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米を食え!  作者: 岩尾卓


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第19話 読めるはずのない文字

 サンヒエロ王国王都。

 王城の一角に設けられた執務室では、一人の少女が机に向かって大量の書類を処理していた。

 年齢は十二歳。

 年齢だけを聞けば子供でしかない。

 しかし王城で彼女を子供扱いする者はほとんど存在しなかった。

 第一王女。

 エレノア・サンヒエロ。

 そして王国でも数少ない特殊スキル保持者だった。


「殿下、こちらの書類です」


「置いておいて」


 侍女が追加の書類を運んでくる。

 エレノアは目も向けず返事をした。

 ペンを走らせながら次々と決裁を進めていく。

 十二歳とは思えない速度だった。

 それも当然である。

 彼女には【辞典】というスキルがあった。

 単純な知識検索能力。

 それだけ聞けば地味な能力だ。

 だが実際は違う。

 知りたい内容を思い浮かべれば関連知識を調べられる。

 法律。

 農業。

 工学。

 医学。

 歴史。

 ありとあらゆる知識へアクセスできる。

 まるで巨大な図書館を頭の中に持ち歩いているようなものだった。

 もっとも万能ではない。

 知らないこともある。

 検索結果が出ないこともある。

 それでも十分に異常だった。

 おかげでエレノアは十二歳にして既に王宮業務へ関わっている。

 優秀な官僚ですら彼女へ助言を求めるほどだった。


◇◇◇


「次は?」


「教会から届いた鑑定記録です」


 その言葉にエレノアは少しだけ眉をひそめた。

 毎年届く書類だ。

 各地の貴族が五歳で受けるスキル鑑定。

 王家へ提出される正式な記録である。

 もっとも大半は見る価値がない。

【剣術】

【槍術】

【火魔法】

【土魔法】

【身体強化】

 その辺りがほとんどだ。

 珍しいスキルが出れば目を通す程度である。

 今回もそんなものだろう。

 そう思いながら書類へ目を通した。


◇◇◇


 しばらくして。

 エレノアの手が止まった。


「……え?」


 思わず声が漏れる。

 見間違いかと思った。

 だが違う。

 何度見ても同じだった。

 書類の片隅。

 数年前の鑑定結果一覧。

 そこに記載されているスキル名。

『米』

 エレノアは固まった。

 呼吸が止まりそうになる。


「ありえない……」


 思わず呟く。

 隣にいた侍女が首を傾げた。


「どうかなさいましたか?」


「このスキル」


「はい?」


「読めるの?」


 侍女は書類を見る。

 そして首を横へ振った。


「いえ、読めません」


「やっぱり」


 エレノアの鼓動が速くなる。


◇◇◇


 この世界には稀に読めない文字が存在する。

 神代文字だとか失われた古代文字だとか様々な説がある。

 だがそのほとんどは解読されていない。

 だから侍女が読めないこと自体はおかしくない。

 問題は別だった。

 エレノアには読める。

 はっきりと。

 迷うことなく。

 そこにはこう書かれていた。


『米』


 日本語だった。


◇◇◇


 エレノアはゆっくり椅子へ座り直した。

 そして書類を見つめる。

 米。

 コメ。

 ライス。

 主食。

 炊飯。

 稲作。

 次々と言葉が頭をよぎる。

 だがそれ以上に大きかったのは別の感情だった。

 懐かしい。

 その一言に尽きる。

 なぜ自分がこの文字を読めるのか。

 なぜこの言葉を知っているのか。

 その理由を彼女は誰にも話していなかった。

 話すつもりもなかった。

 ただ一つ確かなことがある。

 この世界で日本語を知っている人間など存在しない。

 少なくとも普通は。


◇◇◇


「名前は……」


 視線を下へ移す。

 記録には所有者も記載されていた。

 セシル・クリストフ。

 クリストフ伯爵家長男。

 鑑定時年齢五歳。

 それだけだ。

 追加報告はない。

 功績もない。

 特記事項もない。

 まるで忘れられた存在だった。


「変ね」


 エレノアは呟く。

 米だ。

 もし本当に自分の知っている米ならば。

 そんなスキルが役立たず扱いされるはずがない。

 むしろ国家級の価値を持つ。

 少なくとも彼女はそう考えていた。


◇◇◇


 エレノアは静かに目を閉じる。

 そしてスキルを発動した。


【辞典】


 視界の奥で膨大な情報が流れる。

 目的は一つ。

 米。

 稲。

 農業。

 穀物。

 関連する知識を次々と確認していく。

 やはり間違いない。

 米は強い。

 極めて強力な作物だ。

 条件さえ整えば大量生産が可能。

 保存も利く。

 主食にもなる。

 人口増加へ直結する可能性すらある。


「そんなものがここまで目立ってない?」


 ありえなかった。


◇◇◇


 さらに記録を読み進める。

 しかし情報は少ない。

 あまりにも少ない。

 五歳時点の鑑定結果だけ。

 その後がない。


「……おかしい」


 貴族なら定期的な報告がある。

 特に珍しいスキルならなおさらだ。

 だが存在しない。

 何もない。

 まるで途中で消えたようだった。


◇◇◇


 エレノアは考える。

 役立たずとして放置されたのか。

 事故か。

 病気か。

 あるいは別の理由か。

 分からない。

 だが気になった。

 非常に気になった。

 なぜなら。

 この文字を読める人間が自分以外にも存在する可能性が生まれたからだ。


◇◇◇


「調べてみようかしら」


 小さく呟く。

 侍女には意味が分からない。

 だがエレノア自身は理解していた。

 これは偶然ではない。

 そんな気がしていた。

 少なくとも【米】という文字を見つけた瞬間から、ずっと胸が騒いでいる。

 久しぶりだった。

 王宮の仕事よりも。

 政治よりも。

 予算よりも。

 ずっと興味深い。


◇◇◇


 窓の外では夕日が沈み始めていた。

 王都から遠く離れた辺境の村では、一人の少年が何も知らず田んぼを眺めている。

 そして王都では、一人の少女が数年前の記録を見つめていた。

 まだ二人は出会わない。

 互いの存在すら知らない。

 だが一枚の書類に記されたたった一文字が、少しずつ運命を動かし始めていた。

 読めるはずのない文字。

 その文字を知る二人が出会う日は、そう遠くないのかもしれなかった。


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