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戦えない転生者ですが、亡国の女兵士の専属ナビになりました~元ラリーの助手席担当、十五メートルの戦場を読む~  作者: 他力本願寺


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第14話 最後の命令

分厚い羊皮紙で作られた封筒には、黒い蝋で重々しい封印が施されていた。


 アルディス参謀総長からの、旧軍再編計画への正式な召集状。ヴェラはその手紙を開封することも、破り捨てることもせず、ただ装備の隙間に挟み込んで持ち歩いていた。


 カイはそれについて、何も言わなかった。


「行け」とも「残れ」とも指示を出さない。ヴェラがどうするのかを、ただ黙って見守っていた。


 旧兵との合同訓練から数日後。セルカの冒険者ギルドと、難民村の旧グラディア兵たちによる大規模な共同討伐作戦が決行された。


 黒潮の前倒しによって散発的に押し寄せる魔物の群れを、峡谷の手前で迎え撃つ。ダリオたち熟練の冒険者が遊撃を担い、ラゲル率いる旧兵部隊が強固な防衛線を敷く。カイとヴェラは、その両方を繋ぐ要撃の刃として戦線の中央に配置されていた。


「右三、薙げ! 次、半歩下がって突け!」


 カイのコールに合わせてヴェラの槍が閃き、岩殻蜥蜴(ロックリザード)の装甲を次々と貫いていく。


 だが、カイは手帳に走らせるペンの動きを止め、眉をひそめた。


 おかしい。今日の魔獣の動きは、ただ本能のままに突っ込んでくるだけではない。前衛の分厚い盾を避け、あえて岩場の入り組んだ地形――足場が不安定な崖側へと、陣形全体を誘い込もうとするような動きを見せていた。


『前衛、押し込め!』


 戦線を維持するため、後方で指揮を執るラゲルの定型命令が飛ぶ。


 旧兵たちが一斉に盾を押し出し、魔獣を崖側へと追いやろうとする。その連携は完璧だった。


 風下から酸の臭いがした。崖側の細い亀裂から、魔獣が踏むたび粉が噴き出している。カイは下見の記録を思い出した。あの岩の下には、深い空洞がある。重い装甲を持つ旧兵や魔獣が踏み込めば、一気に数十メートル下まで崩れ落ちる。


