争乱を呼ぶ者
「お師匠様、今日の訓練は何ですか?」
少女は邪気のない笑顔で老齢の女性に話しかける。
「そうだねぇ、あんたは空間魔法が苦手だから、そこをもう一度やっておこうか」
老女はテーブルの上のマグカップを手に取り、中身を一口飲む。
ここは彼女の自宅だ。
薄暗い室内に魔法具や素材などが所狭しと収納されている。今は窓際のテーブルで二人座って、お茶の時間。
「えー。空間魔法ぉ?」
少女はあからさまに嫌そうな顔だ。お師匠はからからと笑って少女の頭に手を置く。
「いいかい? あんたは語学ばっかりで魔法が全体的に弱いんだから、空間魔法の基礎くらい出来なくてはね」
「わ、分かった」
「分かりました、でしょ? 今はあんたの高祖母さんじゃない、お師匠様だよ」
「分かりましたっ」
居住まいを正す。
「いい返事だ」
にっこりする女性。
「でも玄孫のお願いも聞いて?」
「ん、何だい?」
すると少女は満面の笑みで。
「空間魔法の勉強が終わったらオーガ語、教えてっ」
溜め息を吐く高祖母。
「ああもうこの娘はまったく」
まあ語学の方があんたの性に合ってるのかもな、と諦めたように呟いた。
「だって、お師匠様は『万能の話者』って奴なんでしょ? たくさん教えて貰わないと損だもの!」
少女は早くもテーブルの上に紙とペンを取り出し、勉強モードだ。
高祖母は軽く咳払いする。そうして、可愛い玄孫の目を見て。
「いいかい? あたしが『万能の話者』だってこと、余所で喋っちゃあいけないよ」
「え? どうして?」
「争いの元だからさ。万能の話者って奴はね、あらゆる人種、種族の垣根を強引に取っ払うんだ。考えてもご覧? ドワーフ共にあたしらが何を話しているか筒抜けになったら――」
ドワーフ、エルフは恐ろしく仲が悪いことで有名だ。
「まあ大変。喧嘩ね。大喧嘩だわ」
じゃろ? と高祖母は頷く。
「反対に色んな種族を束ねられたところで、結局は王国とぶつかる――どっちにしろ良いことはないのさ」
「ふうん。難しいのね」
「ま、あたしが生きているうちはそんなことにはなるまいがな……」高祖母は肩をぐるっと回し、首を捻る。流石にこの歳になると、最近、関節が動かないことがある。
「分かった! 私、言わないわ、誰にも」
うん。いい子だ――玄孫の頭を強く撫でると、高祖母は簡単なオーが語から教えていった。
あれから、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
サクヤは自分に割り当てられた部屋で椅子に座り、ぼんやりと窓から外を眺めていた。
夜、リンクスにこっそり会いに行ったのがサルクにばれ、この部屋から出ることを許されなくなっていた。
ゼルスタン国王、マルフォント・マナはつい最近サルクが追い返した。
それからずっと、街はある種の熱気と喧騒に包まれている。
防衛戦になることを見越して、窓外ではオーガの人足達が忙しく駆け回っていた。
間違いなくマルフォント・マナは攻めてくるだろう。
一方的な離脱宣言など、あの王が呑むはずもない。
近いうちに来るだろう――それも、大軍勢を連れて。
「で、どう? 勝てる?」
今やオーガの王となったサルクに、サクヤは勝算を聞いたことがある。
オーガの兵力は多く見積もっても二万。
対して、十万近い兵力で来るであろう王国をどう捌くのか。
サルクはむしろ、意外そうにこう言った。
「勝算はあるのかだって? 呆れたな、お前には俺がそんな無謀な奴に見えていたのか」
あるに決まってるだろう――サルクは自信満々の顔。
――お手並み拝見ね。
髪を掻き上げる。
――私は別に、どっちでも良いけれど。
淡々とした感想。
世界を出来るだけ掻き回す。
争乱を誘う。
混沌を呼ぶ。
先のない時代にする。
そうすればきっと出てくるに違いない。
――万能の話者が。
いつだって、それは争乱の中心にいるはずだ。
高祖母が言っていた。万能の話者は争乱の元だと。ならば争乱を起こせば、自ずと現れるのではないか?
サクヤはそう考えた。
――必ず、見つける。
彼女が今、カザイアにいるのはそう言う理由だ。
――高祖母さま……。
子供の頃、サクヤは信じていた。
次の話者は私だと。
だが、何十年も前に高祖母が亡くなった後、いよいよ私に万能の話者が引き継がれるのだと思っていたサクヤの期待は見事に裏切られた。
待てど暮らせど、その加護はやって来なかった。
だから、痺れを切らしたサクヤは探すことにしたのだ。
結果、ゼルスタンを裏切ってここにいる。
そうして、最近になって一つの噂を聞いた。
サティルナスでフードを目深に被った男が、真っ黒な刀を操る女剣士と奇妙な言葉で会話をしていたと言うのだ。
サクヤはその噂の真偽を確かめるため、いま人を遣って情報収集させている。
だが、サクヤには奇妙な確信があった。
その男が『万能の話者』に違いない、と。
――そいつがどんな奴だろうと、必ず探し出して。
エルフは天井を高い見上げ、冥い笑いを漏らす。
――探し出して、私が――殺す。
そうすれば『万能の話者』は今度こそ私に与えられるのだ。
「だってあれは元々、私のなんだから」
それを信じて疑わない。




