10. 前世の記憶
憂鬱だ……
「やっぱり夜会には参加しないとダメかしら?」
「当たり前です。今夜はノア王太子殿下とリンゼン侯爵家のアナベル様の婚約披露のパーティーですよ。王族主宰の夜会である限り、貴族が出席するのは義務です」
「でも、両親さえ出席すればリンベル伯爵家としては義務を果たしているわ。わたくしが出席しなくても何も問題ないじゃない」
「何を仰っているのですか!アイシャ様はノア王太子殿下から直々に招待状を受け取っているではありませんか。それをすっぽかそうなんて有り得ません」
鏡の前で丁寧に私の髪を結っていた侍女の目がみるみる吊り上がっていく。
一年前に教育係兼侍女として私につけられた侍女頭のハンナは、今では私の良き理解者であり、度々道を外れ淑女とは程遠い行動を起こそうとする私を強制的に連れ戻す役割りも担っている。
「アイシャ様のお気持ちもわかります。社交界で流れている噂を考えると、わたくしだって貴方様をそんな針のムシロの中に放り込みたくはありません。しかし、いつまでも逃げてばかりでは本当に家から一歩も出られなくなってしまいます。今夜はナイトレイ侯爵家のキース様もいらっしゃいます。きっとアイシャ様を守って下さいますから大丈夫です。それに、今夜の為に素敵な贈り物もして下さったじゃありませんか。ブルーサファイアのネックレスにイアリングだなんて、キース様のお髪の色と同じですわね。アイシャ様のコバルトブルーの瞳の色とも合いますし、とってもお似合いになると思います」
ハンナが、キースから贈られたサファイアのネックレスとイヤリングを箱から取り出し付けてくれる。
「色も形も申し分ありませんわ。流石、国で一、ニを争う名家、ナイトレイ侯爵家からの贈り物ですね。……まぁ! こんな時間‼︎
もうすぐキース様がお迎えに参りますね。アイシャ様、エントランスでお出迎え致しませんと」
夜会へ行く事を渋っていた私は、ハンナに急かされエントランスへ向かうと、ちょうどキースが馬車から降り、入り口から入って来る所だった。
……イケメンは何着ても様になるのねぇ。
エントランスに佇むキースは、いつも見る騎士服ではなく夜会用の燕尾服を着ている。黒の燕尾服は銀糸の刺繍が施され、とても華やかな印象だ。いつもは降ろしている前髪を後ろに流しているせいか、精悍な顔立ちに色気が混ざり大人っぽい印象を受けた。
なんだかカッコイイかも………
いつもと違うキースを見て変に緊張してしまう。
「やぁ! アイシャ、準備は出来ているみたいだね。俺の贈ったプレゼントもよく似合っている。……とっても綺麗だよ」
「あっ、ありがとうございます」
甘い言葉もサラッと言えてしまうキースの言動に振り回され、恥ずかしさで憤死寸前だ。
「お手をどうぞ、お姫様」
……お姫様って…ヤバイ鼻血出そう。
爽やかな笑顔付きで手を差し出すキースは前世でやっていた乙女ゲームの中のナイトの様だ。
……うん⁇この光景どこかで見た事ある様な?
まさかね……
引き篭り中にやる事がなさ過ぎて、前世の記憶を思い出していた影響だろうか?
昔は不鮮明だった前世の記憶を、最近色々と思い出す様になって来たのだ。何故だか分からないが、前世で1年だけハマった乙女ゲームの内容を。
そして私を手招きする白い女性の夢を見る頻度も増えている。未だにその夢が意味する事は分からないが、前世の乙女ゲームの記憶と何か関係があるのかもしれない。最近、ここが何処の世界なのか分かってきた気がするのだ。
この世界は私が前世でやっていた乙女ゲーム『囚われの白き魔女は蜜夜に溺れる』の世界にとても似ている。
ノア王太子殿下、ウェスト侯爵家のリアム、そしてナイトレイ侯爵家のキース、彼ら三人は同じ容姿に同じ立ち位置で、ヒロインの攻略対象者として、私の知る乙女ゲームに出てくるのだ。
それだけではない、クレア王女はノア王太子殿下ルートでは、ヒロインとの仲を邪魔する悪役王女として。アナベル様は、全ての攻略対象者とのルートで必ずヒロインの邪魔をする悪役令嬢として登場する。
そして社交界で時の人となった『白き魔女』こと、グレイス・ドンファン伯爵令嬢。彼女こそ、その乙女ゲームのヒロインと同じ名前で、その乙女ゲームのヒロインもまた、白き魔女の力を有している。
あまりにも似ている。似過ぎているのだ……
アイシャという存在以外は、その乙女ゲームに登場する人物達。この世界が、前世の乙女ゲームの世界と確信するのには充分な符号の一致だった。
しかし、この世界には、前世の乙女ゲームには名前すら出て来ないアイシャ・リンベルという存在がいる。
乙女ゲームにはいなかった私という存在はいったい何なのか?
考えても答えは出なかった。
きっとコンピュータのバグみたいな存在なのだろう。
モブでもない、物語にも出てこない誰か……
そんな私が物語のヒロインたる白き魔女に勝てる訳がないのだ。リアムがグレイス嬢と結ばれるのは順当な事なのだろう。
だってグレイスは、白き魔女の片翼であるウェスト侯爵家のリアムが守るべき『白き魔女』なのだから。
「アイシャ、泣きそうな顔をしている……」
優しく重ねられた手を強く握られ引き寄せられる。
「大丈夫、俺が必ずアイシャを守るから」
私はキースの胸に顔を埋め、溢れそうになる涙を堪える事しか出来なかった。




