致死の負債と拠点管理の専門家
市場での強引な取引を成立させ、高純度のマナ安定剤を手に入れたアレンは、急ぎ屋敷のベッドに横たわる金色の髪の少女の元へと戻りました。刻一刻と迫る命の限界。左手の火傷が悲鳴を上げる中、彼は再び「構造」へと干渉します。
僕は痛む左手を作業着の袖で隠したまま、右手で懐から冷たい小瓶を取り出した。高純度のマナ安定剤。市場で手に入れたこの液体は、少女の暴走する循環系を落ち着かせるための唯一の希望だ。
コルクを抜き、沈黙を続ける金色の髪の少女の唇を指でこじ開ける。
「……飲め」
意識のない彼女の喉に、淡く発光する液体を慎重に流し込んでいった。
「アレン、あなたの手……痛まないの?」
背後で様子を見守っていたミーナが、不安げに問いかけてくる。僕はそれに答えず、左手に走る鋭い痛みを奥歯で噛み殺した。
痛覚はエラー信号に過ぎない。火傷による水膨れが潰れ、皮膚が熱を持っているが、今は自分の手当てなど後回しだ。非効率な感傷を排除し、僕は少女の胸元に無事な右手をかざした。
脳内に、冷徹なシステムインターフェースが展開される。
「機能定義書換」を起動。
解析を開始する。彼女の体内で暴走し、内臓組織を壊死させようとしている高濃度マナの奔流。それは本来、屋敷の循環系という「外部」から供給されるはずだったものだ。切り離された今、行き場を失ったマナが致死的な毒として彼女自身を破壊しかけていた。
ならば、その定義を上書きする。毒をエネルギーへと循環させる回路を、強引にでも構築する。
僕の視界の中で、少女の循環器系が透過図のように浮かび上がる。詰まった血管、過負荷で悲鳴を上げるマナ回路。一つひとつを「正常な流路」として再定義していく。
精神的な負荷が、脳を直接焼くような感覚となって襲いかかる。左手の火傷と相まって意識が遠のきそうになるが、ここで止めれば今までの市場での立ち回りもすべて無駄になる。ここで止めれば非効率だ、と自分に言い聞かせ、僕は強引に定義の書き換えを完遂させた。
刹那、少女の喉から「あ、」という小さな吐息が漏れた。
激しく波打っていた彼女の肩が、ゆっくりと、しかし確かなリズムで上下し始める。青白かった頬に、わずかだが赤みが戻った。
「……とりあえず、峠は越えた」
僕は右手を下ろし、重い息を吐いた。バイタルサインを確認する。マナの奔流は治まり、安定剤の効果と相まって正常な循環へと移行している。
「よかった……本当に、よかった……!」
ミーナが感極まった声を出し、ベッドの淵に縋り付くようにして崩れ落ちた。セイラも眼鏡の奥から少女の安定した魔力波長を確認し、小さく頷いている。
これで一つ、大きな懸案事項が片付いたことになる。金色の髪の少女の生存を確定。マナ循環の正常化を確認。これをもって、極めて生存率の低かった初期治療を完了とした。
僕が壁に背中を預け、意識的に深く息を吐き出した直後――屋敷の重厚な玄関ドアの向こうから、来客を告げるくぐもった鐘の音が鳴り響いた。
「えっ? こんな時間に、誰かしら……衛兵?」
ミーナが警戒を含んだ顔で視線を向ける。
「いや、市場の取引で、あの鉄屑屋に手配させた『専門家』だ。ミーナ、通してやってくれ」
数分後、ミーナが案内してきたのは、スラムの吹き溜まりには似つかわしくない、落ち着いた雰囲気を持った年上の女性だった。仕立ての良い鉄紺色の服を身に纏い、一歩歩くごとに無駄のない所作を感じさせる。
「夜分遅くに失礼いたします、アレン様。市場の元締めより、至急かつ特級の顧客としてご指名を受け、派遣されて参りました」
彼女は室内へ踏み込むなり、床に散らばった工具や僕の赤黒く腫れ上がった左手、そしてベッドで眠る少女を一瞥する。その眼差しには同情も驚きもなく、ただ冷徹に与えられた『管理業務』の規模を推し量るような静けさがあった。
「状況は見ての通りだ。屋敷のインフラは最低限動くようにしたが、細かな雑務や資金管理まで僕がやるのは時間的損失が大きい」
「おっしゃる通りです。実務に長けた方が雑務に追われるのは、組織として極めて非効率。即座に管理業務の引き継ぎをご提案いたします」
無駄な感情を排したその言葉に、僕は小さく頷いた。彼女は管理職として、完璧な適性を持っている。
僕は痛む左手をかばいながら、机の引き出しから分厚い屋敷の帳簿と、冷たい銀光を放つ予備の鍵の束を取り出した。それから、市場の取引で釣りとして強引に吐き出させた、銀貨の詰まったずっしりと重い袋を机上に置く。
「これを受け取れ。管理に必要な書類と、当面の運営資金だ。今後の屋敷の運営と、彼女たちの生活環境の維持を任せる」
「承知いたしました。……アレン様は、ご自身の治療と休息に専念なさってください。後のことは、すべて最適化して処理しておきます」
熟練の管理官の言葉に、僕はようやく肩の力を抜いた。
煩雑な維持管理から解放され、僕は自室のベッドへと倒れ込むようにして眠りについた。
だが、あの少女を地下で救出した時、彼女の衣服の裏地に縫い付けられていた「紋章」に、僕はこの時まで気づいていなかった。
それが、かつて僕を理不尽に追放した民間保守会社『ギア・メンテナンス』の社章と酷似しており、この街の深部に関わる新たな火種になることを、まだ知る由もなかったのだ。
「毒」の定義を「エネルギー」として書き換える冷徹な治療劇。アレンの論理は時に非人間的にさえ見えますが、その根底には強固な生存への執着がありました。そして、拠点を安定させるための年上の女性管理官の導入。これでアレンは面倒な雑務から解放されたかのように見えましたが、少女から見つかった紋章が、物語を再び波乱へと巻き込みます。




