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放棄された館

門の修理を完遂し、衛兵から報酬として「外縁区の放棄された館」の管理権限を手に入れたアレン。呪われていると噂されるその廃屋は、魔力汚染に蝕まれた不良債権そのものでした。しかし、彼にとって「故障」は「機会」に過ぎません。効率的な生存基盤を構築するため、彼は再び「構造」へと干渉を始めます。

石造りの詰所に入ると、湿った空気と古いインクの匂いが鼻を突いた。


「――あぁ、さっきの件だ。助かったよ。おかげで余計な報告書を書かずに済んだ」


机の向こう側に座る初老の衛兵が、分厚い羊皮紙の束を僕の前に差し出した。

それは使い込まれた机の表面を滑り、乾いた音を立てて止まる。


「予算が浮いた分、約束通りの報酬だ。外縁区で放置されてる、あの館の居住区管理権限証書だよ。……まあ、あそこは誰も住みたがらない『曰く付き』だがな」


僕は無造作に権利書を手に取り、表面の魔導封印を確認した。

偽造の形跡はない。行政が放棄した物件を、便宜上、修理の対価として個人に投げ出した格好だ。


「屋根があって、扉が閉まれば十分だ。野宿で体力を削るよりは、機能不全に陥った建物でも拠点として確保する方が生存確率は上がる」


僕の背後で、先ほどから様子を伺っていたミーナが、不安げに僕の顔を覗き込んできた。


「ね、ねえ。アレン、本当に大丈夫なの? あそこ、衛兵さんの間でも『呪われている』って評判なんだよ。魔導設備が全部死んでいて、入っただけで病気になるって……。あたし、正直かなり怖いんだけど」


「呪いなんて、大抵は物理的な故障か管理不足の言い換えだ。詰まっているだけなら、直せばいい。機能が停止している状態こそが、一番のトラブルなんだよ」


僕は淡々と答え、権利書を懐に収める。

彼女が言う「病気」というのも、おそらく魔導流体の漏出による二次被害だろう。

原因さえ特定できれば、対処は可能だ。


「構造さえ生きていれば、修復は可能だ。まずは現状を確認しに行くぞ。掃除の手間はかかりそうだが」


「掃除で済めばいいんだけど……。分かったわ、護衛としてついていくわね!」


ミーナは、未だに懸念を隠しきれない様子だったが、僕が歩き出すと慌てて隣に並んだ。


詰所を出て、石畳の路地を外縁区へと向かう。

陽光は届いているはずなのに、この区画に近づくにつれて空気の密度が変わるのを感じた。

大気が淀み、魔力の残滓が皮膚にまとわりつくような不快感がある。


「環境魔力の循環系に、重大な閉塞が起きているな……」


僕は無意識に、頭の中でこの地区の構造図を投影し始めていた。

権利書に記された住所は、居住区の最奥。

かつては管理責任者の邸宅だった場所だが、今や「魔力汚染のカビ」が壁一面を覆い、近づく者さえいないという。


「……周囲の魔力密度が、通常の三倍を超えています」


後方から、静かだが鋭い声が割り込んだ。

ゲートの修理に立ち会っていた、あの青いローブの魔道士だ。詰所を出てからもついてきていたらしい。セイラ、と名乗った彼女が、眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、路地の大気を測るように視線を細めている。


