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シャリーフ(一)

 パシュトゥーン人はパキスタンにも居住している。パキスタンは主にウルドゥー語を話し、パンジャーブ人が多数派を占めている。パキスタンにおけるパンジャーブ人はほとんどがイスラム教徒である。対してパシュトゥーン人は全体の二割前後である。

 イムランはパンジャーブ人の系譜を受け継いでいる。

 パシュトゥーン人はもとより部族内の結束力が強い。一方でパキスタンの軍部はほとんどがパンジャーブ人で構成されている。アフガニスタンにおけるタリバン政権は親パキスタンであり、ISI(統合軍情報局)は長年にわたってタリバン政権に物資や人員、資金の援助を行ってきた。今回のアメリカ・タリバン合意において最も得をしたのはパキスタンだと言っても良いだろう。歴史的に見ればパキスタンとアフガニスタンは友好関係ではなかった。パキスタンがインド帝国から分離独立した際、アフガニスタンは国家として独立を承認しなかった。そもそもが、パキスタンの大半を占めるパンジャーブ人は、アフガニスタン全土とパキスタンの一部領土にいるパシュトゥーン人をよく思っていなかった。こうした民族的な根深い問題も相まって両国の関係は冷え切っていた。

 だが、パキスタンはソ連のアフガン侵攻において、ムジャヒディンへの軍事訓練や資金提供を行ったとされている。それと同時に、ジハード主義者とされる武装組織―――アルカイダやアル・バドル、カシミール分離独立勢力などへの支援も行っている。イスラム教徒にとって、何よりも天敵であるのは神の存在を否定する共産主義だった。そのため、宗教は異なれど、神の存在を肯定する西側諸国にパキスタンもアフガニスタンも好意的だった。

 ソ連侵攻時代のパキスタンはまさに戦争特需だった。おまけにパキスタン国境に集結したアフガン難民との関係を持ち、後のタリバンの戦闘員たちとのコネクションを築き上げたのだ。

 イムランはその中でも、タリバンとパキスタンの情報局を結ぶ連絡役だった。

 タリバンがアフガニスタン北部での攻勢を強め、アフガン治安部隊やアメリカ軍を南部へと押しやった頃、徐々に戦後処理の話題が評議会の中で行われるようになった。

 薄明りの中で、陰険そうな老人たちが膝を突き合わせながら話し合っている。その姿を滑稽に思いながらも、イムランは静観していた。

 議論の中で多くは西欧諸国に対してイメージを強化しなければならないという点だった。とりわけタリバン政権下では経済制裁を科す国も出てくると予想することができた。

「対外的には女の権利や子どもの権利を重視していると見せればいいだけでは? 情報は徹底的に統制するか、北朝鮮にでも倣えばいい」

 長老の一人がそう言った。

「だが、外国人を受け入れた時に情報が漏れればすべてが終わってしまう」

 別の長老が即座に反論した。

「ではどうするのだ? シャリーア法は施行されなければならない。特に死刑制度だ」

「我々はそれに関しては問題ないと考えている。なぜなら、シャリーアはサウジアラビアやカタールでも施行されてる。これらは、西側と密接に繋がってる国だ。正直なところ、いくらアメリカでも彼らだけ良くて、我々だけがいけないとは言えないだろう。アムネスティのような豚どもは五月蠅いだろうが」

 イムランは背筋をピンと伸ばして、口を開いた。

「ならば、折衷案を取るしかないだろう。対外的には国民に恵みを与える姿を見せ、一方では段階的にシャリーアに基づく法改正をすればいい」

 イムランが淡々と言い放った途端、会議場は静まり返った。

 長老たちの反応は様々だった。イムランに対して好意的な者もいれば、パンジャーブ人に過ぎないと憤慨する者もいた。その様子が、タリバンは一枚岩の政体でないことを物語っていた。

