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立会場 シカゴ物語  作者: フランク・ノリスの翻訳作品です
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第2章

 

 ローラ・ディアボーンの生まれた町は、マサチューセッツ州ウースター郡のバリントンである。ローラもペイジもそこで生まれた。ペイジがハイスクールに入学するときに父親が亡くなるまで、そこで過ごした。ノースカロライナ州出身の母親は、とっくに亡くなっていた。

 

 ローラは普通の教育を受けなかった。ハイスクール卒業後、父親が四年間家庭教師(ハーバードの神学校卒の苦学生)をつけた。ローラは野心的で、熱心な学生だったから、先生の仕事は勉強を押し付けるというよりむしろ指南役だった。たちまちフランス語の読解力を身につけてしまい、シェークスピアと同じようにラシーヌを原書で学んだ。今は文学に夢中である。テニスンやヴィクトリア朝の詩人の研究に没頭し、すぐにニューイングランドの詩人やエッセイストたちと親しい間柄になった。ローラは当時の小説家たちを、ほとんど完全に、自分から積極的に無視した。たまに、それも妥協して、ハウエルズを読むくらいだった。

 

 ディアボーン自身が小さな製粉所を経営していた頃はそこそこ繁栄していたが、言うほどのお金を残すことはできなかった。ローラと地元の弁護士が店を畳んで、製粉所を処分して、弁護士が「遺産」と大げさに呼んだものに対する債権を清算するためにやってきたときには、ペイジのシカゴ行きの切符代と神学校での授業料を支払う程度のお金しか残らなかった。

 

 ディアボーンが死んでしまうとクレスラー家は、西部に来るようにと姉妹に勧めて、ペイジの就学期間中は自分たちが面倒を見ることを約束した。ローラはすぐに妹を送り出したが、自分の出発は遅らせた。

 

 幸いなことに、二人の姉妹は相続した遺産での生活を強いられることはなかった。ディアボーンには、ウェス叔母さんの双子の妹がいて、ボストンの裕福な毛織物商に嫁いでいた。その人が長年この二人の姉妹の生活費を出してくれた。父親が死んだら二人に渡るようにと巨額のお金が蓄えられ、もう数年分の利子が蓄積されていた。だから、バリントン墓地のステップで二人きりで世間と向かい合ったとき、ローラとペイジには少なくとも自分たちは独立してやっていけるという自信があった。

 

 天井が低く、かつては民兵たちがやかんをぶら下げたことがある大きな暖炉のある頑丈な造りの植民地時代の住居で、ローラは二年間独りでそういうことをひと通り考えた。両親は亡く、ボストンの叔母さえも亡く、親戚はウェス叔母さんしか残っていなかった。ペイジは、シカゴから二時間圏内のジュネーブ湖にある花嫁学校にいた。クレスラー夫妻は孤児となった少女たちの一番大切な友人だった。シカゴに住む未亡人のウェス叔母さんもクレスラー夫人に口添えしてくれた。すべてのことがローラを西に向かわせているようだった。すべてのことが彼女の人生の一つの段階が終わったことを示しているようだった。

 

 そのときローラには野心もあった。頭の中では明確な形をしていなかったが、漠然と、いつかずっと先のことだが、役者、それもシェークスピアのヒロインたちを演じる悲劇の女優になりたいと考えていた。ローラの考えは、野心というより願望に近かったが、マサチューセッツ州バリントンでは実現できるはずがなかった。古い家と、メソジスト監督教会礼拝堂の裏の共同墓地にある墓に別れを告げるのが嫌だったから、ローラは一年の間ぐずぐずと先延ばしした。この間二度ペイジのところへ行った。その都度灰色の大都市がローラに魅惑の魔法をかけた。バリントンに戻るたびに、町はローラの中で評価が下がった。絵のように美しいが、悲しいまでに窮屈だった。生活は味気なく、その厳しさの中に「ニューイングランド精神」が蔓延していた。この精神はローラにとって紛れもないカルトだった。そこではオールドミスが司祭であり、ハイミスが式典の進行役で、崇拝するものは凄まじい醜悪で、儀式は連綿とたゆまなく続く家事にすぎなかった。ローラはそれが嫌いだった。

 

 監督教会員であることと、長老派の牧師に書き記されて暗唱される祈りを聞くより自分の祈りを読みたがることは、異教徒のすたれた儀式……人食いようなもの……と見なされるらしい。家を管理するために女性一人と「雇い人の男性」一人を雇うことにしたとき、まるで何か自分が退廃し衰退した下層階級に堕落したかのような、村中の反発を感じた。

 

 ローラが『メアリー・スチュアート』と『マクベス』のモジェスカを聞きに独りでボストンまで出かけて感激して帰ってきたのを、自分も見習いたいと半分願っていると受け取られたときに、危機が訪れた。長老派の牧師を筆頭とする女性執事団が、理屈をこねて一悶着起こそうと目論見、ローラのもとを訪れた。

 

 彼らはこの訪問の理由を述べるにとどまった。母親から受け継いた南部の精神と気質が、ついにローラの中で燃え上がった。「委員会」のメンバーは何か何だかわからないまま、正門の外の通りで我に返った。互いに顔を見合わせながら狐につままれた様子だった。長年抑圧されてきた感情と長年抑制されていた怒りの凄まじさに、全員が呆然自失となった。本物の物理的な力に似たその凄まじさが彼らを家の外へと押し出したのである。

 

 同じ頃、ローラはベッドに身を投げ、頭からつま先まで全身を震わすほど激しく泣いた。しかし自分が言ったことを少しも悪いとは思わなかった。その月が終らないうちにバリントンに永遠の別れを告げてその後の故郷となるシカゴに旅立った。

 

 ノースサイドで家が購入されて、ウェス叔母さんが二人の姪と一緒に住むことになった。入居の準備期間中、ローラとペイジは、その近所にある小さなファミリーホテルで生活した。間の悪いことに引っ越しで大変な真っ只中に、オーディトリアム・シアターでの観劇会に誘うクレスラー夫妻の招待が降って湧いた。この二人の少女はすでに新居で一夜を過ごしていたが、家具もない部屋でランプの灯りを頼りに、想像を絶するほど大変な思いをしながら身支度を整えなくてはならなかった。このような時に、このような状況で、招待を受け入れる気にさせられるとしたら、ボックス席で聞くイタリア・オペラの魅力しかなかったかもしれない。

 

 オペラの翌朝、ローラはベッドで……家の中にある家具といえばそれくらいしかない……もうじき大変な一日が始まるという憂鬱な気分で目を覚ました。外はまだ雨が降っていて、部屋は寒く、非力な石油ストーブで暖められているだけだった。カーテンがかかるまで閉めざるを得なかった内雨戸の隙間から、雨のシカゴの朝の薄暗い光が差し込んでいた。

 

 何ともやりきれなかった。新居の入居準備ができるまでホテルにいるという最初の決定を守らなかったことを今になって後悔した。ホテル暮らしでちょうどひと月が終わり、もう四週間部屋を借りるよりも、新居に移った方が安上がりで楽だと思いついたのだ。ローラにとっては初めて経験することばかりだった。一週間もすれば、すべてが運び込まれて設置が完了し、滞りなく家事が進むと想像していた。

 

 部屋が寒いものだから肩を抱きかかえるようにしてベッドで上体を起こし、劇場で来たドレスを見た。クローゼットの清掃が済んでいなかったから、前の晩にガスの配管に掛けておいたのだ。朝食用の火を起こしている新たに雇い入れた「娘」の声がキッチンの方から聞こえた。換気弁から「雇い人の男」が使っていなかった炉をいじっていることを示す青い煙の渦が薄っすら立ち上った。部屋そのものは、ひどく散らかっていた。カーペットが敷かれていない床には木箱や梱包用の箱が散乱し、荷造り用の(かんな)屑と粗布とで包装してある椅子が積み重ねられ、片隅には巻いたままのカーペットが立てかけてあり、別の隅にはマットレスが山積みになっていた。

 

 ローラはこの光景を見て、自分の間違いに気がついた。

 

「ああ、どうして、どうして、ここが片付くまで私たちはホテルにいなかったのかしら」とつぶやいた。

 

 隣の部屋でウェス叔母さんの動く気配がした。ペイジの方を向くと、まだ横で枕をして眠っていた。隙間風の対策としてストッキングを首に巻いていた。

 

