異変
放課後、ノアはミラのクラスの前で、口元を隠し、深呼吸を大きく1回した。
この吸った息も、ミラも同じく吸っていると思えば、勇気が湧く。
「え! ノアくん今さら緊張してんの?!」
ミラの呼気に思いを馳せていたのにリオンの声で邪魔され、ノアは忌々しく舌打ちした。
「黙れ。1回は断られる前提でも、するものはする」
「断られる前提なの? もうドレスも宝飾品も完璧にミラちゃん用に揃えてるくせに?」
「当然だ。奥ゆかしいミラの性格なら断る!」
ノアはあと1週間に迫った舞踏会にミラを誘いにきたのだ。
もちろん、ミラのために特注のドレスと宝飾品はもう公爵邸に届いている。
ノアの色を使用したドレスであり、チョーカーとアンクレットもしかり。
公爵家の財とノアの執着を余すことなく詰め込んだ。
ラスフィ公爵家総出で舞踏会準備にあたるため、作戦会議を重ねに重ねた。化粧から髪型まで当日の準備も抜かりない。
そのため、あとはミラ本人だけ、という状態だ。
リオンがこてりとあざとく首を傾げる。
「ミラちゃん意外とぽやぽやしてるから、舞踏会のパートナーくらいなら受けてくれそうだけど……」
「黙れ小僧! お前にミラの何がわかる?!」
「ノアくん……しずまり給え。挙動不審が過ぎるよ」
「グっ……」
大袈裟なため息を吐いたリオンの指摘に、ノアは胸を押さえる。
「ほら、さっさと誘ってよ。僕をダシにする気なんでしょ?」
ノアの慰めるように背中をぽんぽん叩くリオンは、ニヤリと笑う。
「まあな。お前を見に行くといえばミラは絶対にくる」
「うーん。ここまで他力本願だといっそ清々しいよ」
リオンはすでにメリッサに誘われ、一緒に舞踏会にいく。
サポキャがモテているのは至極納得いかない。だが、ノアはそれを利用することにした。
自称リオンの人生応援隊であるミラなら、必ず食いつく。
舞踏会にどうしても出場したいのだ。ミラと。
(舞踏会に一緒に出れば、俺と深い仲だと、周りが勝手に誤解してくれるしな)
ミラにたかる虫をこれで一掃できる。
正直、もうミラはノアから逃れないのだが、それとこれとは別である。
⸺ミラを大切にしたい、笑顔にさせたい。
いつだってノアの大前提だ。
これまでミラを守るためあらゆる手段を講じてきた。
己がミラの心を傷つけたり、軽んじるなんてあってはならない。
だからこそ、ミラがノアを選んでくれるまで待つ。
なので手っ取り早く、ノア以外いないようにすれば良い。
知らずに口端がふっと持ち上がる。
「ぎゃ! 何その顔! 完全に犯罪者!」
リオンがノアの顔を指差し、目を大きく見開く。
ノアが無言で見下ろすと、あわわと口元を押さえだした。
「せめて否定してよ! ミラちゃんのためにもさ!」
「…………犯罪はおかさない」
「犯罪は、ね……」
ミラのためにも真実を答えたのだが、リオンがすーっと視線を逸らした。
なんの想像をしたかしらないが、ノアがミラを傷つけるはずないだろう。
脳裏にミラの顔が浮かび、不思議と勇気が沸く。
ノアの色を纏うドレス姿を想像したのだ。はにかむ表情まで解像度高く、最高に可愛かった。
ノアはミラとの未来のために、やっと足を踏み出した。
「ほら、行くぞ!」
「は、え? ノアくんの情緒どうなってるの?」
「あ?」
横を向いたノアは、飛び出してきた女生徒とぶつかりそうになるも、身をよじり回避した。
女生徒は廊下でつんのめり、転びそうになるも踏ん張ると、勢い良く振り向いた。
「す、すみません! え?! ラスフィ公子?!」