「今のシャリーアの運用は州によっても、部族や軍閥によっても異なる。だからこそ国としての統一見解が出せない。特にアメリカ的価値観に慣れ切った連中を押さえるのは一苦労だろう。処刑してしまえば、国際世論を気にするどころじゃなく、国民まで敵に回す。二〇〇一年にカブールが陥落したときの失敗を再びやりたいというなら、止めはしないが、ムチばかりで飴がない政治を誰も受け入れはしない」

 イムランの言葉に、何人かが頷いた。

 彼らがシャリーアを厳格に運用しながらも、欧米の価値観を考慮する理由は、ソ連のアフガン侵攻の教訓を得ていたからであった。当時のソ連共産主義は「神」の存在を否定していた。現在でも北朝鮮や中国を始め、ミャンマーやラオスなどは宗教の自由がないのだ。無論、アフガニスタンやイラン、サウジアラビアなども、一つの宗教を重視するため、自由に制限はあるが、少なくとも「宗教そのもの」は存在する。だからこそ、タリバンは共産主義思想を浄化するためにも、シャリーアに厳格に従わなければならないという極右的な強硬路線を選択し、これを国民に遵守させた。国民には共産主義思想に染まった者もおり、かなりの抵抗があった。多数の国民が処刑されたり、暴行を受けたりし、タリバンの支持は低迷した。当初の宗教的復興は、徐々に、かつてキリスト教社会が経験した迫害と弾圧へと変貌し、タリバンは複数の反タリバン組織から狙われるようになった。そして、内戦が勃発したのである。アメリカによる侵略も、シャリーアの厳格な運用による迫害や弾圧を背景に肯定された。

 だからこそ、ソ連とアメリカの侵略を経験したパキスタンの長老たちは、西側諸国に、アフガン制裁の根拠を与えるような外交政策に反対であった。アメリカのアフガン侵攻によってインドとの要衝となるアフガニスタンを奪われたことで、パキスタンは対印政策に後れを取っていたからだ。パキスタンとしてはタリバンが暴走せずに、「寛容」になることを求めた。

「この中にも、パシュトゥーン人を弾圧するパキスタンをよく思わない人間がいるのはわかる。私も、あんたたちに銃口を向ける日が来るかもしれない。しかしこれは国益を損なう行為だ。パキスタンはあなたたちを援助する用意がある。シャリーアに関しても、パキスタンの保守派は支持してくれるだろう」

 イムランはムスリムであったが敬虔というわけではない。タリバンの情熱や復古主義を学習し、理解してはいるが、時代遅れの遺物だと感じているのも確かだった。それは彼がパキスタンの法の二重構造の中で育ったからに他ならない。

 彼はアフガニスタンがパキスタンよりも時代遅れで未熟な国であると考えていた。パキスタンはイスラム色の強い国家であるが、政教分離やイギリス的思想の影響を大いに受けていた。九〇年代のシャリーア法施行に伴ってイスラム法こそが最高法規であるとした。だからといってイギリス法思想を完全に放棄したわけでもない。地域ごとに運用のレベルには差がある。とりわけ過激派が潜伏する地域では、シャリーア法が厳格に守られているところもあるだろう。

 だが多くのパキスタン人は、シャリーア以上に軍部と文民政治家の軋轢に関心がある。その軋轢はシャリーア法と民主主義を融合した国家としてのパキスタンに固有の問題であった。

 逆にタリバンなどのシャリーア法を重視する政権は、こうしたパキスタンのムスリム的民主主義が理解できなかった。パキスタンの政情は軍と文民の対立関係であった。

 隙あらば軍部はクーデター工作を行い、反民主的な軍事独裁政権を築こうとする。文民は軍部を抑え込もうと圧力を強め、対外工作も行った。

 パキスタンは民主主義国家特有の経済支配のハンドリングを巡る権力闘争が存在した。文民政治家は汚職による利益独占を画策する者もいれば、国民の社会福祉を向上させようとする者もいた。一方で、軍人たちは公共施設や商業施設を運営し、巨額の投資を受けている。その利権構造は文民政治家たちの格好の的だった。これらの事業で得た利益は、軍人の給与や福利厚生にあてられる。大半はパンジャーブ軍人に有利な経済構造であり、これは多くの少数民族の反発を招いている。