「ペイジ、ペイジ! 起きなさいよ、あなた。もう遅いのよ。やることがあるんだから」

 

 ペイジはまばたきをしながら目を覚ました。

 

「寒くて凍えちゃうわ、ローラ。石油ストーブに火をつけて、部屋が暖かくなるまで寝てましょうよ。あら、あなたったら眠くないの? 昨夜は素敵だったわよね? どっちが起きてストーブに火をつける? じゃあ、あれで決めましょう。姉さん、横になってよ」ペイジはせがんだ。「冷たい空気が入ってきちゃうでしょ」

 

 ローラは応じた。二人の姉妹は、鼻同士が触れ合うほどくっついて、耳まで布団を上げ、抱き合って少しでも暖かくしていられるようにした。

 

 この馬鹿らしさが面白いのか、姉妹はどちらが起きて石油ストーブに火をつけるかを決めることになりペイジが唱え始めた。

 

「誰にしようかな、神さまの言うとおり……」

 

 しかし唱え終わらないうちに、すでに身支度を済ませたウェス叔母さんがやってきた。二人の少女は口をそろえて、ストーブに火をつけて、と叔母さんに頼んだ。ウェス叔母さんは、その作業を全然大変だと信じていない女性がやすやすと片付るようにやってのけながら言った。

 

「あの()は自分の仕事がわかってないんじゃないかしら。あのコンロに火をつけられないって言うんだもの。ねえ、ローラ、これじゃ支度ができるまで随分かかるわよ。だから私は最初からアパート住まいを勧めたでしょ」

 

「何言ってんの、ウェス叔母さん」ローラは愛想よくに答えた。「そのくらいはこっちでうまくやるわよ。あの調理ストーブのことなら、私、わかってるもの。着替えたらすぐに行って見てみるわ」

 

 曲がりなりにも、朝食が終わるまでに、十時近くになっていた。調理台の上で包丁とフォークを使って食事を済ませた。「それで、まず何から手を付ける?」と言いながら食事の後でペイジは段取りの打ち合わせをした。

 

「ランドリー・コートは今日は働かなくていいんですって……理由も言ってたけど、忘れちゃった……それから手伝いに来るって言ってたわ」とローラが言ったとたんにウェス叔母さんが微笑んだ。ランドリー・コートはどう見てもローラに首ったけで、この新居では誰ひとりその事実から目を背けなかった。ウェス叔母さんはこういうことをとんでもないことだと考え、この話になると、ランドリーのことを「あの子」と言った。

 

 しかしペイジはこの話になるたびに、改まって、頭をあげてつんとした。まあ、それはいいとして、ランドリーは真面目で勤勉な若者であり、切り開くべき前途はまだまだ長く、浪費する時間などはなかった。もしローラが本気でないなのら、彼をこんな宙ぶらりんの状態にしておくのはあまり褒められた話ではないからだ。

 

「私思うんだけど」ローラは叔母さんをまじまじと見て答えるのが常だった。「うちのお嬢さんは、ある働き者の若い男に少しばかり目をつけているのよ」この答えは決まってペイジを刺激した。

 

「ねえ、ローラ」ペイジは目をぱちぱちさせて、呼吸を早めながら叫んだ。「ローラ、そんなんじゃないわよ。私がそういうのを好きじゃないって知っていて、私が怒るとわかってるから、あなたが言ってるだけでしょ。私が誰彼構わず男性を追いかけるとか、相手が好きかそうでないかをあまり気にしないとか、あなたに当てこすりされるいわれはないわ。これでも多少のプライドはあるつもりよ。ランドリー・コートにしたってそうよ。私たちはただの良い友だち以上でも以下でもないわ。私は彼のビジネスの才能や活躍ぶりを評価しているし、彼は単に友人として私を大事にしているだけで、それ以上の関係じゃないわ。確かに『目がいく』わよ! もう見る必要がないくらい、今度はたっぷり見てやるわ」

 

「シェークスピア」を頭に叩き込んであるローラは、いつでも台詞の準備はできていた。

 

「このご婦人はやけにむきになって言ってますな」

 

 朝食が済んだ直後に、ランドリーが現れた。

 

「さてと」ランドリーは大きく息を吐きながらローラに話し始めた。ローラは、ペイジが木箱の奥から取り出して渡してくれるカットガラスや部屋の装飾品の包みを解いていた。「僕はすでにひと仕事済ませたぞ。そのせいで遅くなったんだ。新聞がここに届くように手配したし、ホテルに電話してこちら宛の郵便物がすべてこの住所に届くようにしたし、ガス会社にはガスの栓をひねるように連絡を入れておいからね……」

 

「まあ、ありがとう」ローラは言った。

 

「うん、思いついたんでね。じきに係の者がセットしに来るよ。毎日氷が届くよう注文したし、電話会社にはきみらが電話を設置したがっていることを伝えておいた。そうだ、それと牛乳屋もね……途中で酪農家に立ち寄ったんだ。さて、まず何をしようか?」

 

 ランドリーはコートを脱ぎ、シャツの袖をまくり上げると、家の一階の部屋や廊下でとっ散らかっている木箱や収納箱の中に飛び込んでいった。ランドリーがキッチン・ハンマーを激しく打ち鳴らしながら作業をする音が二人の姉妹に聞こえた。時々、階段越しに声をかけた。

 

「ねえ、この装飾用の植木鉢はどうしたらいいの? この吊りランプはどこへ運ぶんだい、ローラ?」

 

 カットガラスの装飾品の荷解きを完了したローラが階段を下りてきて、ランドリーと一緒に応接間のカーテンを吊るし始めた。

 

 ランドリーは両腕で抱きかかえるようにして、鋭い目つきで窓枠の上段を設置した。

 

 ローラの説明に「わかった、わかった」と答えた。「わかったよ。で、ドライバーと脚立はどこかな? そうだ、それと真鍮の釘がいるな。あと、きみんとこの雇人にまたあの金づちを貸してもらわなくちゃならないな」

 

 コックにドライバーを探させて、(かまど)から雇人を呼び、二階にいるペイジに向かって叫んで真鍮の釘のありかを尋ね、ローラに脚立を支えさせた。

 

「ねえ、ランドリー」ローラが指図した。「この棒を上から三インチくらいのところへお願い」

 

「わかった」ランドリーがよじ登りながら言った。「ネジで印をつけるから、正しい位置を教えてくれ」

 

 ローラは一歩下がって、頭を片側に寄せた。

 

「違うわ、もっと上よ、ランドリー。そう、その辺ね……いや、もうほんのちょっと下……そう。そこよ。じゃあ降りて、フックをつけるのを手伝って」

 

 二人はソファのクッションをいくつかまとめて引き寄せ、並んで床に座った。ローラがひだを寄せたところにランドリーがホックをはめた。必然的にランドリーの手がローラの手に触れ、二人は頭を寄せ合った。ペイジとウェッセルズ夫人は二階の廊下でリネンの荷解きをしていた。コックと雇人はキッチンで調理ストーブと格闘しながら、コンロの蓋や火床をカチャカチャ鳴らして大きな物音を立てた。

 

「うーん」ランドリーは言った。「いい家になりそうだね」機会があれば伝えるつもりだったある言葉を考えていた。それは、ローラの目と、自分を理解する彼女の能力に関するものだった。ローラは僕のことを理解している。僕がそう考えていることや、それが僕にとって非常に重要であることをわかってくれるはずだ。ランドリーは恋愛の流れをこんな風に考えていた。ゆうべは、あの口達者なアーティストがずっとローラを独占していたようだ。今度は自分の番だ。今日のような家事や家庭内がちょっとごたついているときの方が、イブニングドレスやオペラのボックス席の華やかで改まったときよりも、ランドリーには断然願ってもないチャンスに見えた。今朝の自分とローラの関係は、いい感じで、仲睦まじく、月並ではなく、チャンスが一杯に見えた。ローラがこれほど美しく見えたことはなかった。長袖のピンクのフランネルのゆったりした服を着て、無造作にねじって大雑把に束ねた髪が、頬や耳に巻きついて、美しく乱れていた。「昨夜は会えずじまいだったね」ランドリーは不平を言った。

 

「まあ、会おうともしなかったくせに」

 

