第4話 真実の扉・濃霧に包まれし氷結の都へ⑤
道中、人目を避けるために身を隠しながらルーバス大聖堂を目指す。
だが、つい数時間前に異変が起きた後だというのに空気が静まっている。
そう思えてしまうのは沈んだ気持ちの表れだろうか。
夏の真っただ中だというのに、身体が震えてきた。
気が付けば日が沈み始め、街灯に光が灯り始める。
気持ちのいいはずの暖かい夜風は一段と涼しく感じた。
ルーバス大聖堂前の広場に辿り着いた時、そこは観光スポットとして観光客の溢れる時とは打って変わり、寂れた街のように人の気配が感じられなかった。
自分の足音がいつもより大きく聞こえる。
俺は隠れもせずに広場の中央で、対象の敵がやってくるのを待った。
そうして数分経ったのち、空気が一転する。人の気配、雑音はもとより、空気の流れ、肌に与える気温や湿気、その一切が消え去った感覚。
体内を巡る魔力が呼応する。
黒の外套に身を包んだ銀髪の魔術師が悠然と霧の中から姿を現す。
男は銀の鎖で縛ったエレナをまるで荷物のように肩に抱えていた。
おそらくあの男がカレンさんの言うジェインという魔術師なのだろう。
「エレナ――!!」
エレナは口を何かしらの術式が刻まれた布で塞がれており、悲鳴を上げることも、もがき抵抗することも叶わずにいる。しかし、その目に絶望の色はなく俺を見ては何かを伝えようとしているのは分かる。
その『何か』は残念ながら伝わりはしなかったのだが、もしかしたら俺にここから逃げろなんて言おうとしてるのかもしれない。もしエレナがそう望んでいたとしても俺にはそんなことできない。
「待っていろ。今、助けるからな!」
本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。せっかく呪いから解放されたというのに、また危険な目に合わせるなんて、とんだ疫病神だって自分を嘲笑したい。
けれど、まずはエレナを助けることが先決だ。俺は再び魔術師へ視線を向けた。
「おまえ、エレナをどうするつもりだ」
「ほお、誰かと思えば君か。いやはやこれも因果か。今こうして身内の危機を前にして、そして霊獣の顕現を目前にして、君が現れないはずがない。そうだろロイド」
懐かしいものを見るように目の前の男はニヤリと哂う。
「何を訳の分からないことを言っている。おまえの話なんかどうでもいい。今すぐエレナを放せ!!」
そして構える。魔術を発動するために、体内の魔力を活性化させる。
「酷いものだ。君に戦う力を与えた私に対してそれはないだろ」
表情や口調は変わらない。
だがこの威圧感はなんだ。
俺はこの魔術師を知らないはずなのに、この身体が拒絶反応を起こしている。
すぐにでもこの場を離れろと。
まるでテレジア学園の旧校舎、大講堂でマーベルさんと相対した時みたいに。
あの日の衝撃にはとても及ばないだろうが、魔導の三賢者に匹敵すると言われるくらいだ。一瞬で心が折れてもおかしくない。
「…………」
――、違う。
そんな実力だけの問題じゃない。
目の前の男が俺より格上なのは承知している。
それよりも、こいつからは別の違和感を感じる。
吐き気を催すほどの強烈な、別次元の何かが――
「力を与えた、だって? おまえ何を言ってるんだよ……」
「理解できないのも無理はない。君には私や星座の魔術の真相に関する情報を思い出せないよう、強力な暗示をかけているからね。
では改めて名乗るとしよう。私はジェイン・グレーザー。君に死神の魔術を与え、テレジアへと導いた魔術師だ。
今までの成果も鑑みて、今ここで暗示を解いてやってもいいのだが、ただ暗示を解くだけでは面白くないだろ。まあ、すぐにできないのは条件が整っていないから、というのもあるのだがね」
暗示、だって?
まさか俺が星座の魔術を知った経緯のことを言ってるのか?
思い出そうとしても靄がかかったかのように阻害されるあの感覚。
その原因がこいつだって言うのか?
