ヒロインの真実が重い
「おいっ! 起きろ! ミラ・オーキッド!!」
べちべち頬を容赦なく叩かれている。痛みに呻きながら、まぶたを開ける。
頭が鈍く痛み、回らない。
眼鏡がない。
けれど、必死にあたりを見回す。
どうやら大きなベッドに寝かされているらしい。
大窓からもう夕日が差し込んでいた。
いつの間にか傾いた陽光は、時間の経過とゆったりした室内を教える。
年代物のソファーセットにローテーブル、あとはベットのみ。
どこか閑散として落ち着かない。
この質素な内装は、贅を凝らしたあの学院、王族専用サロンではなさそうだ。
薄暗い中、アルヴィンがベッドに腰掛け、腕を組み、無言でミラを見下ろしている。
なんだかその姿に反射で苛立ち、今までのことを思い出す。
アルヴィンに睡眠薬入り激渋紅茶をのまされたことを。
「なんでこんなことしたんですか?」
ミラは重い体を引きずりながら起き上がり、手だけでおとずさる。未だに手足にしっかり力が入らない。
「貴様が欲しい。ただそれだけだ」
「へっ?!」
直球の告白のような言葉に、肘がカクンとなる。
それにしても人生初の告白がこの人か。
「勘違いするな。貴様のようなちんちくりんを本気でほしいとは思っていない」
「ありがとうございます。その通りですね!」
初めてアルヴィンと話が通じた。ミラは大いにほっとした。
「だが……貴様は今日これから俺様のものにする。既成事実があればノアも潔く貴様を諦めるからな」
「いやいや! アルヴィン殿下! しっかりしてください!」
もはや言っている意味がわからない。先程の唯一まともだった頃に戻ってくれ。
両手を突き出し、ミラは必死に訴える。
「俺様はいつでも最善を選ぶよう、そう教育を受けてきた。王位に就くために……」
「左様ですか……」
とにかくなぜ今王位が関係するのか。己の貞操は全く関係ないだろう。
わかることは、王家の教育の大敗北だ。
ポカンをしたミラに、アルヴィンは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「貴様は建国神話を知っているか?」
「はい。人が争いあった末に滅びに向かうしかないこの地を憐れんだ女神様が降臨され、恵みを与え、後に王家の母になったというお話ですよね? 現王族は女神の子孫だと考えられているとか」
「まあ上出来だな。その女神のもつ髪と瞳の色が『尊き色』として、今も神の血が混ざった証だと王族に受け継がれている」
「尊き……色?」
この世界の勉強のために、幼い頃建国神話についての資料を読みあさった。
だが、そんな記述を見つけたことはない。
アルヴィンは仕方がないな、と云わんばかりに肩を竦めた。
「それについては、王家と降嫁先となる公爵家、侯爵家の当主のみに、口伝で受け継いでいるからな。男爵家で間違えて育てられた貴様が知る機会はなかっただろう」
「……そうですね」
ひっかかる物言いに、嫌な予感が止まらない。
「その『尊き色』が誕生次第、必ず王家に引き渡すのは、なぜかわかるか?」
「え?」
「王にするためだ。産まれた順番も性別も関係なく、その色を持つだけで王になれる」
思わず言葉を失ったミラ。
「『尊き色』を持つ王を冠した時代は盛える、という伝承がある。諸国の民と心を通わせ、荒れ果てた土地を統一した女神の力を発揮するためらしいな……」
アルヴィンは得意気に補足をするが、ミラはもう続きを聞きたくない。
「もうわかっただろう?」
「……ハハ」
乾いた笑いでごまかしたが、アルヴィンには通用しなかった。
ミラをひたり捉える蒼い瞳は凪いでいる。
