第8話 街へ到着
森での一夜を終えた翌朝、俺はまだ薄暗さの残る空を見上げながら目を覚ました。
焚き火の火は既に消えていたが、昨夜食べた玄米のおかげか体調は驚くほど良かった。
離れへ閉じ込められていた頃は常に空腹に悩まされていたが、しっかりと食事を取れたことで体に力が戻っているのを感じる。
もちろん五歳児の体力などたかが知れている。それでも何も食べていない状態とは比べ物にならなかった。
俺は小川で顔を洗い、残った荷物をまとめると再び歩き始めた。
目指すのは次の街だ。具体的な目的地はない。
ただ、父の影響力が及ばない場所へ少しでも遠く。それが今の目標だった。
森を歩き続けること三日。その間に狼へ襲われることはなかったが、小動物の気配や遠くで獣の鳴き声を聞くことは何度もあった。
食事は相変わらず米だった。空いた時間に籾を出し、すり鉢で脱穀し、玄米を作る。そして飯盒で炊く。その繰り返しだ。
だが不思議と飽きなかった。むしろ米を食べられることが嬉しかった。
前世で最後に食べたかったものなのだから当然かもしれない。
そして森を抜けた四日目の昼頃、ようやく人の往来がある街道へ辿り着いた。
さらに歩くこと一時間ほど。石造りの壁が見えてくる。
「街だ……」
思わず呟いた。
規模はクリストフ領の街より小さい。だが十分だった。門番もいる。人もいる。久しぶりに文明の匂いがした。
門番に止められるかと思ったが、五歳児が一人で歩いていることに多少驚かれただけで、中へ入ることはできた。
街へ入った瞬間、活気のある声が耳へ飛び込んでくる。商人、職人、買い物客。様々な人が行き交っていた。その光景を見て少し安心する。
だが問題はここからだった。金がない。食料もほぼない。
このままでは次の街へ行くこともできない。何か仕事を探す必要がある。
そして異世界で仕事を探すとなれば、真っ先に思い付く場所があった。
「冒険者ギルドかな」
前世の知識だ。異世界物の定番。
とりあえず行ってみる価値はある。
俺は街の人に場所を聞きながら冒険者ギルドへ向かった。
◇◇◇
冒険者ギルドは街の中央付近にあった。
木造と石造りを組み合わせた二階建ての建物で、入口の看板には剣と盾の紋章が描かれている。
中へ入ると酒場のような雰囲気だった。
筋肉質な男たち。革鎧を着た女性。剣や槍を持つ冒険者らしき人々。そして受付嬢。
まさに想像通りだった。
ただし。
「なんだあの子?」
「迷子か?」
「親はどうした?」
当然ながら視線が集まる。五歳児が一人で来る場所ではない。俺は気にせず受付へ向かった。
「冒険者登録をしたいんですけど」
受付の女性は一瞬固まった。そして困ったような笑顔を浮かべる。
「登録希望ですか?」
「はい」
「おいくつですか?」
「五歳です」
周囲から笑い声が聞こえた。
「五歳だってよ」
「早すぎるだろ」
「将来有望だな」
俺は少しだけ恥ずかしくなった。受付嬢も苦笑している。
「ごめんなさい。冒険者登録は十歳からなんです」
「十歳?」
「はい。規則で決まっています」
予想外だった。いや、考えてみれば当然かもしれない。五歳児に魔物退治をさせる方がおかしい。
前世の異世界作品に毒されていたようだ。
「登録できないんですね」
「できません」
きっぱり言われた。俺は肩を落とす。
だが諦めるわけにはいかない。
「何か仕事はありませんか?」
「仕事ですか?」
「お金を稼ぎたいんです」
受付嬢は少し考え込んだ。
そして一枚の紙を取り出す。
「冒険者向けではありませんが、街の清掃作業なら人手を募集しています」
「清掃?」
「道の掃除やごみ集めですね。日払いです」
俺は即座に頷いた。
「やります」
◇◇◇
その日の午後から、俺は清掃作業へ参加することになった。
集合場所へ行くと、既に数人の子供がいた。
年齢は八歳から十五歳くらいだろうか。
服はボロボロだった。恐らく孤児だ。
俺が近付くと、彼らの視線が集まった。
「なんだこいつ」
「ちっちゃ」
「坊ちゃんじゃねえの?」
歓迎されている雰囲気ではない。特に年長らしい少年が不機嫌そうな顔をしていた。
「お前、新入りか?」
「うん」
「ここは俺たちの仕事だぞ」
なるほど。話が見えてきた。
清掃の仕事は数が限られている。
そこへ俺が来たことで取り分が減ると思っているのだろう。
「別に奪うつもりはないよ」
「だったら帰れ」
「帰る場所がないんだ」
少年は眉をひそめた。
しばらく俺を見ていたが、やがて鼻を鳴らした。
「勝手にしろ」
それで話は終わった。
◇◇◇
仕事そのものは大変だった。
街中を歩き回り、ごみを集め、排水溝を掃除する。
前世では絶対にやったことのない仕事だった。
最初は子供扱いされていた。
「お前はそこだけやってろ」
「無理するなよ」
「泣くなよ?」
そんな言葉を何度も掛けられた。
だが俺は黙々と働いた。
前世で社会人をやっていた経験は伊達ではない。
仕事は真面目にやる。
それだけだ。
二日目になると周囲の態度が少し変わった。
「お前意外とやるな」
「サボらねえし」
「文句も言わねえ」
さらに三日目。
最初に絡んできた少年が声を掛けてきた。
「お前、貴族なのか?」
「なんで?」
「言葉遣いが違う」
鋭かった。
俺は少し考えた後、曖昧に笑った。
「昔はそれなりだったかな」
「ふーん」
少年はそれ以上聞かなかった。
その辺りは彼なりの気遣いだったのかもしれない。
◇◇◇
そうして数日が過ぎた。日銭を稼ぐ。米を炊く。裏路地で寝る。また働く。
単純な生活だった。
だが悪くなかった。誰にも命令されない。誰にも見下されない。自分の力で生きている。その実感があった。
稼ぎ自体は多くはなかった。しかし食費を気にしなくていい分貯金は増えていった。
そして十日目の夕方。
俺はようやく目標額へ到達した。
馬車代と食料代だった。
この街よりさらに遠くへ行くための費用。
食料は馬車の道中堂々と米を食べるのは目立つのでそれを避けるためのものだ。
俺は銅貨の入った袋を見つめる。
「貯まった!」
思わず笑みが浮かんだ。
◇◇◇
翌朝。
街を出る日がやって来た。
清掃仲間の孤児たちも見送りに来ていた。
「本当に行くのか?」
「うん」
「変な奴だったな」
「お前もな」
思わず笑う。
最初は喧嘩腰だった少年も、今では少しだけ友人のような存在になっていた。
「元気でな」
「そっちも」
短い別れだった。だが嫌いではなかった。
俺は荷物を背負い、馬車へ乗り込む。御者が合図を出し、馬車が動き出す。
街並みが少しずつ遠ざかっていく。
ここもまた通過点だ。だが確実に前へ進んでいる。
米がある。食料がある。そして少しばかりの金もある。
まだ何者でもない。ただの五歳児だ。それでも希望はあった。
俺は遠ざかる街を眺めながら、小さく拳を握る。
もっと遠くへ。
もっと自由な場所へ。
そう心に誓いながら、俺は次の街へ向かう馬車の揺れに身を任せたのだった。




