焼き菓子よりも甘く
おはようございます!
初めてこの作品への感想をいただきました!
ありがとうございます!!
「カナメ、待たせてすまん。あれは昔から、怒り出すとしつこいオヤジでな」
「全面的にあんたが悪いんだし、存分に怒られてきなさい。私は他の屋台でも覗きながら色々食べ歩きしてるから」
「見事に突き放すものだな……」
苦笑しながら近付いてきたイスハークが、何やら紙包みを差し出した。
「オヤジが、連れのお嬢さんにだと」
包みを開けると、鼻先を甘い匂いが掠めた。
パイだろうか。蜂蜜のようなものがたっぷりとかかっている。
「バクラヴァという、この辺りでよく食べられている菓子だ。薄く重ねた生地にナッツが挟んであって、仕上げに甘いシロップがかけられている」
視線を送れば、屋台の店主がにかっと白い歯を見せて笑っていた。
懇意にしている王子に対する、サービスの一環だろうか。要は会釈を返した。
「オヤジの奥方の手作りなんだが……料理人ではないから、抵抗があるか?」
「そんな気を遣わなくていいわよ。王宮で出されるデザートは果物ばかりだったから、それはそれで新鮮でおいしかったけど。珍しいお菓子ね。こういう焼き菓子も好きだから嬉しいわ」
要は笑って、バクラヴァにかぶり付いた。
歯が痺れそうなほど甘いシロップは、バターの風味が濃厚なサクサクのパイ生地と相性がよかった。
アクセントのピスタチオやクルミの香ばしさも口の中で渾然一体となって、まさに計算され尽くしたおいしさだ。
「おいしい……買い食いで食後のデザートまで食べられるなんて、何だか贅沢な気分ね」
「よかった。そうなんだ、奥方が作る菓子は、何でもおいしいんだ」
イスハークがあまりに誇らしそうに笑うから、要もつられて笑った。
「そんなに食べたいなら、仕方ないわね」
包みに残っていた焼き菓子を一つ、彼の口元近くに持っていく。
イスハークは僅かに目を丸くさせたあとすぐに笑顔になって、菓子を持つ要の腕を掴んだ。
食べやすい大きさにカットされたものだけれど、まさか一口で食べようとするとは思わなかった。彼の唇に触れてしまいそうになって、要は危ういところで菓子から指を離す。
「――うん。やっぱりうまい」
唇の端についたパイの欠片をペロリと舐めとりながら、イスハークは満足げに笑う。
白い歯の隙間から覗く赤い舌と、とろりと溶ける黒曜石の瞳。野性的な魅力溢れる表情。
これは、つい意識をしてしまったとしても、要に非はないと思うのだ。
カッと熱くなる頬を隠すように素早く俯く。触れ合っている腕が震えないためには、多大なる努力が必要だった。
――くっ……、不意打ちは卑怯でしょ……!!
要に対する下心が微塵もないからこそ、質が悪いのだ。握られた腕が彼の手にすっぽりと収まっているのも、ものすごく居たたまれなくなってきた。
全身の熱を懸命に逃がしながら、要は頬をいっぱいにしているイスハークを八つ当たり気味に睨んだ。こういったところはさすが乙女ゲームの攻略対象キャラクターと言える。
「カナメ、今度はハルヴァを作ってもらおう。ほろっと口どけがよくてうまいんだ」
「食べもののことしか考えてないのね。うん、ありがとう。おかげで目が覚めたわ」
「何の話だ?」
スンッと表情を消した要に不思議そうにしていたイスハークだったが、屋台の店主に感謝を告げるべく歩き出すと素直に後ろをついてきた。ついでに侍従達の期待の眼差しも背中越しについてくる。
「腕っぷしも強い上、民への感謝も忘れない。聖女様はお人柄も王妃に相応しい……」
「あぁ、ずっと我が国にいてもらいたいものだな」
「カシムさん、ラシドさん。わざとでしょうが、しっかり聞こえてますからね」
なぜか頑なにイスハークとのトゥルーエンドを渇望する従者達に呆れの眼差しを向けるも、彼らはいたって真面目な様子だ。
「聖女様。殿下に敬語をお使いにならないのですから、我々にも気軽にお接しください。どうかカシム、ラシドと」
「その通りです。我々などもっと粗雑に扱ってくださって結構」
「粗雑な扱いを望むのは、またちょっと別の性癖だと思いますよ」
だんだん分かってきた。
見たまま実直なのがカシム、実は若干変わっているのがラシドだ。『結構』と潔い表情で言い切られても、心の距離しか感じない。
屋台の店主に礼を言って、街歩きを再開させようとした、その時。
「――イヤァァァァァァッ‼」
突然、雑踏を切り裂くような悲鳴が上がった。
声のした方を振り向くと、既に混乱が起きはじめていた。我先にと逃げ惑う人々が、互いを押し退け妨害し合っている。
「なに……」
嫌な予感に駆られながら、要は騒動の渦中をじっと注視する。
ズシャッ
音を立て、家屋の屋根が崩れていく。
抉り、踏み潰したのは、鈍く輝く蹄を持つ――禍々しい肢だ。
ぬっと異容を露わにしたのは、家屋の屋根よりも巨大な漆黒の牡牛。
その巨躯、はちきれんばかりに膨らんだ筋肉は、本来のものであるはずがなかった。
赤く濁った眼。興奮状態にあるのか、呼吸もひどく荒い。狂暴化しているのだ。
あれが、魔物。
要は血の気が引いていくのを感じた。




