不気味な殿下
地獄のダンス練習はアルヴィン乱入以降、場所を空き教室に変更することになった。
それにより、もうかの方との接点はなくなったはずだった。なのに。
「ようこそ。待ちくたびれたぞ、ミラ・オーキッド」
アルヴィンが聞いたことない優しい口調で微笑みかけてきた。
朗らかに微笑みかけられただけなのに、心臓が変な音を刻む。
緊張、恐怖、よくわからない感情に、体はこわばる。
「お待たせし、大変申し訳ございません」
なんとか口にして、頭を下げる。
「よい。気にするな」
アルヴィンはふっと目を細める。
すると、アルヴィンはミラをエスコートするように手を差し出した。
その手をとるかミラが迷った数秒のうちに、腕を掴まれてしまう。
腕を掴んだままアルヴィンはソファーに向かって歩きだしてしまった。
「す、すみません。殿下にふれるなんておそれ多くて……」
背中しかみえないアルヴィンは何を考えているのかわからない。
王族の腕を振り払って逃げ出すこともできず、ただ後を追うことしかできない。
(なんで? ……)
煌びやかなサロン内に素早く視線を走らせたが、ノアの姿はない。あの男子生徒の姿もだ。
目の前で自分の腕をつかむアルヴィンだけ。
(ここに2人きり……)
足を止めたアルヴィンに促され、おずおずと2人がけソファーに腰掛ける。
「失礼いたします」
「ああ、楽にしてくれ」
アルヴィンは優雅に一人がけソファに腰掛け、上品な微笑みを浮かべている。
だが、粘着質な眼差しを、ミラの顔ではなく、「眼鏡の奥」に向けている気がする。
全身が警報を鳴らす。危険だ、と。
(あとすっごく不気味……優しい殿下なんて)
冷たい汗が背筋を伝う。
ガチャン、と無作法に茶器が机に置かれた音に、はっと顔を上げる。
あの男子生徒がお茶を運んできていた。
手が小刻みに震え、その振動によりカップからソーサーに紅茶が零れそう。
(不慣れなことするから……)
目も当てられない給仕に、つい体が勝手に動く。
「あの……私が……」
ミラが立ち上がり、脇に置かれたワゴンのポットに近づいた瞬間。
「触るな!」
男子生徒の鋭い声に、え? と動きを止める。
ふうふう、と荒い息を吐きながら、血走った目で睨みつけられる。
「あいつにさせてやってくれ。ミラ・オーキッド」
「出過ぎた真似をいたしました……」
鷹揚に取りなすアルヴィンに、鳥肌が立つ。
もうこれ以上余計なことをし、アルヴィンの不気味な行動を見たくない。
そう判断したミラは大人しくソファーに腰掛ける。
男子生徒の決死の給仕が終了し、ハラハラ見守るミラがほっと息を吐いたそのとき。
「さあ、どうぞ」
アルヴィンに甘い声で茶をすすめられた。
だが、王族のアルヴィンより先に手をつけるわけにはいかない。
それに、アルヴィンと差し向かいにお茶を飲むなんて。しかも紅茶の色がくすんで、よろしくない。
「いえ、アルヴィン殿下より先にいただくわけにはいきません」
そう首を振るミラをじっと見据えたアルヴィンは、長い足を組み替える。
「なあ、ミラ・オーキッド」
「……はい」
なんでさっきからフルネームなのか。
気にしたら負けだが、どうしても小馬鹿にされたように思ってしまう。
「俺様とノア、どちらが王にふさわしいと思う?」
世間話のように尋ねないで欲しい。
どう答えても不敬だ。
ノアと答えれば、第一王子殿下を非難することになる。逆もしかり。
そもそもノアは王位継承に興味はない。
ご主人様は『領地にさっさとひきこもって、ミラとゆっくり過ごしたい』と常々ぼやいている。
ぎゅうとスカートの上で拳をにぎる。
「私にはわかりかねます。……ただの小娘なので」
にこりとミラは計算された笑みを返す。
そして、アルヴィンにフッとキザな笑いを返された。
ミラは胸がもやりとする。
「案外、慎重なんだな。悪くない」
「……過分なお言葉をいただき、いたみいります」
受け取り拒否させて下さい、の意味も込めて頭を下げる。
なにやらアルヴィンの笑みが面白がるものに変わる。
「では、聞き方を変えよう。俺様は王になれるか?」
「……」
同じ意味じゃん。
無言を貫き、なんとか意地でも笑みを取り繕う。
「ふうん」と揶揄うように笑みを深めたアルヴィンは、誘導するようにテーブルに視線を向けた。
そこには先程の男子生徒淹れたであろうどんよりと濁る紅茶。
「選べ。このお茶を飲むか飲まないか、を」
「……っ」
「俺様が選んだ茶だ。飲めないのか?」
この見るからに渋そうなお茶をどうしても飲ませたいようだ。
もしや激苦で、飲めないようなお茶なのか。
それともなにか入っている?
いや、毒を盛られるなんて考え過ぎだ。
白昼堂々、学院の中だ。目撃者だらけで、あまりに考えがなさ過ぎる。
しかもアルヴィンはこの国の王子である。男爵令嬢なんか相手に、高貴な方が直接手を下す必要はない。
それに、ここまで強く言うお茶を飲まないと、なにをされるかわからない。
(ノア様を口実に呼び出したと言うことは、私がラスフィ公爵家のメイドだと知っている)
⸺メイドのミラがアルヴィンに不敬を働いたとノアに責任を負わせるつもりなのか
ちらり、とお茶を淹れた男子生徒を見上げる。
顔色は紙のように真っ白で、震える体でなんとか立っている。
ふと脳裏によぎるは、アルヴィン殿下が側近に暴力を振るった光景。
すっかり忘れていたが、その生徒本人だ。
(私が飲まないと、この人も、暴力を……)
それだけは回避したい。
自分がアルヴィンの側近に連れられている姿をアナとシエラは目撃している。
最悪の場合、ミラが遅いとノアか誰かに助けを求めるだろう。必ず彼らが助けてくれる。
友人たちの過保護を信じよう。
これまであの2人に散々心配かけまくった自分も。
「ミラ・オーキッド?」
焦れたように、アルヴィンの猫なで声が呼ぶ。
ミラはカップの中、暗赤色の液面を凝視し、ごくりと喉を鳴らす。
(少し怖いけど、大丈夫。ノア様のために勇気を出す!)
「いただきます!」
アルヴィンを強く見据える。
心の中で臆病な自分を叱咤し、ミラはカップに手を伸ばし、勢いをつけてカップをあおる。
ごくりと飲み終えた直後。
口元を押さえ、なんとかカップを机に戻す。
「な、これ……ええ……」
とんでもない渋みにしびれる舌。
ぐらんぐらんと頭を激しく揺さぶられたような感覚が襲う。
カップが床に落ちた音だろうか。ミラはソファーに崩れ落ちる。
霞む視界に、うっとりとこちらを見つめるアルヴィンの唇が動く。
「貴様はノアより俺様を王に選んだ」
(ノア様……ごめんなさい)
思考も舌も重く、溶けたよう。反論もできない。
やがてミラは目蓋を開くことができなくなった。