女生徒は、ミラの友人のアナだった。
ノアとわかった途端、彼女の顔色がさっと変わる。
ぶつかりそうになったからではない反応だ。
「ほら! やっぱり自らいらっしゃるわよ!」
アナの後を追うように、シエラが息をきらしやって来た。
普段と違うアナとシエラの様子に、ノアは即座に聞いた。
「ミラはどうした?」
真っ先にシエラが答える。
「ダラン伯爵令息にラスフィ公爵家からの使いが来たと呼び出されました」
「いまだに帰ってこないんです!」と、アナが同時に言う。
その場で硬直したノアにアナとシエラが畳みかけるように説明する。
「その人様子もおかしいから、クラスメイトが一応ミラちゃんの後を追ったんです。それから王族専用階に入ってしまったので、入り口で待っていたんですが⸺」
ノアは彼女らの言葉を待たず、身を翻す。
「ノアくん?!」
「リオン! ついてこい!」
ノアは廊下を走って、特別棟4階の王族専用階へ向かった。
途中、ひどく取り乱したコーリッシュ男爵家令息より、ミラが王族専用階から出て来ない報告を受ける。
ノアは怒鳴り散らしたい衝動をぐっと拳を握りしめて堪えながら、ラスフィ公爵家へ連絡するよう命令した。
王族専用階の階段を登りきったノアは忌々しげに叫んだ。
「くそ! やっぱりあの人か!」
王族専用サロンに常駐するはずの騎士の姿が見えない。サロンの扉の前には、誰もいなかった。
遅れて、息せききったリオンが扉に手をつき、誰? と目で問いかける。
「……ミラを攫ったのはアルヴィン兄さんしかいない」
「は?」
「ダラン伯爵令息はあの人の側近だ。それに、ここには護衛もいない。……人払いをしたんだろ」
「…………」
リオンの表情が強張り、そっと扉から手を退ける。
ノアは、リオンの頷きを見やり、ドアノブに手をかけた。
「ミラ!!」
だが、ノアの焦燥は空を切る。
開け放った扉の先には、静寂が広がっていた。
広いサロンの中には、誰もいない。
「……嘘だろ」
わずかでもミラの痕跡を見つけようと隈なく目を走らせる。
立ち尽くすノアを追い越し、リオンがサロンに駆け込んだ。
「ミラちゃんいない! なんで?!」
キョロキョロと忙しなく首を巡らすリオンがなにかを見つけたように声を上げた。
「ノアくん! ソファーに飲みかけのカップ!」
テーブルを指差すリオンにつられて、のろのろと顔を向けると。
手付かずの紅茶のカップともう一つ。
空のカップが置いてあった。
わずかな手がかりに過ぎない。
けれど、ノアは藁にもすがる思いで足を向ける。
「お茶になにかを入れたのか?」
ノアは直ぐさま膝をつき、残った紅茶のカップに鼻を近づけ、眉を寄せる。
濁った紅茶は冷めきっている。時間の経過しかわからない。
「……うーん。なんかこの状況みたことある……思い出せない……」
リオンがこめかみを押さえ、腕を組んでいる。
リオンを横目にノアはカップをそっとソーサーに戻す。
立ち上がり、ソファー横へ放置されたワゴンに載るポットの蓋を開ける。
些細な手がかかりも、逃してなるものか。
いったいどこにミラを攫ったのか。
アルヴィンがミラを殺すことはありない。
アルヴィンの望むものこそ、ミラがいなければ手に入れられない。
⸺それでも、ミラを傷つけない保証なんてない。
途端、視界が真っ赤に塗り潰される。
ぐっと奥歯を噛みしめる。
すると、リオンがぽん、と両手を叩く。
「……これって」
一瞬、リオンが言葉を探す。
それから、さらりと爆弾発言を落とした。
「ノアくんが僕を誘拐するイベントだ」