「ああ、他の奴が頑張ってたからね」ランドリーは続けた。「ねえ、ここに落ち着いたら、どれくらいの頻度で会わせてくれるのかな? 週に二回……三回かな?」

 

「その程度でしか会いたくないのね。ああ、ランドリー、私、オールドミスになっちゃうわ。あなたはオールドミスのところへ通って時間を無駄にしてはいられないわよ」

 

 ランドリーは弁舌をふるった。自分は若い女性にはうんざりしている。若い女性はダンスの相手にはちょうどいい。しかし男性はそういうことが楽しい年齢を通り過ぎてしまうと、話の通じる相手が欲しくなるのだ。そう、自分はそんな状態だ。話の通じる人がいい。せめて五分きみと話がしたい……

 

「本当、ランドリー?」まるで相手が信じられないことでも話したかのように、ローラは尋ねた。

 

 ランドリーは本当のことだと誓った。目を閉じて、拳で手のひらを叩いた。

 

「私みたいなオールドミスを?」ローラは繰り返した。

 

「オールドミスなんかじゃない」ランドリーは声を張り上げた。「だって、きみは僕をわかってくれてるみたいだし。きみの目を見ると、まっすぐ目の中を……」

 

 玄関からコックが、竈用石炭の最終便が来たと報告にきて、ローラに伝票を渡して署名をさせた。そのせいでローラはコックと一緒に調理ストーブが最終的にきちんと調整されたかを確認に行かねばならなくなった。ローラがいない間にガス会社の男がメーターを作動させに立ち寄ったので、ランドリーはその対応をさせられるはめになった。ランドリーとローラが客間のクッションの上で改めて落ち着けるようになるまで、三十分かかった。

 

「やることが山ほどあるわね」ローラは言った。「助かったわ、ランドリー。来てくれて本当にありがとう」

 

「きみのためなら何だってするさ、ローラ」ランドリーは相手の言葉に励まされて叫んだ。「何だってね。僕のことならわかってるだろ。だからってきみに僕を好きになってくれっていうんじゃない……それだけでも大変だけど……どうしてもきみと一緒にいたいし、きみの手伝いをしたいし、それだけなんだ。とりあえず、これ全部だ」ランドリーは散らかった家財道具に向けて手を振った。「今日中に全部だ……僕は感じるんだ」ものすごく真剣に言った。「きみの人生に入りかけているような感じがする。きみ横に座って、このカーテンフックをつけるだけで、僕が感動していることをきみに知ってほしいんだ。そう、それで感動しちゃうんだ、天にも昇る心地だよ。美人ですてきな女性との交際が男をどんな気持ちにさせるものなのか、きみにはわかるまい」

 

「ランドリー、まるで私がそうであるかのような言い草ね。ほら、ここにもう一つホックをつけて」

 

 ローラは折り目をランドリーのほうに向けた。しかし二人の指が触れ合ったところでランドリーはローラの手をとり、それを唇のところにまで持ち上げてキスをした。ローラは手を引っ込めず、相手を叱らず、その代わりにまるで全然別のことで頭が一杯であるかように、叫んだ。

 

「ランドリーったら、気をつけて、私の指に穴が空いちゃうでしょ。ああ……やっちゃった」

 

 ランドリーは同情と自責の念に駆られ、ローラの手のひらを上に向けて傷を探した。

 

「うっ!」ローラは息をついた。「痛っ」

 

「ど、どこ?」ランドリーは叫んだ。「ああ、ひどいことしちゃったね、面目ない」 ローラは指ではなく手首のある箇所を指し示した。そこにランドリーはごく自然に再びキスをした。

 

「馬鹿なことしないでよ!」ローラは諌めた。「どういうつもりよ! まるで私がまだ年端もいかない……」

 

「きみはそんなに年をくってないし、どうせいつか僕と結婚するんだから」ランドリーはぬけぬけと言った。

 

「馬鹿もいい加減にしてよ、ランドリー!」ローラは言い返した。「まだ私の手を離さないの?」

 

「ああ、離さない」ランドリーはローラの指を握りしめながら叫んだ。「僕のものだからね。僕が言うまで……いや、きみが……いつか……それを永久に……好むと好まざるとにかかわらず……僕にくれると言うまで、きみのものじゃない」

 

「まるで本気で言ってる口ぶりね」ローラはこのささやかな状況を長引かせながら言った。この純真で繊細な青年を本気で惚れ込ませるのはとてもいい気分だった。指を上げるとか、ただ瞼を震わすだけで、相手を翻弄してしまうのはとてもいい気分だった。

 

「本気だよ! 本気だってば!」ランドリーは声を張り上げた。「僕がどんなに本気なのかきみにはわからないのかい。どうしてだい、ローラ、どうしてなんだい……どうしてさ、僕は他には何も考えられないんだよ」

 

「あなたが!」ローラはからかった。「私が本気にするとでも。今年、他に何人の女の子にそう言ったのよ?」

 

 ランドリーは唇を噛み締めた。

 

「ミス・ディアボーン、きみは僕を侮辱する気かい」

 

「あら、私が!」叫ぶなりローラはとうとう手を引っこめた。

 

「今だってきみは僕をからかっている。つれないな。ああ、ほんと、つれないったらないな」

 

「私はまだあなたの質問に答えてなかったわね」 ローラは言った。

 

「何の質問だい?」

 

「私たちが落ち着いたら、あなたが私に会いに来るっていうやつよ。てっきり知りたいんだと思ってたわ」

 

「お昼はどうするの?」ペイジがドアのところから声をかけた。「もう十二時過ぎたんだけどわかってる?」

 

「コックが何か用意したわよ」ローラは言った。「私が言いつけておいたから。でも、お昼といってもただのありあわせよ……コーヒーと切り落としの肉。今日はいらないって思ったんだもの。みんなでキッチンで食べなきゃだめよ」

 

「じゃ、食事にしようか」ランドリーは言った。「カーテンはそれから片付けよう。実は腹ぺこだったんだ」

 

「ありあわせ」の昼食が終わるまでに一時を回っていた。このころにはもう、みんなはへとへとだった。ウェス叔母さんは、もう一分も立っていられないと音を上げて、自分の部屋に引きあげてしまった。疲れを知らないペイジは、ぐずぐずしていたらいつまでたっても片付かないと言い放つと、自分のトランクの荷解きを始めて、衣類の整理に取り掛かった。理由は定かではないが、家族が豚と呼んでいる愛犬のフォックステリアが、木箱に入って午後の中頃にやってきた。家の寒さに震えが止まらず、調理用ストーブの陰から離れなかった。そこで暖はたっぷり取れたが、頭をうなだれ、目をだらんとさせ、あまりの混乱ぶりと大勢の新しい顔に困惑してしまい、居心地悪そうにずっとぶるぶる震えていた。

 

 外は悪天候が続いた。雨は縁石近くの草地に積もった雪に執拗に降り注いで溶かし、泥濘(ぬかるみ)に変えた。空は鉛のような灰色で、木々は鉄や針金の作り物のように葉がなく黒ずみ、絶え間ず雨水をしたたらせた。家の軒下や装飾材の隙間に群がるスズメはひっそり巣に身を潜め、時折かすかな鳴き声をあげ、体がまん丸になるほど羽根を膨らませた。馬も御者も雨合羽をつけている引っ越し用の荷馬車が、時々通りを行き来した。

 

 閑静な一角だ。通りには人の声一つ聞こえない。しかし時折、遠くの川かレイクフロントの方角から、汽船やタグボートの汽笛のかすかな音が聞こえた。歩道は、どちらを向いても人の気配がない。水の滴る雨具の外側に星章を留め、雨が小川のように流れ落ちるヘルメットをかぶった警官が一人、街角に立ち、下水道に流れ込む側溝の茶色の奔流をじっと見つめていた。

 

 ランドリーとローラは家の奥の書斎にいた。小さな部屋は二つの壁が本棚で占められていた。二人は本を並べるのに忙しかった。ローラは脚立の中程に立って、ランドリーが渡す本を次々に受け取っていた。

 

「ランドリー、本を丁寧に拭いてる?」ローラは尋ねた。

 

 ランドリーは古いシーツから切り取った布を手に持ち、ローラに渡す前に一冊ずつ本の埃をこすりとった。

 

