小競り合い
前回「終わり」と言っていた幕間ですが、あと二本だけ掲載します。
よろしくお願いします。
テト・カノシスは朝起きると必ず水を飲む。それも、兵舎の側にある深い井戸から汲み上げた冷たい水だ。
冷水を飲むことで身体の芯を起こし、快活に動けるようになる――彼はそう信じている。
その日も水を飲もうと宿舎を出て井戸に向かうところを、兵士の一人が呼び止めた。
「カノシス中隊長殿、王がお呼びです」
――またか。
このところ毎朝だ。
分かった、と言いつつ、足早に井戸まで行ってどうにか水だけは飲んだ。
身体の隅々に冷感が行き渡り、自身を覚ます。
――今日は何の用か。
大体、一介の中隊長でしかない自分をこうも頻繁に王がなぜ呼び出すのか、去年あんなことがあったとはいえ、テトにはそこのところがよく分からなかった。
十四か十五で軍に入り五年、それまで鳴かず飛ばずだったが、去年マルフォント王の御代になってから、彼は中隊長に出世した。
おおよそ三百人程の兵士を束ねるのがゼルスタン王国における中隊長の役割だ。
マルフォント・マナ王は先代よりも迫力はないが気さくで目端の利く王と言われ、テトがふだん詰めている兵舎にもたびたび顔を出しては兵士たちに分け隔てなく、何気ない会話を交わすことしばしばであった。
テトがなぜ中隊長に出世したか――そのきっかけは去年の騒乱だ。
東方で勃発した異種族間の紛争を収めるため、ゼルスタン王国から一旅団、三千人ほどが派遣され、その中にテトもいた。
旅団長はエート・ザミアと言う人物で、手堅い戦略と丁寧な指揮で王の信頼も厚い人物だ。
王都を出て一月半。
陽が落ちて本日の行軍はここまでとなり現在、旅団は野営中。目指す地はもうすぐそこで、明日には到着と思われる。
「なあに、今回はそんなに難しい任務じゃない。たかがオークとゴブリンの小競り合い、我々にかかれば――」
テトの二年先輩が訳知り顔だ。
「弱いのでありますか」
当たり前だ、雑魚だよ雑魚、と言う先輩には同調も否定もせず、目の前の夕食をやっつけていく。
――雑魚、ねぇ……。
オークとゴブリンは王国への加盟歴が浅いため、実際の戦闘力など詳しいことはよく分かっていないのが実情だ。
それゆえ雑魚、とテトの先輩が言ったのが何かを根拠にしているのかは分からない――或いは。
「そ、総員、戦闘準備!」
ただの、はったりか。
突然の号令に兵士達は慌て、それぞれのテントに走る。
だが、彼らが武器を手にテントを出る頃。
――何だ、あれは。
見上げた東の空。
陽も落ち暗闇であるはずの空を、何処かから放たれた大量の火矢が、まるで曙光のように真っ赤に焼いていた。
現場は大混乱に陥った。
火の海と化した野営地をどうにか逃げ出せたとしても、いつの間にかオークとゴブリンの連合軍が辺りを取り囲んでおり、一人、また一人と王国の兵士の生命を奪っていく。
――これは、仕組まれていたのか?
テトは携えた剣を握りしめ、火の熱さも気にせずその場に立ち尽くしていた。
密かにゴブリンとオークは手を組み――信じられないことだが――王国に反旗を翻したのだ。
紛争を装い、王軍を釣り出し、殲滅しようと――仮にそうなった場合、その事実が王国全土に知れ渡れば、同調する他種族が出るだろう。
――どうする。
ここでこの争乱を食い止めなければ王国は瓦解の危機に直面する。それは避けねばならぬ、が――。
テトはとにかく本陣に向かった。野営地から出るな、待ち伏せされているぞ――逃げまどう兵士にそう、叫びながら。
だが、本陣は既に灰と化していた。加えて、矢で眉間を射抜かれていたのは。
――旅団長殿っ……。
かっ、と目を見開き、絶命しているエート・ザミア。
――お労しや。
テトは屈み込んで彼の目をそっと閉じた。
――む……。
時間が経ち、火の勢いが弱まってきていた。立ち上がるテト。
追加の火矢が飛んでくるのも時間の問題だ。いや、残りは直に討ち取りに来るか。
いずれにせよ絶体絶命。
すると、先程のテトの指示を聞いた兵が、ぽつぽつと集まってくる。
平均よりは背の高いテトは遠くからでもよく見えるのか、気づけば五百から七百くらいの兵が集まっていた。
「残りはどうしたんだ」
テトは先頭の兵に声を掛ける。
「ああ。残りは焼け死んだか、周りのゴブリン、オークどもに殺られたんじゃないか」
と言う兵も半ば諦めているのか、幾分口調が投げやりだ。
――意外に……。
残っている。
だが、絶望を加速させるように、彼らの頭上に再び火矢が飛んでくる。
恐慌は兵士全体に広がるかと思われた。
テトは叫んだ。
「狼狽えるな! 全員一カ所に固まり、盾を掲げよ!」
兵士達には全員、鉄製の盾が支給されている。
果たして火矢は弾かれ、地面にバラバラと落ちる。
「弓兵! 矢を拾って、射よ!」
『こういう状況では大声と、どんな無茶な命令でも自信を持って言い切ることが肝要なのじゃ』
テト、十五の時に参加した先代の王による竜狩り。
圧倒的な竜の攻撃に今回のように逃げ惑う兵士たちを、王は一喝して理性を取り戻させた。
火のついた矢だ、普通は拾わない。射返さない。
だが、それをやったらどうなるか?
――さあ反撃だ。
今度は、恐慌を起こすのは――敵だ。
弓兵たちは必死になって、火矢を拾って射ち返した。今やこちらは冷静さを取り戻し、敵は逃げ惑っている。
――少し、疑問だった。
と言うのも。
――なぜ奴ら、攻め込んでこなかった?
火の海の中、先程までであれば、攻め込んでさえいればこちらは全員討ち取られていた。今テトたちが生き残っているのは、追撃がなかったからだ。
――つまり……。
「いいか、奴らは火を恐れている! 各自、松明を持って五人一組となり、各個で敵を撃破せよ!」
火が強力な武器なのはとうぜん理解して、使えもするのだろう。だが、彼らは本能的には火を恐れているのだ。
テトの命令によって兵士たちは素早く再編成を終え、恐慌中のオーク、ゴブリン連合軍に殺到した。