「――なんだよ。あんた、いったい何を知っているんだ」
「知りたいのでれば、私の話に付き合うがいいさ」
「ふざけるな。俺にはそんな時間は――」
こうしている間にも意識を失った人々は、エイラは、着実に体力を失い続けている。エレナもいつ危害を加えられるか分からない状況だ。こんなところでもたついているわけにはいかない。
そんな焦燥感に苛まれ、警戒しながら距離を詰めようとする。
しかし、突き出されたジェインの掌。たったそれだけで行動を抑制される。
「これは私からのささやかな手向けだ。私に対して交渉の材料を持たない君にとっては有益な時間になると思うのだがね。
いいかい。この状況下、君はここで時間稼ぎをするべきではないのかな。君がいつからか共闘している仮面の男がいるだろ。彼が駆け付けるまでの時間をね。
仮に何の対話もなく君がこの娘を救うために戦闘を開始するとしよう。その瞬間、私は即座に君を切らねばならない。それは君にとってもいい話ではないだろ」
ジェインと目が合う。鬼のような赤い双眸。その目を見ていると眩暈がする。
「それは……」
異常な焦りが俺を支配しているのか、ジェインの言っていることがまるで正論のように聞こえる。反論しようとしても、俺の頭の中には何一つとして言葉が思い浮かばない。
結局、俺はジェインの言葉の前に歯を食いしばり睨みつけることしかできなかった。
「ははは。その目はいただけないが、まあいいだろう」
ジェインはまるで面倒見のいい教師のように答える。が、その顔には一切の微笑みはなかった。
瞬間、俺の頭の中にザザザと雑音が流れる。
目の前の風景がノイズに侵される。
「――かつて君には話したことだが、私はね、この世界の在り方を正したいんだ」
◇
このような話を聞いたことはないかい。
この世界の裏には魔術という非日常が存在する。表には表の生活が、裏には裏の理が存在している。本来それらはコインの表と裏のように交わることはない、というものだ。
だがどうだ。本当にそのようなことがあり得るか。答えは否だ。
表の生活は着実に裏に飲み込まれつつある。裏が表に侵攻するのではなく、表が裏に落ちていくような形で。
世界の裏側、魔術に侵された異界。それはまるで一度落ちてしまえば二度と這い上がることはできない底無し沼のように。
君も体験したはずだ。
ある日突然魔術の世界に引きずり込まれたあの日を。
大切な人が自分の目の前からいなくなったことも、残された唯一の家族が襲われたことも。そして解決するために自ら落ちていった君も。
すべては世界の裏側が暗躍していた故に起きた事象なのだよ。
その存在が人々を不幸にする。
異界に生きる人間の姿をした獣どもが我々を絶望に陥れる。
それを良しとしていいのか?
ただじっと堪えるだけでいいのか?
いいや、いいわけがない。
いいはずがない。
だが、あれは私たちがこの世に生を受ける遥か昔から存在していた理。世界が積み上げてきた厳重なルールとも言えようか。
ただの個人が、志を共にする複数人が、どれだけ必死になって抗おうとも、この歴史の中では決して成就することはなかった。
それらすべてを元の道へと正そうと世界が強制するかのように。
そこで私は理解した。
人のみの力ではどうすることもできないと。
だから私は探し続けた。
この絶望を覆すことができる逆転の一手を。
そして、ようやく私は辿り着いたのだ。
目には目を歯には歯を――
世界の理には世界の理を――
世界そのものが生み出した守護者の力。
星座の霊獣。
その魔力を束ねた星座の魔術。
それに対応する能力者の存在。
まさしくこれは世界を変える力だった。
わたしは確信した。
これを利用できれば確実に世界を変えることができると。
そして私は数年に及ぶ計画の準備を経て実行に移した。
様々な人間を利用した。
様々な人間を犠牲にした。
様々な能力者と協力し合った。
