8. 思わぬ提案
「母が済まなかった。まさか俺の知らない内にアイシャを出迎えていたなんて。何か失礼な事を言われなかったか?」
「いいえ。マーサ様はとても歓待して下さいましたわ。まさか、こんなに歓迎してくださるとは思わず驚きました。わたくしの社交界での噂話を考えれば会ってくださっただけでも喜ばしい事です」
引き篭もっていた一ヶ月間、社交界に姿を見せなくなった私の噂は尾鰭がつき、酷い物になっていた。
私の引き篭りを心配した仲の良いお友達令嬢達が、お見舞いと称してリンベル伯爵家へ来てくれた時に聞いたところ、今では男を誑かすアバズレと言われているらしい。どうやら三人の高貴な男性から求婚されたにも関わらず、色々な男を手玉に取り隠れて遊んでいた事が、バレて婚約破棄された事になっている。
アイシャの事を良く知る友人達は、彼女がそんな事をする女ではないと分かっていたが、誰が流したか社交界でのアイシャはアバズレ女としてレッテルが貼られてしまっている。社交界の寵児三人から同時に求婚されたアイシャに対する嫉妬が絡んでいるのは明白ではあったが。
「……あの噂は全くの嘘ではないか。ナイトレイ侯爵家の者達も、俺もアイシャが素敵な女性である事は分かっている。しかし、あの噂をそのままにしておくのも口惜しい。アイシャはあの噂のせいで体調を崩し、伏せっていたのだろう?」
実際には、リアムに裏切られた事がショックで引き篭もっていた訳だが、その事は言わず曖昧に頷いておく。
「キース様、あんな噂など放って置けばいつかは忘れ去られます。社交界に出ず、ジッとして居れば良いだけの事ですわ。不幸中の幸いと言いますか、わたくしあまり夜会やお茶会など社交の場に興味がありませんの。このまま、家で好きな事をして過ごすのは苦ではありません。この機会にもう一度、剣の鍛錬を始めるのも良いかもしれません。評判が地に落ちたリンベル伯爵家は捨て置いても良いのです。ですが、ナイトレイ侯爵家まで巻き込む訳には参りません。キース様、わたくしとの婚約話の取り下げをお願い致します。今なら傷口も直ぐに塞がるでしょう。膿みは切り捨てるべきですわ」
「アイシャは俺に貴方を切り捨てろというのか? ノア王太子殿下やリアムと同じように」
キースの真剣な眼差しが私を捉える。
「そうです。ナイトレイ侯爵家のためにも……」
テーブルに置いた手の上にキースの手が優しく重ねられ、咄嗟に引こうとした手をキュッと掴まれ引き寄せられた。
「その願いは聞けない。アイシャがナイトレイ侯爵家の事を考え言ってくれたのはわかる。しかし、俺も両親もアイシャとの婚約話を取り下げる事は絶対にしない。貴方が社交界でどう思われていようと俺には関係ない。母も言っていたと思うが、ナイトレイ侯爵家はアイシャに救って貰ったんだ。貴方と剣を交えていた当時、俺と父との仲は最悪だった。次期当主を勝手に俺とした父を憎み、ほとんど家にも寄り付かなかった。騎士団の宿舎で寝泊りをし、アイシャと父を憎み生きて来た。いつか父を裏切りナイトレイ侯爵家から出て行く為だけに強くなろうと剣を握っていた様に思う。そんな父との関係もアイシャが助言をしてくれたおかげで、腹を割って話す事が出来、大きく変わった。父の本心を知り、自分が思う以上に力を認めてくれていた事を知り、本当に嬉しかった。今のナイトレイ侯爵家があるのは、アイシャが真剣に俺を叱責してくれたおかげなんだよ」
「キース様、買い被り過ぎです。私は怒りのまま思った事をぶちまけただけの事ですから。ナイトレイ侯爵家の皆様が恩を感じる必要は全くありません。それよりも名門ナイトレイ侯爵家の名を傷つけてはなりません」
なんだか話の雲行きがあやしくなってきた。このままでは婚約話を解消出来ない。
キースの目を見て真剣に言い募る私の目に優しく笑うキースの顔が写る。
「……っ‼︎」
なんて顔して笑うのよ……
私の頬がみるみる熱を持ち始める。
「本当、アイシャは優し過ぎるよ。だから放っておけない。貴方も引く気は無いようだから、一つ提案なんだけど……
アイシャは、婚約者を俺に選ぶ必要はない。でも夜会やお茶会でのアイシャのエスコートは俺にやらせて欲しい。今後、全ての夜会や茶会に出ないと言う訳にはいかないだろう。特に王族主催の夜会は伯爵家の令嬢であれば参加は義務だ。近いところだとノア王太子殿下とアナベル嬢の婚約を祝した夜会が開かれる事になっている。アイシャも一人で行くよりも俺と一緒の方が気が楽ではないかな? アイシャを酷い噂の真っ只中に一人居させたくない俺としても貴方の防波堤になれて嬉しい限りなんだが。まぁ、好きな女を守れるなら、騎士としても僥倖だしな。もちろん、アイシャの気持ちが俺に向く様に全力で守るつもりだけどね」
「……でも、わたくしをエスコートしたらナイトレイ侯爵家の名に傷を付けてしまいますわ」
「そんな事、気にしなくていいの。アイシャをエスコートしただけで傷つくようなナイトレイ侯爵家では無いよ。もし、アイシャを一人にしたら、俺が両親に半殺しにされる。アイシャは諦めて俺にエスコートされなさい」
いつの間にか立ち上がっていたキースに頭を撫でられる。
「もう一人で闘わなくて大丈夫だから……」
いつの間にか泣いていた。
キースの言葉が、リアムによって傷つけられた心を癒してくれていた。




