第4話 真実の扉・濃霧に包まれし氷結の都へ④
それから三十分ほど経ってからだろう、ビクッと隣で眠るジルの身体が動く。
「……ここは。……ロイド、今はどうなっている。ユリウスはどこに行った」
ジルの意識が回復したらしい。
弱々しい囁きではあったが、一命をとりとめたと捉えてもよさそうだった。
「ジル、目を覚ましたのか。ユリウスには逃げられたよ。ハルリスの中心部の方に向かっていったみたいだ。今はネロ……俺の仲間がユリウスを追いかけているから、その間に対策を立てないとな。
連絡がまだないのが不安だけれど……。って、そんなことよりだ。ジル、身体は大丈夫か? 痛むところはないか?」
「ああ、どうだろう……うん、何とか大丈夫そうだな。――はぁ、流石に今回はやられたかと思ったよ。すまないロイド」
「気にするな、相手が悪かったんだ。あんな大技を出されたら予め対策をしておかないと対処できないだろ」
いや、対策をしたところで俺たちの実力でどうにかできるものなのだろうか、あれは。
今回の場合は外側から俺の炎とネロの能力で無理やり砕いたが、内側にいた場合そもそも魔術を発動できる状態でいられるかすら怪しい。
「……なあ、ロイド。俺、機械みたいだってさ。俺ってそんなに自分の意志を持ってないように見えるか? 俺はこんなにもこの街を愛しているっていうのに」
震える唇。話すことも辛いだろうに、それでもジルは内に秘める悔しさを吐露した。
「やり方は人それぞれだし、あんたが選択した道も悪いことだとは思わない。だからユリウスの言葉なんて気にするなよ。挑発って意味合いもあるんだろ」
「気にするよ。挑発なんだったら尚更な。挑発ってのは事実を混ぜるからこそ効果があるんだ。俺はその事実を突きつけられたことで、簡単に崩れてしまった。情けないにもほどがある。
それだけじゃない。ユリウスの言葉を真に受けるなら、石碑の周辺を警戒していた機関の仲間たちは、その全員がユリウス本人かその仲間にやられたことになる。
この地に駆け付けた俺もこのザマさ。ロイドたちが来なかったらどうなっていたことか……」
「……ジル」
言葉が見つからない。このように悔い悩む者に対してどのような言葉をかけるべきなのか分からなかった。
迷う俺に対して、ジルは悔やんでいるものの心の迷いはなかったようで、その目から光は失われていなかった。
「頼む、ロイド。俺を街まで連れて行ってくれ。あの魔術師、ユリウスに一矢報いないと気が済まないんだ」
そういって、ジルは満身創痍のその身体に鞭打ち立ち上がろうとしていた。
俺は咄嗟にその無謀を止めようとする。
「何やってるんだよ、そんな状態で」
「もちろんこのまま行くわけじゃない。回復魔術は心得ている。森を抜けるまでにはこの傷も治しておくから、だから」
「……すまないが、それは出来ないな」
言って無理やりジルを座らせる。ほとんど力を込めることなく、そっと腕を引くだけでジルを元の場所に戻せてしまった。
「何でだよ、俺じゃあ不安か? ユリウスに負けた俺が」
「そうじゃない。あんたの魔術も戦術も俺はすごく頼りにしている。だから俺だってあんたと一緒に戦いたいさ。ハルリスを守り通すこと。それがあんたの夢であって、あんたがずっと望んできたことだろ。
だったらそれはジルの手で成し遂げなくちゃならない。俺の手を借りたとしても最後にはジルの手で決着をつけるべきだ。
だけど今のあんたは焦りすぎている。自滅覚悟で仕掛けていきそうで不安なんだ。それにさっきのはなんだ。軽く手を引いただけで倒れたじゃないか。
だから気持ちを落ち着けて、体力も回復させて。それから自分の脚で駆け付けてきてほしい」
ここら辺が潮時だろう。
ジルも意識を取り戻し、身体の不調もないと確認できた。今おこしている炎も当分は消えない。周りに怪しい気配も感じない。
だったら俺はもうこの場に留まる理由はないだろう。
立ち上がり、岩の陰から離れていく。
「それじゃあ俺は先に行くよ。ジルも体力を回復させたら来るといい。でも、あまりに遅いと全部俺が持っていくかもな」
ジルは呆れてしまったのか、今まで見たことがないくらい大きなため息を吐いた。
「あーあー、そうだよ。おまえはそういう奴だった。一度決めたら俺の言うことなんて聞きやしない。でも今はおまえの言うことの方が正しいな。仕方がないから今は言うことを聞いてやる。おまえの働きには期待しておくよ」
その声を聞いてから、俺は「行ってくるよ」と手を軽く振りハルリスの街まで走るのだった。
◇
ハルリスまで戻る森の中、ポケットに入れた礼装がぶるぶると震えだした。
