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四十八時間の猶予と冷却系の再稼働

冷却晶管の完全停止、魔力中継器の臨界まで四十八時間。セクター7全域のインフラ崩壊という破滅的なカウントダウンの中、アレンは修理道具を並べ、静かに宣言しました。「作業開始だ」と。英雄的な戦いではなく、必要なのは手順と時間と集中力のみ。セイラの魔力中和能力、ミーナの護衛。三人の役割分担が、初めて本格的に試される一夜が始まります。

作業を開始してから、十六時間が経過していた。


地下動力室の空気は、腐敗した魔力が凝固してゼリー状になり、呼吸するたびに気管が灼けるような不快感を生む。汗が顎先から滴り、コンクリートの床に黒い染みを作った。


「セイラ、三番配管の中和、終わったか」


「完了しています。ただし、四番配管の汚染濃度が想定の二倍です。中和に必要な魔力量を再計算しましたが、私の残存リソースでは、あと二回が限界です」


銀髪の魔道士が、眼鏡の曇りを袖で拭いながら淡々と報告した。汗に濡れた髪が額に張り付いているが、その声色に疲労の揺らぎはない。彼女は開始直後から、腐敗した魔力を一本ずつ配管から抜き取り、無害化する「中和」の作業を黙々と繰り返していた。


「二回で足りる。五番は汚染が軽度だから、物理的な洗浄で対処する」


僕は冷却晶管の表面に這わせていた指先を離し、工具袋から魔導鑿のみを取り出した。


冷却晶管の損傷は、当初の見立てより深刻だった。表面のひび割れは内部の結晶構造にまで達し、冷媒として機能するための微細な流路が完全に閉塞している。新品の交換部品など、この外縁区にあるはずもない。


「素材は、地下の廃材置き場から引っ張ってくるしかない」


僕は動力室の隅に積み上げられた、かつての管理者が放棄した魔導部品の残骸を見た。錆びた配管継手、割れた導力板、用途不明の結晶片。どれも単体では使い物にならないが、結晶構造さえ生きていれば、流用は可能だ。


機能再定義リ・デフィニション


僕は廃棄された導力板を掌に載せ、その「照明補助装置」という本来の機能定義を消去した。残った結晶骨格を、冷却晶管の補修材として再構成する。指先に鈍い熱が走り、こめかみの奥で演算回路が軋む。脳が焼ける感覚。だが、この程度の負荷は許容範囲だ。


「……純度は六十パーセント。新品の半分以下だが、応急処置には使える」


手の中で、灰色だった結晶片が淡い水色に変わった。これを晶管のひび割れに埋め込み、流路を再構築する。


接合作業は神経を削る工程だった。補修材の結晶格子を、既存の晶管と分子レベルで噛み合わせなくてはならない。角度が一度ずれれば冷媒が漏れ、二度ずれれば結晶そのものが砕ける。僕は魔導鑿の先端を髪の毛一本分ずつ動かし、微調整を繰り返した。


背後では、セイラが四番配管に取り掛かっていた。汚染された魔力を管内から引き剥がし、無害な残渣に分解する中和術式。銀色の術式陣が配管の表面に浮かび上がり、管内を流れる紫黒色の汚泥が、透明な液体へと浄化されていく。


地下室に響くのは、魔導鑿が結晶を削る硬質な音と、セイラの中和術式が空気を震わせる低周波だけだ。

会話が途絶え、時間の感覚が溶けていく。


十八時間が過ぎた頃、頭上から足音が聞こえた。


「差し入れよ」


階段の上からミーナの声がして、布に包まれた硬いパンと、革袋に入った水が降りてきた。


「さっき、行政区から視察っぽい連中が来たけど、追い返しておいたわ。『居住権限証書を見せろ』って言うから、見せてやったら黙って帰ったわよ」


「助かる。……食事は後でいい。今は手を止められない」


「だと思ったから、置いておくわ。セイラさんも、無理しないでね」


「ご心配なく。非効率な体力の浪費は、私の趣味ではありません」


セイラが短く答え、僕たちは再び作業に没入した。ミーナの足音が階段を上がっていく。護衛としての彼女の働きがなければ、外部からの介入で作業が中断されていた可能性は高い。適材適所とは、まさにこのことだ。


二十二時間目。


冷却晶管の補修が完了した。

僕は最後の結晶片を晶管のひび割れに押し込み、接合面を魔導鑿の平面で均した。粗い仕上がりだが、冷媒の流路は確保できている。


「セイラ、四番と五番の中和状況は」


「四番、中和完了。五番は物理洗浄で十分でした。全配管、通水可能な状態です」


「よし。冷却系を再起動する」


僕は中継器の制御盤に手を伸ばした。指先が震えているのは、疲労のせいだ。二十二時間、ほぼ不眠で精密作業を続けた代償が、末端神経に現れ始めている。


起動シーケンスを入力する。

制御盤の魔力灯が、赤から橙へ。

沈黙が落ちた。


補修した晶管に冷媒が流れ込む振動が、指先から伝わってくる。材質の強度が持つか、接合部から漏れないか。計算上は問題ない。だが、計算と現実の間には、常に誤差が存在する。


三秒。配管の継目から微かな軋みが漏れた。

五秒。中継器の拍動が、わずかにリズムを崩す。

十秒。


――魔力灯が、橙から青へと変わった。


冷却系統、正常稼働。


中継器の温度が、数値の上で確かに下降を始めた。白濁していた中継器の表面に、かすかに本来の青色が戻りつつある。動力室を満たしていた腐敗臭が、冷却された空気に押し出されるように薄れていく。


「……成功、ですね」


セイラの声は平坦だったが、眼鏡の奥の瞳に、わずかな安堵の色が見えた。


「応急処置だ。純度六十パーセントの補修材では、持って数ヶ月。根本的な修繕には、正規品の冷却晶管が必要になる」


「それでも、四十八時間の臨界は回避できた。合理的な判断です」


「合理的、か」


僕は制御盤から手を離し、背中を壁に預けた。汗で湿った作業服が、冷たい石壁に張り付く不快感がある。だが、今はそれすら心地よい。


セクター7の住民は、今夜も照明の下で眠れる。暖房が動き、水路が流れ、防犯結界が機能する。彼らはおそらく、自分たちのインフラが四十八時間前に死にかけていたことを、永遠に知ることはないだろう。


「……それでいい」


僕は独り言のように呟き、工具袋を片付け始めた。


その時だ。


中継器の背面に回り込んだ僕の視界に、違和感が引っかかった。


冷却配管を辿って壁際まで来た時には気づかなかった。だが、今――冷却系が正常に稼働し、動力室全体の魔力が安定したことで、それまで汚染のノイズに紛れていた微かな信号が、浮き彫りになっていた。


「……おかしいな」


「どうしました」


「この壁の魔力パターンだ。物理的な磨耗でも、施工時の歪みでもない。回路が、意図的に偽装されている」


僕は壁面に手を触れた。


冷たい石材の奥に、精密に隠された空洞の存在を、指先が捉えている。


「壁の向こうに、何かがある」


冷却系の再稼働は、確かに成功しました。セクター7の住民数百名は、自分たちの日常が瀬戸際にあったことを知らぬまま、今夜も平穏に眠ることでしょう。しかし、純度六十パーセントの補修材による応急処置は、あくまで時間稼ぎに過ぎません。そして、修復によってノイズが消えたことで浮かび上がった、壁の奥の「偽装された空洞」。冷却系の修理という名目で手に入れた安息は、より深い謎への扉を開けてしまったようです。

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