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20. スプーン攻防戦


「ほらっ!アーンして。口開けないと食べられないだろ?」


 なんだこの羞恥地獄は⁉︎


 目の前に差し出されたフワフワ卵のオムレツがのったスプーンを見つめ、私は羞恥で顔から火が出そうだった。


「あのぉ、キース様。スプーンなら左手でも扱えますので、付きっきりで食事のお世話をして頂かなくても大丈夫です。それに、先ほどまで居ました侍女はどちらに行かれましたの? それこそ、出来ない事は侍女にして貰いますので、キース様はご自身の準備をなさった方がよろしいかと」


 行き場を無くしたスプーンが目の前でウロウロしているが、知った事ではない。ここで彼に退室して貰わねば、この羞恥地獄は終わらない。


 ナイトレイ侯爵家での静養が、半ば強引に決まり、ゴロツキに襲われてから今の状況に至るまでの経緯を端的に説明された内容によると、裏路地で私を見つけたキースは、気絶した私をそのままナイトレイ侯爵家へ連れ帰り侍医に見せたと。


 大きな傷はなかったものの右手首を捻られたのか、腫れと痛みが強く、その晩熱を出したとの事だった。高熱と襲われた恐怖心からか、心身共に大きなダメージを受けていた私は、三日三晩意識が戻らなかったそうだ。そして今朝方、目が覚めたものの急には立ち上がる事は無理との判断で、寝ていたベットの上で、甲斐甲斐しくキースからお世話を受けているのだが……


 先ほど紹介された私担当の侍女さんは何処に行かれたのでしょう?

 ワゴンに乗った豪華な朝食を運んで来てくれたまでは居たのに、いつの間にか消えている。


 未婚の男女を二人きりにするのは如何なものか……


 そんな私の切なる声は、ナイトレイ侯爵家の優秀な使用人の皆様には届きそうにない。


「アイシャは優しいね。俺の仕事の心配をしてくれてるの? 騎士団に遅刻したらって」


「えぇ。最近、副団長補佐に昇進なさったと伺いまして、お忙しいのではありませんか? わたくしになど構わず準備しませんと、お仕事に遅刻しますわ」


「あぁ。それなら大丈夫だ。アイシャの怪我が治るまで付きっきりで面倒を見るように、団長からも副団長からも言われている。今の俺の任務はアイシャの世話をする事だ」


「はぁ⁇何ですかそれ? 

騎士団にそんな任務ある訳……」


 私は思い出してしまった。騎士団の団長がナイトレイ侯爵で、副団長が剣の師匠ことルイス・マクレーン様だった事を。騎士団のトップ二人が父と兄ならそんなふざけた任務作る事は容易い。


 なんか外堀ガッチリ埋められてないかしら?


「だから諦めてアーンして。ほらっ」


 行き場を無くし彷徨っていたスプーンが口元に再度差し出される。そして、私はと言うと、この攻防の敗北を悟り大人しく口を開けたのだった。


 くそぉぉぉ…笑顔が眩し過ぎる……


 顔を真っ赤に染めたアイシャと愛しげに彼女を見つめ、せっせと口元に食事を運ぶキースの様子を少し開いた扉から覗く二つの影。彼女の専属侍女とナイトレイ侯爵夫人が、隣の部屋から初々しい二人の様子を覗き見していたなんて、アイシャだけが気づいて居なかった。






「アイシャ様、お召し物をお持ち致しました。湯浴みはまだ難しいのですが、お身体をお拭き致しますね」


 先ほどまで私の食事の世話を焼いていたキースと代わるように、紹介された侍女が着替えを手に入って来た。


「ありがとうございます。でも、一人で着替えられますので大丈夫です」


「何を仰いますか。一人でなんて危なくて着替えさせられません。お恥ずかしいとは思いますが、アイシャ様が意識がない間もずっとお世話をして参りましたのでご安心を。足元も覚束ないと思いますが、お食事も完食されましたし、少しずつ歩く練習もして行きましょう。先ずは、ベットに腰掛けるところからです」


 私は侍女の手を借り、ベットの縁に腰掛けてみる。何とかバランスを崩す事なく座っていられた事にホッとしていたが、いざ立ち上がってみると、足に全く力が入らずバランスを崩しそうになる。何とか侍女に支えられて立っている状態だ。


 たった三日寝たきりだっただけでこんな状態になってしまうの⁉︎

 これでは到底一人で着替えなんて無理だ。


「これでは一人で着替えなんて無理ね。ごめんなさい、生意気言って。着替えよろしくお願いします」


 目の前で支えてくれている侍女に軽く頭を下げると、彼女の目が驚きで見開かれる。


「アイシャ様って……

素直な方なのですね。貴族の方は大抵、格下の存在に謝罪される事なんてありません。ましてや使用人に頭を下げるなんて事しませんので驚きました。わたくし平民出身でして、職に付けず食べる物にも困っているところを奥様に拾って頂きました。ナイトレイ侯爵家の皆様は本当にお優しい方達ばかりで、高位貴族の様な傲慢な態度を取られる事もない素晴らしいお方ばかりです。キース様の大切な方の専属侍女に任命された時は、どんな方かと不安でしたが、さすがキース様がお選びになられたお方。心根がお優しいのですね。あっ!失礼致しました。勝手にペラペラと……

申し訳ありませんでした」


 目の前の侍女が恐縮そうに何度も頭を下げる。


「そんなにかしこまらないで。私もただの伯爵令嬢よ。ナイトレイ侯爵家の皆様の足元にも及ばない一般的な貴族家の娘なの。だから普通に接してくれた方が嬉しいわ」


「アイシャ様、ありがとうございます。至らない点も多々有るかと思いますがよろしくお願い致します」


「えぇ。こちらこそよろしくね」


 専属侍女との初顔合わせも上手く行き、色々な攻防の末、体だけは自分で拭き、真新しい部屋着へと着替えを済ませた。


「アイシャ様、こちらをどうぞ。ナイトレイ侯爵家お抱え侍医特製、マルッと痛みが軽くなるお薬でございます」


 一人掛けソファに座った私に毒々しい色の液体が入ったコップが渡される。


「……こ、これ飲まなきゃダメかしら?」


 コップに鼻を近づけ匂いを嗅いだ途端に複数の薬草を混ぜたドギツイ臭気が鼻を刺す。


 無理ぃぃぃぃぃ…臭いよぉぉぉ……


「ダメですよ!アイシャ様。キース様からも必ず飲ませる様に仰せ使っております。キース様もお怪我をされた時に良く飲まれるとの事で効果は保証済みだとか。アイシャ様が拒否されるなら口移しで飲ませるから言う様にと申し遣っております。どうされますか?」


 良い笑顔の侍女に詰め寄られる。


「謹んで、今すぐ飲みます」


 鼻を摘んで飲んだら多少マシなはず!


 私は覚悟を決め、一気に毒々しい色の薬をあおった。


 うぅぅぅぅぅぅぅ…不味いぃぃぃぃぃ……


 私が暫く悶絶していたのは言うまでもない。



「では、アイシャ様失礼致します。午後ですが、キース様が付きっきりで歩行練習をするとの事です。もちろん二人きりで……

では、後ほどキース様と共に昼食をお持ち致しますので、それまで御ゆるりとお過ごし下さいませ」


 キースと歩行練習?


……歩行練習…二人きり⁇


「えっ⁉︎ どう言う事ですのぉぉぉ?」


 私の叫びは無情に閉められた扉に阻まれ、静かな部屋に響くのみだった。


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