様々な能力者と殺し合った。
時には目的達成のために利用されることも厭わなかった。
すべてはこの世界を変えるために。
この世界に潜む魔術師という異物を根絶やしにして、平和に過ごす人々に安息を与えるために。
そんな折に君が私の下に訪れたのは非常にタイミングが良かった。
妹にかけられた呪いを解きたい。そのために奔走している。
魔術を知る者でありながら、表の世界を第一に考えるその人情の厚さ。
家族を想うその心の暖かさ。そんな君の姿に私は希望を見出した。
そんな君だからこそ、私の魔術を預けてもいいと考えた。
そんな君だからこそ、私は君のために時間を使ってもいいと考えた。
そんな君だからこそ、私は君を――
――手駒とする最適な人材だと判断した。
◇
「ロイド・エルケンス。君は実に使い甲斐のある人材だったよ。正義感があり、そして精神的に窮地に陥った人間はやはり操りやすい。そのおかげもあってか、暗示が効きすぎて完全な解除が困難になるという、思いもよらない結果になったがね。
君の使い道はテレジアの一件で終わったと思っていた。しかし生き延び、そしてハルリスの異変での君を見て思ったよ。まだまだ利用価値があるとね」
ジェインの言葉の羅列に、失っているはずの過去が映し出された気がした。
「俺が、お前に利用されていた。そんなこと、あるはずがない」
だがどうしても思い出すことができない過去。忘却という不安、恐怖で心が締め付けられる。
ジェインは続ける。
「ではテレジアでの行いを思い出すがいい。君は何故あの地で星座の魔術を発動させようと考えた。何故『星座の魔術』が妹の呪いを打ち消すものだと考えた」
「……、それは……」
「思い出せない。それが君の答えだろう。それもそのはず。君に目的を与えたのはこの私だ。そして計画を実行する際に私を含め星座の魔術を知った経緯を忘却するよう細工した。
至宝が封印されている地の一つテレジア。そこは私たちにとって最大級の危険地域だった。何故だか分かるか? それは彼の地には魔導の三賢者、アーネスト・マーベルの根城があるからだ。
彼がいたのなら私たちがどのように策を労しようとも、即座に対処されてしまうだろう。ではどうするべきか。答えは単純だ。アーネスト・マーベルをテレジアから引き離せばいい。テレジアに戻れないよう時間を稼ぎ、その間に星座の魔術を実行する。
そう、時間を稼ぐ役割は呪いをかけたエレナに、儀式の実行は魔術に適正のあったロイドに、それぞれ割り振らせた。共に自覚は無いだろうがね」
「勝手なこと言いやがって。なにがもう関わらないだ。俺たちをいいように使いやがって。おまえがいなければエレナは呪いであんなにも苦しまずにすんだのに。おまえがいなければ、今こうしてエレナが危険な目に合わなくてすんだのに!」
「勘違いしてもらっては困る。これはすべて君が招いた結果ではないか。浅ましい君の行動がこうしてエレナを傷つける。
君がもう少し賢ければ、君がもう少し素直であれば、こんな事態にならずに済んだのにな。そうだろロイド。己の無力さを他人に擦り付けるなよ」
腕に魔力を込め炎を顕現させる。そして横に大きく一薙ぎする。
怒りに満ちた感情のように炎は暴走し、その波はジェインに向かって襲い掛かる。
このままジェインに直撃すれば、致命傷は避けられないくらいの大技。
しかし、――
「――!?」
突如、炎の波が目の前から消え去った。
全てを焼き尽くす熱風は、何者をも凍てつかせる冷気に変わる。
轟音を伴いながら地面にめり込んだそれは着弾と共に暴風を巻き起こし、俺の炎をすべて掻き消していた。
まるで空中から発射された大砲の威力を思わせる威力。クレーターは俺の目の前までできていて、あと数メートル位置がずれていたら俺も巻き添えを喰らっていたことだろう。