俺のものではなくネロに渡されたこの礼装からの連絡となれば、もう相手はネロからしかありえないだろう。
待ちに待った連絡に俺は通信先の相手を確認することなく話し始めた。
「もしもし、ネロか? 今どうしてるんだよ。なかなか連絡をよこさないから心配したぞ」
しかし、礼装の先から届いた声はネロのものではなく、俺の知らない女の子の声だった。
『あー、えっと。もしもし、わたしネロさんじゃありませんよ。初めましてですね。あなたロイドさんですよね?」
「あ、ああ、そうだけど。君は?」
『わたしカレンっていいます。今お時間よろしいですか? ネロさんに代わりまして今の状況をお伝えしようと連絡したのですが』
少し恥ずかしかった。
思い込みって本当に危険だな。相手の女の子が引いていなければいいけれど。
――ん、カレン? その名前って確かティアの友達だったか? だったら挨拶しないといけないだろうか……って何考えてるんだ。今はそんなこと後回しでいいじゃないか。
「そうか。それはどうもご丁寧にありがとう。ところで君はネロの何なんだ」
予想はつくけれど、念のため確認しておくことにした。
『ネロさんの何かって? それはあれですよ、相棒みたいなものです。『家族』って答えたい気もしますが、今の状況それは自重しておきましょう。あまり複雑な関係ではないですよ。詳しくは後程ということでお願いします』
「……」
家族、か。ネロの姉か妹だろうか。であれば相棒とは何なのか?
それらの意味は分からないが、とりあえずはネロの言った通りで安心した。彼女は信じられる者である、という前提で話を聞くことにしよう。
カレンと名乗った女性も、それだけ答えると業務連絡のように話し始める。
『まず最初に教えていただきたいのですが、ロイドさんは今どこにおられますか?』
「今は湖の神殿からハルリスの街に戻るまでの森の中だけれど。森を抜けたらそのまま中央広場に向かうつもりだ」
『そうですか。それはちょうどいいです。そのまま移動しながらでもいいので聞いてください。ただし街道に出ましたらそれ以上は進まないでくださいね。理由は後で説明しますので』
「ん? その意味があまり理解できないけれど。まあいい。説明してくれ」
『はい。まず氷の魔術師ユリウスの向かった先についてです。最初は中央広場から北西の位置にあるルーバス大聖堂に向かって進路を進めていたのですが、途中から道を逸れてしまいまして。今もネロさんが追跡中です』
ルーバス大聖堂か。
装飾も綺麗で観光スポットとしてはハルリスの中でも有名なところだけれど、その分魔術儀式に使おうとする魔術師は減ってきたはずだけれどな。
魔術を行う儀式場として見てもなかなかにいい場所らしかったけれど、多くの人目が付くにつれて魔術というその影は失われてきたのだ。
「そっか。あいつはあいつでちゃんと動いてくれてるんだな」
ユリウスを逃がさないってのも、ある意味守ってくれてることになるのか。
それにしてもユリウスは何でルーバス大聖堂に向かっていたんだ?
星座の魔術の中心地に選ぶとしても、あそこは星座の位置を見ても適してるとはいいがたい。本来ならユリウスは湖の遺跡に陣を張り魔術の発動をするべきだった。
悔しいが俺たちの妨害も、ユリウスならどうにかできたはずなのに。
それをどうして……
『ん? どうかいたしましたか?』
「いや、何でもない。ということは、俺はこのままネロと合流してルーバス大聖堂に行けばいいのか?」
『いえ、今のネロさんはずっと移動を続けてまして、合流するのは難しいでしょう。ですので、あなたはネロさんとは別行動をしていただきたいのです』
「別行動を? それでもいいのか?」
『はい。問題ありません。ではまず、ある人物のことについて聞いてみたいのですがいいですか?』
「いいけど、ある人物って誰だよ」
『ジェイン・グレーザー、その名の魔術師に心当たりはありますか?』
「いや、まったくないな。初めて聞いたよ」
『そうですか。でしたら大丈夫です』
「はあ、……。それで、そのジェインって魔術師がこの件にどう関係してくるんだよ」
『はい。それはですね……』
とカレンさんは言い淀む。何か言い辛いことでもあるのだろうか。
「どうしたんだよ。何かあったのか」
『あ、いえ、そんなことはありません。あの、あのですね。ロイドさん落ち着いて聞いてくださいね』
そして、通信機の奥から深呼吸する音が聞こえる。
一回二回と終えたところでカレンさんの声が再開する。
そして――
『あなたの妹、エレナさんが魔術師ジェインに攫われました』
「……」
今、カレンさんは何と言った?
