第20話 初めての大口取引
春の田植えから数か月が過ぎ、村を覆っていた緑色は徐々に黄金色へと変わり始めていた。
田んぼを渡る風は心地よく、穂を付けた稲が波のように揺れている。
初めて田植えを行った頃はたった二十五平方メートルだった田んぼも、今では何枚にも増えていた。
もちろん大規模農場などとは比べものにならない。
それでも開拓村としては十分すぎる規模だ。
村人たちは誇らしそうに田んぼを眺めていた。
「今年は去年より良さそうだな」
「ああ」
「穂の付き方が違う」
「雑草も少ないしな」
そんな会話があちこちから聞こえる。
去年までの経験が確実に積み重なっていた。
水路の整備。
畦の補強。
雑草対策。
どれも試行錯誤の連続だったが、結果として収穫量は着実に伸びている。
村長は田んぼを眺めながら満足そうに頷いた。
「来年はさらに増やせそうだな」
「まだ早いですよ」
俺が苦笑しながら答える。
「まずは収穫してからです」
「それもそうか」
村長は豪快に笑った。
◇◇◇
そんなある日のことだった。
村の入り口から子供たちの歓声が聞こえてきた。
「馬車だ!」
「また来たぞ!」
「すごい!」
騒ぎを聞いた時点で予想はついていた。
俺は村長と顔を見合わせる。
「たぶんガルドですね」
「ああ、俺もそう思う」
村へ向かうと、予想通り見慣れた馬車が停まっていた。
だが前回と違う点が一つあった。
馬車が二台ある。
しかも荷台は空に近い。
明らかに大量の荷物を積むための準備だった。
「久しぶりだな!」
商人ガルドが大きく手を振る。
「半年ぶりくらいですか?」
「そんなところだ」
相変わらず元気そうだった。
だがその表情には前回とは違う熱がある。
商売人の顔だった。
◇◇◇
「単刀直入に言うぞ」
挨拶もそこそこにガルドが言った。
「米を買いに来た」
「でしょうね」
「できるだけ大量にな」
やはりそう来たか。
俺と村長は苦笑した。
去年の試験販売で反応が良かったのは知っている。
だが正直なところ、そこまで期待してはいなかった。
「そんなに売れたんですか?」
俺が尋ねると、ガルドは深く頷いた。
「売れたどころじゃない」
「?」
「奪い合いだ」
俺は首を傾げた。
意味が分からない。
◇◇◇
「最初は珍しい穀物として売った」
ガルドが説明を始める。
「だがな、一度食った奴がまた買いに来る」
「へえ」
「しかも家族や知人を連れてだ」
なるほど。
口コミか。
前世でもよくあった。
「さらに宿屋が目を付けた」
「宿屋?」
「ああ」
ガルドは頷く。
「客へ出したら評判が良かったらしい」
俺は少し驚いた。
そういう使い方もあるのか。
「今じゃ品切れだ」
「そんなにですか」
「そんなにだ」
即答だった。
◇◇◇
その後、収穫量や在庫について話し合いが始まった。
村人たちも集まってくる。
話は自然と大口取引へ移っていった。
「今年はいくら出せる?」
「全部は無理ですね」
俺は即答した。
「種籾も必要です」
「当然だな」
「村人たちの食料もあります」
「それも当然だ」
ガルドは頷く。
無茶な要求をするつもりはないらしい。
そこは信用できる部分だった。
◇◇◇
最終的に売却できる量を計算する。
籾。
玄米。
白米。
どの状態で売るかも相談した。
結果として、主に籾の状態で売ることになった。
保存性の問題が大きい。
そして何より量を確保できる。
「よし」
ガルドが満足そうに頷く。
「なら値段だ」
ここで本題が来た。
村人たちも真剣な顔になる。
◇◇◇
提示された金額を聞いた瞬間。
その場が静まり返った。
「……え?」
最初に声を出したのは村の男だった。
「聞き間違いか?」
「いや」
ガルドは笑う。
「その値段だ」
村人たちがざわついた。
俺も驚いていた。
正直なところ想像以上だった。
普通の穀物とは比較にならない。
完全に高級品扱いだった。
「高すぎません?」
「今は珍しいからな」
ガルドが肩を竦める。
「需要に対して供給が足りない」
なるほど。
商売としては当然か。
◇◇◇
その日の夜。
村ではちょっとした宴会になった。
まだ取引は終わっていない。
だが未来への希望が見えたからだ。
米を作る。
売る。
村が豊かになる。
その流れがようやく形になり始めていた。
「水路を増やせるな」
「道も直せる」
「牛も買えるかもしれん」
村人たちは盛り上がっている。
以前なら考えられない光景だった。
◇◇◇
宴会の終わり頃。
ガルドが俺の隣へ座った。
「セシル」
「なんです?」
「一つだけ忠告しておく」
珍しく真面目な声だった。
「米はもう辺境だけの話じゃない」
俺は黙って聞く。
「大きな商会も興味を持ち始めている」
「……」
「王都の商人もな」
その言葉に少しだけ驚いた。
王都。
遠い場所だ。
俺にはほとんど縁のない世界だった。
「そこまで広がってるんですか」
「ああ」
ガルドは頷く。
「来年にはもっと騒ぎになるかもしれん」
◇◇◇
宴会が終わった後。
俺は一人で田んぼを見に来ていた。
月明かりが稲を照らしている。
五歳の頃、離れから逃げ出した自分が見たら信じないだろう。
飢えて森を彷徨っていた少年が、村の特産品を作る側になるなんて。
人生は本当に分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
米は確実に広がり始めていた。
そしてその波は、俺が思っているよりずっと大きな場所へ届こうとしている。
王都。
王城。
そしてまだ見ぬ誰かの元へ。
秋風に揺れる黄金色の稲穂を眺めながら、俺は静かに未来を見つめていた。




