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クソゲー世界の聖女になってしまったので、救国の悪女を目指そうと思います!  作者: 浅名ゆうな


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思いの丈をこぶしに

本日二話目です!

 乙女ゲームではイスハークのルートに入ると、サマートル騎士国のお世話になる。

 そしてヒロインが暮らしに慣れてきた頃に起こるのが、大規模な魔物の襲撃だった。

 けれどそれは、王都を少し離れた郊外でのことだったはず。シナリオに沿った展開ではあるが、僅かにずれ生じている。

 ――ゲームの世界だから? 現実だから? それとも……私が、シナリオ通り動かないから……?

 登場人物のシナリオを逸脱した行動は、ゲームの展開を変える。

 ライトノベルに夢中だった友人の勧めで異世界転生系小説は何冊も読んでいるから、そういったストーリーにも覚えがある。

 分かっていたのに。

「カナメ‼」

 破壊音がすぐそこまで近付いてきている。

 イスハークに手を引かれ、ようやく我に返った。

 見上げると、彼は魔物を睨みつけたまま腰の剣を鞘から引き抜いていた。

 強い意志を窺える眼差しに、イスハークは逃げずに立ち向かうだろうと悟った。この場に踏み止まり、愛すべき国民が避難する時間を稼ぐと。

 イスハークと要とでは、はじめから覚悟が違いすぎるのだ。

 なぜそれで油断などできたのだろう。

 人の命が懸かっているのに。

 イスハークの切迫した瞳が、要を向いた。

「――カナメ。お前は一刻も早くこの場を離れろ」

「……でも、イスハーク」

「お前にはカシムをつける。何とか王宮まで避難し、できればこの事態を親父殿に伝えてほしい。ラシドは民の誘導を――……」

「イスハーク‼」

 冷静に指示を出す彼を遮るようにして叫んだ。

 要は震える手を押さえながら、声を振り絞る。

「私……だって、私は――……」

 聖女なのに。

 続く言葉を柔らかく押し止めたのは、温かなイスハークの手の平だった。

「いいんだ。カナメ」

 魔物を睨みつけていた勇ましさと打って変わって、黒曜石の瞳は優しい光を宿していた。

 浅くなっていた呼吸が、少し落ち着く。揺らいでいた視界が、次第に明瞭になっていった。

「平和な世界から来たお前に、剣をとれとは言わない。カナメ、お前は俺達にとって、最後の希望なんだ。だから、自分の安全だけを優先しろ」

 浄化もできない、役立たずの聖女を、彼は決して責めない。

 一人生き延びようとしてもなお、安心させるような笑みを見せてくれるのだ。

 ゲームでの魔物襲撃イベントは、宮殿で庇護されていた聖女にとってただ一行で終わるものだった。

 凄惨な事件を後日知ったヒロインは、傷付いた民も多くいただろうと胸を痛め、瘴気の浄化を行うのだ。それは傷付いた人々をも癒やし、もちろん感謝されて終わるのだけれど。

 ――こんなにも生々しく、今苦しんでいる人達がいるのに……。

 体が震える。地面に足が縫い付けられたように、一歩も動けない。

 全身を支配するこの感情は、一体何なのだろう。

 恐怖を上回る勢いで育っていく自分への不甲斐なさ、悔しさ。

 これは、適当に周りに合わせて生きてきたつけなのか。何もかも中途半端で逃げてきたから肝心な時に何もできない。

「――カナメ‼」

 焦りを帯びた声と共に、背中を乱暴に押される。

 突き飛ばされながら振り向いた要は、こちらに突進してくる魔物の姿を見た。

 庇うように体を割り込ませたイスハークが曲刀で応戦している。けれど頭部に伸びる凶悪にねじれた角が、防ぎきれず彼の腕を掠めた。

「ぐぅ……っ」

 僅かに掠っただけに見えたのに、左前腕から鮮血が噴き出す。

 角が、鋭利な刃物のように尖っていたのだ。

