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2. アナベルという存在【ノア視点】


早足で逃げ去ったアイシャを見つめ、笑いが込み上げて来る。


………本当、おもしろい令嬢だよ。


リアムには婚約者候補から降りるとは言ったが、彼女を手に入れられない悔しさが私の胸に燻り続けていた。少しくらい意趣返しをしても良いだろうと思ってしまうのも仕方ない。


彼女と過ごす未来は予想外の連続に溢れていただろう。しかし、リアムを敵に回す事だけは避けなければならない。右腕として私の治政にはキースと共に必要な人材だ。アイシャを諦める事で、あの二人に恩を売っておくことは『白き魔女』を手に入れる事で得られるメリットより遥かに重要だ。


「ノア王太子殿下、この度は誠に申し訳ありませんでした。アイシャ様との時間を潰す様な事になってしまい」


アナベルの言葉に彼女の方を向くと、愁傷な様子で俯き、肩を落としていた。


「いいや。どうせアイシャが強引に連れて来たのだろうし、貴方に非はないよ」


「アイシャ様は不思議な女性ですね。初めてお会いした夜会では、なんて礼儀がなっていない方かと思いましたが、船旅でお会いして腹を割ってお話してみると、とても素敵な女性だと分かりました。確かに普通の貴族令嬢とは異なり破天荒と申しますか、我が道を行くと申しますか、型破りな方ではありますね。しかし、未婚の時は両親に従い、結婚してからは夫に従い、自身の意思を抑え込み生きて行く一般的な貴族令嬢から見たら、アイシャ様の自身の意思に逆らわず真っ直ぐに生きる生き方は眩しく映ります。誰しもが自分にないものを持つ者に惹かれる。わたくしもいつの間にか彼女の魅力の虜になっておりました。

ノア王太子殿下もそうだったのではありませんか?」


私を真っ直ぐ見つめ紡がれる言葉がゆっくりと胸に染み渡る。


確かに私はアイシャに惹かれていた。


愛していたと言っても過言ではない。

彼女の考え方、生き方に惹かれていたのだろう。


あの自由な生き方に、憧れもあったのかもしれない。王太子の立場では絶対に叶わない自由な生き方に………


「あぁ、確かにアイシャに特別な感情を抱いていたのは確かだ。しかし王太子である以上、愛だの恋だの己の感情だけで動けば国が傾き兼ねない。国民の命を守り安寧な治政を築く事こそ王族の最も重要な責務である。愚かにも自分の感情に従い滅んだ王族達に名を連ねる事だけは避けたいしね」


「ノア王太子殿下の立派な(こころざし)は素晴らしいものですが、それではあまりにお辛くありませんか?

アイシャ様は、リアム様とキース様にも求婚されています。そんなお三方のやり取りを見ているのはお辛いはずです」


まぁ、今後巻き起こるであろう三人のやり取りをアイシャへの感情をおし殺し見守るのは辛い事だろう。三人の仲を引っ掻き回してやりたいと思う程には悔しい。


「志なんて大したものではないのだよ。私が治める世が思い通りに進めば良いと考えているだけだ。貴方との婚約を直前に反古したのも、アイシャとの結婚がもたらすメリットが貴方と婚約するよりも大きかったからだ。しかし情勢が変わった今、アイシャを手に入れる事で起こるデメリットの方が大きくなってしまった。だから諦めるしかない。ただそれだけの事さ。

君が望もうが望むまいが関係なく、私との婚約は近々発表されるだろう。

それはリンゼン侯爵家から妃を娶るメリットが現状一番大きいからだ。それ以外の感情はいっさいない」


目の前のアナベルの瞳に涙が溜まり耐えかねたのか俯いてしまう。


我ながら酷い事を言っていると思う。はっきりとアナベル自身には全く興味はなくリンゼン侯爵家との姻戚関係を結ぶメリットのみで婚約すると言っているのだから。まぁ、そんな事は侯爵令嬢である彼女は百も承知だろうが………


彼女とは幼少期からの幼なじみでもある。小さな頃から私の婚約者候補として王城に来ていた彼女とは度々お茶会などでも顔を合わせていた。王太子妃候補として王城で妃教育を受けていたのも知っている。侯爵令嬢という立場上、他の令嬢達と比べ抜きん出て優秀だった彼女は、凛とした立ち姿もあり、どこか近寄り難く、その冷たく冷静な目で見つめられると私の中の弱い部分を見透かされている様で、正直苦手だった。王太子妃候補筆頭となったにも関わらず、二人きりで会う事を尽く避けていたのは苦手意識からだった。

お互いにお茶会や夜会でしか会う事もなく、会話を交わす事もなく大人になり、いつの間にかアナベルとの婚約が成立する寸前となっていた時に、アイシャが『白き魔女』としての力を復活させた事を知った。チャンスだと思った。好きでもなく、どちらかというと苦手意識の強いアナベルと婚約せずに済む。それだけではない、恋心を寄せているアイシャを妻に出来るかもしれないと。だからこそ夜会で強引な行動にも出た。


目の前に座るアナベルの肩が小刻みに震え、僅かだが嗚咽を堪えるくぐもった声まで聴こえてくる。


肩を震わせ泣く目の前のアナベルには、凛として佇み、深淵を暴かれる様な冷たい瞳を向けられた昔の彼女の面影はなかった。

肩を小さく丸め泣く彼女を見つめ、なぜ自分はこんなにも彼女に苦手意識を持っていたのか不思議に思う。


もっと早くアナベルと向き合っていれば彼女の違う一面が見られたのだろうか………




「ノア様がわたくしをずっと疎ましく思っていたのは知っております。

でも…でも、わたくしはずっとノア様だけをお慕いして参りました。

貴方の事だけを思い、貴方の役に立ちたい一心で辛い妃教育にも耐えてきた。貴方の横に立つのに相応しい令嬢になるためだけに必死に生きてきた。

………ノア様が好きだったから………

今はリンゼン侯爵家と姻戚関係を結ぶためだけの婚約で構いません。アイシャ様を忘れられなくても構わない。あの方を忘れるためにわたくしを利用なさいませ。いつか、貴方様の心ごと掴んでみせますから!」


下を向き肩を震わせ泣いていたアナベルの瞳に強い意思が宿る。


ハラハラと涙を流しながらも、強い意思を宿し煌めく瞳に魅せられる。


彼女もまたアイシャと出逢った事で、強い意思を持つ女性へと生まれ変わったのだろうか。


以前には見られなかった煌めく瞳を見つめそんな事を感じていた。


アナベルと築く未来もさほど悪いものではないのかもしれない………


弱さを見せ、自身の胸の内をさらけ出した彼女には、昔感じていた苦手意識はもう感じない。


テーブルに置かれた真っ白で美しい手に、手を重ねる。


「今のアナベルと築く未来は、希望に溢れているのだろうか?」


「えぇ。わたくしがノア様の御心を変えさせてみせますわ。わたくしと築く未来を後悔なんてさせない」


私の目を見つめ、瞳を輝かせ紡がれる言葉が私の心を温かくする。



「………っ!ノア様、笑って………」


「えっ?」


「初めてですわ………

………ノア様が微笑んでくれた」


アナベルの煌めく瞳にみるみる涙が溜まっていく。


涙を堪え笑うアナベルの表情は美しい………


そっと手を伸ばし涙を拭い、手に手を重ね紡ぐ。


「貴方と築く未来でもその笑顔が見たい」


「えぇ。もちろん………」


ハラハラと涙を流す美しい笑顔を見ながら、自身の心が熱く疼き出すのを感じていた。




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