「ああ、とても丁寧にやってるよ」ランドリーは保証した。「あれ」ランドリーは付け加えた。「現代小説はどこにあるんだい? スコット、ディケンズ、サッカレーはもちろん、エリオットはあるんだけど……ほら、ここにあるのはホーソンとポーだ。でもオリバー・ウェンデル・ホームズ以降の作品に出くわさないな」

 

 ローラは顎を上げた。「現代小説は……全然ないわ。『ジェーン・エア』はまだ読んでないし、『アイヴァンホー』も『ニューカム家の人々』も一度読んだだけだよ」

 

 ローラは自分の好みはあくまで保守的なものであることを強調して、古典と言えない小説をほとんど認めようとしなかった。スティーブンソンでさえ、ローラにかかったら疑わしいのだ。

 

「おや、これは『難破船』だ」ランドリーはそう言ってローラに手渡した。「僕は去年の夏休みにウォーケシャで読んだよ。頭のてっぺんを奪われそうになった」

 

「読もうとはしたんだけど」ローラは答えた。「突飛な話よね。恋愛の話は出て来ないし、品がないし、赤裸々だし、それにありえないわよ。私は興味を持てなかったわ」

 

 しかし、突然ランドリーが大声を上げた。

 

「じゃ、これは何って呼んだらいい? ウィーダの『ワンダ』だ。これのどこがモダンなんだい?」

 

 ローラは髪まで赤くして、ランドリーから本を奪い取った。

 

「ペイジが持ち込んだのよ。ペイジのだわ」

 

 しかしローラは狼狽を隠しきれず、ランドリーは大声であざけった。

 

「まあ、そのときに読んだけどね」ローラは突然突っかかるように言った。「別に恥じちゃいないわ。ええ、隅から隅まで読みました。小さな頃から本を読んで泣いたことがなかったみたいに泣けたわ。好きなように言えばいいわよ。すてきなんだから……すてきな物語なのよ……気高くて身勝手ではない人たちの話よ。目に余る点もあるけど、読むと元気になると思うわ。『難破船』とは大違いよ」

 

「ふーん」ランドリーは答えた。「僕にはそういうことはよくわからない。コーセルの領域だな。あいつは文学のことなら何だって教えてくれるぞ。僕はあいつの話を何時間も聞いたんだ。これからの小説は恋愛話の出て来ない小説になるって言ってたよ」

 

 しかしローラは信じられないといった顔をして首をかしげた。

 

「そんなのは私が死んだずっと後のことでしょうね……それがせめてもの慰めだわ」ローラは言った。

 

「とにかくコーセルときたらおかしなことばかり考えているな」ランドリーはそのまま本を渡す作業をしながら話を続けた。「あいつはいい奴だよ。僕は好きだな。だけど、みんなが好きな特定のものを悪く言ったり、誰も聞いたことがないような本や絵や劇を持ち上げて、利口だとか見る目があるという評判を得ているような奴だからね。何でもいいから一度流行らせればいい。そうすれば、シェルドン・コーセルは震えずにそれを語れなくなるんだ。でも、あいつはアーチャー・アベニューの質屋に行って、調子のいいロシア系ユダヤ人が処分した古い真鍮のシチュー鍋やコーヒーポットを掘り出してきて、それをアトリエに飾って、定期的にお辞儀をして、僕も聞いたことがある『アメリカの産業美術の退廃』を語るからな。ただそいうふりをしてるだけだろうがね。ああいうのは、ただの見せかけだよ」

 

 しかしそんな話をしている間にも本棚はどんどん埋まっていき、今度はローラが言った。

 

「もういいわ ランドリー。ここはすべて片付いたわ」

 

 ローラは踏み段を降りる準備に入った。棚の上段を埋めるために脚立の一番上の段まで登っていたのだ。

 

「気をつけてね」ランドリーが前に出ながら言った。「手を貸しなよ」

 

 ローラは手を差し出した。それから降りる間、ランドリーは相手を支えるように、ずうずうしくウエストを抱えた。事前に考えていたわけではなかったので自分の大胆さに驚いた。気づいたときには腕が回っていた。しかし不安を感じるだけの余裕はあった。ローラはこれをどう受け止めるだろう? やりすぎてしまっただろうか? 

 

 しかしローラは気づいてさえいないようだ。無事に床に降りることに全神経が集中しているらしい。床に降りると、スカートを揺らした。

 

「こっちは」ローラは言った。「片付いたわ。見て、埃まみれよ」

 

 半開きのドアをノックする音がした。コックだ。

 

「夕食は何にしましょうか、ミス・ディアボーン?」コックは尋ねた。「家には何もありませんが」

 

「あら、そうなの」ローラは突然のことで頭が真っ白になった。「夕食のことまで考えてなかったわ。何もないの?」

 

「卵とコーヒーだけです」コックは、まるですべて自分の知ったことではないと言わんばかりに他人事のような顔をしていた。ローラは私がやると言ってコックを追い払った。

 

「外で何かを買って来ないといけないわね」ローラは言った。「みんなで行きましょう。家ん中にいるのもうんざりしてきたし」

 

「いや、僕にもっといい方法がある」ランドリーは言った。「きみたちを食事に招待しよう。アメリカで一番おいしいステーキが食べられる店を知っているんだ。雨はやんだよ。ほら」ランドリーは窓を指した。

 

「でもね、ランドリー、私たちみんな汚れていてみっともないわ」

 

「今から出かけようよ、すぐそこだから。どうせ誰もいやしないよ。のんびりできるさ。さあ、大丈夫だって」ランドリーは言い切った。「僕に任せてよ」

 

「ペイジとウェス叔母さんが何て言うか聞いてみるわ。もちろん、ウェス叔母さんにも来てもらわないとね」

 

「もちろんだよ」ランドリーは言った。「叔母さんが来られないんじゃ誘おうなんて考えないさ」

 

 少ししてから二人の姉妹とウェッセルズ夫人とランドリーは家を出た。しかし通りの反対側に渡って乗り物に乗る前に、ローラは客間のカーテンの具合を外から確かめたいと言った。

 

「丁度いい距離で束ねてあるわね」ローラは言った。しかしランドリーは家そのものを観察していた。

 

「この辺りで一番かっこいい家だよ」ランドリーは答えた。

 

 確かに、その家にある種の魅力がないわけではない。家はヒューロン・ストリートとノースステート・ストリートが交差している角地にある。真向かいにはセント・ジェームス教会があり、その家はかつて牧師館として使われていた。現に、その目的で建てられたものだった。建築様式は遠目には教会風であり、ドアと窓の一部にゴシック様式を思わせるものがあった。建材は重厚で、壁は厚く、基礎はしっかりしている。家屋は敷地全体を占拠しているわけではない。 もとの建築主は、ただ建物が広いということよりも庭のスペースを優先させたようで、定番の「裏庭」があるだけでなく芝地が三つの面で家屋に接していた。そのおかげで、ここには何だか他とは違う印象と高級感があった。南側の壁には(つる)植物が生い茂り、夏は玄関前の花壇にフクシア、ゼラニウム、パンジーが咲き誇った。縁石のそばの芝生には木が二本あった。その場所全体に特徴があって、個性的で、とても家庭的な雰囲気で、近所の他の地域にまで幅広く普及した黄色いミシガン石灰岩造りの家屋がどこまでも続く街並みに、心地よい安心感を与えた。

 

「ここが気に入ったわ」ローラは力強く言った。「これならシカゴで見たどの家にも負けないわよ」

 

「まあ、そんなにぴかぴかじゃないけどね」ペイジは言った。「これなら私たちが成金や見栄っ張りの類でないことが伝わるわ」

 

 しかしウェス叔母さんはまだ納得していなかった。

 

「あなたならわかるでしょうけど、ローラ」叔母さんは言った。「あの竈一つで、どうやってあの家全体を暖めるつもりなの? 私にはわからないわ」

 

 彼らの乗り物というか、シカゴ風に車両を三つ連結したものがやって来た。ランドリーはみんなを街まで案内した。ローラは道中ずっと窓から外を眺め続け、今後の人生や通りのことあれこれ考えていた。

 

「どうせぼろを出すわよ」ペイジは言った。「田舎者だってことがみんなにばれちゃうのよ」

 

「だってそうだもの」ローラは言い返した。「でも、ただの 『田舎』とマサチューセッツは違うし、それを恥ずかしいとは思わないわ」

 

