まだ息はある
「駄目だ! これではっ」
リンクスが絶望的な叫びを上げる。
「諦めないで下さい!」
ユーザーンは絞り出すように言って、回復魔法を再び起動する。
「ウード、ウードッ」
ティアナはガウとは反対側に座り込み、目を閉じたままぴくりとも動かないウードへ叫ぶ。
彼の心臓の辺りには深々と突き立てられた真っ黒な矢。
回復魔法の光に時折映えるそれからは、禍々しい気が流れ出している――が、大量に出血する恐れもある今は抜くことも出来なかった。
――何故こんな、どこから飛んできたの?
ティアナは人の気配に気付いて顔を上げる。
「カザイアから射たれた矢だ。あのエルフだろう」
サンタクララがレンカと共に立ち、ウードを見下ろしていた。
「あんた達、それ……?」
ガウの声。
無理もない、彼もレンかも血塗れだ。
「俺達は大丈夫だ、な?」
隣のレンカが相槌をうつ。
サンタクララの視界にはぴくりとも動かず、目を閉じ、蒼白な顔色の少年。それに取り縋って泣く少女の顔色も同じくらい青い。少年から生命の火が消えようとしている――誰の目にも明らかで、誰の口からも言えない事象。
「で――どんな感じだ」
驚く一同。
あまりにも事務的な口調のサンタクララを一斉に見る。
彼を非難する声はすぐには上がらない。
この場にいる誰もがとっくに気付いていたからだ。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
誰かが、いつかは聞かねばならなかった――そのことに。
唇を噛み、ガウは無言で俯く。
「サンタクララ、それを今……」
マルドゥムが言い掛けるのを目で制する盗賊。
ガウに再度視線を転じると、彼女は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、サンタクララを睨んでいた。
「まだ息はある――あるんだよ……」
震える声でそれだけを言った。
サンタクララはウードの胸に刺さる矢を一瞥する。矢の勢いが強かった所為か、うっすらと血が滲む程度。
――それでも、俺の身体とウードの小型盾で。
勢いが弱まっていたのだと思いたい。仮にあの矢が本来の勢いのままであれば、ウードの身体をもぶち抜いていた可能性はある。
「分かった」
短く答えるサンタクララ。
「ガウ、あ、あたし……」
彼女の隣に屈み込むレンカ。ガウは優しく微笑む。
「ううん。サンタクララが無事で良かった」
ウードに回復魔法を使おうとして何も出来なかったレンカは、倒れ込むサンタクララに気付き、走り寄ったのだった。
「ねえ、祈って? レンカ」
私もそうするから――ガウとレンカは頷き合う。
ガウは肩を震わせ、手を握り合わせる。
――神様、反省が足りなかったって言うの?
自分のどこにこんなに貯められていたのか、涙がいつまでも涸れてくれない。幾度もしゃくりあげ、両手で手を覆うことなどせず、ウードの顔を見つめ続けた。
周囲の人間に出来ることはない――そう思われた。
「ねえ、皆さん」
輪の中からおずおずと声を上げる者。
「手伝ってくれる? 何とか、出来るかも」
決然とガウを見たのはリンクスのかつての部下で、回復術士。
「あ、でも、絶対じゃないからね? 過度な期待はやめてよ」
小さく笑うケア・バナデサスだった。
「王よ」
「テト、あれはどうなっているのじゃ」
居合いの構えを解いたマルフォント・マナ王の瞳から緑の光が消えた。
彼らから少し離れた所に、竜の少女を始めとした一団が、倒れた少年を取り囲み何かを話している。
切迫した様子が王と兵士長にもびりびりと伝わってくる。
「は。あの少年が矢に倒れております」
ウードの状態を確認して来たテト。
「何じゃと。どこから、射られた」
「恐らく――」
カザイアからではないか、テトの推測を聞いてマルフォントは顔をしかめる。
「あの距離からか? 幾ら何でも」
「私にも確とは分かりません。が、彼らがそう言っているのです」
――私にだって信じられない。
現実としてあの少年は矢に倒れ、彼らの口からはカザイアからの攻撃だと、そう言われれば信じるしかない。
「馬鹿な、狙って万能の話者を殺したと?」
世界の損失だぞ、と王は歯噛みする。
「どう、なさいますか」
テトは、王の隣で屈み込み、彼らが組んだ円陣のような輪の中心、そこに横たわる少年の姿を辛うじて確認した。
――残念だが、あれではもう手の施しようがないな。
深く刺さった黒い矢、少年の生命は既に終わったと思わなくてはならないだろう、テトは断定する。
「どうするかじゃと? 少なくとももう、勝負どころではあるまい」
マルフォントは足元に転がっている、凡そ人の身では扱えそうにない程に巨大で黒い刀を見つめる。
――黒刀と斬り合って見たくはあったが、な。
きっと震えるほどに楽しい戦いになったに違いない――マルフォントは残念に思う。
「では、もう――?」
王と兵士長は、ガウ達が次第に悲壮感を帯びていくのを立ったまま眺めている。
「あれではな。それに、何より儂の興が削がれたよ」
踵を返し、王は本陣へ戻るべく歩き出す。
「で、では、彼らを助けることは?」
その背中に問いかけるテト。
「せぬよ――その代わり、今は手も出さぬ。それが儂の答えじゃ」
マルフォントは振り返らず声を出した。
「そう、ですか」
追いついて、隣に並ぶテト。
「なんじゃ」
「いえ、てっきり、あのまま竜の少女を斬ってしまうのかと。銀鱗も手にできたでしょうに」
マルフォントは笑う。
「それ程に冷血漢ではないよ。だいいち、儂がそんなことをしようとすれば、お前が止めたであろう?」
テトは出陣前、王を止められなかったことを思い出す。多分、今度こそは生命を賭けてでも止めただろう――考えながら、それはまあ、そうです、と頷く。
――ああ、そう言えば。
「あの少年の腕を落とした時、私には王を止める暇がそもそもなかったですよ」
テトは恨みがましい口調で言ってみる。
「ん? ――ああ、そうじゃったな」
マルフォントは大して気にもしていない風だ。少なくともテトにはそう見えた。
実際、気にするほどのことでは無いのだろう。
ゼルスタンという強大な国の王にとって、それくらいのことでいちいち気に病むなどあり得ない話だ。
その上で、王はぽつりとごちた。
「じゃが、あの時、儂はどうかして――いたのかもな」
――何と。
余りに素直な心情の表明にテトは驚く。
思い返せば、まだ若かった頃はこのように自戒を多く口にする王だったと思い出す。
――今、お見逃しになるのは、そういうわけですか。
テトは理解し、淡く笑う。
「ただし、監視をつけておけ。おかしな動きをしたら速やかに報告するように。国を作られでもしたら厄介じゃ」
抜け目なさも見せる王。
「さあ、では帰ろうか、王都に」
どこかせいせいとした王の声に、ええ、そうしましょう、と兵士長はほんの少しだけにこやかに、王の隣を歩く。
心なしか若さを取り戻したようにも見えるマルフォントの顔。ふとテトは背後を振り返る。
――リンクス殿の心痛いかばかりか。
だが、テトにはどうすることも出来ない。
せめて、今は触れずに置く――王がそう決断してくれたことに、テトは素直な謝意を抱いた。




