第三二三話 卯とイソトマ
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目の奥で鈍くはしりつづける痛みに耐えながら、少しでも静かな場所を目指して歩いていたら。
いつの間にか校舎の端も端、今まで来たこともないような空き教室までたどり着いていた。
ドアについた窓から中を覗くと当然のように誰もおらず、ガランと静かで薄暗くて、今のウチにとってはまさに望んでたとおりの場所って感じだったし。
あいにく施錠されてましたってこともなく、ドアに手をかけると問題なく横に滑っていったため、そのまま中に入ってひとまず目についた椅子に腰を下ろした。
「ふぅ……」
思わず漏れ出たため息とともに、抱えていたクリアファイルを机の上にポンっと置いたあと。
さっさと書類の清書とか、白熊先輩から預かった入出金のダブルチェックとか、そういう作業に取り掛からないとってのはわかってたんだけど……。
それよりも煩わしい頭の痛みを少しでも和らげたくて、ウチは何よりもまず、机の上に腕を組んで顔を伏せてしまった。
この頭痛の原因もなんとなくはわかっている。
きっと寝不足と、あとは眼精疲労とかそういうのによるものなんじゃないかな。
学園祭の準備期間としては今日が最終日だから、あと数時間後に迫った最終下校時刻までにいろいろな書類を完成させて、生徒会に提出しないといけないんだけれど。
昨日も寮の部屋で夜遅く……っていうよりも今日の朝早くまで、ずっと書類の作成作業をチマチマとしていたし。
長時間プリントと睨めっこしているわけだから、そりゃ目に疲れだって溜まるっしょってなもんで。
腕の上に乗せた顔の奥で、真っ暗な景色のなかでようやく眼球を休めることが出来たおかげか、ほんの少しは頭痛もマシになったような気もした。
はやく教室の電気をつけて、作業に取り掛からないと……。
ほんの少しだけひとりで作業に集中したくて、勝手にこんなとこまで来ちゃってるわけだし。
三十分くらいでウチらの教室に戻らないと、もしウチに用事があったりするほかの子に迷惑かけちゃうかもしれない。
それに委員長にだって『打ち合わせが終わったらまた戻ってくる』って伝えてから教室を出てきたから、あんまり戻るのが遅いと心配させちゃうかもしんないし……。
頭の中ではそんな声が弱々しく聞こえてくるものの、顔を上げて作業に取り掛かることはなかなか出来そうもなくて。
ほんの少し気を抜いてしまったがゆえに、ウチの意識はそのまま、今いる教室のように暗い眠りの水底に沈んでいってしまったのだった。
◇◇◇
ウチはめっちゃクセ字な自覚がある。
普段、字を書くおもな機会といえば、授業の板書をノートに書き写したりするときくらいなんだけど。
そういう時にも別になんも考えず、クセ字のままで文字を書いたって特に困ることはなかった。
ノートの提出があっても、先生からそのせいで指摘とか減点されることも今まで一回もなかったし。
だけど行事委員になって、生徒会とかに提出するための書類を作成する班に入ることになって……。
学園祭の準備のために参考にさせてもらった、去年までの委員の人たちが作成した書類はどれも、とても綺麗に清書がしてあった。
いろいろな書類にたくさん目を通しているうちに、『未来でこの書類を参考にする子たちが少しでも読みやすいように』って。
なんかそんな感じの、過去の先輩たちの優しさみたいなののおかげじゃんって、めっちゃ思っちゃったもんだからさ?
お世辞にも綺麗な字とは言えないようなウチの字で、なんも考えずに書類に筆を走らせるわけにはいかないって、そんなことを考えちゃったんだよね。
そもそもボールペンで文章を書くことだって慣れてないしさ。
別にクセ字のままで、早く終わらせるために作業にあたってれば、きっとこんなに書類仕事に悪戦苦闘することもなかったんだろうな。
ほかの行事委員の人たち……たとえば白熊先輩なんかは、綺麗な字で慣れた感じでスラスラと文字を書いてるし。
だから、ただたんにウチが自分のせいで、書類の作成に時間をかけちゃってるってだけ。
それはちゃんと理解しているけど……いや、理解しているからこそ。
自分の責任じゃんとか、あとまぁ意地みたいなのもあって、自分の分の書類作成は睡眠時間を削ってでも頑張ってきたわけである。
書類の作成だけじゃなく、他にも優先しないといけない仕事はたくさんあったし、次から次にやらなきゃいけないタスクがやってくる。
そんななかでも効率的に作業を進めてるほかの人たちに混じって、心の中ではジワジワと焦りみたいなのを感じながら、今日まで何とか踏ん張ってきたつもりだった。
誰かに頼ればよかったかなとか、そんなこともときどき思ったりしたけれど……。
ルームメイトの虎前が、アイツがあんな不器用なクセして衣装班のリーダーを任せられて。
絶対にそんなガラじゃないのに、それでも同じ班の子たちにいろいろ教えたりしながら、ずっとエプロン制作を頑張っていた姿なんかを見せられちゃったもんだからさ。
ウチだって……たとえガラじゃなくても、慣れてなくてもさ?
アイツみたいに頑張らないとって、癪だけどそんなモチベをもらって、ここまでやってきたはずだった。
委員長に泣きつけば、もっと楽だったかな。委員長の辰峯さんはウチと違って字も綺麗だし、書類仕事とかも慣れてそうだし。
でも今日だって吹奏楽部の練習が終わったあと、ウチらの手伝いに戻ってきてくれていたし。
これまでだって十分すぎるほどに助けてもらってきたから、これ以上は申し訳なくて頼れなかった。
申輪さんに相談すれば、いろいろ変わってたのかな。
でも申輪さんだって行事委員の仕事がいっぱいあって、ウチと同じで初めて担う作業ばかりで、アチコチ忙しそうに駆け回ってる姿もそばで見てきた。
ウチの字のせいとか、ウチが効率的に動けていなかったせいなのに、あれ以上は負担はかけたくない。
ルームメイトのバカヤンキーの前で強がったりしなければ、こんなことにはなってなかったのかな。
書類仕事に悪戦苦闘してるとことか、カッコ悪くて見られたくなかったし。
衣装班のリーダーとしてみんなのエプロン制作をやり遂げたアイツに、ウチの仕事の方まで気を遣わせたくなかったし。
だからコッソリと夜中に書類の清書とかを進めてたりして、それもきっと書類がたまっちゃってる今の状況に、けっきょくは影響しちゃってたのかもしれない。
今の自分がどういう状況の中にいるのか、どこで何をしているのかって、そんな重要なことには意識の手が伸びていかないのに。
真っ暗な意識の中で、そんな言い訳めいた言葉がいくつも生まれては消えていって。
そんな眠りと意識の間を、時間も忘れて揺蕩っていた中で……。
「……あれ? えっと、卯月さん?」
耳に届いた、ウチの名前を呼ぶその小さな声によって。
ウチの意識はこの時になって、ようやくもう一度、現実に引き戻されることになったのだった。
◇◇◇