 シカゴという灰色の大都市は、どんなときでも、どんな状況でも、ローラに関心を抱かせた。自分がこの街を好きだという自信はまだなかったが、この汚い街並と、立派な住宅街の真ん中に時々癌の増殖のように広がっている貧民街の言語に絶する見苦しさは許せなかった。ビジネス街のあらゆる景色を閉ざす真っ暗闇はローラを暗い気分にさせ、あちこち動くたびにリネンや手袋を汚す煤はいつも悩みの種だった。

 

 しかしここの生活はものすごかった。周囲、四方八方、あらゆるところで、社会という巨大な機械が、夜明けから日が暮れるまで、そして日が暮れてから夜が明けまで、騒音や轟音を響かせた。車両がビジネス街の奥へと運ぼうとする今でさえ、その音を聞くことができ、その様子を見ることができ、その動きの振動を全身で感じることができた。ステート・ストリートの橋を渡るときに、支柱の間に一瞬見えた黒々とした川の水が、タグボートや、湖の蒸気船、シボイガンやマキナックから来る木材運搬船、ダルースからの穀物船、細かい煤を空気に撒き散らす石炭船、農産物を満載した帆船、大型船の舳先や水かきを巧みにかわす汚い漕船などで見えなくなった。かと思えば、どちらを向いても、地平線を遮るように、赤色でブロブディグナグの文字が書かれた巨大な穀物倉庫がそびえていた。

 

 川の北側の橋を渡る直前に、ローラは大きな鉄道の終点を垣間見た。その下に、まっすぐに整然と平行四辺形をなす操車場が姿を現した。言葉では言い表せないほど複雑な灰色の鉄道網がここから始まってどこまでも広がっている。ポイント、信号機、信号塔があちこちにあった。貨物や乗客を乗せた十数台の車両が、出発の合図を待って息を吐くように蒸気を出していた。切り離された機関車が、受け持つ列車を求めて車庫や転車台を行き来し、重たい貨車をポイントに押し込み、衝撃音や甲高い音を立てて行き交い、警鐘がけたたましく宙に鳴り響いた。ひさし帽をかぶった男たちが、腕や赤い旗を振りながら声を枯らして叫んだ。飼葉袋の餌を食べている大きな斑の馬がひく大型荷馬車(ドレイ)が、貨車の開いたドアに背を向けて立ち、荷物を受領していた。列車が轟音を立てて出発した。商品……国民の活力……をローラが聞いたこともない地域に運びながら、真夜中には北西部を走り抜けて遥か彼方にいるのだろう。別の列車が、疲れ果てた様子で、エアブレーキを鳴らしながら、到着して停止した。旅行客やビジネスマンを洪水のように放出し、大陸の隅々から商品……活性剤……を運んできた。

 

 あるいはサウスウォーター・ストリートでは。……本物の騎兵隊の兵舎を思わせる止めどもない馬の列の間に曲がりくねった道だけを残して、配送のワゴンと物売り馬車の群れが路肩へと戻った。無数の木箱や籠、箱、袋に入った、食料品、市場向け農産物、蔬菜(そさい)、果物のせいで、歩道は足の踏み場がなかった。捨てられたキャベツの葉、ぶよぶよのオレンジ、腐ったビートの芽で、側溝はあふれかえっている。植物の強烈な匂いが立ち込めた。食糧の上に食糧が重ねられ、貯蔵庫や倉庫にはち切れんほど詰め込まれ、公道の泥で泥まみれだった。荷台から、樽の上から、道端から、ひっきりなしにつまみ食いをするものだから大型荷馬車の馬は満腹だった。この地域全体に、十万本分の畝の溝の豊穣の臭いがした。豊かな大地と、大地そのものの溢れんほどの豊かさが、この地域のアスファルトと石畳へと移動した。ここは都市の口である。四方八方から、広大な領域を越えて、供給過剰な自然の恵みが、まるで食欲旺盛な胃袋に入るように、計り知れない巨人の筋肉の糧となり、細胞に栄養を与えるために、吸い込まれた。

 

 突然、そのすべての意味と重要性がローラに明かされた。競合者を寄せ付けないこの灰色の大都市は、旧世界の多くの王国よりも広大な地域を支配下に置いた。その領土を越える数千マイルに渡って、その影響力は感じられた。ウィスコンシン州北部にある森林地帯の雪で閉ざされた太陽の届かない辺境では、この都市のエネルギーに刺激されて、斧や鋸が樹齢百年の木々の皮を噛んだ。同じように、遥か南方では、この都市の絶大な権力に動かされて、つるはしや掘削機が無煙炭の鉱脈を襲った。その力は、千マイル彼方のアイオワやカンザスでも、収穫機や種まき機の車輪を回した。都市の力は、スーサントマリーに押し寄せる無数の湖水汽船のスクリューとプロペラを回転させた。この都市のために、この都市が原因で、中央部と北西部全州の交通と産業が盛んになった。製材所は甲高い音を上げ、工場は煙で空を黒く染め、轟音と炎を上げ、車輪は回り、ピストンはシリンダーの中で跳ね、歯車は歯車を掴み、ベルトは巨大な回転盤のドラムを握り、溶鉱炉の転炉は溶けた鉄の荒い息を曇った空気の中に吐き出した。

 

 ここは帝国で、湖と草原からなるこの中央の全世界を無抵抗で従えている。ここは、この大地の真ん中で、国の心臓が脈打っている。当然のことながらここで計り知れない力と、無限で底知れぬ無尽蔵の活力が発生した。このすべての都市で、真の生命が……アメリカの真の力と精神が躍動した。巨大で、若気の至りの未熟さで、敵対する者をさげすんだ。 健全で、健康で、壮健である。野望は留まるところを知らず、その巨大な力の新たに見出された知識は傲慢で、富を浪費し、欲望は果てしなかった。その能力は無限であり、その勇気は挫けることがなく、一代で荒野を征服し、大惨事を物ともせず、業火をくぐり抜け、灰と化した瓦礫の街から、突然、新たなものすごい巨体を起こしつつあった。

 

 目がくらみ、耳を聞こえなくしながらも、ローラは辛抱強く観察した。

 

「ここには何か恐ろしいものがある」ローラは半ば自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。「感覚がないものよ。ある意味で、人間らしくないもの。大津波のようなものだわ。当人がうまくいっているうちはいいけど、ひとたび転落すると、なんとも恐ろしい速さでその者を押しつぶし、瞬く間に破滅させてしまう、しかも恐ろしいほど冷淡によ! 作っている最中の文明だわ。まるで元素……始まりに近すぎるあまり、見られると想定していないものよ、創世記の第一節ってとこかしら」

 

 そのイメージは長くローラの中に残った。ささやかな夕食の楽しささえも、それを完全に消し去ることはできなかった。少し怖かった……この都会の生活のどでかい残酷な仕組みと、それにいどむことができ、それを征服する男たちが怖かった。彼らが一瞬ある意味で都市そのものよりも恐ろしい存在に思えた……自分のために闘いや仕事で潰れることが怖くも何ともない人たち。自分の目的のためにそれを征服できる者がいたら、そういう連中の方がもっと恐ろしく、もっと無慈悲で、もっと残忍に違いないのではないだろうか? ローラは少しすくんだ。結局、女に男の生活の何がわかるのだろう? ランドリーでさえ、あんなに金回りがよく、若くて、血気盛んで、見た目は無邪気そうなのに。……彼が優秀なビジネスマンとして語られていることをローラは知っていた。そのランドリーにも裏の顔がある。彼は金融街の戦いに興奮した。少年のような外見の下には、しぶとい粗暴さ、男の非情さ、矢面に立って攻撃の衝撃に耐えてしまう無感覚なところがあった。

 

 ああ、この街の男たちについて、男の生き方について、妻や母親や娘や姉妹の知らないところで……男が毎日九時から夕方まで過ごす別の生活について、果たして女に何がわかるのだろう? それは女には関係のない生活だった。そこに立ち入ったところで女にはもはや息子も夫も、父親も兄弟も見分けがつかないだろう。朝食や夕食の席にいる、心の澄んだ、清潔な手をした、温厚な態度の人とは別人なのだ。その別人とは、誰で、何者なのだろう? ビジネス街の闇と埃の中で、金融街の戦いは繰り広げられた。その中で男は変貌を遂げた。鍛えられ、どこまでも自分本位になり、絶対に慈悲を求めないし、何も与えなくなった。攻撃のつかみ合いや格闘でもみくちゃにされ、格下の仲間や煮え切らない同盟者に出し抜かれながらも、男は征服に向かって足を踏み出し、前進と後退を永遠に繰り返す軍隊の行進に紛れ込んだ。情け容赦のない攻撃の中では、足もとに倒れた敵を打ちのめし、同じく情け容赦のない反撃では、前日の援軍といえど蹂躙し、安全なところへ慌てて逃げ出すときは、常に残酷、常に身勝手、常に薄情に徹した。