「この密度は、単なる局所的な汚染ではありません。広域の循環系が根本から崩壊しているはずです。館の内部だけの問題ではないかもしれませんよ」


「……把握してる。規模の確認は現地でやる」


視界の端で揺れる異常な魔力反応は、これが単なる「家の修理」では済まないことを予感させていた。

外縁区の深部へ進むにつれ、石造りの家々の隙間に紫黒色の付着物が顔を覗かせ始める。肺に吸い込む空気がじりじりと熱く、喉の奥に鉄錆のような味が広がる。


「……ひどい。ねえ、アレン、やっぱり引き返さない? 空気がもう、普通じゃないわ」


隣を歩くミーナが、服の裾を口元に当てて顔を顰める。

彼女の言う通り、ここは本来、生物が住む場所ではない。

循環を失い、腐敗した魔力は猛毒に等しい。


「引き返しても、僕には戻る場所も、寝る場所もない。権利書を受け取った以上、ここが僕の領分だ」


「でも……!」


「安心しろ。死にに行くつもりはない。機能が停止しているなら、動かしてやればいいだけのことだ」


路地の突き当たり、高く聳える石造りの門が見えてきた。

鉄格子の隙間から見える庭園は、もはや植物ではなく、脈打つ菌糸のような魔力反応に覆い尽くされている。

ミーナが門扉に絡みつく紫黒色の菌糸を指差し、引き攣った声を漏らした。


「ねえ、アレン……。門の魔導回路が、炭みたいに真っ黒よ。これじゃ何も動かないわ。構造が死んでるって、そういうことでしょ?」


「機能が停止しているのと、構造が死んでいるのは別物だ」


僕は門の鉄格子に触れた。絶縁が壊れて漏電しているだけだ。回路のバイパスが焼き切れて、逃げ場を失った魔力が滞留しているに過ぎない。


「……信じられない。アレンって、本当に夢がないのね」


「夢で腹は膨れないからな」


門扉を押し開くと、悲鳴のような金属音が静まり返った外縁区に響き渡った。


錆びついた門の先、庭園だったはずの場所は、紫黒色のもやに沈んでいた。

一歩踏み込むごとに、足裏からねっとりとした不快な感触が伝わってくる。


「……嘘でしょ。これ、魔力密度が通常の十倍以上あるわ。防護結界なしで入るなんて自殺行為よ!」


セイラが銀髪を震わせ、後方で足を止める。彼女の鋭い魔力感知能力が、この場の致命的な異常性を正確に拾っているのだろう。


「十倍、か。効率的な蓄積だな。回路が逆流し、外部との気圧差が生じている証拠だ」


「アレン、これ以上は本当に危ないって!」


「分かっている。だが、原因が見えれば対策は立てられる」


重厚な木材の扉を押し開くと、閉ざされていた空間から、屋外を上回る濃度の『汚染』が溢れ出した。


かつては豪奢を極めたであろうエントランスは、今や紫黒色の粘液に飲み込まれている。壁の隙間からは魔導流体が濁ったヘドロとなって滲み出し、肺を焼くような異臭を放っていた。

僕は口元を袖で覆い、歪な色に染まった壁面を見据えた。


「構造解析」


意識を集中させると、館の壁を透かし見るような三次元図面が脳内に展開される。血管のように張り巡らされた魔導配管のなかで、太い供給管の一箇所がどす黒く明滅している。逆流防止弁が固着し、逃げ場を失った魔力が壁の裏で飽和状態だ。


「……ひどい詰まりだ。設計段階での安全マージンを無視して運用し続けた結果か」


僕は右手を壁面に直接押し当てた。原因が判明しているなら、対処は容易だ。

指先に意識を集中し、淀んだエネルギーの核へ「論理ロジック」を直接叩き込む。


「バイパス開放。強制同期」


指先から流し込んだ微弱な干渉波が、固着していた魔導弁を物理的に弾き飛ばした。

管内に滞留していた紫黒色の汚泥が、一気に排水路へと吸い込まれていく。壁面を覆っていた脈打つカビが、栄養源を断たれてみるみるうちに枯れ果て、灰となって床に崩れ落ちた。


カビの残骸が床に積もる音を聞きながら、僕はさらに奥へと歩を進めた。

魔導配管の脈動は、建物の深部――地下へと続いている。

腐食した手すりを掴み、湿った冷気が立ち込める階段を下りると、そこには居住用の館には不釣り合いな規模の「心臓部」が鎮座していた。


地下の動力室。


そこは、地上よりもさらに重く、腐敗した魔力の不快な臭いが鼻腔を刺す空間だった。部屋の中央に鎮座する巨大な「中継器リレー」は、本来なら澄み渡った青色をしているはずだが、今は末期の病人の眼球のようにひどく白濁している。


「限界、か」


僕はひび割れた中継器の表面に掌を当てた。冷たいはずの魔導結晶は、暴走寸前のエネルギーを孕んで、まるで高熱を出した病人の肌のようにドクドクと不気味な拍動を繰り返している。


「ミーナ、下がっていろ」


「待って、そんなの素手で触ったら死んじゃうわよ!」


ミーナの悲鳴を背中で受け流し、僕は中継器の出力系統に一時的なバイパスを形成した。暴走の予兆だった不気味な拍動が、一定のリズムへと落ち着いていく。


「……とりあえずの応急処置だ。だが、これは地下室一室で完結する問題じゃない」


僕は中継器の表面から手を離し、地下室の全体を見渡した。

視界に展開される三次元図面が、静かに全容を明かしていく。

この「中継器リレー」は、館の専用設備ではない。地下に延びる太い魔導管が、セクター7全域の配管網と密かに接続している。照明、暖房、防犯結界――それらすべての魔導エネルギーが、この一点を経由して供給されていた。


