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第1話 紺碧のハルリス・始まりは黄昏の下で①

 八月五日。試験最終日の最終科目。

 カリカリ……

 カリカリ……

 静寂の中。紙に鉛筆を走らせる音。机に芯をノックさせる音。消しゴムで紙を擦る音。

 それらがいくつも合わさって一種のリズムのように流れる。

 ――ふぅ。

 そんな中、俺は心の中で嘆息し鉛筆を置いた。

 教室の前方にある黒板の上に掛けられた時計を見る。

 現在時刻は十五時五十分。残り十分で終了の合図がかけられる。

 全ての問いに対して確信を持って答案出来ているかと言われれば、一部だけ解らないところもあるし万全とは言えない。残りの時間は解りはしたが不安要素が拭えない部分を無くしていく。

 あいつに勝つためには凡ミスなんてできないからな。

 深呼吸をし、一旦頭の中をリセットする。

 ――よし。

 そう、心の中で呟き答案用紙を見直していく。

 そして十分後。試験終了の合図であるチャイムが鳴り響く。


「――そこまで。回答を止めて答案用紙を裏向けにしなさい」


 という指示が入り、複数の教官に学生の答案用紙が回収されていく。

 まあまあいい出来だろう。

 結局解らないところは解らないままであったが、それも四問だけ。

 もっと対策しておけば、と後悔したところで後の祭り。この後悔は次の試験で生かすとしよう。

 さて、と横目に俺はあいつの表情を観察する。

 ちょうど俺と同じ教室で試験を受けている灰色の髪の男、ジル・ロイヴァス。

 高等学校入学時から大学二年生の現在まで、常に学力で勝負をしてきた彼。

 そろそろ奴に勝たなければ三連敗することになる。

 またあいつの嫌味を聞くことになるのかと思えば、想像するだけで腹が立ってくる。

 そんな彼の表情はというと。

 まるで余裕だった、と言いたいかのように欠伸をして眠たげな表情をしている。

 俺の視線に気が付いたのかジルも横目に俺を見て、ふっと微笑を浮かべる。

 ……。

 あれ、もしかして負ける。今回も?

 そんなことを考えているうちに俺の答案用紙も回収される。

 ああ、あの四問。あいつは解いてるのかな。解いてないよな。いや、あいつのことだから解いてるんだろうな、きっと。


「――はあぁ……」


 俺は今度こそ声に出して嘆息した。



 試験が終わり解散の許しが出たところで、同時に学生たちが立ち上がり教室から出ていく。俺も続いて教室から出ていくため、鉛筆と消しゴムを筆入れに片付け、鞄を持って立ち上がる。

 ジルを探してみるも、もう教室から出ていったみたいでどこにも姿が見えなかった。


「まあ、いいか。ここで点数の話をしたところで結果が変わることはないからな」


 あいつのことは今は置いておくとしよう。

 今日はこの後すぐに別の用があるんだ。

 さっそくみんなとの待ち合わせ場所に行くとしよう。



          ◇



 正門から真っすぐ進んだところにある一号館。このキャンパス内で一番高い建物であるその最上階には、周りの景色を見渡せる喫茶店がある。

 壁のほとんどがガラス張りでできていて、碧く輝く大海を一望できる。

 そんな喫茶店の隅にある丸テーブルに三人の男女が座って雑談をしていた。

 俺が来たことに気が付いた茶髪の男が手を大袈裟に振りながら叫ぶ。


「よお、ロイド。おまえが最後だぞ」


 叫んでいるのはこのグループで一番のお調子者。名前をライノという。


「ちょっとライノ。ここで大きな声出さないでよ。恥ずかしいでしょ」


 と注意をする黒髪を左右に結わえた眼鏡の女子はエイラだ。


「エイラ、あなたも声大きいよ。ライノと変わらない」


 そう言う若干くせ毛で脱力感のある彼女はアイリという。


「あ、ごめんアイリ」

「そうだー、声でかいぞ」

「あんたは黙りなさい」


 すでに試験のことを忘れたかのように賑わいを見せている三人。

 テーブルの上を見れば複数の書類やメモが広げられている。

 試験の答え合わせ、ということではなかった。

 数日後、ハルリスの中心に位置する大通りを起点に夏至祭が行われる。そこで出店する出し物の内容についての話し合いをすることにしていた。

 夏至と言えば本来ならもうとっくに過ぎている時期なのだが、このハルリス特有の気候が原因でこの時期までずらしていたのだ。

 その特有の気候が濃霧だ。六月中旬から七月中旬までの一ヶ月間はまともに外を歩けないくらい白で染まるのだ。そんな中で祭りなんてできやしないだろう。

 それはそれで幻想的な風景になるので外国の人からは珍しいものに見られているのだが、現地人としては勘弁してほしいくらいだった。

 今年も相変わらずの熱さに加えて高湿度だった。地獄かよ。


 という話は置いておくとして、俺の通っている大学、ハルリス学院大学からも出し物があり、キャンパス内で学生たちが運営する店が出される。俺たち四人のグループもそのうちの一つだ。