 

 こういう人たちとコーセルのような人たちを比較せずにはいられない。コーセルにとってビジネス街は未踏の地であり、手も足も汚さず彼がそんな戦いに近づこうとしなかったことをローラは思い出した。コーセルは、芸術に囲まれた落ち着いた静かな雰囲気の中で、美しい心を静める穏やかなものを礼賛しながら、のどかな生活を送った。絵を描き、本を読み、少しずつ自分の美しいステンドグラスを発展させていた。女性は彼のような相手なら知ることができ、彼となら心を通わせることができるかもしれない。そして彼なら、女性の生活に完全に入り込んで、助けたり、元気づけることができるかもしれない。ビジネスマンの生活とアーティストの生活、ローラはどちらを選ぶだろう? 

 

 そのとき突然、ローラは意外なことに気がついた。所詮、自分は田舎娘である。自分の体には新世界と格闘した人々の血が流れている。確かに、コーセルの人生は美しかった。ぼんやりと色づいた窓はすてきであり、色がほどよく調和し、東洋情緒があって、唐草模様の暗い部屋の魅力は強烈だった。すべてがしっくりくることに疑いの余地はなかった。時にはいつの間にか見惚れてしまうこともあった。気を楽にし、五感を解放し、美が浸透する環境で生活することは楽しいことだった。しかし、ローラの中の女性部分が振り向く男性は、その部屋の主ではなかった。金融街の戦いは恐ろしいが、それが戦いである。強者と勇者だけがあえて戦いに挑むのかもしれない。ローラの想像力と共感を呼ぶ者は、やり方や言い方が柔らかく、音や色や形のある優美なものを精巧に作る、洗練された、感性の豊かな、突飛な行動をとる芸術家などではなく、女性が知らない、知り得ない戦士だった。屈強で、厳しく、武具をまとい、ラッパの鳴り響く中で奮闘し、戦闘の矢面に立ち、ひときわ目立ち、手強くて、憤然と周囲に戦いを挑み、隊長たちの絶叫の中で勇者のように勝ち誇る者だった。

 

 みんなはテーブルに長居しなかった。引き払う準備ができたときには、五時半を回っていた。しかし通りに出てみると、またしても天候が急変していることがわかった。大雪が降っていた。湖から吹き付ける厳しい風がまたもや街を切り裂いた。ぬかるみや溶けかかった雪が凍りつき、街灯や電信柱の北側はすべて氷で覆われていた。

 

 さらに困ったことに、ノースステート・ストリートは通行止めだった。ワシントン・ストリートの端まで来ると、数平方メートル先で混雑が始まったのが見えた。

 

「これじゃどうしようもないな」ランドリーは言った。「迂回してクラーク・ストリートに出るしかない……となると、この時間じゃ、ずっと立ちっぱなしでいなきゃならないかもしれないな」

 

 一行はしばらく街角でぐずぐずしていた。そこは商店街の真ん中だった。すぐそばには、古い「鉄の正面」様式で建てられたでかい繊維問屋があって、舗道から見上げんばかりだった。何百もの窓から、素材と生地、室内装飾と織物の世界が、万華鏡のように、多数の照明の凄まじい光を浴びてきらきらするのが見えた。各通りの入口から、ほとんどが女性である「買物客」の一団が押し寄せてきた。この店は金持ちの常連客相手の店なので……服装はおしゃれだった。その大勢がひとまず防風ドアの敷居に立ち、アザラシの毛皮の襟を立て、両手をマフに入れて、自分の馬車を探していた。

 

 その中の一人が、ふとローラの姿を見つけ、その方向にマフを振り、小走りに近づいた。それはクレスラー夫人だった。

 

「ローラ、この人混みの中であなたに会えるなんて! 会えて嬉しいわ!」 夫人はローラの頬にキスをして、みんなに握手をして回り、姉妹の新しい家について、何か欲しいものはないか、何か手伝えることはないか、と尋ねた。それから話を中断して、ローラの腕に手袋をのせた。

 

「あなたにちょっと話したいことがあるのよ」

 

 夫人は口をつぐんでローラから離れ、意味ありげな視線を送って相手を見すえた。

 

「私に? 私に話ですか?」

 

「これからどちらへ行くの?」

 

「帰るんですけど、通行止めなんですよ。方策を考えなくちゃならな……」

 

「馬鹿らしい! あなたもペイジもウェッセルズ夫人も、みんなうちに来て一緒にお食事よ」

 

「でも、食事はもう済みました」全員が口を揃えて叫んだ。

 

 ペイジは事情を説明したが、クレスラー夫人は引き下がるつもりはなかった。

 

「馬車ならあるわよ」夫人は言った。「チャーリーには声をかける必要はないわ。あの人はシンシナティからのお客さまを迎えてカルメット・クラブで食事をするつもりだから」

 

 二人の姉妹とウェッセルズ夫人がクレスラー夫人の馬車に乗ることで決着がついた。ランドリーは辞退した。彼はサウスサイドのミシガン・アベニューに住んでおり、今日はもう十分一緒にいたからと言い残して別れた。

 

 しかし、クレスラー夫人がローラに伝えねばならないことが何であれ、本人の耳だけに入れようとしていたのは明らかだった。ディアボーン家に到着すると夫人は使用人を遣いに出して、家族の者は今夜帰らないと家政婦の「娘」に伝言した。クレスラー夫妻は同じ通りのすぐ近くに住んでいて、ディアボーン家まで歩いて十分とかからなかった。二人の姉妹と叔母は、朝食を済ませてからすぐに帰ることになった。

 

 一緒にみんなが家まで来るとクレスラー夫人は、帰り道が寒かったから、書斎で温かい紅茶とサンドイッチを食べましょうと言った。しかしクレスラー夫人が食事を済ませるとすぐに、疲れていた他のメンバーは寝ると言った。

 

「折角だけど、キャリー」ウェス叔母さんは言った。「私はお茶どころじゃないわ。背骨が折れそうだから、ベッドに直行させてもらうわね」

 

 クレスラー夫人はみんなを部屋に案内した。ペイジとウェッセルズ夫人は一緒に寝ることにした。ドアが閉まると、少女は胸の内を明かした。

 

「ローラは一晩中こんな風に家を空けても平気なんだわ。何もわかってない使用人の二人以外には家の面倒をみる者がいないのに。朝になってどういうことになっていようが知ったことじゃないみたいね。どうなったって知らないから」彼女はきっぱりと言った。あのランドリー・コートめ! あの人は助けになるどころか、邪魔者だわ。だって見たでしょ! まるで我が物顔で駆けつけて、すべてを引っ掻き回し、物をなくし、間違った場所に入れ、あれもこれも忘れて、終いにはローラと一緒に座り込んでいちゃいちゃする始末だもの。まさかこんなことになるとは思わなかったわ。最初はコーセル、次はランドリー、そして次はどなたか別の人が来るんでしょうけど。ローラにはいつもまいるわ。立派に成長した大の大人の女性があんな風にいちゃいちゃして、出会った男性みんなに、自分は地上の特別な存在だと思い込ませてるんだから。見てらんないわ。ランドリーもよ……今私たちはのんびりだらだらしている場合じゃないって知らないみたいね。ひっぱたいてやろうかしら。人生を真剣に考えて、何かを成し遂げようとする男の姿なら見たいけど、人生の最良の時期を、自分の祖母ほど年を食っていて、しかも何の足しにもならないような女性を追いかけて浪費したりする男なんて御免だわ」

 

 クレスラー夫人がドアをノックしたとき、ローラは家の正面側の部屋で多少服を脱いだ状態だった。夫人は花柄のシルクの部屋着を着て、髪を「見えないネット」で包んでいた。

 

