↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/6

ハンター(一)

 炎天下の砂漠は、フロリダやカリフォルニアのような気候と違い、大気そのものが刃のように肌を裂く。褐色の大地を黙々と歩き続け、半日が過ぎた頃、ようやく目的の施設が地平線の揺らぎの中に姿を現した。

 衛星写真では上空から区画と輪郭が見えるだけだったが、ここではより詳細な光景を見ることができる。

 バーナード・ハンターは汗を拭い、双眼鏡を目に当てた。眼下にそびえたつ無機質な白い施設の全景を舐めるように観察する。

「現在地はエスファハーン州ナタンツ郡だ。この下に遠心分離機やドローンの製造工場があるらしい」 

 抑えた声で告げると、背後を警戒していたオスカー・ウッドが低く問い返した。

「破壊はできないのか?」

「ああ。バンカーバスターがない限り無理だ。それに今日は、どちらかといえば人員の抹殺だからな」

 そう言って、バーナードはスマホを取り出して「本社」と呼ばれる場所に「作業に取り掛かります」とアラビア語で送った。「本社」からは何も返信がないため、バーナードは空を見上げて親指を立てる。

「きっと衛生画像で見てくれてる。今は八Kだしな」

「明日は十二Kだな」

 オスカーは軽口をたたきながら、同じように双眼鏡で基地周辺を見渡した。

 どの諜報機関でもそうであるが、諜報活動というのはいくつかの種類に分かれている。一つがオシントと呼ばれる活動であり、これは「オープンソース・インテリジェンス」の略称である。主に新聞、雑誌、インターネット、政府機関や国際機関の報告書などの公開されている情報を分析することである。各国の諜報機関が行っているオシントは、諜報活動全体の割合で九割を占めるほどである。

 しかし、公開情報というものは重要な情報を秘匿したり、あるいは適切な表現をしていない場合がある。そこで行われるのがシギントと呼ばれる活動であり、通信や信号を傍受する「シグナルズ・インテリジェンス」の略称である。各国の諜報機関は世界中で日々交わされている数十億人の通信を傍受し、通信内容やパターンを分析する。あるいは偵察衛星や偵察機によって撮影された画像を分析するイマジント、いわゆる「イマージェリー・インテリジェンス」も行われる。

 だが、文字や音声、映像の分析にも限界はある。諜報活動で最も重要なことはオシントとシギントで得た情報が正確であるか、その裏付けが必要なのだ。

 そこで行われるのがヒューミント、「ヒューマン・インテリジェンス」である。これは実際に現地に諜報員を派遣し、重要人物や現地工作員との接触や交渉、情報収集などを行うことである。

 そして何を隠そうバーナードとオスカーが行っていることは、ヒューミントの一環なのである。彼らはアメリカ合衆国の工作員であり、一か月前にイランに派遣された。

 彼らの任務は悪名高いウラン濃縮施設であるナタンツ核施設の偵察と要人の観察にあった。今日はこの核施設にアミル・ナザリというウラン濃縮技術の開発責任者が訪問することをシギントによって確認していた。

「イランのアインシュタイン」と呼ばれるアミルは、アメリカ、イギリス、イスラエルなど反イラン連合にとっては、国家元首以上に危険な男だった。彼は中央アジアにおける核施設構築の第一人者であり、北朝鮮への技術提供を行った人間であり、さらにはロシアとの核開発パートナーシップ締結の立役者でもあった。それは国際秩序そのものを揺るがす存在だった。

 そして彼は揺るぎなき愛国者であった。反キリスト教的な価値観を持ち、アメリカの覇権に牙をむき続ける男だった。

 アメリカにとって間違いなく「敵」である。

 バーナードは写真を取り出し、光を遮るように掲げた。灰色の顎鬚を蓄えた初老の男が写っている。

「こいつが来たら、本社に連絡するぞ。いいな?」

 オスカーは受け取った写真を一瞥し、鼻を鳴らす。

「アラブ人にしては髭が薄いな」

「研究者だからだろう。遠心分離機にこいつの髭が落ちてみろ。放射性物質で髭が伸びるかもしれん」

 砂の上で乾いた冗談が弾ける。オスカーは笑い返し、再び双眼鏡の奥へ視界を沈めた。

 そのとき、砂漠を貫く一本の道路の向こうに、砂塵を巻き上げる車列が現れた。灼熱の蜃気楼に歪む空気の中でも、それははっきりと分かる。

「時間通りだ。あの車両の中にいるのか?」

 オスカーが低く呟く。

「多分な。顔が確認できなければ連絡できない」

 バーナードは注意深く車の姿を追った。

「それにしても高画質の偵察機からの映像でも、標的の姿を俺たちが確認しないといけないのはどういう冗談なんだ?」

 バーナードはオスカーの問いにしばらく考え込んだ後、口を開いた。

「頭くらいしか見えないからだろ。あとはズームすると画質が荒くなるからとか?」

「なら十二Kに期待だな」

 オスカーはうんざりした様子で皮肉った。

 車列が施設の検問所らしき建物の前で停止した。銃で武装した兵士が車に近づき、何かを問いただす。運転手が窓から手を伸ばした。その手には身分証が握られている。兵士はそれを奪い取るように受け取り、検問所の中へ消えた。