エレナが攫われた、って言ったのか?
何度も何度もその言葉を反芻する。
繰り返すたびに息苦しくなる。
繰り返すたびに寒気が強くなる。
全身が震えだし、そしてついに立ち止まってしまった。
「……は?」
そんな
どうして?
どうしてエレナが?
そもそもエレナは家でじっとしていたはずだ。外に出るなとも話したばかり。今の状況で外に出るほどエレナは馬鹿じゃない。
じゃあ、そのジェインって魔術師は俺たちの家に侵入してエレナを攫ったってことか?
「おい、待ってくれよ。流石に唐突すぎる。エレナが攫われた? 馬鹿なこと言うのも大概にしてくれ。仮に本当だとして、どうしてエレナが攫われなきゃいけないんだよ」
『それはわたしにも……。星座の魔術となれば狙われるのは能力者であるはずです。質問なのですがエレナさんは能力者ではないのですよね』
「ああ、エレナは違うよ。俺みたいに魔術を使える人間でもない。だからエレナが狙われるなんて意味が分からない。ああ、なんでエレナが。ティアみたいな能力者でもなければ戦う力も持たないのに。
――そうだ、ティア。あいつ今どうしてるんだ。まさかティアも一緒に攫われたなんてことはないよな。カレンさん、ティアって娘のこと知ってるか? 金髪で金色の目をしている女の子なんだけど。今はたぶん白色のシャツに黒のズボンをはいてるはず。それ以外の特徴は――」
『ロイドさん、大丈夫です。ティアちゃんはわたしの友達でもありますのでよく知ってます。ハルリスに来てからはさっき初めて会いましたけど。今ティアちゃんと一緒にいます』
「そうか、よかった。ティアは無事なんだな。じゃあすぐにでもティアに協力してもらってエレナを助けに――」
『違うんです、ロイドさん』
カレンさんの声は震えていた。
その様子は通信機越しでも尋常でない状況であることを伝えてくるほどに。
そしてカレンさんは言う。
『ティアちゃん、ぜんぜん無事じゃないんです』
「え?」
「エレナさんがジェインに攫われそうになった時、ちょうどティアちゃんが戻ってきてくれたんです。エレナさんが連れていかれないよう抵抗してくれたのですが、相手が悪すぎました。手も足も出せず、最後にはひどい怪我を負わされてしまいました。
勝手ではあるのですがロイドさんの家の魔法陣を使わせてもらって治療できてはいるのですが、当面は動けそうになく。
今回の黒幕が動き出す前にティアさんをハルリスから退去させようと試みていたのですが。ああ、わたしたちも予想外でした。まさかユリウスだけでなく、あのジェインも直々に動いて、更に狙っていたのはティアちゃんではなくエレナさんだったなんて』
あの時のネロの行動も、俺やティアにテレジアは危ないと認識させるための手段だったのかもしれない。今さらな話だけど、回りくどいことをせずにもっと具体的に話してくれればよかっただろうに。そうできない理由でもあったのだろうけど。
「ティアの容態のことだけど、本当に命に別状はないんだな? 治療用の魔法陣もうまく使えてるか?」
『はい。今のところは。ティアちゃんの回復も時間の問題です。星座の魔術の影響も受けてなさそうですので、このまま生贄にされるようなこともないかと。
それにしてもロイドさんのところの魔法陣、すごい性能ですね。わたしのような能力者でも高位の回復魔術が使えるようになってるなんて。
これどうしたんですか? 並みの魔術師じゃ作れない物ですよ。まさかロイドさんが作られたのですか?』
「いや、それは俺が作ったんじゃない。エレナのために、少し前に助けてくれた魔術師が作ってくれたものなんだ。仕組みさえ分かれば、俺のような回復魔術に長けていない魔術師でも使うことができるようになる」
「そうでしたか。だとしても助かりました。もしこの魔法陣がなければもっとひどい状況になってました」
カレンさんの言葉を信じるならば、ティアは俺の家にカレンさんと一緒にいて、負った怪我もひとまずは安心ってことになるのか。
だとすれば、ティアには悪いがエレナのことを最優先に考えさせてほしい。