「マズい! 止まれ、そこは落ちるぞ!」


 カイは声を張り上げ、全軍へ向けて警告を発した。ダリオたち冒険者はその声に反応し、即座に足を止める。


 だが、戦局を決定づけるために最前線へ飛び出していたヴェラへ向けて、ラゲルの鋭い号令が重なった。


『前進!』


 完全に同時だった。


 カイの「止まれ」というコールと、ラゲルの「前進」という旧式の命令。


 ヴェラの身体は、その二つの音声信号を同時に受信した。


 ヴェラの肩は後ろへ引かれた。それなのに、右足だけが前へ出た。二つの声に、動きが裂かれた。


 ヴェラの右足が、意思に反して力強く前へ踏み出される。


「ヴェラ!」


 カイは言葉での上書きが間に合わないと直感した。


 彼は手帳を放り出し、自ら崩壊の危険が迫る最前線――十五メートルの殺傷圏の内側、ヴェラのすぐ隣へと全速力で駆け込んだ。


 ギリッ、と岩盤が嫌な音を立てて沈み込む。


 カイはヴェラが罠域に体重を乗せ切る寸前、彼女の左腕を物理的に強く掴み、己の全体重を後方へ倒すようにして強引に引き戻した。


「なっ……!?」


 ヴェラが驚愕に目を丸くする。


 直後、彼女が踏み込もうとしていた岩盤が、轟音とともに数十メートル下へと崩れ落ちた。数頭の魔獣が悲鳴を上げながら奈落へと飲み込まれていく。


「がっ……!」


 カイはヴェラを引き戻した反動で体勢を崩し、荒い岩肌を転がった。右腕の袖が破れ、肘から肩にかけて酷く擦り剥いて鮮血が滲む。


 残った魔獣たちは、罠を回避して体勢を立て直したダリオと旧兵たちによって速やかに掃討された。


 土煙が晴れていく中、ヴェラは崩れ落ちた崖の縁と、血を流して倒れているカイを交互に見つめ、信じられないものを見るように震えていた。


「……すまない、カイ」


 戦闘が一段落し、安全な岩陰でカイの腕に包帯を巻きながら、ヴェラはひどく動揺した声で言った。


「なぜか、身体が動いた。お前の声が聞こえていたのに、隊長の『前進』という声に、身体が勝手に……」


「お前が望んで踏み出したとは思ってない。声を重ねれば止められると、俺が決めつけてた」


 カイは痛みに顔をしかめながら、無理に笑って見せた。


 だが、ヴェラの顔色は蒼白だった。自分の身体が自分の制御を離れ、明確な死地へ向かって踏み出そうとした事実は、彼女の存在意義を根底から揺るがしていた。


「灰槍」


 そこへ、剣を納めたラゲルが静かに歩み寄ってきた。


 彼はヴェラを責めるような目はしなかった。むしろ、痛ましげに彼女を見下ろしている。


「混乱しているようだな。だが、無理もない。お前は六年間、ずっと待っていたのだから」


「待っていた……? 何をです」


 ラゲルは重々しい溜息をつき、六年前のあの日、グラディアが敗戦し部隊が解散した時のことを語り始めた。


「敗戦が決まり、部隊を解散する時、俺がお前たちに出した最後の正式命令を覚えているか?」


 ヴェラの灰色の瞳が、大きく見開かれた。


「『後退し、再編命令を待て』だ」


 ラゲルはゆっくりと言葉を紡いだ。


「お前は真面目すぎたんだ、ヴェラ。お前はこの六年間、冒険者として各地を転々としながらも、心の奥底でずっと、俺からの『再編命令』を待ち続けていた。だからこそ、俺の命令に対して、お前の身体は極限まで反応してしまったんだ」


 呪いのような言葉だった。


 ヴェラは反論しなかった。封書の端を指でなぞっている。カイには、隊長の説明がすべて正しいとは思えなかった。六年間の彼女を、待っていただけの一言で済ませていいはずがない。


 ラゲルはヴェラの肩に手を置いた。


「俺はお前を迎えに来た。もう待たなくていい。アルディス閣下の下で、俺たちの軍を再編する時が来たんだ」


 ラゲルが去った後、ヴェラは呆然とその場に立ち尽くしていた。


 指が封書の角を押し潰していた。冒険者の依頼票を取り出す時には見たことのない、ぎこちない手つきだった。


 彼女は縋るような目で、血の滲む腕を押さえているカイを見た。


「カイ……」


 ヴェラの声は、迷子になった子供のように弱々しかった。


「私の身体は、隊長の命令を優先してしまうかもしれない。だが、お前のコールがなければ、私は限界の速度を出せない」


 彼女は懐から、あの黒い蝋で封じられた召集状を取り出した。


「お前のコールと、隊長の命令。どちらを優先するか……お前が決めてくれ」


 カイは返事をしかけた。ここに残れ、と。


 それを言えば、隊長と自分のどちらが強く命じるかという争いになる。


 彼は首を振った。


「……断る」


「なぜだ。お前が指揮官だろう。お前が私に道を示す約束だ」


「戦場の道は俺が引く。だがな、ヴェラ」


 カイは立ち上がり、ヴェラを真っ直ぐに睨みつけた。


「俺は残ってほしい。けど、それを命令にはしない。軍に戻ったら何があるか、一緒に調べることはできる」


 カイは手を伸ばしかけて、下ろした。急かさずに待つことも、今は難しかった。


「なら……私は、どう決める?」


 その問いには、すぐ答えられなかった。カイは彼女の隣に残り、迎えの荷馬車が来るまで同じ岩に腰を下ろした。

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