第9話 安住の地へ
馬車に揺られながら街を後にしたあの日から、さらに半年ほどの月日が流れていた。
季節は移ろい、肌寒かった風は暖かくなり、やがて暑さを感じるようになり、そして再び涼しさを帯び始めている。
その間、俺は一つの場所に留まることなく各地を転々としていた。
最初の頃は生きるだけで精一杯だった。街へ着いては仕事を探し、数日から数週間ほど働いて金を貯め、また次の街へ移動する。そんな生活の繰り返しだった。
清掃作業をしたこともある。荷運びの手伝いをしたこともある。市場で店番を任されたこともあった。宿屋で皿洗いをしたこともある。
年齢が年齢だけにまともな仕事を与えられることは少なかったが、それでも真面目に働けば食事と寝床くらいは確保できた。
その度に思う。領民たちは優しかったのだな、と。領にいた頃は当たり前だと思っていた。だが外へ出てみると分かる。
見知らぬ子供へ親切にしてくれる人間ばかりではない。逆に利用しようとする人間もいる。騙そうとする人間もいる。
だからこそ、母が生きていた頃に出会った人々の温かさを思い出すことが増えた。
もっとも、そのおかげで世間知らずを卒業できたのだから悪いことばかりではなかった。
そして半年という時間は、俺自身にも変化をもたらしていた。まず体だ。
毎日歩き、働き、食べる。
そんな生活を続けた結果、以前より明らかに体力が付いた。五歳だった体も六歳に近付いている。身長も少しだけ伸びた。筋肉も付いた。以前なら持てなかった荷物も運べるようになっている。
そして何より変化したのはスキルだった。
米。
相変わらず俺以外には読めない文字。だがその力は着実に成長していた。
最初は両手いっぱい程度だった籾が、今ではその数倍は出せるようになっている。
さらに最近では籾の状態だけではなく、玄米の状態で出すことができるようになった。
まだ完全に安定しているわけではないが、成長していることだけは間違いない。
おかげで食料事情もかなり改善された。時間さえあれば飯盒で炊飯できる。
空腹に苦しむことはなくなった。
それだけで生存率は大きく変わる。
「問題は住む場所なんだよな……」
俺は馬車の荷台で呟く。
今乗っている馬車も途中までだ。その先は徒歩になる。
いつまでも街から街へ流れ続ける生活を続けるつもりはなかった。
そろそろ腰を据えて暮らせる場所が欲しい。
スキルの検証もしたい。米を育てることも試したい。
そう考えるようになっていた。
◇◇◇
その転機が訪れたのは、とある街の酒場だった。
その日は荷運びの仕事を終え、夕食代わりのスープを飲んでいた。
すると隣の席に座っていた男たちの会話が耳に入る。
「また逃げられたらしいぞ」
「あそこは人が続かねえな」
「辺境だからな」
「開拓村なんてそんなもんだ」
開拓村。
その言葉に俺は反応した。聞き耳を立てる。
「領主も必死らしいぞ」
「土地はあるが人がいねえ」
「畑を増やしたくても働き手不足だ」
「住む場所は用意するって話だがな」
そこで俺は決断した。話しかける。
「その開拓村ってどこですか?」
男たちは驚いた顔をした。当然だろう。急に子供が会話へ入ってきたのだから。
「坊主?」
「聞いてたのか」
「すみません」
頭を下げる。すると男たちは顔を見合わせて笑った。
「別に構わねえよ」
「興味あるのか?」
「あります」
「変わったガキだな」
そう言いながらも男は場所を教えてくれた。
王国北東部。街道から少し外れた場所。新しく開発中の開拓地。働き手不足。住民募集中。
話を聞けば聞くほど魅力的だった。
土地があって人手が足りない。そして何より、新参者でも受け入れてもらいやすい。
俺のような身元不明の子供には理想的な環境だった。
◇◇◇
数日後。
俺は開拓村へ向かう道を歩いていた。
途中まで馬車に乗せてもらい、最後は徒歩だ。
街道を離れると途端に人の姿が少なくなる。
道も悪い。
本当にこんな場所に村があるのか不安になり始めた頃だった。
木々の向こうに煙が見えた。
「着いた……?」
足を速める。やがて視界が開けた。そこには村があった。
まだ発展途中だ。木造の家が十数軒。
畑、井戸、柵、そして建設途中の建物。
規模だけなら今まで立ち寄った村の中でも小さい部類だろう。
大人たちは働いている。
子供たちも手伝っている。
皆忙しそうだ。
俺は近くにいた男性へ声を掛けた。
「すみません」
「ん?」
「ここって開拓村ですよね?」
「そうだが」
「住み込みで働きたいんですけど」
男は目を丸くした。
そして俺を上から下まで見た。
「お前が?」
「はい」
「何歳だ?」
「六歳です」
「六歳!?」
予想通りの反応だった。
だが男は笑わなかった。
むしろ真面目な顔になる。
「村長に会わせる」
◇◇◇
村長は五十代くらいの男性だった。
日に焼けた顔、大きな手、いかにも開拓者という雰囲気だ。
「一人で来たのか?」
「はい」
「親は?」
「いません」
嘘ではない。
少なくとも俺の中では。
村長はしばらく黙っていた。
やがてため息を吐く。
「事情はありそうだな」
それ以上聞いてこなかった。
ありがたかった。
「働く気はあるか?」
「あります」
「楽じゃないぞ」
「分かっています」
「途中で逃げるなよ」
「逃げません」
村長は少し考え込む。
そして言った。
「家はない」
「はい」
「食料にも余裕はない」
「はい」
「だが人手は欲しい」
そこで一度言葉を切った。
「空き地なら貸してやる」
「え?」
「自分で住む場所を作れ」
予想外だった。
だが悪くない。
むしろ願ってもない話だ。
誰にも追い出されない場所が手に入る。
「ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
◇◇◇
案内された場所は村の端だった。
少し森に近い。
だが十分広い。
俺一人なら困らない。
「ここだ」
「ありがとうございます」
「家を建てる材料は余ってない」
「大丈夫です」
「本当に大丈夫か?」
「はい」
村長は不安そうだった。
当然だろう。六歳児が一人で住むのだから。
だが俺には考えがあった。
まずは簡易的な拠点。テントだ。旅の途中で何度も見てきた。
木を組み、布を張る。立派な家ではない。それでも雨風は防げる。今はそれで十分だった。
俺は森へ入り、枝を集め始めた。村人たちも時々手伝ってくれる。完全な放置ではなかった。
そうして夕方まで作業を続ける。
そして日が沈む頃には、簡素ながらも一つのテントが完成していた。
見た目は決して良くない。隙間もある。だが寝ることはできる。荷物も置ける。
何より――。
俺だけの場所だった。
誰にも追い出されない。
誰にも閉じ込められない。
誰にも食事を止められない。
俺はテントの前へ座り込み、飯盒を取り出した。
今日も米を炊く。
焚き火へ火を付ける。湯気が上がる。
いつもの光景だった。
だが今日は少し違う。
流れ着いた先ではない。働き、選び、自分で辿り着いた場所だ。
「ここなら……」
飯盒から立ち上る湯気を見つめながら呟く。
「しばらく暮らせそうだな」
夜空には星が輝いていた。
こうして俺は半年にも及ぶ放浪生活を終え、ようやく安住の地となるかもしれない開拓村で、新たな生活を始めることになったのだった。




