8.災い転じて福となす?
『王都の喧騒を離れ、ナイトレイ侯爵領の自然溢れる地で一緒に過ごしませんか?◯月◯日、リンベル伯爵家へ迎えの馬車を向かわせます』
迎えに来たナイトレイ侯爵家の馬車に乗り、先日受け取ったキースからの手紙を読み返していた。
この手紙、私に拒否権ないじゃない………
一緒に過ごしませんか?って言ってるくせに迎えの日にちまで指定してあるなんて、結局のところ強制連行すると言っているのと同じだ。
私が当日迎えに来た人に行きませんって言ったらどうするつもりだったのかしらね?まぁ、侯爵家相手にそんなこと出来ないけど。
迎えの馬車が到着した時、逃亡しないように母がしっかり監視していた事を思い出し身震いする。
あぁぁぁ、私に逃げ道はないのね………
………なら楽しまなきゃ損よね!
ナイトレイ侯爵領ってどんな所かしら~♪
久々のバカンスに思いを馳せ、アイシャの乗った馬車はナイトレイ侯爵領に向かい進んでいった。
車窓から流れる景色は、街を抜け、田園風景を抜け、いつしか鬱蒼と茂る森の中を進む。王都から数時間離れるだけでこんな森林地帯があるなんて不思議に思う。よくよく考えれば、アイシャとして生を受けてから、こんなに遠くまで来た事がなかった。自由の効かない貴族令嬢の窮屈さを、今更ながらに感じていた。前世の記憶があるだけに、近場でしか外出を許されない現状が、ある種の不満を心に植えつけていたらしい。
そんな事を考えていたアイシャにとって、初めての遠出はそんな鬱憤を晴らす良い機会になった。
森の中を進みつつふと疑問に思う。馬車から見える景色は、迷ったら最後抜け出せないと思わせる程の鬱蒼とした森が広がっているのだが、車道はきちんと整備され、森の中を走っているのにほとんど馬車が揺れない。森の中でさえきちんと手入れが行き届いている様子は、ナイトレイ侯爵家の領地経営の素晴らしいさを物語っていた。
領地を持たない伯爵家と持つことを許された侯爵家の格の違いをひしひしと感じる。
本当不思議よね………
キースは次期ナイトレイ侯爵なんだから、もっと格上の相応しいご令嬢が沢山いるでしょうに。ノア王太子にしても、リアムにしても、私よりも身分も教養も美貌も兼ね備えた令嬢を選び放題なのに、何故私にアプローチを仕掛けるのかさっぱり分からない。これは、私ではなくリンベル伯爵家と縁戚になるメリットがあると見て間違いない。
じゃあ、ひとり娘の私には拒否権は無いじゃない!
政略結婚の末路を思い悶々とする。
『結婚後は妻に見向きもしない夫は、いつしか愛人を家に囲い出す。妻は嫁ぎ先でも蔑ろにされ、愛人が大きな顔をし、妻は別邸に追いやられ、夫からも忘れ去られ、寂しい人生を送りましたとさ』
………あら?この人生最高じゃないかしら?
別邸に追いやられてしまえばやりたい放題が出来る。つまりは、好きな趣味に没頭出来るではないか‼︎
田舎に引っ込んだら前世の記憶を頼りに妄想人生を謳歌するも良し、たまに変装して街に出て、カフェでお茶しながらイケメン観察するのも良し。薔薇色の人生が待っている。
後は、衣食住の心配がないよう、別邸に引っ込む前に交渉すればバッチリ!
これは、政略結婚どんと来いだわ‼︎
相手を選ぶ権利はこちらにあるようだし、軽い気持ちで行きましょ♪
単純なアイシャは、懸案事項が概ね解決し、ご機嫌な様子で馬車に揺られナイトレイ侯爵家領地にある邸宅へと到着したが、出迎えに現れたキースの態度に困惑する事となった。
エントランスに着いた馬車の扉が外から開かれ、差し出された手に手を重ねた途端引き寄せられた。
「………っ‼︎」
馬車を降りるため足元を見ていた私は、てっきり御者が手を貸してくれたと思い油断していたのだ。そのままバランスを崩し手を引いた誰かの胸に飛び込んでいた。
「アイシャ!夜会ぶりだね。まだ数日しか経っていないのに、君に会いたくて会いたくて仕方なかった」
あぁぁぁ、この素晴らしい胸板はキースなのね………
離せぇぇぇ………息出来んわぁぁぁぁ………
「………キ、キース様………離して……」
背中を叩き訴えると、私を抱く腕の力を少し緩めてくれた。
「………あの、キース様………
そろそろわたくしを離してくれてもよろしいかと思うのです。わたくし、まだ挨拶もしておりませんわ」
「挨拶などどうでもいい。
俺はアイシャとずっとこうしていたい」
「………」
なんだこの甘々なセリフは!
キースは何か悪い物でも食べたのか?
前世も含め恋愛経験の全くないアイシャは不思議でならなかった。デビュタントの夜会ではいきなりプロポーズされたが、一年前までは犬猿の仲だったのだ。それが一年でガラッと態度が変わるとキースに似た別人が目の前に居るのではと思えてくる。しかも何だか夜会の時より強引な気もする。やっぱりリンベル伯爵家と縁戚になるメリットはかなり大きいのだろう。
キースも可哀想に。家の為とは言え好きでもない女を口説かねばならないなんて………
目の前の男が段々と犬に見えてくる。ご主人の気をひこうと頑張る大きな犬に。
前世の記憶が蘇る………
あの頃飼っていたゴールデンレトリバーの『ポチ』の事を思い出し、胸がキュっと痛む。
大好きだったポチ、戯れあって押し倒される事も度々、背中を撫でてあげると嬉しそうに顔中を舐められた。
「………っ‼︎アイシャ、君って人は………」
私は無意識にキースの背中を撫で、ポンポンとあやすように叩いていたようだ。
「俺をあおったのはアイシャだからな!」
「へっ⁇………ふぅ………うぅ………」
気づいた時には遅かった。
唇を塞がれ、驚きで開いた唇から舌を差し入れられ口腔を蹂躙される。
えぇぇぇぇ、待って待って待って………
ディープキスされてる?
必死でキースの背中を叩くが抱きしめる腕の力は緩まない。
誰か助けてぇぇぇ………
「キース様、そろそろお辞めください!
アイシャ様が窒息します」
真横から聞こえた冷静な声と同時に唇の熱が離れていき、我に返った時には目の前のキースは屈強な男達に両脇を抱えられ邸内に消えるところだった。
「アイシャ様、大変失礼を致しました。我が家の主人の振る舞い、代わりましてお詫び申し上げます。
わたくしナイトレイ侯爵家領地の管理を任されております執事のライアンと申します。滞在中のお世話を侍女と共にさせて頂きますので、何卒よろしくお願い致します」
「こ、こちらこそよろしくお願い致しますわ。リンベル伯爵家のアイシャと申します」
目の前の執事ライアンは優しい笑みを浮かべた初老の紳士だった。しかし、キースの暴挙にも動じず対処する姿は妙な迫力がある。
さっきのキスシーンばっちり見られたわよね………
ライアンの後ろに控える使用人の方々の姿が見えるが、眉ひとつ動かさず整列する様は、かえって私の羞恥心を容赦なく煽ってくる。
………恥ずかしさで憤死するわ。
こうしてナイトレイ侯爵領地で過ごす一週間は、キースとのディープキスという想像すらしていなかった暴挙から始まったのだ。




