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10. 揺れ動く心


『アイシャよく聞いて! 例え、リアムが危険に晒される事になったとしても助けに行かないで。これだけは約束して。わたくしはもう貴方を絶対に失いたくないの。だからお願いよ……』


 この先の未来か……


 リアムを心に残しながらキースのプロポーズを受けたヒロインの辿る結末は、バッドエンドだった。


 前世の『若葉』だった頃の私ですらプレイした事がない結末。あの乙女ゲームにバッドエンドが存在するなんて聞いてない。


 『梨花』の記憶を持つクレア様が教えてくれたヒロインの末路は、悪役令嬢に囚われたリアムを助けるため向かったボロ屋敷で、彼を助ける為に自ら命を断つという最後だった。


 やはり私は死ぬ運命なのだろうか?


 乙女ゲームには存在しないアイシャは矯正力という名の元に淘汰されてしまうのかもしれない。


 しかし、実際にこの世界でアイシャという存在は生きているのだ。私の最期が、乙女ゲームのヒロインがたどる結末と同じだとは限らない。


 私がリアムを見捨てれば良いだけの話よ……


 キースとの婚約も控えている。彼と幸せな家庭を築くと決めたじゃないか。


『私はアイシャを愛している』


 誰もいない町の裏路地でリアムに抱きしめられ、紡がれた言葉が脳裏をかすめる。


 忘れるのよ…アイシャ……




「アイシャ、どうしたの? 婚約発表の衣装合わせ疲れたか?」


「……えっ⁇ あっ……

キース様、何でもありませんわ」


……マズい、今は打ち合わせ中だった。


 今日は、近々行われる婚約発表の夜会の最終打ち合わせをするため、朝からナイトレイ侯爵家へ来ていた。今は、夜会で着るドレスの軽い手直しをキースと一緒に受けている所だった。


「そうかぁ? 何だか疲れている様に見えるが……

おおかた、手直しも済んでいるし休憩しようか」


 キースはそう言うとお針子さん達を退出させ、代わりに入って来た侍女達がお茶の準備を始め、セッティングが終わると頭を下げあっと言う間に扉から出ていく。


……未婚の男女を二人きりにするのはどうかと思いますよぉぉぉぉ……


 私の心の叫びはもちろんナイトレイ侯爵家の皆様には相変わらず伝わらない。


「アイシャ、こっちに来てお茶にしよう。朝から打ち合わせの山で疲れただろう。甘い菓子もあるから、ゆっくり休もう」


 ソファに座り、隣の空間を手でポンポンと叩き示すキースを見て、顔が赤らむ。


 空いているソファは沢山あるのだから、隣に座る様に言わなくてもいいのに……

 まぁ、違う所に座っても、直ぐ隣に引っ越して来るのだし気にしても仕方ないわね。


 心の中でどうでもいい言い訳をしつつ、キースの隣に腰掛けるとすかさず紅茶を渡される。そして、好みを聞きつつテーブルの上の可愛らしいプチケーキやクッキーなどのお菓子も小皿に取り分け、目の前に置いてくれる。


 本当、慣れって怖いわ……


 今では、甲斐甲斐しくお世話されるのにも慣れてしまった現状を当たり前の様に受け入れている。それだけ長い時間をキースと過ごしている証拠でもあった。



「アイシャ、何か心配ごとがあるのか? 数日前から、心ここに有らずというか、上の空というか。いつも眉間にシワ寄せて考え混んでいるだろ。何かあったのか?」


「えっ…わたくし、そんな様子でしたの? ごめんなさい。婚約の準備やら花嫁修業やら慣れない事が多く疲れていただけですわ。わたくし、どちらかと云うと体を動かす方が好きと言いますか……

一般的な令嬢が行う刺繍とか編み物とかも苦手ですし、行儀作法も一から学び直しておりまして。侯爵家に嫁ぐとなると生半可な作法では、太刀打ち出来ないと母からみっちり仕込まれていますの」


「……はは…女性は大変だな……

でも、うちはそんなに作法に煩くないぞ。元々、武家だからなぁ~

荒っぽいというかガサツというか……

あんまり気にするなよ。程々にな」


 苦笑を漏らしたキースが私を見つめ、慰めるように頭を撫でてくれる。


 優しいのよね……


 いつだってキースは優しい。

 私の気持ちを最優先にしてくれる。


 きっと彼は分かっている。まだ、私の心にリアムがいることも。


 キースと過ごして、彼の優しさに触れて分かった。リアムと一緒にいた時の様な高揚感もドキドキ感も締め付ける様な切なさも感じない。ただ、穏やかな時間が流れていく。心地良い時間が……


 そんな結婚生活も良いじゃないか。


 穏やかな時間の中で育む愛もある。



「アイシャ。本当に俺と結婚して後悔はしないか?」


「えっ⁇……」


 紅茶のカップをテーブルに置き、私に向き直ったキースの真剣な眼差しとぶつかる。


「俺はアイシャの事を誰よりも愛しているし、今後も愛し続ける。絶対に悲しませるような事もしないし、幸せにする自信もある。しかし、アイシャがリアムの事で弱っている時につけ込んでプロポーズをした。はっきり言って強引にアイシャからYESをもぎ取ったようなものだ。アイシャがリアムを忘れられるまで待つと言ったのは本心だ。ただ、最近のアイシャが辛そうで苦しそうで……

俺との婚約を後悔しているのではないか?」


 キースと婚約した事を後悔しているの?


 心臓の奥底がズキズキと痛みだし、それを誤魔化すように震える指先を握りしめる。


「いいえ。後悔なんてしてないわ。キース様と過ごした数ヶ月間、わたくしの事をとても大切にして下さいましたよね。キース様は、いつでもわたくしの気持ちを最優先に考えてくださいます。絶対に自分本意で動かれる事はなかった。貴方様といると穏やかな気持ちでいられますの。安心するというか……

きっと結婚生活も穏やかで安心出来る日々を送れると思います。そんな熟年夫婦みたいな関係もいいなぁ~って。だから、後悔などしておりませんわ」


「そうか……

必ず幸せにすると誓う。アイシャが誰からも傷つかないように全力で守ると誓う。温かな、幸せな家庭を作ろう。笑顔溢れる家庭を」


 私の目の前に片膝をついたキースに左手を取られ、薬指のブルーサファイアの指輪に口づけを受ける。


「……はい」


 キースと一緒なら大丈夫。

 リアムの事は、もう忘れよう……


 たとえリアムが危険に晒されても、キースとの未来をとるのよ。

 アイシャ…もう忘れなさい……


 心の声を聴きながらゆっくりと目を閉じた。

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