからも妹を守れるような優しくて強いお兄ちゃんになりなさい』


 それでも脳裏に響くその音声。


 ――あ、ああ。そんな、……そんなことって。あなたは、まさか、まさか……


「まさか、あなたは――」


 口を開き、目の前の真実を確認する。

 しかしその直前に、俺の唇は彼女のその綺麗な指先に優しく触れられる。


「うっ……」

「おっと、そこから先を口にするのはまだ早いわよ」


 特に焦りもしない、その優雅な動作につい見惚れてしまう。

 しかし、それと共に気が付いた異変。


 ――ビリ、ビリ、……


 その女性の姿にノイズが走る。壊れたテレビの映像ように今この瞬間にでも消えてしまいそうだった。

 女の人は肩をすくませてため息を吐く。


「……ああ、もう時間か。なかなかに不便な身体よね。どうにかならないものかしら、これ。とまあ、これは仕方がないとしてわたしはそろそろお暇させていただくわ。あなたも身体には気を付けて頑張りなさいな」


 そんな愚痴を漏らしながらも最後まで俺の事を気遣って、そして俺の隣をすり抜けていく。振り返ると、そこにはもう彼女の姿はなかった。

 代わりにあるのは紅く揺らぐ炎のような何匹もの蝶。さっきまで話していた女性と同じような優雅さで空に舞い、そして陽光の中に消えていった。


『叶うのなら、いつかまた会いましょう。最果ての島であなたを待つわ』

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