 一分ほど経過した頃、検問所の兵士が戻ってきた。

 姿勢を正し、車列に対して敬礼する。

「急に態度が変わったな」

「少なくとも検問所の連中より、上の階級の人間がいるんだろうな……」

 車列は検問所を抜けると、まっすぐに一つの建物の前で停まった。スーツや白衣、軍服を着た人間が車を出迎えていた。

「確認できたか?」

 バーナードが尋ねたが、オスカーは「まだだ」と呟きながら小さく首を振った。

 車の中から、武装した護衛兵士たちがぞろぞろと降りて周囲を警戒していた。その後に、勲章を飾り、豪奢な制服を身に纏った高官らしき人物が降りてくる。

「イスラム革命防衛隊の少佐までいる」

 イスラム革命防衛隊とはイラン最高指導者に所属する武装勢力のことである。イランはイラン正規軍とこの革命防衛隊によって安全保障が成立している。中でも、革命防衛隊は陸海空、国内の治安民兵部隊、対外作戦部隊であるゴドス部隊で構成されている。そしてゴドス部隊は、非対称戦やテロ作戦などのイラン国外で秘密裏に西側諸国に対する攻撃を行うことで知られている。

 革命防衛隊の高官と施設長が固く握手を交わす様子が、双眼鏡のレンズ越しに捉えられる。しかし、アミル・ナザリの姿は確認できなかった。

「くそっ、どこにも見えねえ」

 オスカーが舌打ちをすると、バーナードは焦燥を押し殺しながら、目を凝らして車列を確認した。

 施設長と高官が内部へ消えると、高官が背後の兵士たちに短く命じる。一台の車を指差すと、兵士たちは即座に散開し、周囲を囲むように警戒態勢をとった。

 中から一人の男がゆっくりと車から降りてくる。

「……奴だ。中央のSUV」

 バーナードが低い声で呟いた。

「アミルか?」

 オスカーが双眼鏡でSUVを確認する。中からスーツ姿の男が施設から出てきた白衣の男と握手した。スーツの男の顏は写真のアミルと異なり、髭が長くなっているが、背丈や髪型、顔の特徴などが一致した。

「ああ」

 オスカーは双眼鏡と手に持っていた写真を交互に確認する。そして、写真を捨て、スマートフォンを取り出した。

「本人か?」

 バーナードはしつこく確認した。

「そう、奴だ。本社に連絡する」

 バーナードは素早く「家主の方に、サインをいただきましょうか?」と丁寧な文を送った。これは「本社」に目標を確認したとする合図だった。

 この合図によって、イスラエル諜報特務庁「モサド」が事前に仕掛けていた爆弾を起爆させる手はずとなっている。仕掛けは周到であり、それは十年にも及ぶ歳月を要したらしい。モサドは以前からハンガリーやスイス、チェコにダミー会社を設立し、イラン軍事企業への正規納入業者として信用を勝ち取ってきた。そして彼らのポケベルと軍用トランシーバーの組み立て工程に、爆薬を密かに注入していた。

 さらに作戦空域上空には、長距離滞空型の無人攻撃機が旋回し続けていた。次の瞬間、

 施設のあちこちで爆発が発生した。兵士たちの腰やポケットにあったポケベルとトランシ

 ーバーが同時多発的に爆発した。武器庫にも誘爆が起こり、大きな爆発音と黒煙が遠く

 で立ち込めた。どうやら武器庫に配置されていた兵士の通信機器にも爆薬が仕込まれてい

 たらしい。

 兵士たちがアミルを守るため、盾になろうとする。しかし彼らのポケットにあったポケベルも爆発した。腹部が裂け、臓腑が砂に落ち、悲鳴もなく崩れ落ちる者もいる。トランシーバーを顔に当てていた兵士は、破片が脳幹を貫き、即死した。破片が頸動脈を切り裂いて、もがき苦しむ兵士もいた。

 アミルは爆風に弾かれ、尻もちをついた。白衣は血と砂に染まっていく。

 施設警報が咆哮するようにけたたましく鳴り響いた。遠くでは、消防のサイレン音まで聞こえてくる。

 バーナードはアミルが生きているのを確認し、「サインは完了しておりません」と「本社」に連絡した。

 するとその直後、空を裂く音がした。雲を一刀両断するように、一筋の白線が閃光と共に落下する。爆炎が天を照らし、黒煙が滝のように舞い上がる。地上構造物は紙細工のように潰れ、アミルは炎の渦に呑み込まれた。雷鳴にも似た轟音が、遠くにいたバーナードとオスカーの耳をもつんざいた。

 無人機による高精度誘導爆撃だった。

「今日は外さなかったな」

 オスカーが皮肉をこめた薄ら笑いを浮かべた。

 煙が収まるまでバーナードとオスカーはアミルのいた場所を見下ろしていた。熱風が鎮まり、煙の切れ間から、かつてアミルが立っていた地点が露わになる。 

 そこには、何も残っていなかった。

 バーナードは周囲を確認する。爆心地周辺一キロ内に、生存反応はない。アミルの肉体は、炎と衝撃波の底へと消え去った。

 バーナードはスマホに視線を落とし「サイン完了しました」と送信した。

「撤収だ」

 バーナードは無機質にそう告げると、双眼鏡をバッグに押し込み、何事もなかったかのように砂漠へと戻っていった。

「拠点まで戻る。そこで次の指示を待とう」

「了解、ボス」

 オスカーは周囲を警戒しながら、バーナードの後ろに続いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。