限界駆動の代償と枯渇した水資源
「管理官」への引き継ぎを終え、ようやく屋敷を後にしたアレン。しかし、無茶な魔力行使の代償は確実に彼の身体を蝕んでいました。深い疲労と左手の激痛を抱えながら仮拠点へと戻る道すがら、彼はセクター7が抱える致命的な「欠陥」に直面します。
屋敷の一階、寝室。
専門家に後事を託した僕は、ようやく彼女らのいる部屋の重い扉を背後で閉ざした。
屋敷の静かな廊下には深夜の冷気が満ちており、過熱していた脳を少しだけ冷却していく。
視界の端に、ノイズ混じりのシステムログを呼び出した。
【魔力残量:0.8%】
視神経の奥を直接焼くような痛みの残滓は、先ほどの無理な回路書き換えを強行した代償だ。計算負荷によるオーバーヒート。現状の僕のスペックでこれ以上の出力を維持すれば、基底回路そのものが焼き切れていただろう。
「……非効率だな」
僕は独りごち、左手に視線を落とした。作業着の袖が黒く焼け焦げ、その隙間から覗く皮膚は赤黒く変色している。鈍い拍動とともに伝わってくるのは、神経を直接叩くような火傷の痛みだ。脳漿を直接沸騰させるような計算負荷の残滓が、思考の明瞭さを無慈悲に奪っていく。この損傷を「許容範囲内」として再定義する余裕すら、今の僕には残されていない。
「ちょっと、アレン!」
横を歩いていたミーナが、思わずといった様子で声を上げた。彼女の声には隠しようのない動揺と、明らかな懸念が混じっている。
「先に応急処置をしてたとはいえ、さっきの無茶な魔力行使のせいで……その火傷、さらに酷くなってない!? 顔も真っ青じゃない!」
ミーナの隣では、僕の乱れた魔力波長を監視し続けているセイラが、言葉少なに僕のもう片方の側へと寄ってきた。
「大丈夫だ。骨格や神経系に致命的な損壊はない。……単なる痛覚の継続エラーだ」
「強がってんじゃないわよ! 貸して、肩」
彼女は僕の右腕を強引に引き寄せ、肩を貸して支えた。セイラも無言のまま、僕のもう片方の側へと寄って歩調を合わせる。その体温が、冷え切った身体には少しだけ不快で、同時に無視できないほどに生存を実感させる。
一歩踏み出すたびに、左手の傷が熱を帯びる。
僕たちは薄暗い廊下を抜け、屋敷の中で自分たちの休息用に確保した一室へと歩き出した。
金色の髪の少女の術式書き換えは完了し、管理権限の移譲プロセスも正常に終了した。僕という「部品」の役割は、これで一つ完了したことになる。あとはあの有能な管理官が、資金と帳簿を元に最適化してくれるはずだ。
「着いたわ。……動かないで。すぐに冷やすから」
ミーナの声が、思考のノイズを遮断した。埃の匂いが僅かに残るこの部屋が、屋敷での僕たちの当面の寝所だ。
ミーナは僕を椅子に座らせると、手早く棚から備蓄していた冷却用のジェルと清潔な新しい包帯を取り出した。市場で巻いた汚れたリネンを慎重に解き、赤黒く腫れた皮膚にさらにジェルを塗り込んでいく。セイラはその間、僕の乱れた魔力回路を安定させるための補助術式を周囲に展開し続けていた。痛覚のノイズが跳ね上がるが、僕はそれを単なるエラー信号として思考の隅へ追いやった。
「……ねえ。あの子は……あの金色の髪の子は、本当に大丈夫なの?」
新しい包帯を巻き直しながら、ミーナが絞り出すような声で尋ねてきた。
「あの部屋を出る前のバイタルでは、心臓の鼓動周期、魔力循環共に正常範囲内だった。生存確率は九割を超えている」
僕は緒感情を排した事実のみを簡潔に報告した。ミーナは小さく息を吐き、「よかった」と呟いて包帯を固定する。
処理が一段落し、ふと強烈な喉の渇きを覚えた。極限まで酷使した脳を冷却するために、肉体が生理的に水分を要求しているのだ。
僕は視線を室内の隅にある水瓶へと向けた。
しかし、容器の底はひび割れた泥のように乾ききっており、最後の一滴すら残っていなかった。
「……水は。先日、僕が地下の給水弁を直して水路を復旧させたはずだ」
僕の問いに、ミーナが申し訳なさそうに俯く。
「ごめんなさい。せっかくアレンが直してくれたのに、また配給が完全に止まっちゃってるの。貯水タンクの残量も底をついてて……」
彼女のせいではない。給水弁を直しても水が来ないということは、原因はさらに上流にあると考えるのが自然だ。
セクター7の喉を潤すべき大元の水道橋が、今や干上がった巨大な血管になっていると推測される。メイン導管の圧力値がどこかでゼロになり、心臓部である濾過プラントが完全に沈黙しているのだろう。
これは個人の不手際などではなく、この都市の構造的欠陥だ。水供給の完全な停止。それが、自分自身の生存すら脅かし始めている。
僕はひび割れた唇を舐め、網膜の裏側で明滅するシステム図を再構築した。
最優先タスクの更新。
——供給経路の物理的な再接続、および濾過プラントの循環サイクル再定義。
「……まずは、休息だ……ろ過装置の再起動は、明日以降のタスクとする」
僕は背後の冷たい壁に体を預け、そのままベッドへ滑り込むように横たわった。平衡感覚を司る器官が深刻なエラーを吐き出している。
ミーナの心配そうな声が遠退いていく。意識が混濁する昏い闇の中で、「機能定義」の青い光跡だけが、論理の残像として明滅していた。
左手の熱だけが、僕がまだ機能している部品であることを証明している。僕はシステムを強制的なスリープモードへと移行させ、深い眠りへと落ちていった。
魔力が枯渇寸前という極限状態で自室へと戻ったアレン。ミーナの献身的な処置を受けながらも、彼の論理回路は休むことなく次の「バグ」――セクター7全体の水不足という根本的なインフラ危機を検知していました。限界を超えた身体で、彼は次にどう動くのか。