「部屋着を持ってきたわよ」夫人は言った。夫人はそれをベッドの足側に掛けると、ローラを見ながらベッドに腰をおろした。ローラは化粧ダンスのガラスの前に立ち、頭を胸の上に折り曲げて、両手で忙しそうに後ろ髪の手入れをしていた。時折、ヘアピンを手近な銀のトレーに置くときに、カチンと音がした。そして、顎を上げて、頭を振り動かした。丸くまとめなかった大きな三つ編みがウエストにたれた。

 

「お嬢さんたら、何てきれいな髪なのかしら」クレスラー夫人はつぶやいた。夫人は被後見人と長話をするために腰を据えた。話すことはたくさんあったが、丸々一晩あるので、余裕があった。

 

 二人の女性の間で、必ずしも答えを求めない当たり障りのない話や目についたままのやり取りがあってゆっくりと会話が始まった……話が続かなくてもいいただの取っ掛かりだった。

 

「聞いた話だと」クレスラー夫人は言った、「あのグレトリーのお嬢さんは毎晩寝る前にタバコを十本吸うそうよ。あなた、グレトリーさんのことは知ってるわよね……いつぞやの晩オペラでご一緒した」

 

 ローラは無下にせずはっきりしない言葉をつぶやいた。頭を傾け、長い豊かな髪の房に、ゆっくり丁寧にブラシをかけた。クレスラー夫人はその様子を暖かく見守った。

 

「どうして新しい髪型にしないの、ローラ」夫人は言った。「もっと首の方にたらしたら? 今はみんなそうしているわよ」

 

 家中が静まり返っていた。二重窓の外で、凍った雪の割れる音がかすかに聞こえた。廊下で暖房器具が一瞬耳障りな音をたてて沈黙し、また静まり返った。

 

「ここは何てきれいな部屋なんでしょう」とローラは言った。「客間もこんな感じに……白と金が映える感じに……しようと思うんです。私の髪ですか? さあ、どうなんでしょう。そういうふうにすると襟のホックに引っかかるし、それに頭が平べったく見えるんじゃないかと心配なんです」

 

 沈黙が訪れた。ローラは両手を素早く規則的に動かして長い髪を編み、肩に乗せて頭をひとひねりし、落ち着くところへ落ち着かせた。スカートを脱ぎ捨てると、クレスラー夫人が部屋着を渡し、洋服ダンスから赤いサテンのキルティングのスリッパを出してくれた。

 

 暖炉ではみんなが二階に上がる直前に点けられた火が盛んに燃えていた。ローラは肘掛け椅子を引いて暖炉の前に座り、頬杖をついた。クレスラー夫人はベッドの上で体を伸ばし、腕枕をした。

 

「ねえ、ローラ」ようやく夫人は口を開いた。「あなたにどうしても知らせたいことがあるのよ。あなたは射止めちゃったのよ」

 

「私がですか!」ローラは周囲を見回しながらつぶやいた。夫人がコーセルを念頭に置いていることをすぐに察したが、驚いたふりをした。

 

「ジャドウィンさんよ……オペラで会ったでしょ」

 

 ローラは只々驚いて、きちんと座り直して目を丸くした。

 

「ジャドウィンさん!」ローラは叫んだ。「だって、私たち、五分と話してないわ。それに、ほとんど知らない方ですし。昨夜会ったばかりなんですけど」

 

 しかし夫人は目をつぶり、口を閉ざしながら、首を横に振った。

 

「そんなことは関係ないわ、ローラ。男が女にまいったら、私にはわかるのよ。いい、あなたなら簡単に彼を手に入れられるわ」夫人は指を鳴らした。

 

「きっと思い違いですわ、クレスラーさん」

 

「それはないわね。これでもカーティス・ジャドウィンとは十五年来の付き合いなんだから……誰よりもよく知ってるわ。チャーリーと私とは昔っから家族も同然なのよ。一冊の本にするくらい知ってるわ。その私が、彼はあなたに恋をしているって言うのよ」

 

「でも、本人がそう言ったわけじゃないでしょ」もしそうだったら、本気で怒ってやろうと心に誓い、ローラは叫んだ。しかしクレスラー夫人は急いでローラを安心させた。

 

「そりゃ、言わなかったわ。ゆうべ、帰り道ずっと……彼が私たちと一緒に帰ったのは知ってるわよね……彼ったらあなたの話ばかりだったのよ。そして他の話題になったとたんに興味をなくしちゃうんだから。あなたのことを根掘り葉掘り知りたがったわ……ねえ、男性がどんな話し方をするかあなた知ってるでしょ」夫人は声を大きくした。「それにね、知り合ったどの女性よりもあなたには分別も知性もあるって言ったんだから」

 

「あら、そう」まるでそんなことはどうでもいいと言うかのように、ローラは吐き捨てるように答えた。

 

「あなたはとても美しいんですって。これほど美しい女性は見た覚えがないんですって」

 

 ローラは手で頬を隠すようにしてそっぽを向いた。すぐには答えなかったが、やがてこう言った。

 

「その方は……ジャドウィンさんて……結婚したことがあるんですか?」

 

「ないわよ。独身よ、しかもお金持ちのね! 私たちくらいなら売り買いできちゃう人よ。ねえ、ローラ、私が早とちりしてるなんて思わないでね。これでも私は、男性がきれいな顔と巧みな話術に参ったからって、それだけで結婚に踏み切らないことくらい知っている世慣れた女性なんだと自負しているわ。カーティス・ジャドウィンはあなたについていろいろ言ったけどね、彼が言ったことよりも、言わなかったことの方が重要なのよ。私にはわかるんだから。彼は必死に考えていたわよ。射止められちゃったのよ、ローラ。私にはわかるの。今朝もあなたの話をしたってチャーリーが言ってたんだから。チャーリーには時々うんざりさせられるのよね」夫人は関係のなさそうな話を付け加えた。

 

「チャーリーが?」ローラは繰り返した。

 

「私がジャドウィンのことを話したわけよ。彼があなたに夢中みたいだって。そしたら笑い飛ばしたのよ」

 

「それじゃ、その話を信じなかったのね」

 

「いえ、信じたわよ……この件について真剣に話すように仕向けたらね。そして、帰りの馬車の中でジャドウィンさんがどんなふうに話していたかを思い出させたらね」

 

 ローラは膝を曲げるようにして座り、足をいたわりながら火をのぞき込んでいた。しばらくは、どちらも口を開かなかった。真鍮と黒い大理石の小さな時計が、とてもかわいらしい音で九時三十分を告げ始めた。クレスラー夫人は言った。

 

「あのシェルドン・コーセルは、とても好感の持てる青年よね?」

 

「ええ」ローラはよく考えて答えた。「感じがいい人です」

 

「それに才能もある」クレスラー夫人は続けた。「でもどういうわけか、彼は多くのものを持っているという印象を私には与えてくれないのよ」

 

「さあ」ローラはそっけなくつぶやいた。「わかりませんけど」

 

「思うんだけど」クレスラー夫人は見限るような口調で続けた。「彼は『あなた』のことしか考えてないわよね?」

 

 ローラは答えずに肩をすくめた。

 

「チャーリーはああいうのを我慢できないのよ」クレスラー夫人は言った。「面白いわよね、それって男性が持つ偏見じゃないかしら? チャーリーはいつも彼のことを、まるで高尚なガラス職人扱いして話しているわ。カーティス・ジャドウィンは彼を気に入っているみたいだけど……あなたは彼のことをどう思っているの、ローラ……ジャドウィンさんのことだけど?」

 

「わからないわ」ローラはぼんやりと火を見つめながら答えた。「強い人だと思いました……精神的にね、それに彼は親切で……それから……寛大な人だと思いました。何となくですけど」ローラは考え込むように言った。「最初は女性が好きになるタイプの人だとは思いませんでした……でもその場でわかるものじゃないし。私にしたって相手をろくに見てなかったわけですから。女性受けする男性という印象は受けなかったわ」

 

「それに越したことはないのよ」相手が言った。「誰が女性受けする男性と結婚したがるかしら? 私はごめんよ。シェルドン・コーセルはそれよね。ローラ、ひとつ言っておくわ。あなたが私と同じくらいの歳になったら、なるほどと納得するわよ。女性じゃなくてね、男性が好きになるタイプの男性が、最高の夫になれる男性なのよ」

 

 ローラは頷いた。

 

「そうですね」と気のない返事をした。「その通りだと思います」

 