 何を隠そうパンジャーブ人であるイムランもこの恩恵を受けている。彼自身、ISIの諜報員として活動する以前から、パンジャーブ人としての恩恵、軍人としての恩恵、そしてパシュトゥーン人に対してどこまでも優越できる恩恵を授かりながら、育っていった。彼はムスリムであるが、シャリーア法に束縛されない人生を送っていた。こうしたバックボーンは、彼の傲慢さとプライドを増長させていった。そして、そんな彼だからこそ、タリバン支援のための連絡役という仕事は天職だった。恩恵に伴って生じた彼独特の思想と任務の失敗を常にタリバンに押し付けられるという立場は、とても楽だった。

 彼が無能というわけではない。イムランは優秀な諜報員だった。これまでに多くの外国人人質事件を演出した。彼の初任務は、米軍によるビンラディン暗殺の際のパキスタン政府とのつながりを示す証拠の隠滅であったが、難なくこなして見せた。さらにアメリカとの関係悪化に伴って、中国政府高官と接触し、軍部の物流顧問が窓口になれたのも彼の働きが大きかった。

 そうした自負心がイムランの精神を支えていた。

「異教徒がやって来ても。それが例え女性であろうと、寛容な態度を示せば他国の非難は免れるだろう。アメリカ人の行動を制限するのは仕方がないにしても、いくつかの国々を味方に付ければいい。スイス人とか日本人とかな」

 逆を言えば、外国人を誘拐したり、極度に差別してはならないのだ。

「お前たちにそそのかされて一部の青年組織が日本人を殺したこともあった」

 長老の一人が震える手でイムランを指差した。彼が言っている日本人殺害事件とは二〇〇〇年代に発生した非政府組織の日本人メンバーの射殺、あるいは十年ほど前に発生した日本医師の殺人事件のことを意味する。

 イムランは二〇〇〇年代に起きた事件知らなかった。当時、身代金目当ての犯行として外国人誘拐事件が散発的に発生した。人道支援はタリバンが統治する地域の正統性を脅かすものだった。タリバンは政権崩壊と共に混乱し、迷走し、そして多くの外国人を殺害した。事件を主導したのはパキスタンの情報機関であったとされている。

 パキスタンとしても、自らの政府や宗教の正当性を維持するためには、アフガニスタンという緩衝地帯が何よりも重要であった。そしてアフガニスタンやタリバンが外国人の誘拐や殺害によって、世界的に孤立すればするほど、パキスタンの介入する余地が広がるため、都合が良かった。

「私は知りません。当時はまだ子どもでしたので」

 イムランは苦笑しながら長老の一人を見つめた。彼は本当に日本人殺害事件に関して何も知らなかった。知る立場にないのではなく、パキスタン側はそうした命令をタリバンに下したという公的な記録がないからである。しかし諜報機関の特性上、記録なき作戦が存在したのかもしれない。

「私の考えでは、女性教師や女性医療スタッフ、さらには通訳まで殺害する必要はない。ただでさえ医師不足で外国の介入を許している状態なのに、それを減らすのはまずい。さらに通訳は武器を持たせずに検問に置いて、外国人の通行人の前に立たせればいい。英語ができるパシュトゥーン人がどれだけいると思う?」

 長老たちは顰め面をした。

 イムランの言っていることは間違っていない。だが、女性や通訳はいわばシャリーア法とアフガニスタンを裏切った背信者に等しい存在なのだ。北部の平定過程で、既に一部の派閥は、女性ジャーナリストや医療スタッフ、アフガン治安部隊の隊員、そしてその家族を容赦なく公開処刑している。

「奴らは我々を裏切った。それだけではない、シャリーア法に背き、アッラーまでをも裏切ったのだ。異教徒と手を組んで」

 イムランはため息を吐き、がくりと項垂れた。

 アフガニスタンは二十年前の状態に戻ろうとしている。それがアフガンの半数の人間の憎悪をもたらすにもかかわらず。

 内憂外患はより深刻な状態になるだろう。恐らく二十年の統治は約束される。しかし反タリバンの武装勢力は蜂起するだろう。それが散発的な攻撃であったとしても、ISISやアメリカと同盟を組みながら地下での抵抗活動を継続させるかもしれない。