 生温い液体が要の頬を汚す。――これはイスハークの、血だ。

「イスハーク……‼」

「カナメ、早く王宮へ‼ お前は『絆の扉』を使って――確実に逃げ延びるんだ‼」

 痛みを堪えて叫ぶ彼の横顔には、玉のような汗がにじんでいた。苦鳴を漏らすまいと食い縛った白い歯が唇から覗いている。

 要は震える手で、無意識に頬に触れていた。

 ぬるりとした感触が、残酷なほど現実を突き付けているようだった。

 夢ではあり得ないと、とっくに分かっていた。これは現実なのだと。

 乙女ゲームの世界によく似た世界観、シナリオに沿って進んでいく展開。

 それでも、彼らは生きている。

 イスハークだけではない。

 街ですれ違う一人ひとりに生まれ落ちてたどってきた軌跡があるし、入力されたデータ通りにしか動けないNPCでもない。

 目の前で笑ったり怒ったり、日々当たり前の営みを紡ぐ人々は、確かに存在しているのだと――理解していたはずなのに。

 イスハークは、命を最優先で守るよう告げた。

『絆の扉』をくぐれば、確かに魔物からは逃げおおせる。サマートル騎士国の人々を置き去りに、自分だけは安全な場所へ。

 聖女を招くため国を挙げて取り組んだだろうに、その全てを無にしてでも要さえ無事ならいいと。

 先ほどからずっと、体がかすかに震えている。

 要はただ、情けなかった。

 自分はあまりに無力だ。

 動こうとしない要に焦れて、イスハークはカシムへ向け叫ぶように指示を飛ばした。

「カシム、今は無礼も何もない! 抱え上げてでもカナメを連れていけ!」

「――嫌だ」

 侍従が答える前に、要はぽつりと呟きを落とす。

 このまま、全てを見捨てて逃げるのか。

 それが聖女のやることなのか。

「……嫌だ。逃げるなんて、絶対に嫌だ」

 何もできないくせに、これでは子どもの我が儘と同じ。思い通りにならない現実を受け入れられず否定するだけ。

 牡牛の魔物が、再度突進しようとしていた。

 目抜き通りを揺るがす勢いで地面を蹴り上げ、助走をつける。まだ逃げ遅れている人がいるためイスハークは迎え撃つ構えだ。

 要はゆっくり、彼の隣に並んだ。

 驚愕に目を見開いたイスハークが何事か叫んでいるが、もう耳に入らない。全身を巡る血流が、沸騰しているかのように熱い。

 これは、怒り。

 もし本当に要が聖女なら。人々を救うチート能力があるなら。

 それを、今使わないでどうする。

 赤く濁った眼を見据え、要は足を踏ん張った。

 頑張りすぎだと嘲笑われるだろうか。

 それでもいい。

 今だけは、絶対に逃げたくない。

「浄化の力も、癒やしの力もないけど――戦うことならできる‼」

 地を揺るがす足音が迫る。

 要は神経を研ぎ澄まし、衝突の瞬間に身をかわす。相手の懐や死角に入る、合気道の入身だ。

 最小限の動きで魔物の懐に飛び込むと、空手部の友人から教えてもらった一撃を繰り出す。

「聖女パンチ‼」

 要はこぶしを振り抜いた。

 相手の勢いを利用した、カウンター攻撃。

 イスハークの腕に重傷を与えた強靭な肉体を相手取り、けれど負ける気は一切しない。

 細胞の一つ一つに満ちる力。あらゆる災厄を跳ね返す力が、要の勝利を約束している。

 牡牛の胴体にめり込んだこぶしに、不思議と痛みはなかった。

 瞬間、爆発的な光が両者を包み込む。

 魔物の巨体が呆気なく吹っ飛ぶ。突風が巻き起こり、街中に広がっていく。

 どう、と魔物が地面に倒れ伏す。

 そのまま起き上がることはなく、屋根にも届かんばかりの巨躯が少しずつ縮んでいき――残ったのは、何の変哲もない牡牛が一頭。

 ぴくりと痙攣したところを見るに、まだしっかり生きているようだ。

 静寂が通りを支配する。

 正拳突きの構えのまま肩で息をしていた要は、はっと我に返った。


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