覚悟を決めろ――父と娘
全員を見送った後。
ティアナが振り返ると――何とも言えない表情をした父親がいた。
――あれ、この顔って……。
子供の頃。
マルドゥムが余りに同級生にモテるのが気に入らなくて、ティアナは部屋に閉じこもったことがある。
お父さんはあたしのお父さんなのに――いま思えばひどく下らないことだが、当時のティアナは真剣だった。
家族との押し問答を続け、膠着状態のまま夜になって、二人きりで話そう、と言う父親をティアナは部屋に入れた。
マルドゥムは椅子に座り、ティアナはベッドに腰掛け、涙を溜めた瞳を父親に向けた。
その時、マルドゥムは眉をひそめて泣いているような、何とも言えない顔をしていた。
「どうしてそんな顔なの?」
ティアナは訊いた。泣いているのはこっちなのに、と。
マルドゥムはやがて微笑んで、こう言った。
「ティアナ、お父さんが嫌いか?」
「そうじゃないよ。でも……」
みんなに構ってばかりじゃない――俯くティアナ。
するとマルドゥムは立ち上がってティアナに近づき、彼女の頭を優しく撫でた。
「お父さん?」
「いいかティアナ」
見上げた先、マルドゥム、口を開いて。
「父さんが守るのは――君だけだよ」
――何か、とても大事なことを言う時の、顔……?
「ティアナ、装備を確認しておけ」
「お父さん――?」父の声で今に戻るティアナ。
娘に言い置いて、自身も片手剣を鞘から抜き、床に砥石を置くと研ぎ始める。
暫くそうした後、彼は立ち尽くしているティアナを見上げた。
「いいかティアナ」
「な、なに?」
マルドゥム、片手剣の研ぎ具合を確認し、鞘に戻す。
「いきなりだが、覚悟を――決めろ」
鋭い語気。
覚悟って? そう問いかける娘に父はただ、一言。
「生き延びる覚悟だ――何があってもな」
それは多分、誰を殺しても自分は生き延びる、その覚悟を持てと言うことなのだとティアナは悟った。
ティアナを守りきれないかもしれないと、マルドゥムが言外に告げてもいるようだった。
――あの時とは逆ね。
彼女は唇を引き結ぶ。
君だけだよ――そう言われて機嫌を直し、部屋から出た子供時代。二人の間には明確に、守るものと守られるものという関係性が流れていた。
そして現在、マルドゥムはティアナに覚悟を求める。
関係性はそうやって、緩やかに変質していく。
――もう、守られるのは終わり。父さんを助けなくちゃ。
何よりも。
――ウードを見つける、までは死ねない。
ティアナ、決然とマルドゥムの目線を捉えて。
「ええ、分かった」
神妙に顎を引く。
夜半過ぎ。
妙な胸騒ぎを覚えてティアナは目覚めた。
部屋は真っ暗だ。隣に頭を巡らせると――マルドゥムは既に起きており、装備を身に付けているところのようだった。
「ティアナ、ちょうど起こすところだった」
「どうしたの?」
マルドゥムはカーテンを細く開き、窓外を見るように娘に告げる。
――部屋の光が漏れちゃいけないってこと……?
ティアナは真っ暗闇の中、マルドゥムが生み出した細い光にそろそろと近づく。
窓の外、見下ろした先。
松明を持った数人のオーガ兵が一斉にどこかへ走って行く。数は十か、二十。
「あたしたちが目的じゃ?」
「違うようだ。だが、ということは」
――オーガが必死になる対象。
リンクスさんかもしれない。そう呟くマルドゥムの声音に、朧気ながら確信の匂いがあると、ティアナは思った。
「行くぞ。全員を起こす」
軽く首肯し、ティアナはマルドゥムの後に続いて部屋を出た。
カザイアを脱出し、途中転移を何度か挟みつつ、近くの町までの道程をリンクスは何とか踏破した。
何日かかったのかは分からない。
時折野草を口にし、魔法で仕留めた獣の肉を喰らい、雨水で喉を潤しながら、死んではならぬ、トゥードに会うまでは――その思いの力、強さだけでリンクスはメルトハイヤまで辿り着いた。
――正直、こんなに離れているとは。
息子への連絡蝶にカザイアと録音したのは間違いだったか。
だが、この町に潜み、体力を戻した後カザイアに戻っても遅くはないはずだ、と己に言い聞かせる。
夜。町の門は閉じられ、彼の視界の先、遠くで一対の篝火が揺らめいていた。
近くの茂みに身を潜め、しばし休憩する。
静かな夜だった。
星の瞬きは抑え目で、虫の声や魔獣の唸り声も余り聞こえない。
念のため索敵魔法を起動する。
周囲に敵の気配はない。
彼はそこで、やっと気を緩めた。
――これから……。
メルトハイヤに入り、暫く身を潜める。
だが、オーガ中心の町で人間が目立たずにいられるか不透明だ。
いっそのことメルトハイヤを迂回し、もう少し人間の多い町へ、と考えるリンクス。
――だが、これ以上カザイアから離れるわけには。
そこで頭の中に警報が鳴り響く。
――接近警報。
腰を浮かし、茂みから辺りを窺う。
果たして、リンクスの視線の先の空間が揺らぎ、オーガ兵が五人、出し抜けに現れた。
――転移か。
カザイアからの距離から言って、何度か繰り返したのだろう。と、言うことは全員魔法が使えるのだ、とリンクスは当たりをつける。飛ばされたのではなく、自分で飛んだのだ。
アラームが耳障りになり、リンクスは索敵魔法を切る。
『街に入ったかもしれん、二手に分かれよう』
頷き、二人のオーガ兵がメルトハイヤの門へ走る。
残った三人、当たりをきょろきょろと見回す。
『まだ遠くへ行ってはいないはずだ、捜すぞ』
じりじりと範囲を広げる三人。やがて、リンクスの潜む茂みの近くまで一人の兵士がやって来る。
――どうするか。
辺りの魔力はそれほど濃くはない。
取り込んでも転移が精々だ。
だが至近距離に、武装したオーガ兵。
――仕方ない。
リンクスは胸に手を当て、心の中で呪文を詠唱する。
魔法の起動に呪文は必須ではない。だが、威力や効果を高めたい時には必要となる。
呪文は、必ずしも声に出す必要はない。
――少しでも距離を稼ぐ。
静かに、力強く。
――転移。
『いたぞ!』
オーガ兵がリンクスを見つけ声を上げるのと。
リンクスがその場から掻き消えたのは、ほぼ同時だった。