それらが意味しているのはただ一つ。理解はできても突然の出来事に身体が反応しなかった俺に対し、目の前のジェインは不満の表情を浮かべ氷塊が飛んできた茂みの中を睨む。
「……ユリウスどういうつもりだ」
ジェインの視線につられて脇にある茂みを見る。すると、そこにはネロに追われていたはずのユリウスが立っていた。
「ジェインさん、こいつは俺の獲物なんだ。いくらあんたでも簡単に譲るわけにはいかないな。ロイドくんの魔術が直撃した瞬間に反撃して殺すつもりだっただろ」
「……」
「もしかして遅れたことに怒ってるのかい? ごめんよ。あの仮面の子がしつこくてさ。まくのに時間がかかってしまったんだ。許してくれよ」
言って、ユリウスはジェインの下に向かって歩き出す。
「ふん。貴様はいつもいつも、どうしてこうも空気が読めないのかね。だが私もどうやら熱くなっていたらしい。君の行いで本来の計画に支障が出ないのなら問題はない。この場の処理は任せよう」
「あれ、いいのかい。意外だねえ。てっきりあんたがやるって言い張るものだと思っていた。エレナちゃんのこともそうだけど、ロイドくんって元はあんたの手駒だったんだろ」
「それは事実だが、今回においてはそれ以上の役割を持っている。だが今の揺さぶりでもまだ条件が整わなかった。奴の目覚めまであと一歩が足りない。後はおまえの好きにするがいい。霊獣の核の回収は私でなくてもできるのだから」
「だったらここからは俺の好きにさせてもらうよ。本当にいいね」
「二度言わせるな、ユリウス。ここから先は私の趣味ではない。おまえがやれ」
繰り広げられる二人の会話。
それはもう俺の存在など忘れ去られているかのようだった。
「――、おい待てよッ! なに勝手に進めてやがる。俺の話はまだ終わってない!」
怒り任せに叫ぶが、ユリウスは全く物怖じせず普段のような調子のいい言葉を吐く。
「おいおいロイドくん、そう焦るなよ。ここからは俺が代わりに君の相手をしてやるからさ。君の絶望した表情、今度は俺に見せてくれないか」
ユリウスはジェインの数歩手前に立ち俺の攻撃を遮る。ジェインは言葉通りユリウスにこの場を任せたのか数歩後ろに後退する。先ほどとは打って変わって何をすることもなく口を閉ざした。
「おまえもおまえだ。ふざけるのもいい加減にしてくれ。それにあんたのその言葉はなんだ。今まで俺たちを騙していたのか。何故だ、何故そんなことをした」
「何故? 何故って聞かれてもねえ、そんなこと。俺が水面下で動いている間、君に感づかれるわけにはいかなかったんよ。
俺たちが実行しようとしている『星座の魔術』はかつて君も実行しようとした禁術だ。勘付かれれば、君の記憶に残る魔術の知識から対策を立てられてしまいかねなかったからね。
だけれど、それも取り越し苦労。君の身近な人が巻き込まれるまで自身の意志で動くことはなかった。動けなかった、のかもしれないけれど。むしろ警戒すべきはジルの方だった。少しだけ後悔だが、まあ今となっては終わった話だけどね。
それよりも今重要視すべきはこの彼女、エレナ・エルケンスだ。なんだいこの娘は。聞いていた限りじゃ普通の娘だったはずなんだけどな。どういうわけか、まるで疑似能力者であるかのような体質じゃないか。しかも属性は幻属性。この地での儀式の贄に最適だ」
「――ッ!」
何故だ。
何故その情報をこいつが持っている。
呪いを通じてエレナの体質に変化が生じたことは、俺とエレナ、そして恩人であるマーベルさん以外誰も知らないはずだ。
ティアにさえ言っていない。加えてあのマーベルさんが外に漏らすわけがない。
もし俺たちの他に知っている人物がいるとすれば、それはエレナに呪いをかけた魔術師本人以外ありえない。
であれば、目の前に立つ魔術師ジェインは本当に俺たちを絶望に陥れた張本人になる。今まで言っていたことも全てが真実ということになる。
それじゃあ、俺が暗示をかけられてやらされたことも全て……?
