04
リィイイン、ゴォオオオオオンッ!
リィイイン、ゴォオオオオオンッ!
島に響き渡る婚姻の鐘の音は、恋に敗れた網元の娘ヒメナにとって地獄の鐘の音のようでした。
(きっと、今頃はフィオリーナとクリス様が皆に祝福されて夫婦の誓いを立てているはずだわ。何故、クリス様は何食わない顔で私を結婚式に招待したのかしら?)
クリスとヒメナが恋仲であることは、一部の島の若者の間で知られているのみで、大人達の中には話すら聞いていない者もいました。ヒメナが結婚式を欠席した理由も、女神様のお告げの花嫁がヒメナだったからだと殆どの者が思い、実際の交際相手だったからだとは思わなかったようです。
理由はどうであれ、今日という日がヒメナにとって居心地の悪いものであることだけは確かでした。
「はぁはぁ……これだけ歩けば、大丈夫。結婚式の鐘の音も殆ど聴こえないし、今日は誰にも会わないで済むわ。あぁ疲れた……どうせなら婚約解消した私のことを、この島の外に追放してくれたら良かったのに」
歩くというより走るようなスピードで、結婚式場から遠く離れて、離れて……。気がつけばヒメナは、女神が祀られている丘の古い神殿の前までやって来ていました。
女神信仰から離れようとしている人が増えているせいか、花が絶えなかったなはずの祭壇は少し荒れているようでした。壁画の前の食べ物のお供物は鳥に食い散らかされ、美しかったであろう花は既に枯れて数日経っている様子。
「酷い有り様ね。大陸との貿易ルートが拓けてからというもの、人々の中には女神様の存在すら信じない人も増えたわ。網元の立場にあるお父様ですら、今はそうなりつつある。どうせ、時間を潰さないといけないし、今日はここを片付けましょう。女神様の為にもね」
せめて自分だけでも女神信仰を続けようと、ヒメナは祭壇を掃除し始めました。目立つ壁画の前を中心に、ほうきで紙屑や埃をどけて綺麗にしていきます。古くなった花を新しいものに生け替えて、パパイヤや椰子の実を飾るとかつての祭壇のように輝きを取り戻しました。すると、女神のチカラが回復したのか、何処からともなく優しい女性の声が聴こえてきます。
『誰ですか、私の祭壇を掃除してくれたのは?』
「私です女神様、網元の娘ヒメナです」
『網元の娘ヒメナ? おかしいですね、今日は貴女の結婚式のはずです。式は、夫のクリスはどうしてしまったのですか』
島民の信仰が低くなったせいか、女神の中にあった島の様子を把握する神通力が減ってしまったようです。予言通り今日はヒメナとクリスの結婚式は行われていると勘違いしている女神に、詳しく事情を説明します。
『そうだったのですか、島民は私のお告げよりも自分達の意思を優先したと。けれど、貴女とクリスは確か両想いだったはず。お告げが全て人間にとって押し付けがましいものというわけではなかったはずです』
「女神様……人間という生き物は、心変わりするものなんです。きっとクリス様は、幼い頃の恩人というだけの私よりも、大人になってから恋愛感情が沸いたフィオリーナさんのことを選んだんだわ。私がそれを責めることも私との婚姻を無理強いすることも出来ない。彼が選んだ道だから……」
胸にかけた女神のメダイユをそっと握り、ヒメナは心が穏やかになる祈りを捧げました。全ての祈りが終わったのち、女神はその姿を光となって現しヒメナの頭を優しく撫でました。
『ヒメナ、貴女が自分の中でクリスとの恋に折り合いがついているのなら、それも人生なのでしょう。しかし、フィオリーナという娘。今はまだ清純な少女ですが、彼女の中には大陸の魔女の血が眠っている。良からぬことにならなければ良いのですが』
「私はずっと二人を見続けながら、この島で生きるだけでも苦痛です。彼女が魔女でもそうでなくとも……どうせならこの楽園から追放されたかった」
『今のこの島は島民にとっての楽園、おいそれと追放されることはないでしょう。今世ではその運命に身を委ねなさい……』
気がつけばヒメナの前にいたはずの女神の光は、既に消えています。そしてヒメナの心にあったわだかまりも、いつの間にか消えているのでした。
(そろそろこの丘を下りないといけない時刻だわ。島民は宴でいないだろうし、今日は大人しく家に帰ろう)
元通りに清掃された神殿の丘の上から見える景色は相変わらず美しく、ペリメーラ島は何も変わらなく進むように見えていました。けれど、人が心変わりするのと同じように、この島そのものも確実に変わろうとしていたのです。




