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第10章 後悔

 目覚めは最悪だった。学校に行きたくない。いずれにしろ、もう午前十時を回っている。昨日とはまた違う、正当性のない大遅刻だ。このままサボってしまおうか。

 枕に顔を埋めたところで、二度寝はできなかった。むしろ逆に頭が冴えてくる。


 考えてしまうのは、昨夜のこと。


 あの女は誰だったんだ? どうしてあの時間、あの場に現れた? もし熊谷に宛てた脅迫状が読まれたんだとしたら、それは一体どのタイミングだ? いやそもそも脅迫状の内容を読んだとして、あの女の目的は何だったのだろう。


 解決されるはずのない疑問が、次から次へと頭の中を流れていく。

 その間にも、僕はベッドから起き上がり、いつの間にか制服に着替えていた。いやいや、日々の生活リズムって怖いね。まったく別のことに集中してても、やるべきことはちゃんとやってるなんて。そもそも人間性の破綻したこんな僕の身体に、生活リズムなんて常識がまだ残ってたことに驚きだが。


 部屋を出て、階段を下りてキッチンへ。涼香がいないのは当たり前だが、母親も留守のようだ。

 準備をしてしまったものは仕方がない。行こうと諦め、僕は溜め息を漏らした。


 顔だけ洗って家を出た。目の前の寂れた公園と、見慣れた急勾配の坂道が僕を出迎えてくれるが、別に嬉しくない。日差しも強いし、やっぱりあのまま寝そべってればよかった。急に布団が恋しくなった。


 あの女については、恨みもあれば詫びの気持ちもある。向こうが誤解されるような行動をしたとはいえ、頭部を何度も叩きつけ、さらには首まで絞めてしまった。意識はあったようだが、大丈夫だろうか。悪いことをしたとは思う。

 いやむしろ、大丈夫じゃないのは僕の方か。


「本気で殺そうとしてたよな。僕」


 我ながら恐ろしいと思う。

 もちろん、最初は殺すつもりなんて全然なかった。けど自分の中に潜む鬼を自覚してしまってからは、完全に我を忘れてしまっていた。殺すことに、躊躇いがなかった。


 そういう意味では、あの女に感謝をしたい。今、当たり前のように自分がここにいるのは、あの女が熊谷の身代わりになってくれたからなのだ。


「あー……あー……」


 唐突で申し訳ないが、鞄を忘れた。つーか今日は何曜日で、何の授業があるんだ? 生活リズム云々と言っていた自分が馬鹿みたいだ。結局、昨日のことに没頭しすぎていて、未だ日常に戻れないのが現状だった。


 どうしよう。学校はすぐそこに見えている。どうせ大遅刻なのだから、家に戻って鞄を取ってくる? この地獄のような坂道を、一日に二往復? アホか。


 一気に萎えた。もう、どうでもいいや。でもせっかく降りてきたんだから、街に出て何か食べて行こう。朝食食ってないから、腹も減ったし。

 自分が制服姿であることも忘れ、僕は校門の前を自然体で通り過ぎた。


「なんでお前がそっちから来るんだ?」


 見咎められる可能性は、少しだけ頭の隅にはあった。でもまさか本当に注意されるとはね。

 おっかなびっくり言い訳をするのも僕に似合わないので、素直に頭を下げて謝った。


「すみません、先生。寝坊しました」

「俺は先生じゃねえ」

「はぁ」


 じゃあ何なんだ?

 頭を上げて確認する。校章に背を預けて佇んでいる長身の男は、学校関係者じゃなければただの不審者だった。


「えっと……すみませんが、誰ですか?」

「一昨日会ったばかりだろう」

「あぁ、思い出しました。そのサングラス。確か……黒峰刑事でしたっけ?」

「桜枝の方だ。いい加減覚えろ」


 今回はわざとです。そうそう間違えるほど、僕の頭は弱くない。


「なにしてるんですか? こんな所で」

「お前を待っていたんだよ。今日は土曜日で、授業は半日だと聞いたからな。けどまさか遅刻してくるとは思わなかった」


 今日は土曜日だったのか。驚きの新事実である。授業が半分しかない分、僕の罪の意識も半分に減った。

 けど刑事と待ち合わせなんて、あまりにもぞっとしない。


「僕を待っていた? なんでまた」

「殺人事件の共犯者として、少しばかり事情聴取したくてな」


 桜枝刑事が、口の端を釣り上げてニッと笑ったような気がした。

 背筋に悪寒が走る。別に彼の笑みが気持ち悪かったからではない。


 なんで今、僕を追い込むようなマネをする? もちろん僕が悪い。投げやりにだったとはいえ、刑事に共犯者宣言なんてした僕が。けど、あれはあくまでもその場のノリだったはずだ。傷心気味の僕を今になって攻めたてるとは、悪魔かコイツは。


「実は犯人が捕まった。まぁ、自首だったがな」


 乾いた通告が、胸に深々と突き刺さった。でも僕は、慌てないし驚きもしない。自首以外はすべて予想していたことだ。冷静に事実を受け止めた僕は、桜枝刑事の顔を一瞥した後、「そうですか」とだけ呟いた。


「だが主犯を捕えて終わりじゃない。ちゃんと共犯者の罪も立件しないとな。で、お前は本当に授業を受けに来たのか? 見たところ、鞄を持っていないようだが?」

「教材は全部机の中に置いてありますので」


 嘘だけど。


「ならば今日はサボれ。俺が許す。どうせもうすぐ授業も終わりだ」

「つくづく警察のセリフとは思えませんね」


 一度警察手帳を見せてもらった方がいいのだろうか。このまま実は詐欺でしたとか言われても、納得してしまう言動だった。


「こんな所で立ち話もなんだから、喫茶店でも入ろう。飯は?」

「まだです」

「なら奢る」


 そう言うやいなや、桜枝刑事はさっさと行ってしまった。俺の背中について来い、というタイプなのだろうか。身長差から歩幅の違いもあるというのに、こちらを振り返ろうともせず、自分のペースでどんどん進んでいく。そっと引き返したところで、たぶん気づかれないだろう。


「…………」


 が、やめた。どうせ飯は食うのだし、奢ってくれるのなら是非もない。

 逃げても意味はないと悟った僕は腹をくくり、桜枝刑事の大きな背中を追いかけた。

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