聞いていたエレナの目に微かな恐怖の色が灯るのを見る。
その瞬間、俺の感情はもう制御が効かなくなった。
全ての魔力を使い果たしてでも焼き尽くす覚悟で炎の波をユリウスに浴びせる。攻撃範囲を凝縮し火災旋風のごとき炎の柱をそびえ立たせた。
さらに火力を上げるため残る魔力を注ぎ込む。内部で幾たびも暴発する炎がユリウスを襲う。
過剰攻撃なのは承知の上で、なお攻撃の手を止めることはない。
あの氷の魔術師には俺一人の手では破壊しきれなかった氷の壁があるのだから。
やるなら徹底的に、確実に、容赦なく、焼き尽くすのみ。
「――くくく」
しかし、それもむなしく炎の柱の中から薄ら笑いが響く。
急速に奪われる大気の熱。肌寒く感じさせるような冷気。
目の前の炎は時間を止められたかのようにその場にとどまり、周りに膜を張るように氷の壁に包まれる。
言うまでもなくユリウスの放った極寒の冷気がその正体。氷の魔術は俺の炎を軽々と上回っていたのだ。
凍結した炎の柱は呆気なく砕け散る。
「この状況を前に退くことなくひとりで立ち向かおうとするとはね。無謀と吐き捨てることもできるけれど、今度ばかりは勇敢としてしっかりと受け止めてあげよう」
続けて襲い掛かる燃え盛る灼熱をものともしない吹雪の雄叫び。轟と吹き荒れる氷の暴風はユリウスの眼前にある全てを飲み込み氷漬けにする。
それは俺の身体も例外じゃなかった。咄嗟に炎を自身の周りに発生させ防御を図る。しかし、無念。炎の壁など瞬く間に掻き消され身体を氷で束縛される。両腕、両脚は完全に氷塊の中に沈んでいた。
「氷のオブジェに変えるつもりで放ったんだけどな。これを耐えたか。やはり、君はいいものを見せてくれる。だが悲しいかなその勇敢さは無意味なものに終わるんだよ」
「無意味かどうかはどうでもいい。今はエレナを助けられればそれで。いいからそこをどけ!」
「氷に縛られ身動きが取れないというのに、威勢がいいねぇ」
くくく、と不気味な笑みを浮かべるユリウス。
「ところでロイドくん。突然だけれど君はこの状況で助けが欲しいなぁって思わないかい?」
「……は? 突然何を言い出すんだ」
「おかしいとは思わないか? 今この状況、ハルリス全域が魔術的な危機に陥っているこの瞬間。ハルリスには魔術機関支部があって、その中にはジルもいるんだろ?
だったらジルに何かがあれば魔術機関の者が動き出してもおかしくないはずなのに。君以外に動いている魔術師の気配がないのはどうしてなのかなぁ」
「おい待て。おまえ、何を知って――」
俺の疑問や不安など無視して、ユリウスは続ける。
「何を隠そうこの俺たちが、ハルリスの魔術師たちを無力化させたんだ。まあ、俺はジルを相手にするため離れていたから八割方はジェインさんの成果なんだけどね。つまり俺たちを止める最大の障害はすでに消え去っているってわけだ」
「そんな、そんなことあるはずがない。相手は魔術機関だぞ。支部だといっても何人もの戦闘に特化した魔術師がいるんだ。たとえジルがいなくても、その守りは強固なものだ。お前たちがどれほどの実力を持っていたとしても、それをたった二人で成しえるはずがない!」
「そう、その通りだ。君の認識に間違いはない。少なくとも俺の実力のみじゃあ無理だろうさ。ジェインさんに限って言えばどうだか知らないけどね。
だけれど、俺たちにはそんな状況をも覆すとっておきの策があったんだ。なんだと思う?」
そう言いながら、ユリウスは俺に向けて指をさす。
お願いだ、それ以上は、それ以上は――
予感なんてものじゃない。これは確信だ。
次のユリウスの言葉が発せられた瞬間、俺は今まで積み重ねてきたすべてを崩されることになる。
ユリウスは止まらない。
歪んだ唇が今、黒く塗りつぶされてきた真実を告げた。
――だって君、今日までずっと俺たちにハルリスの魔術機関に関する情報を流してくれたじゃないか。
「――ッ!?」
「ははは、驚くのも無理はない。ああ、そうだよ。今日までお疲れ様。君が俺たちに流してくれたハルリスの魔術機関の情報はとても役に立った。おかげでこの日まで儀式を企てている術師が俺たちだと特定されることなく計画を進め、ハルリスの魔術機関を壊滅させ、そして贄であるエレナちゃんの捕獲が叶ったのだから」
「そんな、そんな馬鹿な」
握る拳がガタガタと震え始める。
まさか俺は知らず知らずのうちに、あいつらに手を貸していたってことか?
エレナが攫われる状況を招いたのも、エイラや街の皆が倒れることになったのも、その原因に俺が関わっていると?
「そんな馬鹿な話があるか!!」
ありえない。でまかせだ。
俺にそのような自覚は無いし、操られていた痕跡も、違和感も無い。
だがもし、あいつらの言う通りだったとしたら。
俺は、俺は……
いったいなんてことをしでかしてしまったんだ。
そんな得たいの知れない不安を抱く。
だが、目の前の敵は待ってはくれない。
「……それじゃあ、エレナちゃんはもらっていくね」
ユリウスは静かに、そして冷酷に宣言する。
「いやあ、これについては本当に助かった。俺だってこのハルリス出身だ。この街の人々にはいろいろとお世話になったからね。できることなら別の方法で儀式を終わらせたかった。
だからエレナちゃんの存在は本当にありがたいんだよ。俺はこのハルリスを犠牲にせずにすむからね。今まで住んできた故郷とその人々か、それともたった一人の人間か。犠牲にするべきはどちらかなんて、考えるまでもないだろう?