しかしこのまま居場所を突き止めて直接ジェインの下に向かっていいものか。無策で突っ込むことほど愚かなものはないから。
と理解はしていても、すぐにでも助けに行きたい気持ちがあふれてくる。今の俺たちにどれだけの時間が残されているのかも分からない状況。正直なところ、愚かな行為に出ようとしていることを理性で抑えられそうにない。
「……。なあ、カレンさん。さっきから言ってるジェインって魔術師、ティアでは相手にならないほどなんだよな。そんなに危険なのか?」
『ええ、もちろん。彼はあの『魔導の三賢者』に匹敵するほど実力の持ち主。ユリウスと比較しても、その実力はかなり上にあります。
そして私たちの故郷をたった一人で滅ぼした人物ですから。わたしやネロさんにとっても少なからず遺恨があります』
「そうか。君たちの事情について今は深入りするつもりはないけれど、魔導の三賢者って聞くとかなり不安になってきたな」
匹敵する、と言っていたからあり得ないとは思うけど、あのマーベルさんと同格だなんてことはないよな。そんな魔術師が相手だっていうのなら、俺たちの望みはもう積んでるも同然だ。
『ですから、半端な準備で挑もうとは思わないでください。以前、ネロさんとわたしの二人がかりで挑んでもどうにも出なかった相手でしたから』
「ネロと組んでそこまで苦戦するのか。予め知ることができてよかったよ。それでエレナを攫った魔術師は今どこに向かっているか分かるか?」
『え? ちょっと待ってください。もしかして単身で立ち向かおうとしてません? わたしの話を聞いていました?相手は高位の魔術師ジェインです。あなた一人が乗り込んでもどうにもなりません。ですから最初に言ったのですよ。街道に出たらそれ以上進まないでくださいって』
「それがあの言葉の理由だったのか。けれどそんなことは関係ない。俺はエレナを見捨てることは絶対にできない。だから教えてほしい。ジェインが今どこに向かって移動しているのか」
『うーん……』
カレンさんは悩むように唸ったあと、通信機越しでガタゴトと物音がする。
そして数秒の後、別の声が聞こえてきた。
『ロイドくん、聞こえてる?』
その声はティアだった。ただしその声は弱弱しく、そして苦しそうだった。
「ティア、おまえ大丈夫なのか?」
『大丈夫、って言いたいところだけれど、流石にきついね。ロイドくんの時ほどじゃないけれど身体がぼろぼろ。しばらくは動けそうにないよ。……ごめんね、ロイドくん』
「ごめんって、なんでお前が謝るんだ」
『だってわたし、エレナさんを守れなかったんだよ。全然太刀打ちできなかった。たぶん相手は本来の力のほとんどを出していなかったと思う。どんな魔術を使うのか、どんな戦闘方法なのか、それを引き出すこともできなかった。
正直言って悔しいよ。エレナさんを攫われた挙句、敵の情報をロイドくんに伝える事すらできない。だから、こうして一言謝っておきたかったんだ』
そう悔やむティア。
「どこまで他人思いなやつなんだよ。謝らなければいけないのはこっちも同じだ。本来なら俺たちだけの問題のはずなのに関係のないおまえを巻き込んでしまった。すまない。
エレナは俺自身の手で助け出す。だからおまえはゆっくり休んでおいてくれ。俺たちのために戦ってくれてありがとな、ティア」
『うん。それじゃああとはお願いね、ロイドくん』
そう言葉にすると、ドサッと物を落としたような音が響いた。
たぶん通信機がティアの手元から落ちたのだろう。
「ティア? おい、どうしたんだ?」
そう心配すると、代わりにカレンさんが出てくれた。
『ティアちゃん眠ってしまいました。容体は安定していますので安心してください』
「そうか。それはよかったよ。カレンさんもありがとう、ティアに付き添ってくれて」
『むむ……そういう反応をされますか。ロイドさん、あなたの評価を改めないといけないかもしれないですね』
「ん? なんだよそれ」
『なんでもございませんよ。こっちの話です』
そしてやれやれと嘆息した彼女は魔術師ジェインのいる場所を示した。
『今から十五分後、場所はルーバス大聖堂正面の広場です。そこに彼は現れるはずです』




