10. パーソナルスペースの縮め方
………翌日………
「アイシャは馬に乗った事はあるだろうか?」
「えっ⁇馬ですか?
いいえ。乗ったことも触ったことも有りません」
前日の衝撃的なキスシーンから一夜明け、私はダイニングでキースと二人朝食を摂っていた。
ダイニングには長いテーブルが置かれ、10脚の椅子が左右に置かれているが、庭の見える一番窓際の席に案内され座った私の真横には、少し遅れてやって来たキースが座っている。こんなに広いテーブルなのだから真横に座らなくてもいいのにと思いつつ、フォークに刺さったトマトを口に放り込む。
きっと給仕し易いように隣に座ったのよ。
先ほどから私の朝食を取り分けたりと、甲斐甲斐しくお世話をしているキースの行動は取り敢えず気にしない事にした。
「そうか。せっかくナイトレイ侯爵領へ来ているし、一緒に遠駆けでもしようかと思ってね。
乗ってみたいって思わない?」
「馬ですか?
興味は有りますが、初心者が簡単に乗りこなせるものではありませんよね?」
「まぁ、早駆けするのは、初心者には難しいと思うが、ゆっくり駆ける分にはさほど技術はいらないと思う」
「でしたら………」
朝食を終え、着替えを済ませた私達は、邸宅から少し離れた場所にある厩へ来ていた。
「すごく広い練習場なんですね」
一貴族家が所有するには広過ぎる練習場を見て単純に驚いていた。
馬が逃げないように囲われた柵の中には、所々に馬術練習用の障害物が置かれた施設とは別に、初心者が馬を走らせて練習出来るだけの広さを持つ広場が整備されていた。
「ナイトレイ侯爵領地では、有事にすぐ対応出来る様に、実戦を想定した訓練を行なっているからな。本格的な練習場が必要になる。騎士団の遠征練習もナイトレイ侯爵領地の森の中で行う事も多いよ」
「なるほど~
だから森の中があんなにキチンと整備されていたのですね」
「………アイシャは、屋敷に来るまでに馬車から森の中まで見ていたのか?」
「えっ⁇まぁ………
森の中を進んでいるのにほとんど馬車が揺れなかったので不思議に思いましたの。馬車が揺れないのは、車道がきちんと整備されているという事でしょう。でも周りはビックリするくらい鬱蒼と茂る森の中。不思議に思わない方が変です」
「貴方という人は………
やっぱり何としてでも手に入れたい」
「………はい?」
瞳を輝かせ満面の笑みを浮かべるキースに両手を握られ引き寄せられる。
「普通の貴族令嬢であれば森の中の道が整備されている不自然さになんて気づかないものだ。貴方の持つ洞察力は本当に素晴らしい。幼い時に剣を目指しただけの事はある。そんな貴方を俺はずっと色眼鏡で見ていたなんて、自分の馬鹿さ加減が嫌になるな。こんな愚かな俺だからこそ、貴方のような聡明な女性が必要なんだ」
掴まれた手に口づけが落とされ、熱の篭った目で見つめられると落ち着かない気持ちになる。
「………キ、キース様………馬、馬………
馬に乗せて頂けるのでしょ!」
「はは!そうだった」
慌てる私を見て、目の前のキースが笑い出す。
………私からかわれたのかしら?
なんだか胸のあたりがモヤっとするが、気づかないフリをし、キースに手をひかれ練習場へ向かうと、馬丁が栗毛色の馬を厩から連れて来る所だった。
キースが馬丁から馬の手綱を預かると、握っていた私の手を馬の首筋に持って行き撫でさせてくれる。
馬ってこんなに大きい生き物なの!
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。この馬は性格も大人しいし、滅多に暴れたりしない。優しく鼻先や首筋を撫でてあげれば馬もアイシャに興味を持ってくれる。怯えていると馬も警戒してしまうからね。リラックスリラックス………」
手綱を馬丁に渡したキースに手をひかれ馬の前に連れて行かれる。
大丈夫大丈夫、馬は優しい生き物だ………
ゆっくりと馬と目を合わせると可愛らしいつぶらな瞳とぶつかる。
可愛いぃぃぃぃぃ………
長い睫毛に縁取られたつぶらな瞳がなんとも可愛いらしい。
徐々に距離をつめ優しく鼻先を撫でると嬉しそうに手に鼻先を擦りつけられた。
「コイツもアイシャの事が気に入ったようだな。
ほら、耳がピンと立ってるだろう。嬉しいってさ」
その後は馬に餌をあげたり、ブラッシングをしたりと交流を深め、いよいよ初乗りの時が来た。
鎧に足をかけたキースが、始めに乗り込み手を差し出される。鎧に足をかけ、手を重ねた時、強い力で引き上げられ、なんとかキースの前に跨る事が出来た。
「た、高いぃぃぃぃぃ………」
あまりの高さにアワアワし出した私を落ち着かせる様に腰を抱く腕の力が強まり、引き寄せられる。
「これなら怖くないだろう?」
すっぽりと抱き込まれた状態は妙な安定感があり、少しずつ落ち着きを取り戻した私の様子を見て、キースがゆっくりと馬を走らせる。
ただ練習場の柵の中をクルクル回っているだけなのに高い位置から見る景色は新鮮で時々吹く爽やかな風が心地よい。
ゆっくりと伝わる振動に身体が慣れ、馬の高さや揺れに順応し出せば、周りを見る余裕も出てくる。それと同時に感じる気恥ずかしさは、キースの胸板に背中を預けているからだろうか。
近いよぉぉぉぉ…………
背中から伝わる熱に、私の頬も熱くなる。
「離れようとすると危ない………
慣れて来たようだしスピードを上げよう」
「………っ‼︎」
そっと前に逃げようとした私に気づいたのか腰を抱く腕に力が入り、急に走るスピードが上がる。ビックリして、思わずキースの腰を抱く腕を手で掴んでしまった。
「怖い?大丈夫、すぐ慣れるから」
キースの言う通り、数周すれば速さにも慣れ、馬で駆け抜ける爽快感に興奮してくる。
「キース様!馬って楽しいです‼︎
もっともっと遠くに駆けてみたいわ!」
「では、明日一緒に遠駆けへ行こう!
ナイトレイ侯爵領の森には綺麗な場所が沢山ある」
「えぇ!楽しみだわ‼︎」
馬で駆ける楽しさに魅せられていた私は気づかなかった。アイシャとの近しい距離感にキースが満足気に笑みを浮かべていたなんて。