 隣国のタジキスタンやイランとの関係も深刻である。タジキスタンはアフガニスタンの少数民族であるタジク系住民に関心を抱いており、彼らが不利益を被った場合、国際世論に訴え、アフガンを非難する。

 イランとは水資源を巡る紛争もあり、さらにはシーア派大国であるイランにとって、スンニ派国家であるアフガニスタンは目の上のこぶであった。それでも対米協調路線によって、現在のイランはその矛を収めた状態であるが、カブールが陥落してからは即座に立場を変えてくる可能性もあるのだ。

 イランは現実路線として協調を画策しているようだが、イラン人のアフガン憎悪は留まるところを知らない。五年も経たないうちに、イランはアフガニスタンに銃口を向けてくるだろう。

 加えてイランは中国やロシアとの間に経済同盟を結んでいても、軍事同盟になると複雑な関係となっている。二つの大国はイランを口先だけで支持する反面、具体的な物的支援や経済支援となると弱腰である。中国は現在、対イラン支援において四千憶ドル相当の投資を約束しているが、遅々として進まない。イランは貿易の三分の一程度を中国に依存しているが、中国は百分の一程度であり、イランの経済的重要度はむしろ低い。さらにいえば、イスラエルが武力攻撃するなどした場合、アメリカとの関係悪化を恐れて、中国がイラン支援をしなくなる場合もあるだろう。

 中国の動向も慎重に分析しなければならない。中国はパキスタン経済回廊構想を打ち立てている。これをアフガニスタンまで伸ばすことができれば同国の経済的影響力は計り知れないだろう。だがその後はどうだろうか。

 中国はウイグル問題を抱えていて、それに不快感を示すアフガニスタン人も存在する。評議会の中でも中国の過度な影響力拡大に警戒心を抱く人間もいる。また、ISISや反タリバン武装勢力が中国人をターゲットにした誘拐や殺害事件が発生すれば、タリバンはその矢面に立たされる。

 イムランが思案していたのはパキスタンとの関係であった。

 パキスタンは、ソ連によるアフガン侵攻の際、ムジャヒディンの支援をしていた。タリバンの幹部の中には、アフガン侵攻の際に難民となり、パキスタンに住んでいた者もいるほど、双方の関係は密接である。現在でも、パキスタンの首相や大臣、情報局長などがタリバンと交渉をしながら、復権後のアフガニスタン政策について話し合っている。

 しかし両国の関係は非常に複雑である。

 パキスタンとインドは長年の宗教対立と領土問題を抱えており、武力衝突が発生することがある。これはアフガニスタンにも少なからず影響を及ぼしている。インドはこれまでアフガニスタンに存在する非タリバン勢力を支援し続けてきた。タリバンがパキスタンの支援を受けているからである。

 そのため、インドはアフガン現政権も支援している。もしタリバンが政権を奪還したならば、インドは外交方針をすぐさま切り替え、反アフガン政策を推進するだろう。そうなれば、ISISにも武器や資金を提供する可能性が高い。つまりアフガニスタンを代理とした印パ戦争の火種がくすぶっている状況なのだ。

 また、パキスタンとアフガニスタンの関係も決して一枚岩ではない。ソ連とアメリカのアフガン侵攻は両国の友好関係を最大化したといっても過言ではない。その一方で、パシュトゥーン人の一部が、パキスタン北西部のワジリスタンへと流れていった。彼らは国境付近に拠点を置き、タリバン運動を発足した。このことが両国の新たな火種になりつつある。

