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戦えない転生者ですが、亡国の女兵士の専属ナビになりました~元ラリーの助手席担当、十五メートルの戦場を読む~  作者: 他力本願寺


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第19話 二つの指揮

グラディア旧都から東へ伸びる街道の中間地点。深い森を背にした岩山に、石造りの要塞がへばりつくように建っていた。


 セルカを出て二日、カイたちは国境付近のこの基地へ着いた。荷馬車を降りた時から、彼は帰りに使う道もノートへ残している。


 大黒潮の到来を前に、前哨防衛線として機能していた旧グラディア軍の前線中継基地。そこは現在、黒潮の先触れである魔獣たちに占拠されていた。


「第一中隊、右翼展開。第二中隊、盾を固定せよ」


 基地を見下ろす高台に陣取ったアルディス参謀総長の、落ち着き払った声が響く。


 彼の傍らに立つ伝令兵が銅鑼を打ち鳴らし、手旗を振る。すると、眼下の荒野に展開した数十人の旧兵部隊が、寸分違わぬ連動性で巨大な『V』の字の陣形を作り上げた。


 基地の外縁を覆っていたのは、硬甲殻熊(ハードシェル・ベア)の群れだった。分厚い岩のような装甲と、一撃で馬を圧死させる腕力を持つ大型魔獣。


 それらが数十頭規模で突進してくるが、旧兵たちは一歩も退かない。


 アルディスの俯瞰的な指揮は、戦場全体を一つの盤面として完璧に支配していた。魔獣の突進が厚い盾に防がれ、勢いが死んだ瞬間、後方からの定型の突きが一斉に群れの外殻を削り取る。


 遊撃部隊として後方に待機していたカイは、その光景に息を呑んだ。


 戦況をマクロの視点で完全に把握し、無駄な動きを一切排除して全体の利益を最大化する。そこに兵士個人の感情や判断が入り込む余地はない。アルディスの部隊運用は、幾何学的な美しさすら感じさせるほどに圧倒的だった。


「……これが、旧軍の戦い方か」


 カイの呟きに、隣で槍を構えるヴェラが小さく頷いた。


「そうだ。最適化された巨大な刃。私たちの役割は、その刃の一部分として最も硬い場所に自らを叩きつけることだった」


 戦局は完全にアルディスの支配下にあった。


 しかし、戦場には常に『計算外』が潜んでいる。


 ズドォォンッ!


 防衛陣形の中央部、石畳の地面が突如として内側から爆発したように吹き飛んだ。


 地中深くに潜み、息を潜めていた変異個体が姿を現したのだ。通常の硬甲殻熊の倍近い巨体を持ち、その口元からは岩をも溶かす強力な酸が滴り落ちている。


「変異個体だ! 陣形が崩れるぞ!」


 ダリオの叫び声が響く。


 変異個体が咆哮とともに酸を撒き散らしながら暴れ回る。前衛の数人が酸を浴びて倒れ、完璧だったV字の陣形に致命的な穴が空いた。


 高台で旗が振られた。旧兵が盾を引き、両翼で周囲の群れを押しとどめる。だが酸に濡れた石畳へ列を戻せば、足元から崩れる。


 カイは亀裂を見た。陣形では立てない。二人が一度だけ通る間なら、残っている。


「行くぞ、ヴェラ!」


 カイは盾の切れ目へ駆け出した。


「前へ十! 酸の着弾地点を避けろ!」


 カイが叫ぶ。ヴェラは一切の逡巡なく、カイのコールに完全即応して戦場のど真ん中へ飛び込んだ。


 変異個体が暴れ回ったことで、周囲の石畳は広範囲にわたって砕け散り、巨大な段差と亀裂が無数に生まれていた。通常の兵士であれば足を踏み外し、機動力を完全に殺される危険地帯。


