第21話 消えた伯爵令息
エレノア王女は机の上に置かれた一枚の書類を眺めていた。
そこに記されている内容は既に何度も確認している。
それでも違和感は消えなかった。
セシル・クリストフ。
クリストフ伯爵家長男。
五歳時スキル鑑定。
保有スキル【米】。
そして――以降の記録なし。
「おかしいわよねぇ……」
ぽつりと呟く。
普通の貴族ならありえない。
まして伯爵家の長男だ。
記録が途切れるなど考えにくい。
病死したなら死亡記録が残る。
養子に出されたならその記録が残る。
廃嫡されたならそれも残る。
だが何もない。
本当に何もないのだ。
「隠しているのかしら」
根拠はない。
だが嫌な予感がしていた。
だからエレノアは立ち上がった。
「馬車を用意して」
侍女が目を丸くする。
「どちらへ?」
「クリストフ伯爵領」
「視察ですか?」
「そういうことにしておきましょう」
エレノアは小さく笑った。
今回の目的は最初から一つ。
セシル・クリストフ本人を確認することだった。
◇◇◇
一方その頃。
クリストフ伯爵家では大騒ぎになっていた。
「王女殿下が来訪なさるだと!?」
伯爵が驚きの声を上げる。
「急な話だな」
執事も困惑していた。
王女が伯爵領へ来ること自体は珍しくない。
しかし今回は目的が不明だった。
事前通達には視察としか書かれていない。
何を見に来るのか。
誰に会いに来るのか。
一切分からない。
だからこそ不気味だった。
◇◇◇
その話を聞いた継母は少し違う反応を示した。
「きっとアランですわ」
「アラン?」
「ええ」
満面の笑みだった。
「火魔法を持つ優秀な子ですもの」
隣にいたアランも胸を張る。
十歳になったアランは既に火魔法の才能を周囲から称賛されていた。
「王女殿下も僕の話を聞いたんじゃないかな」
「そうに違いありませんわ」
親子揃って上機嫌だった。
伯爵も少し考え込む。
確かにあり得なくはない。
王家が有望な人材へ興味を持つことはある。
「失礼のないよう準備しろ」
伯爵はそう命じた。
その場の誰も。
王女の目的がアランではないことを知らなかった。
◇◇◇
そして数日後。
エレノアはクリストフ伯爵邸へ到着した。
大勢の使用人が並び、伯爵一家が出迎える。
「ようこそお越しくださいました、王女殿下」
「歓迎いたします」
丁寧な挨拶。
完璧な礼儀。
だがエレノアは形式的に頷いただけだった。
雑談もほとんどない。
伯爵たちは少し困惑していた。
そして応接室へ通されて数分後。
エレノアは本題を口にした。
「セシル・クリストフを呼びなさい」
空気が凍った。
◇◇◇
「……セシル?」
伯爵が聞き返す。
「ええ」
「長男のセシル・クリストフよ」
再び静寂が訪れる。
アランの表情が歪んだ。
継母も笑顔を失う。
エレノアはその反応を見逃さなかった。
「どうしたの?」
「い、いえ……」
伯爵が言葉を探している。
明らかに様子がおかしい。
「呼べない理由でもあるのかしら」
エレノアの声は静かだった。
だが部屋の温度が下がったように感じられた。
◇◇◇
「セシルは……」
伯爵が眉をひそめる。
「そういえば最近見ていないな」
「は?」
今度はエレノアが固まった。
長男だ。
伯爵家の跡取りだ。
その発言はあまりにも異常だった。
「最近とは?」
「五年ほど前からでしょうか」
執事が答えた。
エレノアは思わず頭を押さえたくなった。
五年。
最近ではない。
◇◇◇
「今どこにいるの?」
「それは……」
誰も答えない。
嫌な予感がどんどん強くなる。
「案内しなさい」
「どこへでしょう」
「セシルの部屋よ」
その一言で継母の顔色が変わった。
エレノアは見逃さなかった。
◇◇◇
案内された先は屋敷から離れた場所だった。
「離れ?」
「は、はい」
エレノアは眉をひそめる。
伯爵家長男の部屋ではない。
客人用としても微妙。
まるで隔離施設だった。
扉が開かれる。
中を見た瞬間。
エレノアの表情が消えた。
◇◇◇
粗末な寝具。
古い机。
ほとんど何もない部屋。
生活の痕跡はある。
だが貴族の子供の部屋ではない。
どう見てもおかしい。
「説明して」
静かな声だった。
しかし伯爵たちの顔色は真っ青になっていた。
◇◇◇
さらに調査が行われた。
使用人たちへの聞き取り。
記録の確認。
そして事実が少しずつ明らかになっていく。
セシルは離れへ移された。
使用人たちは解雇された。
食事も満足に与えられていなかった。
そして五年前。
失踪。
いや。
逃亡だった。
◇◇◇
エレノアは伯爵を見た。
「あなたは知らなかったと?」
「……」
伯爵は答えられない。
知らなかった。
それは事実なのだろう。
だが知らなかったで済む話ではない。
父親として。
当主として。
あまりにも無責任だった。
◇◇◇
「本件は王家が預かります」
エレノアは立ち上がった。
「追って処分を通知します」
その言葉に継母は青ざめる。
伯爵も顔色を失った。
アランだけは状況を理解できていなかった。
◇◇◇
王女一行が去った後。
アランは拳を握り締めていた。
「なんでだよ……」
理解できない。
火魔法を持つ自分ではなく。
あの兄が。
「なんであいつなんだよ……」
苛立ちだけが募っていく。
それはやがて歪んだ感情へ変わっていった。
◇◇◇
数日後。
王城へ戻ったエレノアは別件の報告書を読んでいた。
西部地方。
新しい穀物。
商人たちの間で話題。
宿屋でも好評。
急速に広がる評判。
エレノアの視線が止まる。
「……新しい穀物?」
さらに読み進める。
発祥は西部の開拓村。
クリストフ伯爵領外。
エレノアはゆっくり立ち上がった。
「馬車を用意して」
侍女が首を傾げる。
「どちらへ?」
エレノアは小さく笑った。
「西部の開拓村よ」
今度こそ、ようやく。
手掛かりを見つけた気がしていた。