だが悲観することはない。彼女は既に普通の人間ではなくなったのだから。この『星座の魔術』を完全な形で成し得るための材料に成り果てたのだから」
「やめろ、ユリウス。それ以上はしゃべるな! 誰がどのように言おうと、エレナは人間だ。俺の大切な家族だ。これ以上エレナのことを愚弄するなら、俺はお前を許さない」
「許さない? 許さなかったならどうなるというんだい。それにその言葉。君が一番言ってはいけない台詞のように思えるが?
数か月前のテレジアでの出来事。君はティアちゃんをただの道具としてしか認識しなかった。ティアちゃんにも家族や友達がいる。彼女のことを大切に思う人たちがいる。そんな彼女を君は『星座の魔術』の生贄にしようとした。
俺たちはそれと同じことをしているだけだ。生贄になる人間がたまたま君の妹になったってだけの話じゃないか。分かるかい? これは、君のしてきたことと変わらないんだよ」
「黙れよ、ユリウス……」
「ははは、もうよしなよ。君、声が震えてるじゃないか」
言われて意識する。
口元は震え、足元がおぼつかず今にも倒れそうになる。
そうか、これが、絶望か。
「――ユリウス。そこまでだ。条件が整った」
ユリウスの言葉を止めるジェイン。その男も同じだった。もう興味を失ったかのように冷めた目で俺を見るだけ。
「ここまでか。まさかこの程度で崩れてしまうとは。もっと前途有望な子だと思っていたけれど、どうやら私の過大評価だったらしい。君はここへ何をしに来たのかね? 君はここで何をしたかったのかね?」
そしてジェインは、一際大きなため息を吐き、見下すような眼で俺を見る。
魔力を活性化させるジェイン。その周りには黒く禍々しい渦が逆巻く。そして、携える一本の武器。それは銀色に輝くガラス細工のように美しい大鎌。
まるで自分の魔術を見ているかのようだった。
「――おい、おまえ。それはなんだよ」
震える声で目の前の男に問う。
ジェインはもう俺を見ることはない。
「その大鎌、それはなんだって聞いてるんだよ!」
再度、怒りを伴い問いを投げかける。
しかし、ジェインは俺ではなくユリウスへ声を掛けた。
「ユリウス。今ここでエレナ・エルケンスを封印しろ」
「了解、ジェインさん」
ただそれだけの言葉のやり取り。
ジェインは俺の元までを歩を進め、そして大鎌を俺の首に添える。
ユリウスは何らかの力でエレナを空中に浮遊させ、今まさに氷漬けにせんと力を振るう。
虹色の揺らぎがエレナの周りにまとわりつく。幾度もジルから教えてもらったあの不気味で鮮やかな結晶体。その中に閉じ込める気でいる。
であればその結果エレナがどうなるか。考えたくもない。
嘘だろ。冗談だろ。何かの間違いだって言ってくれよ。
止めようとして魔術を繰り出そうにも、俺を拘束している氷の錠が魔力を霧散させていく。力を失った俺は跪き、その恐怖に嗚咽を漏らす。
「やめろよ、お願いだから、お願いだから」
俺はどうなってもいい。だからエレナだけでもどうか見逃してほしい。
目の前の現実が夢であってほしいと、この一瞬にどれだけ頭の中で繰り返したことか。情けなるくらいに、誰にも見られたくないくらいに、目に涙を湛え身体を震わせる。
「やめてくれぇぇッ――――!!」
何もできないことに無情に湧き上がる悔しさと、理解しがたい現実を突きつけられたその残酷さに、俺はただ負け犬のように叫ぶしかできなかった。
「それでは返してもらうとしよう。おまえに貸し与えていた死神、ライブラの力の一端を」
そして断頭台のごとく、ジェインは容赦なく大鎌で俺の首を切り落とした。
――さあ、己の無力さに絶望するがいい。




