第32話 道はここにある
ガァンッ! という鼓膜を破るような金属音とともに、厚さ数十センチの鋼鉄の隔壁が次々と落下し、グラディア旧都の地下空間を完全に分断していった。
赤い警報光が激しく明滅し、けたたましいサイレンが崩壊する岩盤の轟音と混じり合う。
カイは上層の観測回廊で、防護ガラスに張り付いて眼下を見下ろした。
下層の戦闘床は土煙に覆われ、すでにヴェラの姿も、アルディスたちの姿も確認できない。
「カイ殿、早くこちらへ! 上の地上出口が塞がれる前に退避します!」
保守点検に同行していた王国側の技師たちが、パニックになりながら非常階段へと殺到していく。
一人が壁の非常栓を抜き、施錠された扉の横にある狭い点検口を開けた。カイもそこをくぐって回廊の外へ出た。
カイも彼らの後に続こうと踵を返した、その瞬間だった。
「……ぐっ!」
揺れと耳鳴りで平衡感覚が狂う。ヴェラの姿も見えず、《戦導》の同期はすでにない。カイは壁に手をつき、床が止まって見えるまで待った。
(感覚だけで走るな。位置を一つずつ確かめろ)
カイは痛む頭を振り、ポケットから紙のノート――事前のレッキで書き溜めていた、旧都の構造図を引き抜いた。朝、技師から写させてもらった保守図に、実際に歩いた部分だけ実線を引いてある。
魔法やスキルのような便利な感覚は消えた。だが、カイには前世のコドライバー時代から鍛え上げた、己の肉眼と計算だけを信じる絶対の武器がある。
「あんたたちはそのまま上へ行け! 俺は別ルートで向かう!」
カイは技師たちを地上へのルートへ見送ると、自分は全く逆の方向、下層へと繋がる『保守用の縦穴』へと向かって駆け出した。
塔の暴走は止まらない。
通路の天井から、巨大なコンクリートの塊や岩が次々と落下してくる。
カイは走りながらノートのページを捲り、現在地と照らし合わせた。
『前方三十、配管群、左壁沿いキープ』
『分岐、右は構造脆弱、左へ』
カイの頭の中に、事前のレッキで叩き込んだ地形データが蘇る。落下してくる瓦礫の質量と速度を肉眼で測り、自分の歩幅と走行速度を計算式に放り込む。
ズドォォン!
目の前へ岩塊が落ちた。カイは立ち止まり、粉塵が薄れるのを待つ。最短の道は塞がれた。ノートの破線を指でたどり、保守梯子へ回る。
縦穴の底で、鉄を叩く音がした。
「ヴェラ!」
「カイか。技師は上へ逃がした。こちらは連絡通路、隔壁二枚の間だ」
返事が来た。カイは足元の格子を調べた。四隅の留め金のうち、二つは錆びている。工具で外し、残る金具を支点に格子を開けた。
下へ灯りを垂らす。床まで三メートル。
「受ける」とヴェラが言った。
カイは縁からぶら下がり、残りの高さを減らしてから手を離した。彼女の腕と床へ体重が落ち、二人とも膝をついた。
「よお。怪我はないか」
「カイ……! お前、どうやってここへ」
ヴェラは彼の額を見た。カイが拭うと、指に血がついた。
「保守図があった。途中で一つ、道は潰れたけどな」
カイは立ち上がり、服の埃を払った。
天井の亀裂から、パラパラと小石が落ちてくる。猶予はない。
「ヴェラ。よく聞け」
カイは手帳を開き、彼女の前に二つのルートを提示した。
「お前の後ろにある隔壁。あそこの留め金は老朽化してる。槍で留め金を外せれば、手動で開けられる。その先は旧軍の中枢区画だ。アルディスや隊長たちと合流して、強固なシェルターで安全に過ごせる」
カイは次に、自分がこじ開けた通気口を指差した。
「俺の背中の道は、地表の亀裂へ続く非常用の脱出線だ。かなり足場は悪いし、外に出ても魔獣の群れがいるかもしれない。途中までは俺が通った。出口は技師たちが使っている」
カイはヴェラを真っ直ぐに見据えた。
彼女の手を引いて、「来い」とは言わなかった。
「後ろへ行けば、お前は旧軍に戻れる。俺の道を行けば、外へ出られる。……どちらを選ぶかは、お前が決めろ」
ヴェラは、提示された二つの道と、カイの血と泥に汚れた顔を交互に見つめた。
ヴェラは隔壁の手動金具を確かめた。それから、カイが降りてきた格子へ目を戻す。
「残る方も、調べてきたのか」
「ああ。だが俺は外へ行く。お前と一緒に」
「……愚問だな」
ヴェラは静かに笑い、カイの隣へと歩み寄った。
「旧軍のシェルターなど窮屈でかなわん。私は、お前の情報を採用する。行くぞ、相棒」
「……ああ」
カイは深く頷き、通気口へと身を翻した。
背後でヴェラの靴音が続く。振り向けば見える位置まで来て、カイは次の角を指した。
「右壁沿い、十五歩! 三秒後に足場が抜けるぞ!」
「承知した!」
ヴェラが前へ出て、剥がれた金網を槍の柄で押し退けた。カイもその横を抜ける。
二人は崩壊する旧都の裏道を、阿吽の呼吸で駆け抜けていく。配管に遮られて姿が見えない時には、足を止めた。見える区間だけ同期し、見えない区間はノートと返事でつなぐ。そのたびに少しずつ、地上の風が近づいた。
最後の岩壁をヴェラの槍が粉砕し、二人は間一髪で、地上の光の中――旧都の外縁にある荒野へと飛び出した。
ドォォォォン……!
背後で、旧都の地下施設の一部が完全に崩落する重い音が響く。
「……抜けたか」
カイは膝に手をつき、荒い息を吐きながら顔を上げた。
地上は不気味なほどの静寂に包まれていた。だが、二人が顔を上げて西の空を見た瞬間、その静寂の理由を理解した。
西の空が、なかった。
本来であれば夕焼けに染まっているはずの地平線の彼方が、分厚い暗雲と、天を衝くほどの凄まじい土煙によって、文字通り『真っ黒』に染め上げられていたのだ。
ズズ……ズズズ……。
大地そのものが恐怖に震えるような、深く重い地鳴り。
大黒潮の本隊。
数日前まで山岳防衛線を脅かしていた先遣群など、ただの子供の遊びに思えるほどの、絶望的な質量の波。
世界そのものを塗り潰し、食い尽くそうとする圧倒的な暴力が、ついに王国と旧領土の境界線目前まで迫っていた。