 カイは安全な後方から指示を出すのではなく、自らその崩壊した足場へと走り込んだ。


 砕けた岩の破片を踏みしめ、地盤の硬さを測る。体重をかけた時の沈み込み具合から、この足場が完全に崩壊するまでの『秒数』を、前世の身体感覚で強引に弾き出す。


「カイ! 奴が息を吸い込んだ!」


 変異個体が、ヴェラへ向けて致死量の酸を吐き出そうと胸を膨らませる。


 カイは十五メートル圏内のギリギリで踏みとどまり、足元の岩盤の限界を脳内でカウンターにかけた。


「右下、二秒で崩れる! その反動を使え、上段へ抜け!」


 常軌を逸したコール。足場が崩れることを前提とした指示。


 ヴェラの足が、浮きかけた石板の上端を選んだ。


 彼女は右下の、今にも崩れ落ちそうな巨大な石板へと迷いなく飛び乗った。一、二。カイのコールの通り、二秒後に石板がシーソーのように大きく傾く。


 石板の上端が沈む前に、ヴェラはそこを蹴った。上から追う酸が石へ当たり、低くなった射線の外へ身体が抜けた。


「シィッ!」


 空中に逃れたヴェラの槍が、急降下の勢いを乗せて変異個体の首の付け根――分厚い装甲に覆われていない唯一の死角へと深々と突き刺さった。


 魔獣の巨体が痙攣し、断末魔を上げる間もなく絶命する。


 変異個体が倒れると、両翼の盾が狭まった。旧兵は酸の残る窪みを囲んで群れを分断し、カイたちが退く道を開けた。陣形の外へ取り残された魔獣から、順に数を減らしていった。


「見事だ」


 戦闘終了後、血濡れた前線基地の中庭で、アルディスが静かな拍手をしながらカイの元へ歩み寄ってきた。


「あの石畳には、盾の列を戻せなかった。崩れるまでの間を使ったのか」


 アルディスは、戦場を俯瞰するような冷たい目でカイを見下ろした。


「君の能力の本質が理解できたよ。君は未来を見ているのではない。極限まで研ぎ澄まされた観測によって、現在を『圧縮』しているのだな」


 アルディスは「右下、二秒、上へ」と小さく口にした。単語は違った。だが、動作の直前に置く間は、カイが先ほど使ったものと同じだった。


 カイは手帳についた泥を払いながら、無言でアルディスを睨み返した。


「今の間も、ノートに書いてあるのか」


 アルディスは、動作を示す言葉の前で指を止めた。


「数字は残せる。だが、今の足場を見てから詰めた間だ」


 カイは石畳についた自分の靴跡へ目をやった。


「同期は十五メートル、一度に一人だ。地図を配っても、その場で変わった地面は、そこにいる奴が見て直すしかない」


「その修正を、君は声に乗せる」


 アルディスの指が、もう一度同じ間で動いた。カイは手帳を閉じた。


「おい、事務屋! 参謀総長殿!」


 重苦しい空気を破るように、基地の奥へ安全確認に向かっていたダリオのパーティが、血相を変えて駆け戻ってきた。


 ダリオの顔には、歴戦の冒険者らしからぬ明らかな焦燥が浮かんでいる。


「どうした、ダリオ。地下にまだ生き残りがいたか?」


 カイが尋ねると、ダリオは額の汗を乱暴に拭いながら、信じられないものを見たというように首を振った。


「違う……いや、生き残りの魔獣はいた。だが、様子がおかしいんだ」


「おかしいとは?」


「奥にいる群れ……あいつら、人間の『声』を真似てやがる」


 ダリオの言葉に、カイの背筋に冷たいものが走った。


「声色を変えて、助けを呼ぶような悲鳴を上げて……明らかに、俺たちを罠に誘導しようとしてやがったんだ」


 人間の声を真似る魔獣。


 それは、音声による『コール』を命綱とするカイとヴェラの連携にとって、最も致命的で、最悪の特性を持つ敵の出現を意味していた。

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