涙が交じった ▼ レセプション
――月雲美露は、やっぱり病的な方向音痴だった。俺が見てないとふらふらどこかへ行ってしまう。坂道をくだってきたのに、なぜかもう一度坂道をのぼって、家とは真逆の方向へ帰ろうとするし、移動教室へ向かう道中、一人きりで迷ったという話も聞いたことがある(友達がいない且つ、休み時間になると俺のクラスにくるために一人で行動するからだ)。
学校帰り、夕焼けめがけて歩いていく俺たちの口数は少ない。月雲の表情は普段から読み取りづらい。今日はあからさまに元気がなかった。ずっと上の空でぼけーとしてやがるし、平坦な道で何度もつまずいていた。声をかけても返事をするのは三回に一度くらいだ。元気がないからこっちの気持ちまで滅入ってくる。
道行くすがら、うつむく月雲に俺は問いかけた。
「お前さ、好物なによ?」
見るに見かねた俺は、好物を作ってやることにした。夕刻、あれだけのことがあったんだ、いくら恨みがましい相手であっても慰めたくもなる。
「ちゃんぽん……」
「ちゃんぽんね、はいよ」
ちゃんぽんは長野ではなく、長崎名物だったと記憶しているのだが、細かいことはいいだろう。俺だって名古屋に住んでいるものの、味噌カツよりもソースカツの方が好きだし、手羽先は手がベタベタになるから嫌いだ。
スマートフォンでレシピを検索しながら、帰り道にあるスーパーで、チクワとキクラゲと中華スープのもとを買う。残りの材料は家にあるものでなんとかなるだろう。
「重いか?」
「重い、でも牛乳たくさん、嬉しい」
両手いっぱいにビニール袋を抱えた月雲は俺へ顔を向けて、ちょっとだけ微笑んだ。少しずつ機嫌を取り戻しているような気がして、安心している俺がいる。
家につくと早速キッチンに向かった。六時三十分、もう晩飯時だった。
魚介類で出汁をとってスープを作り、別の段取りで炒めておいた具材を乗っける。黄金色に輝くスープに新鮮な野菜。もちもちの麺。加えて、月雲の好物をたくさん乗っけてやった。お玉ですくって味を調える。
よし、味、見栄え、ともに百点だ。
「おーい、月雲、出来たぞ」
こちらに振り返った月雲はいつもと変わらない顔をして頷き、彼女は大人しげに席についた。
「いただきます」
「……いただきます」
まず月雲はスープをずずっと飲んだ。そののち麺をとって口に運ぶ。俺は料理に手をつけず、月雲の表情をじっと見つめていた。そのうちに、こちらまでつらくなってきた。
「うまいか?」
「……美味しい」
そうはいうが、とてもうまそうにしている顔には見えない。前にチンジャオロースを食っていた時とは比べ物にならないくらい、苦しそうに、つらそうに、咳き込みながら、スープを口に運んでいる。
「……おい、洟水たれてんぞ」
月雲は泣いていた。笑顔を失った顔を情けないほど涙でぬらしている。
「……無理しなくたっていいぞ、食べるのやめとくか?」
そのように問いかけてもブンブンと首をふるだけだった。
「……そんな強がってないで、泣きたきゃ声に出して泣けよ」
「……あう、ううう、ああ、ああああ……」
「……お前……悔しいのか?」
「……大毅……わ、わたし……くや……しい。くやしいよ……だいぎぃ……」
感情表現の乏しいコイツは、心の中にためたストレスを外に発散させられないまま、ずっと強がってたのか。
「……全然、うまくいかない。こっちのがっこでは……頑張ろうって……思ったのに……」
「べつに無理して頑張る必要なんてねぇだろ」
「友達もできないし……いじめられるし……」
「料理音痴だし、方向音痴だし、ド変態だしな」
「……ひぐ! いい、ああ、ううー、うううーッ!!!」
自分では言いづらいだろうと思い、善意で言葉をついでやったのに、なぜだか余計に泣きじゃくってしまった。
くそ、なぐさめるだとか、こういうことには慣れてない。俺は頭をぐしゃぐしゃとかきむしる。
「俺もな、小学校の時にさ、いじめられてたんだ。泣き虫で陰気でいつも親の背中に隠れているようなガキだった。だから俺には心の開ける友達なんて一人もいなかった」
「……知ってる」
「そうか」
七年前の俺――それを知るのは、おそらくこの町で月雲ただ一人だろう。それがみょうに恥ずかしかった。照れ臭さを隠すため、俺は一度「ごほ」と咳払いをいれる。
「友達がいなかった。毎日が一人きりだった。だからペットボトルのキャップ集めたり……してたんかもな」
「ドボルベルクや……ミステロリクス」
「はは、俺、んなだっせえ名前つけてたっけか?」
「今も集めてるの?」
「いや、全部、捨てたよ。けじめのつもりとかじゃなくな」
「そっか……」
月雲はまつげを伏せて寂しそうな顔をした。
「あれさ、あのころの陰気臭い性格、すぐに直そうと思ったんだけど、中学あがってからもしばらく引きずったんだよ。そうして当時の知り合いたちから逃げて名古屋の高校へ入学した。今でこそ、苦手なこと克服して、なんとかやれている。七年前にどれだけつらくても戦おうって決断したから頑張れた」
そう、それらはすべて――コイツのおかげのおかげなんだ。
「けどな、今では東京から逃げてきたことをものすごく後悔している。逃げたらきっと後悔する」
「わかった……私、もう逃げない」
下唇を噛みながら、彼女は俺に強い視線を向けた。
「つうかお前……、水泳が得意なんじゃなかったっけ?」
「大毅……覚えてないの?」
「ああ……」
そうか……あの“嵐の夜”、溺れた俺を無理して助けてくれたんだな。荒れた川に飛び込む――それは凄まじい勇気を必要としたはずだ。あれだけ得意だった水泳に恐怖心が芽生えてしまっても不思議ではない。
だから――つまりは俺のせいで……。
また――胸のうちからモヤモヤが……。
「たく、分かった分かった。しゃーねぇな。泳ぎ方なら俺が教えてやる。マスターして見返してやろうぜ、あんなどうしようもねぇやつらなんざ」
「……ほんと?」
「ああ、俺に任せろ」
中学のころ、水泳部に所属していたから、泳ぎの腕には覚えがあった。入部したてのころは泳げずにコイツみたいに水に対しての恐怖心があった。それも克服した。中三になったころには、誰にも負けない自信があったものだ。同じ経験があった。だからこそ、俺ならコイツに教えてやれる。
もちろん、あの嵐の夜に助けられたことに情けなさを覚えて猛特訓したのだとは、コイツの前で口にするわけにはいかない。
【くっきり鮮明 ▼ リアルタイム】
予定一日遅れやした。次回は明後日かな?