「セクター7全体の中継拠点か。こんな場所に、そんなものが埋められていたとは」


中継器の隣に併設された冷却晶管クーリング・クリスタルに指先で触れると、熱を持つどころか、乾いた砂のような質感が返ってきた。本来は澄んだ水色のはずが、奥まで白く濁り、表面に細かなひびが走っている。


「冷却機能が死んでいる。完全に。バイパスで誤魔化せるのは、あと数十時間が限界だ」


意図的な管理放棄だ。冷却系の修繕コストを惜しみ、段階的に死なせていった結果がこれだ。


気配がして振り返ると、セイラが地下室の入口から静かに歩み込んできていた。

眼鏡の奥の視線が、中継器と冷却晶管を一瞥して止まる。


「冷却晶管が完全に停止していますね。館の魔力汚染の直接の原因はここです」


「ああ。だが問題はそれだけじゃない」


僕は冷却晶管の表面から手を離し、セイラへと向き直った。


「この中継器は、セクター7全域の魔導網を中継している。冷却なしで動かし続けるなら、現在の熱蓄積速度から計算して――」


言葉を選ぶ必要はない。数値は正直に語る。


「四十八時間以内に、臨界爆発する」


静寂が落ちた。


「……四十八時間」


セイラの声は平坦だったが、眼鏡の奥の瞳がかすかに揺れた。


「爆発の規模は?」


「セクター7の魔導インフラが全壊するには十分だ。照明、水路、防犯結界、暖房――全部道連れになる」


「……それは」


セイラは一瞬だけ言葉を切り、静かな声で続けた。


「セクター7の全住民が被害を受ける、ということですね」


「そうなる」


「アレン! ちょっと待って! 四十八時間って、それ本当なの!?」


ミーナが地下室の入口から身を乗り出し、目を丸くした。


「本当だ。だから騒ぐな。騒いで解決する問題じゃない」


「でも、それって、あたし達だけじゃどう考えても――」


「騒いでも時計は止まらない。やれることをやるだけだ」


僕は地下室を出て、館の玄関まで戻った。重厚な木の扉の内側、鍵穴に鍵を差し込んで施錠する。

石壁の外から聞こえていた街の雑音が、分厚い壁の向こうに沈んでいった。


「四十八時間。睡眠を削れば七十二時間分の作業は可能だ。冷却系の再稼働に必要な部品は……館の地下から調達できるかもしれない」


鞄を床に下ろし、修理道具を一列に並べ始める。

ラチェット工具、配管用フレア加工工具、魔導鑿のみ、測定用の精密スレート。

どれも使い込んだ跡があるが、機能は問題ない。


「アレン」


後ろから、セイラの静かな声がした。


「何だ」


「私も残ります。冷却系の修復には、高密度の魔力中和が必要になる局面が来るはずです。一人では間に合わないでしょう」


僕は道具の並びを確認しながら、短く答えた。


「……邪魔にならない範囲なら、構わない」


「非効率ですね、その言い方は。私の能力があれば、作業時間を少なくとも三分の一は短縮できます」


「分かった。任せる。ミーナ、君は外で――」


「あたしも残るわ」


ミーナが、腕を組んで一歩前に出た。その目に、先ほどまでの不安はない。


「護衛の仕事だもの。あんたが中にいる間は、あたしが出入りを管理する。変な奴が近づいたら追い払う。それがあたしの仕事でしょ」


「……そうだな」


僕は修理道具を最後の一本まで並べ終え、地下室の方向を見据えた。


四十八時間。

冷却系を再稼働させ、焼け切る前にセクター7のインフラを繋ぎ直す。

派手な魔法も、英雄的な戦いも必要ない。

必要なのは、手順と時間と、静かな集中力だけだ。


「作業開始だ」

不動産取引において、物理的な毀損よりも恐ろしいのはインフラの「見えない腐食」です。アレンが館の地下で見つけたのは、単なる汚れではなく、セクター7というシステム全体の設計寿命でした。感情を排し、構造を解析する彼の目には、もはやこの破滅的な事態も「修復すべきタスク」の一つとして映っているようです。設計段階のミスや安全マージンの不足を突く彼の冷徹な合理性が、最悪のタイムリミットをどう処理するのか。不気味なほど淡々と「仕事」をこなす姿に、周囲の人間は畏怖を抱き始めています。


次回、セクター7崩壊まで残り48時間。アレンは拠点を工房へと作り替え、前代未聞のオーバーホールに挑みます。

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