19. 愛と嫉妬
……ここ何処かしら?
目を覚ました私は、体を起こそうとして右手に走った激痛に呻き声を上げた。
あぁ、町でゴロツキに襲われてリアムに助けられたのだった。
『アイシャ、愛している……』
リアムは私を愛してくれていた。今でも私との結婚を考えていると。
嬉しかった。本当に嬉しかったのだ……
ただ、リアムの手を取る事だけは出来なかった。
彼が、私と結婚する為にノア王太子と密約を結び、ドンファン伯爵家の闇を暴くためグレイス嬢と婚約したのは分かった。しかし、リアムに裏切られ捨てられたと思い込んだ私の心の傷は想像以上に深かった。
そして、何よりもグレイス嬢とリアムとのキスシーンが頭を巡り、ドス黒い嫉妬の炎が心を染め、彼の手を取る事を体が拒否した。
結局、私は今でもリアムの事を愛しているのだ。彼が他の女とキスするのが許せないほどには彼を愛している。
だからこそ怖い……
彼の手を取り、また捨てられる事態になれば今度こそ私は立ち直れない。
リアムの手を取る事だけは出来ない。
……はぁぁ、考えるのを止めよう。
そんなことより、本当に此処どこなの?
傷ついた右手に気をつけながら、少し体を起こし辺りを見回す。
柔らかなベッドから見える窓にはカーテンが引かれ外の様子は分からない。どうやらこの部屋には、ベッドと可愛らしいテーブルランプが置かれたテーブルと一人掛けのソファが置かれている様だ。
……あっ‼︎ 私の短剣……………
サイドテーブルの上には、鞘に納められた短剣が置かれていた。
あの時、最後に短剣を持っていたのはリアムだった。これがなければ私の命は無かったかもしれない。
リアムに貰った短剣……
これだけは手放せそうにない……
痛みのない手を伸ばし短剣を取ると胸に抱き目を閉じる。そして、閉じた目から止め処なく涙が流れるのを感じながら眠りに落ちた。
眩しい……
閉じた瞼にあたる優しい光を感じ、目をゆっくりと開けると閉じられていたカーテンは開け放たれ、レースのカーテン越しに柔らかな陽の光が差し込んでいた。
辺りを見回すと昨晩は分からなかった部屋の様子が分かる。
洒落た小花柄のクリーム色のカーテンは、焦茶色のタッセルでとめられ、風で揺れるレースのカーテンは精緻な刺繍が施されている。ベット脇のテーブルに置かれた大きめのランプも陶器の傘の部分に色とりどりの花の絵付けが施され目にも鮮やかだ。
さりげなく置かれたサイドテーブルにしても、座り心地の良さそうなアンティーク調のソファにしても品の良いものばかりで、この部屋をコーディネートした人のセンスの良さが伺える。
……女性が好みそうな素敵なお部屋ね。
それにしても誰のお宅なのかしら?
『トントン』
「失礼致します」
控えめなノックの音と共に、メイド服を着た年若い女性が入って来る。彼女は私が起きていると気づいていないのか、手に水差しとグラスが置かれたお盆を持ちベット脇のテーブルへと向かう。
「……あのぉ、すいません……」
突然の声に年若いメイドの肩がビクッと揺れ、立ち止まる。
あっ!驚かせてしまったわ……
「アイシャ様‼︎ お目覚めになられましたか⁈ お待ち下さい。直ぐにお呼び致します‼︎‼︎」
脱兎の如く退室して行くメイドを見送り肝心な事を聞きそびれた事に気づく。
……お呼びするって、誰をよ?
本当、ここ何処??
……数分後……
「アイシャ‼︎」
激しい足音と共に、バタンと大きな音を立て開け放たれた扉から入って来たのは焦り顔のキースだった。どうやらココはナイトレイ侯爵家と縁のある家らしい。
「……アイシャ、体調は?」
ベッド脇に駆け込んできたキースが膝をつき、私の顔を覗き込む。
「顔色は悪くない様だが、痛むところは?」
……ち、近いぃぃぃぃぃ
美麗なキースの顔面アップは寝起きの頭には強烈過ぎるぅぅぅ……
私の頬にみるみる熱がたまっていく。
はぁぁ、もう少し離れて……
「顔が赤い。熱があるのか?」
彼の指先が頬を撫で、額に大きな手の平が乗せられる。
「う~ん…熱は無さそうだが……」
憤死するぅぅぅぅ……
無意識でやっているであろう彼の悪戯な行為に私の顔は湯気が出そうなほど真っ赤だ。
「……キ、キース様……」
「何?アイシャ……」
「は、離れて下さい……」
「えっ⁈ どうして?」
「近いですから……」
私は小声でそれだけ言うと布団を顔まで上げて、何とかキースの顔面アップから逃れようと試みるが、突然伸びてきた彼の手に布団を掴まれ阻まれる。
キースとの布団の攻防戦に負けた私は抗議するべく見上げた先の彼の笑顔に硬直してしまった。
目が笑っていない……
笑顔だけど、目が笑っていないのだ。
怖いよぉぉ。何故、キースは怒っているのよ?