 この武装組織は、ワジリスタンにおけるパキスタン軍の掃討作戦に対する復讐と強固なイスラム体制導入への希望から、反パキスタンを掲げ、政権の打倒を目標としている。その動きは非常に好戦的であり、パキスタンのリベラル派や外国人へのテロ攻撃や誘拐事件を引き起こす。これによって、パキスタン・タリバン運動だけでなく、アフガニスタンのタリバン政権に対する国際評価にまで影響を及ぼすのである。たとえば、二〇一四年にノーベル平和賞を受賞したパキスタン人・マララ・ユスフザイを銃撃したのも、パキスタン・タリバン運動である。この事件によって、タリバン運動の発祥であるアフガニスタンも、西側諸国と東・アフリカ諸国による非難を受けることとなった。

 パキスタン・タリバン運動には二つの問題があった。それは実際に、タリバン政権がパキスタン・タリバン運動を支援し、パキスタン・タリバン運動側も、人的資源をアフガニスタンに提供しているという点である。今のところ、パキスタン側はパキスタン・タリバン運動が国を離れ、アフガニスタンへ回帰すると予想し、黙認している状況であった。

 もう一つは、運動が、シャリーア法を全世界に拡大するという帝国主義的な野望を持っている点である。彼らはパキスタンにおけるイスラム体制の確立に成功した場合、影響力をインドへ拡大し、ヒンドゥー教を撲滅し、統一国家を建国しようとしている。

 イムランは、彼らの野望の実現に懐疑的であった。だが、タリバン政権は、思想的問題を抱えた組織との互助関係を維持する方針に言及していない。この事実は、いずれパキスタンとアフガニスタン・タリバン政権との間に、致命的な破局をもたらすことになる。

 さらにいえば、中国との関係もいずれ悪化する懸念があった。今でこそ、北京政権の一帯一路によって中東・アフリカと中国との間にある臭い問題には蓋がされた状態である。しかし中国はウイグルを中国化し、重要な戒律を破らせているという。中国は現在、中東・アフリカ諸国におけるイスラム教徒たちを招待して、親中派コミュニティを形成しようとしている。だが、中国人にとっては、これを外国人に対する優遇措置や中国の歴史と伝統を破壊する行為に映り、政権への反発とイスラムフォビアが加速している。

 そんな中でパキスタン・タリバン運動はパキスタンを訪問した中国人の誘拐やテロ攻撃を実行することもある。彼らはアフガニスタンの国境を越えることもあり、タリバン政権に無断で中国人の誘拐や殺人を実行する懸念もあるのだ。

 もしそうした事件がきっかけとなり、中国の国民が爆発的に反イスラム運動を展開すれば、その影響は国境が隣接しているパキスタンに及ぶ危険性がある。

 タリバンの不手際によって、パキスタンが揺れることがあってはならない。

「ならば我々も、これ以上見て見ぬふりはやめた方が良いのか?」

 イムランは鋭い視線を長老たちに向けた。長老たちは全員、彼から視線を逸らす。

「そもそもパキスタンが、パシュトゥーン人の弾圧を始めなければ起こらなかったことだ」

 若い男の声がした。

 長老たちの背後に隠れる形となっていたが、一人の青年が冷たい表情でイムランを見つめていた。その不遜な態度に、イムランは思わず眉を動かした。

「パキスタンは原因を作り、我々は過程のための道を敷いたに過ぎない。それがどのような結果をもたらすのかは、アッラーにしかわからないだろう」

 その青年は、アフガニスタンとパキスタンの国境沿いに位置するタリバンの一派閥の指揮官であった。アフガニスタンにあるCIA基地があるとされる地域に住み、パキスタンのパシュトゥーン人との間にも交流がある人物である。

「ハッサン、よすんだ」

 長老の一人がハッサンと呼ばれた若き指揮官の肩に手を置く。

「申し訳ありません」

「歴史認識問題は興味深い話だが、私は現代の現実的な話をしている。誤魔化してほしくないのは、両国の安定を願っているのは、私もあなたたちも同じだという点だ。だからこそ、腐った部分は切り落として、清浄にしなければならない」

 イムランは立ち上がった。

「皆さんがどんな選択をするにせよ、我々はカブールの陥落まで付き合いますよ。その後の保障はできませんがね」

 そう言って、イムランは立ち去っていった。




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