爽やかな鉄拳 ▼ ノンシャラン
「「「おはようございまぁすっ!」」」
我が高校、溝川橋高等学校では挨拶運動なる活動がおこなわれている。校門付近に生徒会執行部の面々がズラリとならんで、登校をする生徒たちに挨拶していくのである。
もっとも、元気溌剌な声音で「おはようございます」と言われたところで、定例的な挨拶でしかないために気持ち良くもなんともない。
それに、うちの生徒会役員は歴代の中でも特別に粒ぞろいで容姿のいい生徒ばかりが集まっている。だからモテない人間たちからしてみると目の敵でしかない。なんというか……ただただ……腹が立つわけだ。
とくに――。
「はっはっはっ! おはよう! 木更津くん! とても清澄な気持ちのいい朝だね!」
「――とくにテメェのような爽やか系ハンサム野郎に挨拶されるとなッッッ!!!」
「うわッ!!」
「ちぃ、外したか……」
憎き山内清人め――俺の渾身の力で放った裏拳を容易くかわせるコイツの身体能力が恨めしいぜ。
「なんだ、いきなり裏拳を繰り出すなんて野蛮じゃないか!!」
朝っぱらからハンサム面を見せつけられてイラつかない高校生がいたら教えてもらいたいものだ。
「……いや、そうだな、俺が悪かった。俺が冴えない顔に生まれてこなければこんなことには……」
「まず一番に殴りかかったことを詫びるべきだと思うけどね。それよりどうしたんだ、木更津くん。今日のきみはやけにイラついてるみたいだ」
「昨日からいろいろあって気が立っていてな。幸せそうな奴らを見ていると、片っ端から蹴散らしたくなって仕方がないんだ」
「それは病気だよ、もしくはひがみの最終形態だよ、木更津くん」
先ほどの狼藉など気にもしていないように鷹揚な態度で「ははは」と笑う。
「それにしても毎日こうしてんのか。ご苦労なこったな、広報常任委員長さん」
生徒会執行部に所属している友人、山内清人は広報常任委員長といった役職についている。役務は定期的に広報誌を配布するだけ。つまり不慮の事故により突然姿を消しても困らないポジショニングだ。
「いや、早起きの習慣をつけていればそれほど大変なことでもない。それよりもその子は誰かな? うちの生徒か? 見ない顔だが……」
清人を前にして人見知りな従妹は俺の背にサッと隠れた。目ざとく発見した清人がメタルフレームの眼鏡をグイっと上げる。そしてなにを勘違いしたのか知らないが、厳しい目つきで俺を睨みつけた。
「いいのかい? きみはたしか次席の学年次席と交際しているのだと記憶しているが……。そんなことしてると江本さんからお叱りを受けるぞ、木更津くん」
エモトサン……?
――『別れましょう、大毅』
エモトサン……?
「ふぐぁぁああああああ! なにか良からぬ力が働いて頭が痛いぃいぃいい! あがあがあがががッ!」
「どうした木更津くん! いつにもまして“頭が悪い”のかい!?」
「……ぐう、頭が悪いというのは、いささか失礼なものいいだな……いてて」
失礼なやつだ。否定できないところが特に失礼だ。
「本当にどうしたんだ、調子がおかしいな。“江本さん”という言葉を聞いただけでそこまで動揺するとは……。もしや“江本さん”となにかあったのかい? 昨日まで君と“江本さん”はあんなに仲睦まじかったのに。それよりも今日、“江本さん”はどうしたんだい? どうやら“江本さん”はいないみたいだけど。ここ二三日はいつも“江本さん”と一緒に登校していたじゃないか」
「ぐぬぬぬぬ……」
コイツ、絶対にわざと江本さんという言葉を連発してやがる。友人を疑うつもりはないのだが、この感情は疑心ではなく確信だ。山内清人は見た目、優等生然としているが茶目っ気とエスっ気が強い。陰湿な手口で人をいたぶるのが大好きといった、そういうやつなのだから……。
「いや……なんでもねぇよ……」
言えない、たった三日ぽっちで破局を迎えただなんて、とてもじゃないが言えない。
「本当になんでもねぇ。たんに……俺がどうしようもねぇゴミムシ野郎だっただけの話だ……」
「……やはり、江本さんと何かあったようだな」
ち、勘のいい野郎だぜ。
「……江本さんとなにがあったかはしらないが、気にすることはないさ。君には素敵なところがいっぱいある。純真で向き合っていれば、江本さんにも理解してもらえるはずさ」
「……ふん。学年主席の学力である上に、誰しもが認める端麗な容姿のテメェに励まされたってなにも嬉しかねぇよ」
「いやいや、そうでもない。僕に勝っているところがきみにはある!」
「ふん、参考までに聞いて置いてやろう。どこがお前よりも優れている?」
「きみは頭が悪いから僕にはできないような柔軟な発想と大胆な行動が……」
「あんなッ! それは根暗な人をおとなしい人だと言い換えるような不毛なフォローだッ!」