 ただし、俺たちは大学の外で出店することにしている。学生の身ではあっても出店する権利は与えられるため、書類の審査に通れば可能ということになるわけだ。

 ちなみに俺たちは模擬店として自作パンの店頭販売だ。今からすることは、その出し物の資材確保の状況連絡と設営準備のスケジュール調整だ。


「ごめん皆、待たせた」

「気にしないで。わたしたちもさっき集まったばかりだから」


 とエイラが答えた。


「ちなみに俺が一番早く来たんだぜ」


 自信満々に言うライノ。それを横目にアイリが冷たい視線を送る。


「あなたは速すぎ。試験、途中で諦めて片付けしてたんでしょ」

「アイリちゃん酷い。俺だって全力で解いてきたんだぜ。単位とれるのは確実だ」

「え、もしかしてそれが全力? 単位とるなんて当たり前でしょ」

「だからアイリちゃん酷いって」


 話が逸れそうなところエイラが資料の束をバンバンと机に叩いて二人を制する。


「二人とも馬鹿な話しをしてないで。ロイドくんも来てみんな集まったんだから早く始めるわよ。時間は予告通り十八時までだからね」

「そういうことだ。夏至祭が始まるのは八月十四日。今日は五日だから、もう時間は残されていない。テキパキ進めるとしよう」


 ハルリスで年に一度行われる一大イベント、夏至祭。

 元はハルリスに眠る神様を祀るための儀式としてあったものらしい。ハルリスの最北端に位置する森。その中にある神殿で奉られている神様は豊穣を司ると言われている。

 濃霧と共に神様が降臨し、供物として収穫した穀物や捕れた海産物を捧げていたらしい。だが、時代の変化と共に開催時期も含めその在り方が変わっていく。

 今やその信仰は薄れていき、安全性も考慮した賑やかな行事として定着していた。

 事実俺自身も儀式としての霧の夏至祭は話の中や歴史の授業でしか聞いたことがない。


「ロイドくんの言う通りよ。残っているのは約一週間。必要なものの手配はわたしが進めているから、前日の準備をどのように進めるかが最初の関門よ。

 テントの場所や看板等、どこに取りに行けばいいかここにまとめたから。はい、ライノ」

「ん? 俺か」

「そうよ。前日までには全部把握しておいて。保管場所まであんたに全部取りに行ってもらうから」

「ちょっと待ってくれ。ライノ一人でか。流石に厳しいだろ。俺も手伝うぞ」

「ロイドこそ待った。これくらいなら何とかなるぜ」

「そうなのか?」

「ああ、友達や後輩の何人かに手伝ってもらうからさ。別にルール違反じゃないだろ」

「ええ、出店する人のリストにはここにいる四人だけしか載せていないけど、手伝ってもらうくらいならいくらでも大丈夫よ。あくまでメインで人前に立つことができるのが記載している人だけってことだから」


 なるほど、と頷きながらも内心では納得しなかった。

 これは俺が求めていた答えではなかったからだ。


「そうじゃなくて」


 と手を振る。


「そうじゃなくて?」

「ライノ、これ全部把握しきれるのか?」

「おまえ馬鹿にしすぎだ!」

「ははは、冗談だよ。すまないな」

「だったらいいんだ馬鹿ロイド」


 ははは、と笑い合う俺とライノ。

 アイリは相変わらず脱力感溢れる表情をしていた。

 そんな俺たちを傍に咳ばらいをしてから続ける。


「で、次に食材の調達。これは前から言ってると思うけど、話はつけてあるから後の段取りはアイリに任せたいの。わたしは、その、あなたみたいに上手く料理できないから。扱い方とかしっかり分かってないし」

「了解だよ。わたしにかかればちょちょいのちょいよ」


 そう言った瞬間、アイリの表情は若干綻んだ。

 やっぱり料理のこととなると表情豊かになる。

 それだけ好きなことのだろう。彼女の家のことを知っていると増してそう思ってくる。


「そういえば、今年はアイリのおばさまは来てくれそう?」


 エイラの質問にアイリは残念そうに首を振る。


「ううん、今年はダメ見たい。うちのお父さんとお母さんで一緒に出店するらしいから」


 それを聞いた瞬間、ライノが勢いよく立ち上がる。ライノの座っていた椅子はがらがらと音を鳴らしながら後方にスライドしていった。


「おっ、それじゃああの絶品屋台パンがでてくるってことか?」

「そうだよ。今年はまたやってくれるんだって」

「うぉっし、俺絶対に行くからな」


 そうして二人の間で二年前の夏至祭で出店されたアイリの店について思い出話が繰り広げられた。

 確かにおいしくて、おいしすぎてすべての苦悩から解放されたかのような気分になった。種類は違うだろうが、それと同等もしくはそれ以上のパンをもう一度食べられると思うと心が昂ぶってしまう。

 だが、二人のエスカレートする会話についていけそうになかった俺は、今のうちに圧し飛ばされたライノの椅子を元の位置に戻しておくことにした。

 椅子を持ち上げた時に心の中で、良く倒れなかったな、とつぶやいた。そして椅子を持ってライノの後ろに配置してから自分の席に座る。

 時間にして十秒にも満たなかっただろう。

 再びテーブルに視線を戻した時、


「でね、おいしすぎて泣いちゃったんだよ、わたし。こんな泣き方したのはあの時だけだよ」


 とエイラまでもが二人の会話に混ざって談笑を繰り広げていた。


(え? エイラさん、ついていけるの?)


 それから一分ほど待っただろうか。会話が終わる気配はない。

 気持ちは分かるが時間に制限があるのだ。ここらで話を戻してほしかった。

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