「アイシャに拒否権はないよ。一人で町に出て、迂闊な行動をとり、危険な目にあった。どれだけ心配したと思っているんだ。危うく命を失うところだったんだぞ‼︎」
「ごめんなさい……」
真剣な眼差しのキースに見つめられ、頬を両手で包み込まれる。
「……もう、あんな思いは二度と御免だ。今後絶対に無茶はしないでくれ。アイシャが普通の貴族令嬢とは違い、自由に行動したいと思っている事は理解している。自由な発想に、行動力こそがアイシャの最大の魅力だと言う事も。だからこそ心配にもなるんだ……
今回はたまたま助けが入ったから良かったものの、毎回幸運に恵まれるとは限らない。自由な行動と無鉄砲な行動では意味が違う。自由な行動には必ず責任が伴う。自由だからこそ慎重に行動しなければならない。貴方が思っている以上に外の世界は汚いし、危険なんてそこら中に転がっている。慎重に行動出来ないのなら貴方を囲うしかない。四六時中監視して此処から出せなくなってしまう。でも、自由に生きるアイシャだから愛しているのも事実なんだ。
……アイシャが大切なんだ。貴方が死んでしまったら正気ではいられない」
目の前のキースの顔が辛そうに歪む。
「アイシャ、約束してくれ。無茶だけはしないと。貴方を失うのが本当に怖い……」
こんな泣きそうなキースの顔、見たことない。
沢山心配を掛けてしまった。
キースを悲しませ、リアムを危険に晒してしまった。私の無鉄砲な行動のせいで沢山の人に迷惑を掛けてしまった。
彼の言う通り、自由な行動には責任を伴う。周りの状況を見て、冷静に判断出来る状態でなければ、簡単に罠に引っ掛かり命を落とす。それだけではなく、無関係な人まで危険に晒してしまう。
私は何て事をしてしまったのだろう……
涙が一筋頬を濡らす。
「本当にごめんなさい……」
「もう無茶はしないと約束してくれるね?」
キースの言葉に何度も肯く。
「怪我が治るまでナイトレイ侯爵家で静養してくれるね?」
「……はい。……え⁉︎」
私は肯きながら、頭の中が??となる。
「ナイトレイ侯爵家で静養?」
「あぁ。アイシャの右手は当分使わないようにと侍医から言われている。リンベル伯爵家では四六時中アイシャの世話を侍女がついて出来るだけの余裕はないだろう? ナイトレイ侯爵家なら侍女の数も充分に揃っているし、アイシャ専属にする事も可能だ。だから、ゆっくり怪我の治療に専念出来るだろう」
「いえいえ。これ以上ナイトレイ侯爵家にご迷惑をお掛けする訳には参りません。利き手が使えずとも、何とかなりますので、直ぐにお暇させて……」
「あれ? もう無茶はしないのだろう?
それに既にリンベル伯爵家にはナイトレイ侯爵家でアイシャを静養させる旨は伝え済みだよ。伯爵からもよろしく頼むと頭を下げられた手前、今さら断れないだろう。それこそナイトレイ侯爵家の顔に泥を塗る事になる」
目の前のキースは爽やかな顔して笑っているが、絶対確信犯だ。
……だって目が笑ってない。
「あと、母上も張り切っているから今さら帰るなんて言ったら暴動が起きる。だから諦めてナイトレイ侯爵家で静養するように! 逃げたら後が怖いよ」
再度目の前に迫ったキースが笑顔のまま黒いオーラを発している。
どうやら逃げる事は不可能らしい。
「お世話になります……」
黒いオーラのキースにナイトレイ侯爵夫人の組み合わせなんて、白旗あげるしかないじゃないか……
私はある種達観した境地で真っ白な天井を見つめ、暫し現実逃避を試みた。




