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猫にまつわる物語  作者:
ボウイの場合
6/7

ゴブリンの場合 ―オッドアイの猫―

「ゴブリンの場合」は、オッドアイの猫との出会いによって、人生の歯車に軋みができてしまった男の物語です。そのため、結構残酷なシーンが出てきますので、猫好きの方は要注意です(すみません)。よろしくお願いします。

 昨日までの梅雨は、まるでなかったことになっている。公園のベンチから見える空には、一片の雲すらない。風もない。太陽は最大出力で俺を焙る。


 プレゼンテーションの時間が押したせいで、ようやくランチにありつける。しかし、次の予定が入っているため、レストランを探している暇はない。手っ取り早くコンビニでチキンカツカレーと緑茶のペットボトルを買って、日向に置かれたこのベンチに座った。

 汗でワイシャツが肌にぴったりと貼りついて不快だ。ネクタイを緩めて、ワイシャツの一番上のボタンをはずす。弁当の蓋を開けながら、冷やし中華にすればよかったと後悔した。


 最近、営業成績が下がってきている。ビジネスシーンでは、ビッグデータの活用が叫ばれているとはいえ、高額なデータベースシステムを自社で導入できる企業は少ない。午前中に回った会社も、機能紹介までは好感触だったが、金額の話になった途端に表情が曇った。競合もいるし、既存顧客へのメンテナンスやバージョンアップに伴う営業も忙しい。なかなか新規の案件が決まらない。もう四十二歳で、課長補佐というポジションもあり、部長からこっぴどく絞られることはないが、社内での扱いが雑になってきているのを肌で感じる。


 大きなため息をついた後、習慣的にスプーンで掬ったカレーを口の中に入れた。辛さが内側から体温を上げ、そこへ桜並木から無数のセミの煮えたぎる油のような声が耳になだれ込んでくる。ペットボトルの蓋を開けて、緑茶を喉に一気に流し込んでうなだれた。

 報われない。そんな思いが細胞のひとつひとつにまでびっしり詰まっている。仕事も家庭も手を抜いたことはない。でも、うまくいかないのだ。


 妻の美香は、半年ほど前に娘の葵を連れて実家に戻っていった。

「葵、陸上の地区大会で何位だったか、知ってる?」

「いや……」

「先週、家で食事をした回数、言える?」

「……いや」

 美香が、トランクを引きながらドアの前で、背中越しに吐き捨てる。

「あなた、私たちに興味ないのよ」

「そんなことない」と言おうとするが、美香が言葉をかぶせてくる。

「もう、無理なんじゃない?」


 仕事を優先したことは認める。しかし、それも家庭のためだ。家や車のローンに娘の学費、老後の蓄え、そんなことを考えると、恐ろしくて働かずにはいられなかっただけだ。家にいて妻と喧嘩になるなら、仕事していたほうが良いに決まっている。それの何が悪い。流れてきた汗があごの先端で集まり、大粒の濁ったしずくとなって落ちていく。


 チキンカツを掬い上げるが、スプーンの上でバランスを崩して地面に転がった。どこからともなく猫がやって来て、チキンカツを咥えて持っていく。

 猫を目で追う。すると五メートルほど離れたところに座って、チキンカツを食べた。そして、「もうないのか?」と言っているように、こちらをじっと見る。

 スプーンを持った手を振り上げると、猫は翻って少し遠くまで逃げ、また、こちらに向いて座り直す。白地に黒で、顔の右三分の一が黒い平凡な猫だが、右が緑、左が黄色の目をしている。

「……まさかな」

 胸の奥がギュッと締め付けられた。同時に、生い茂る雑草の青臭さが鼻の奥で蘇る。足元の小石を拾い上げて投げつけると、猫は桜並木の方へ走り去っていった。

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