第42話 今度は私が読む
「カイ! 上だ、止まるな!」
下から、ヴェラの声が来た。
*
カイの頭上で石がずれていた。
ヴェラのいる床からは見える。だが、彼は三本目の箱が落ちた場所を探していた。顔を少しずつ動かし、失くした視野を埋めようとしている。
彼はずっと危ない所を走ってきた。見えているから平気なのだと、どこかで思っていた。
違った。
痛くても、怖くても、必要だから足を出していた。今はその目まで、足りなくなっている。
槍を投げても、頭上の岩は支えられない。ここから跳んでも間に合わない。
渡せるものはある。
見えている道。落ちる石。その先に残る梁。
ノートに自分の見たことを書き足した時と同じだ。彼の言葉を借りて、自分が知っていることを渡す。
最初に口をついたのは、昔の号令だった。
「二秒、伏せろ!」
*
カイは前の金網へ身を投げた。
遅れて、岩の落ちる音がした。背中へ破片が当たり、服の下に砂が入る。さっき手を置いていた柵は、音を立てて下へ消えた。
自分では、見つけられなかった。
「助かった。……次は?」
言ってから、雨の街で聞いた問いと同じだと気づいた。
下のヴェラが、槍の石突きで床を打った。位置を知らせる音だった。
「右壁、十歩。配管の横に梯子が半分残ってる」
カイは這って右へ進んだ。四歩目で立ち、最後の二歩はまた腰を落とした。言われた先に、折れた梯子があった。
「上の金具は?」
「二つ残ってる。だが左は曲がった。右側なら、壁から浮いていない」
自分の手で右の金具を揺らした。動かない。
カイは身体を預けた。ヴェラほど速くは下りられない。一段ずつ足を探し、箱の落ちた棚へ移った。
吹き抜けの床まで六メートル。下の彼女とは、ようやく互いの姿が見えた。
同期の感覚が戻りかける。カイは深く追わなかった。今は自分の手を動かす。
三本目の箱は横倒しになっていた。
箱を跨ぐ主級個体の爪先が床へ沈む。ここを押し潰されるまで、長くはない。
赤い把手が、箱と壁に挟まっている。
「どうなってる?」
カイの問いに、ヴェラが横へ動いた。
「箱の下に鉄板が噛んでいる。それを抜けば、手前へ倒せる」
彼女の方へ近衛魔獣が飛びついた。言葉が途切れる。槍が顎を打ち、獣が床を滑った。
カイは鉄板の端を鉄棒で押した。
一度目は動かない。二度目で少しずれた。三度目で箱が傾く。
手を挟むな。
指を引いた直後、重い箱が棚へ落ちた。赤い把手が上を向いた。
カイは両手をかけた。最初の箱で裂けた掌に、血がにじむ。
「回れ……!」
留め具が外れた。把手が半周し、ケーブルの光が根元から消えていった。
三本目。
地下の壁に並ぶ中継の表示灯が、次々に暗くなった。
途切れたのは、あの揃いすぎた号令の残響だった。床に残っていた旧兵が二人、耳の器具を押さえて膝をつく。
カイは息を吐いた。外への中継は止まった。各地の兵を縛る拍は、もう届かない。
中央の座席は、図面で確かめた通り、まだ赤く光っている。残る拍はこの部屋だけだ。
「外は切れた! あとは、アルディスとの接続だ!」
カイは遮断桿のある中央を見た。まだ防盾と主級個体の脚が、通路を塞いでいる。
「分かってる。身体の拍も、まだ残ってる」
ヴェラが答えた。
カイは工具を帯へ差し、棚から軸路へ戻る。上なら、防盾の開閉部分を見通せる。
ヴェラが残った梯子を指した。
「さっきの道は使える。私が下を持つ」
カイが十メートルの軸路へ戻った時、中枢の音響管から声がした。
『……外を、切ったか』
アルディスは息を継いだ。
『だが、ここはまだ私の場だ。灰槍、中央へ戻れ』
ヴェラは応じなかった。中央ではなく、近衛魔獣の迫る側へ穂先を向けた。
「右二、三秒で開く!」
カイは、敵同士の間が開くのを読んだ。
ヴェラの踵が浮く。
その瞬間、拍が一つ強くなった。
足が止まり、槍が遅れた。爪を柄で受けたヴェラが後ろへ滑る。
『地形、距離、それから動作』
アルディスの声が、カイの間をなぞった。
『君が次を言う時に、彼女は動く』
応接室でノートを繰った指。合同戦の後、正確に復唱されたコール。
カイはようやく理解した。
声を奪われたのではない。次に彼女が動く時機を、読まれたのだ。