女子が褒めるところが見つからなかった時に使う、「優しい人だね」くらいに信用ならない。
「つまり能天気で羨ましいといっているのだ!」
「もはやフォローにもなってねぇから! 勉強出来るやつの嫌味だからそれ!」
やはり、俺は――この男のことが大嫌いだ。
「それより――俺と月雲の間にお前が思っているようなやましいことはねぇよ。江本さんと俺は今でも相思相愛だ(反動のでかい大嘘)。それと……コイツは浮気相手とかでは断じてなく、ただの俺の従妹だからな。変な勘ぐりしてんじゃねぇっての」
俺はホラ挨拶しろよと、月雲の背中を軽く小突いた。おじおじと前に出てきた月雲は清人という人間を前にして、えらく用心しているようだった。
「そうか、よろしく。僕はお従兄ちゃんの友人、山内清人と言う不出来な人間だ。困ったことがあれば我々生徒会執行部に相談するといい。ところで、きみの名前はなんていうんだい?」
山内清人――二学年にあがってクラスが別になった、去年まで同じクラスに在籍していた俺の悪しき友人である。
清い人と書いて清人と読むが、先ほど述べたように一切清くない。成績が芳しい上に生徒会に所属しているあたりは(ハンサムである点を除いても)模範となるような優等生に見える。ただし、それは悪辣な性癖を隠すための隠蔽工作にすぎず、実情はクソオタクの象徴といった風な大層汚らわしい人間なのである。
オタクという言葉に悪い印象を抱かない俺だが、コイツのせいで明らかに俺の中にあるオタク像の品格がガクリと下がった。一番の関心ごとはアニメやゲームなどではなくエロゲだ。この男は二次元のエロにしか関心がないのだ。
「……俺の一学年の時のクラスメイトだ、安心しろ、変なやつだが危害はねえよ」
……けどま、清人が興味を抱くのは二次元のキャラクターだけだしな。現実の人間には無関心(恋愛に対しては)なので、月雲に対して危殆な行動はしないはずだ。
そう月雲に耳打ちをすると、彼女は安心したように相好を崩して、細々と口を開いた。
「え……と、今日からこのがっこに通うことになりました……一学年の、その……月雲美露……です……」
「つーわけだ、清人」
「……つーわけです。……よ、よろしくお願いし……ます」
ペコリと頭を下げた月雲が顔をあげると、山内清人は瞳の奥をギラリと鋭く光らせた。「むむむ…………」……なぜか唸っている。そして――
「むっほぉおおおおおおおおおおおおッッ!!!!!!」
高らかに――吠えた……?
「……は? き、清人?」
「月雲くん、いや月雲嬢ッ! いやはや、なんと素晴らしい造形美なんだ! 小動物のようなあどけない挙動にゲームの世界でしかお目にかかれないようなロリ巨乳ッ! 僕は現実の女性に興味を持たないのだが、月雲嬢には二次元的な可愛らしさがあることを認めよう! 驚く事なかれ! 木更津くん! 喜びたまえ! 木更津くん! 僕は生まれて始めてリアルの女に興味を持った。ああ、いとおしき月雲嬢ッ! どうか末長くよろしくッ! さあ早速、生徒会執行部室で子どもを作ろうッ!!!」
気色悪いことを長々とまくし立てたかと思えば、月雲の体を覆うようにぎゅっと抱擁した。
「月雲嬢どうか! どうかこれから先の人生、僕だけの存在でいてくれないか!」
「ひゃ……きゃ……あの……困りま……」
その途端、俺の視界はクラクラとブラックアウトしていき、胸のうちでモヤモヤが募り出した。月雲に抱きついたことに腹が立った――というのかもしれない。
募り出した激情を抑えながら、なんとか気を取り直す。こいつが危ない人間なのは分かりきっていたことではないか。やれやれ――こんなことで一々動じてはいけない。
さてと、強く握りしめた拳を目標のこめかみに狙いを定めて――。
「死にくされッッッ!! このロリコン外道野郎がああああああッッッ!」
俺の裏拳はセクハラするのに夢中になっていた清人にクリーンヒットした。音もなくバタンと倒れる清人。悪人を制裁したあと、少しだけ気持ちが爽やかになった。
いやぁ、挨拶運動というものも意外に悪くないな。爽快、爽快。
ちなみに、生徒会執行部の面々は微動だにしていなかった。何事もなかったかのように「おはようございます」と挨拶を続けている。いわずもがな、日常茶飯事な光景だからである。
「……大毅、あの人、大丈夫?」
「平気だ。んなヤワなやつじゃねえ」
それにしても――コイツが現実女無関心男である清人の心を掴むとは想定外だった。
「……なに? そんなジロジロ見られると、私、興奮する」
「いや、なんでもねぇよ」
やっぱりコイツ、相当な巨乳だったのか……。
次回
第5章 四の5の言うなら同情しやがれ!
「二度の修羅場 ▼ ノーブレス」