連絡蝶
その日。
街道を南へ下る馬車に揺られ、ウードは声を聞いた。
うとうとしていたウードは、その声ではっと目を覚ます。
夢での出来事だったのか、幻聴だったのか。
とにかく、彼にとって懐かしく、ほんの少し前まではいつでも、望んでいなくても聞こえた、その、声。
声はこう言った。
――カザイアだ、トゥード。
ウードは知らなかったが、それはリンクスのような熟練の魔導師でなくては使えない、声を伝える連絡蝶。離れた相手に短い言葉を伝えることができる。
――今のは……?
「どうした少年」
隣の席で急に辺りをきょろきょろしだしたウードにサンタクララが声を掛ける。
「ウード?」
正面のガウも心配顔だ。
「いや――今」
ふらふらとその場で立ち上がる。だが、客車の天井は低く、頭をぶつけ、座席でうずくまるウード。
「ち、ちょっと?」
ガウの隣のレンカが驚いて腰を浮かす。
「声がしたんだよ!」
頭を抱えたまま、ウードは呻いた。
「声? 何だ、どういう――」
「誰の声なの」
父さんの、と言うウード。
「お父さん?」
「そうだよ! 今、確かに、はっきりと聞こえたんだっ……」
ウード、がばっ、と顔を上げる。
涙が静かに流れていた。
「父さんの声を、間違うわけないよ……」
ガウはサンタクララと代わり、ウードの隣に座る。
「お父さん、何て言ったの?」
ガウの問いに、しゃくりあげながらウードは口を開く。
「カ、カザイアだ、って」
「――ああ、よりによってだなウード。その声が本当なら、父上は今、王国でもっとも危ない場所にいる」
サンタクララは顎をさすった。
「オーガの街ね……」
思案顔のガウ。
「サンタクララ、ここからカザイアってどのくらい?」
「うーん。何とも言えないが……」
腕組みする美貌の盗賊。
「何せここは北の端っこだからな。ここから逆方向の端っこに行くとなると……二ヶ月」
「そんな!」レンカが唸る。
「悪くすると三ヶ月だな」
「本当なの……?」
ウードは縋るように皆を見渡した。
サンタクララの言う通り、ここは南端からは最も遠い土地。
と、何かを思い立ったようにガウがウードの目を見た。
「――方法ならあるわ。多分、あっという間に着く」
「おいおい。まさか帰還魔法か? しかし、この辺りの魔流はそんな濃度じゃ――」
「うん。精霊都市でならともかく、今は帰還は使えないよ」
濃度が足りないもの――呟くレンカ。
「ええ、分かってるわ――隊員さん、悪いけどここで一度休憩にしましょう」
ガウは御者台に座る兵士に声を掛けた。
街道を少し脇にそれてウード一行の馬車は停止する。
馬に水をやる、飼葉を与える――エフロン隊は無駄なくてきぱきとこなしていく。
それらを見守りながら、ウード、ガウ、レンカ、サンタクララ、そしてナヨリは車座になってその場に腰を下ろし、話を始める。
「今からは二手に分かれましょう」とガウ。
「む。何故だ」
サンタクララがかいつまんでナヨリに説明する。
「ナヨリとサンタクララ、レンカはこのまま王都へ」
「え、私も?」
てっきりカザイアに行くものだと思っていたレンカは意外そうな傷ついたような顔をした。
『ドラゴンに化って飛んでいくから。悪いけど一人しか乗せられない』
ドワーフ語だった。
レンカは無言で頷く。
「しかし、姐さん。確かに二人になれば旅程は多少縮むだろうが、それでも――」
「いいの、こっちは何とかする。王都の方をナヨリとで頼みたいの、サンタクララ」
するとサンタクララは髪を掻き上げ、ふっと息を吐いて。
「ナヨリ」
「む、何か」
「聞いた通りだ――行けるな?」
目を見てそれだけをサンタクララは訊き、全てを悟ったように、ナヨリはただ顎を引いた。
「そうか。よし、いいぞ姉さん。こっちは任せろ」
ナヨリの返答に満足したのか、黒ずくめの盗賊はガウにそう請け合った。
ウードとガウは馬車に乗り、王都組と別れ、街道を逸れて完全に人気のないところまで移動した。
馬車を降り、御者台の隊員に礼を言う。御武運を――言い置いて馬車は速度を上げて徐々に遠ざかり、すぐに見えなくなった。
見送って二人、近くの茂みに分け入る。
「ねえウード、思い出さない? サティルナス目指して山を下りたこと」
言われて、ウードも妙な懐かしさを味わう。実際、もう半年以上前の話だった。
「本当に、街道を逸れると物悲しいものね」
ガウはウードに黒刀、部分鎧の入った袋を預ける。
と、不意に恥ずかしそうな顔をする。
「悪いけど少し、後ろ――向いてくれる?」
「ご、ごめん」
少年が自分に背を向けるのを見て取ると、少女は身につけていた服も脱ぎ、彼の背中にそれらを詰めた背嚢を押し付ける。
「お気に入りだから、破りたくない」
「な、なるほど」
手を回してバックパックを取り、背中で答えるウード。
ガウはウードの背中に目線を合わせ、深く息を吸う。
人の形を取っている時には常に掛けてある意識の制限装置を――外す。
途端に奥底から涌いてくる力の奔流。
――あぁ、本当に、久しぶり……。
ガウはその感覚にゆっくりと身体を浸していく。
「じゃあ――やるね」
ウードの後頭部が頷きを終えないうちに。
静かに、だがあっという間にガウは本来の姿に戻っていく。人の形を解除し、莫大に質量を増やし、やがて見るものを畏怖させずにはいられない――竜へ。
ウードの目の前の地面に有り得ない面積の影が落ちる。びりびりと大気が震える。ガウが巨大化することによって一気に押し退けられた空気が、ウードに風となって吹き付けた。
風圧に動かされ思わず振り返るウード。
振り返り、そのまま息を呑む。
そこには。
彼が精一杯見上げても顔が見えないほどの、美しい、透けるような純白の竜がいた。