「あなたは、ジャドウィンが親切で寛大な男性だと感じたと言ったわよね。まさにその通りの人よ、慈悲深いんだから! 彼はウェストサイドで日曜学校を開いているのよ。子供向けのミッションスクールよ。自分の仕事よりもそっちの方に興味があるんじゃないかしら。そこをシカゴで一番大きな日曜学校にしたいのよ。それが彼の野望なの。ただの善人面した人だとは思わないでほしいわ。違うんだから。ローラ」夫人は声を大にした。「彼は立派な人よ。あなたに彼を好きになってほしいからって、彼を持ち上げたんじゃないのよ。でも誰も知らないわ……いい……チャーリーと私以上にカーティス・ジャドウィンのことを知る者はいないわ。それに私たちはとにかく彼のことが『大好き』なのよ。あれほど親切で、心の広い人はいないわ……そうね、あなただって自分でわかるわ。そのうちにね。うちの教会でも献金の皿を回してるわ」

 

「ドクター・ウェンデルの教会で?」ローラは尋ねた。

 

「そうよ……第二長老派」

 

「私は監督教会よ」相変わらず考え込むように火を見つめながらローラは言った。

 

「わかってるわ、わかってる。でも、ジャドウィンは清教徒っぽくないわよ。それにもう会ってるでしょ、ローラ、わかってほしいわ。ジェイはね……チャーリーと私はジャドウィンのことをそう呼んでいるんだけどね……ジェイは先日、日曜学校の子供たちが怪我をしたり病気になったときのために、子供病院の病棟を援助しようと私たちに話してくれたのよ。彼の学校には八百人近い少年少女がいるんだけど、そのうちの誰かが怪我をしたり病気になったりしたという話を聞かない週はないのよ。それで彼が子供病院で一病棟運営して、子供たちの面倒をみられるようにしたがっているわけなのよ。他の人たちにも関心をもってほしいと言ってるわ。募金活動を始めたがっているのよ。今後の六か月で集まった金額を二倍にすると言ってるわ……つまりね、二千ドル集まれば四千ドルにするっていうのよ、わかる? チャーリーと私とグレトリー夫妻はアマチュアの劇を始めるつもりでいるの……慈善事業よ……そしてできるだけ多くのお金を集めるわ。ジェイはそれを名案だと思ってる……ここが肝心なんだけど……私たちは馬車で帰る途中、その話をしてたのよ。そしてジェイがミス・ディアボーンは参加してくれないだろうかって言ったのよ。私たちとしては、あなたに加わってほしいの。あなたはそういうことをするのがとても上手でしょ。返事は今夜でなくていいのよ。一晩ぐっすりお休みなさい。ジェイったらあなたに参加してもらいたくてたまらないのよ」

 

「ぜひやりたいわ」ローラは答えた。「でも様子を見ないとね……落ち着くまで時間がかかるし、うちみたいな大きな家になるとやることがたくさんあるから、時間がとれないかもしれないわ。いずれお知らせします」

 

 クレスラー夫人は、提案されている劇について詳しく説明した。ランドリー・コートが参加することになっていた。夫人はシェルドン・コーセルにも一役買ってもらおうとローラに協力を求めた。ペイジはすでに協力を約束していたらしい。その話をするのを聞いたことがあったのをローラは今思い出した。しかし、この計画はまだあまり形になっていなかったため、あまり議論にならず、必然的に話は振り出しに戻った。

 

「でも」ローラは、クレスラー夫人が「ジェイ」の才能とビジネス手腕を指摘したことを受けて言った。「観劇会の話をうかがうまで、私はこの方の話を聞いたことがなかったんですよ。彼については何も知らないんです」

 

 しかしクレスラー夫人はすぐに情報を提供した。カーティス・ジャドウィンは三十五歳くらいの男で、ポケットに小銭もない状態で人生を始めた。出身はミシガン州。家族は農家で、丈夫で正直者という以外に何の取り柄もなく、畑を耕し種をまいて生計を立てていた。貸馬車屋の番人と商売をすることになったのがきっかけでグランドラピッズのハイスクールを卒業するのをあきらめたので、初等教育しか受けていなかった。やがて、その事業を買い取って、自分で経営するようになった。お金を貸していたシカゴのある人が、債務不履行に陥り、ワバッシュ・アベニューの土地数区画を明け渡した。それがシカゴに来るきっかけとなった。都市が成長するにつれて自然にモンロー・ストリートに近かったワバッシュ・アベニューの土地は値上がりした。その土地を売って別の不動産を買い、それを売ってはまた別の土地を買う、ということを繰り返して、市内で最高の商業用地を数か所所有するようになった。地代だけで年間何千ドルを稼ぐシカゴでも有数の大地主だった。しかしもう売買をすることはなかった。地所があまりにも大きくなりすぎてしまい、その管理だけで時間の大半をとられたからだ。ルッカリー・ストリートに事務所を構えた。商品取引所のビルに近いこともあってのことか、時々ちょっとした小麦の取引をするのが趣味になっていた。基本的には投機取引に否定的だったが、チャーリーのようには、投機取引に対して確固たる基本方針を持ってはいなかった。あくまでほどほどで、時々小さな勝負に出ることがあった。どういうわけか、彼は一度も結婚しなかった。もちろん、恋愛の一つや二つはあったが、真剣なものはなかった。どうもいい相手に巡り会わないようだった。彼は、二十一丁目の角にほど近いミシガン・ストリートにある、地下にダイニングルームのあるようなずっと昔からある冴えない黄色い石灰岩造りの家に住んでいた。叔母が彼に代わって家を守り、姪や甥が入り浸っていた。いつも出入りする人が大勢いた。そうやって彼を食い物にする連中ばかりだった。ジャドウィンがそんなみんなの面倒をみた。その数は知れない。だらしない女、気の利かない奴、図体ばかりでかくてからっきしの連中が、コロンをぷんぷんさせて、召使いとよろしくやっていた。そんな連中と替えが利く女とが、互いの部屋で見つけたものをめぐって、いつもいがみ合っていた。

 

 夜がふけてきた。ようやくクレスラー夫人が腰を上げた。

 

「あらまあ、ローラ、もうこんな時間だわ。あなたは眠たくてたまらないはずなのに、私ったら引き止めちゃったわね」

 

 クレスラー夫人はドアのところで一言言って立ち去った。

 

「劇に出られるように何とか頑張ってね。あなたを加えるってジェイに約束させられちゃったのよ」

 

「まあ、できると思います」ローラは答えた。「でも、うちの方が新たにどうおさまるのか、まずは見てみないと……家のことですけど」

 

 クレスラー夫人がいなくなると、ローラはすぐにベッドに入った。しかし、ガスを消した後で火に「覆い」をかぶせなかったことを思い出した。これはバリントンでずっと続けていた生活習慣だった。改めてガスの火はつけなかったが、炉火の明かりを頼りに、火床の上にシャベル一杯分の灰をまいた。しかし、こうする間に、ローラはしばらくそこにひざまずき、目を見開いてその光を見つめながら、この二十四時間の出来事に思いを巡らせていた。言うだけ言ってやるだけやって、結局、シカゴで、帝国が織りなす衝突と恐怖よりも、戦いの雷鳴の響きよりも、甘い音楽の音曲や合唱よりも、もっとすごいものを見つけたのだ。

 

 最初は、静かで、説得力があり、雄弁なシェルドン・コーセル。次が、元気いっぱいで、羽振りがよく、子供じみたところがあるランドリー・コート。今度は思いがけない……そう、新しい要素が現れた……このもう一人、この苦労人、事業家、円熟した、経験豊富な、ローラに馴染みがなかった人物だ。本音を言うと、魅力的で、どきどきしていた。人生がこれほど楽しく思えたことはなかった。ローラは恋の予感がした。目に見えないが、触れることもできないが、ロマンスが自分を中心に始まった。そして、知りうるすべてのものの中でローラにとって一番大切な愛が、望んだわけでもないのにローラのところへやってきた

 

 灰色の大都会に抱いた最初の嫌悪感は急速に消えかかっていた。ローラは今それをもっと優しい気持ちで見ていた。

 

「私は」火の前でひざまずいたまま、一心に、ぼんやりと、石炭の奥深くまで覗き込みながら最後に言った。「ここでとても幸せになりそうね」

 


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