「貴様の白銀髪とアメトリンの瞳の組み合わせが『尊き色』だ」
ひゅ、と喉が短く鳴る。
言い終わったアルヴィンは、ミラの両手首を片手でやすやすとひとまとめに掴みあげる。
引き剥がそうにも無骨な指はびくともしない。
恐怖に顔をひくつかせると、アルヴィンがすうっと表情を消した。
何も感じていないかのように、冷たい表情だ。
「王位に就くには、時には自らを偽ることも必要だ。……なあ、女王よ?」
周囲の温度が一気に下がったような気がした。
温度のない瞳で見下ろすアルヴィンに、そのままベッドに押し倒される。
「殿下……っ」
覆い被さったアルヴィンは、ミラの頬を力任せに掴む。
ぎりぎりと指を食い込ませながら、アルヴィンはぐっと顔を近づける。
「お前の瞳は……『本物』だ。ノアにはない色、ない輝き。俺に足りなかったのは――お前だ」
アルヴィンはミラのアメトリンの瞳にうっとりと目を細め、陶酔したように漏らす。
ふたりは、張りつめた沈黙の中で、数拍だけ視線を絡ませた。
だが、その瞳に宿るものは、あまりにも違う。
ミラは怯えに目を見開いているのに。
アルヴィンの眼差しはただミラを射抜く。
「ああ……やっと……これでノアに勝てる」
アルヴィンはそっとミラの頬を撫で、屈託なく微笑む。
まるで何かを求めているようだった視線は、どこか虚ろだ。
(私を……見ていない?)
静かに、しかし確実に、ミラの背筋をひたすら冷やしていく。
⸺『気色悪い瞳! 化け物!』
耳奥にフール夫人の金切り声が炸裂する。
世界がぐにゃりと歪む。
歯がガチガチと音を立てる。
すぐにアルヴィンに覆いかぶせられ、スカートの裾を弄られる。
大きなその手は、いたぶるように太ももを円を描くようにずっとさすっている。
そのねちっこさに、体は震え始める。
「あ? 傷かよ。見苦しいが我慢してやる」
必死で顔を背けたミラの前髪が乱れ、右眉の下の傷が顕になっていた。
アルヴィンが顔をしかめ、吐き捨てた。
全然違う。
この瞳は“希望”で、ノアは傷も可愛いって言ってくれたのに。
醜い傷も、逃げることしかできない弱い自分も、ノアはいつも宝物のように、愛おしむ。
(あんたなんが優しくて完璧なノア様に勝てるわけない! )
考える前に体が動いていた。
ミラはありったけの力を込め、アルヴィンの額に思い切り頭を突き出した。
ゴチンッ!!
鈍く、硬い音が室内に響く。
自分の額も割れそうなほど痛いが、構っていられない。
「ぐあぁっ!? 鼻、がっ……!」
アルヴィンが鼻を押さえ、無様にのけぞる。指の間から赤いものが滲む。
体の下から抜け出そうと、不意をつき、膝で股間を狙う。
(セルゲイさんが潰してもイイって言ってたもん!! )
護身術を習った際、騎士とセルゲイに何度も教えられた。とてもきれいな笑顔で。
「あなたなんかがノア様に絶対に勝てない!! ノア様はこんな卑怯なことしない!!」
「なんだと、この!! 大人しくしろ!!」
容赦のない膝蹴りが、的確に急所を捉えた。
「がっ……ぅ、き、さまぁぁ!!」
悶絶し、顔を真っ赤にしてうずくまるアルヴィン。
だが、すぐに殺意に満ちた目でミラを睨み、拳を振り上げる。
「……!」
振り下ろされる拳に、ミラはぎゅっと目を閉じる。
なぜかエルンストの言葉も思い出す。
助けてほしい、と言ってほしかったと。
意地を張った自分。
その自分の傷ついた姿に胸を痛めてくれるひとがいた。
絶対にもう繰り返さないと決めたのだ。
これからは、なりふり構わず助けを求める、と。
強張る喉で、喘ぐように息を吸う。
「助けて! ノア様!!」




