第九章 エリア98最後の日
【医療施設内】
目を覚ますと、白い天井が見えた。
フォスターはしばらく天井を眺めていた。
右腕には包帯が巻かれている。
痛みはまだ残っていたが、さっきまでの焼けつくような痛みはない。
身体を起こす。
ベッドの脇には、着替えが用意されていた。
フォスターは服を着替え、病室を出た。
廊下の先に、小さなラウンジがあった。
そこに三人がいた。
ホットドッグ屋のオヤジ。
ジュリア。
そしてエリオット。
三人とも、いつもの格好をしている。
オヤジは椅子に座り、腕を組んでいた。
ジュリアは窓際に立っている。
エリオットは端末を眺めていた。
フォスターに気づくと、オヤジが立ち上がった。
「具合はどうだ?」
「悪くない」
「そうか」
オヤジは安心したように息を吐いた。
フォスターは三人を見回した。
「説明してもらおうか」
「そうだな」
オヤジが頭を掻いた。
「まず、謝らなきゃならん」
「何を?」
「黙ってたこと全部だ」
フォスターは黙って三人を見た。
オヤジが椅子に腰を下ろす。
「オレたちは、ただの住民じゃない」
「……だろうな」
「オレはホットドッグ屋をやってる。ジュリアも表向きは女優をしてる。エリオットも整備士だ」
「それで?」
オヤジは一度、ジュリアとエリオットを見た。
「ローウェルエリア長直属のフィールド・エージェントだ」
フォスターの表情が変わった。
「フィールド・エージェント?」
「そうだ。普段はそれぞれの仕事をしながら、エリア内の情報を集めている」
ジュリアが口を開いた。
「必要なときには、エリア長の指示で現場にも出るの」
「つまり、工作員か」
「まあ、昔の言葉ならそういうことだ」
オヤジが苦笑した。
「オレたちの仕事は、できるだけ普通の住民に見えることだ。だから、普段の生活も仕事も偽物じゃない」
「なるほどな」
フォスターは腕を組んだ。
「それで、オレを助けに来た」
「そうだ」
「どうして?」
オヤジは少し黙った。
「ヴェイン博士だ」
フォスターの顔が険しくなった。
「エリア長は、前からあの男を危険視していた」
「なぜ?」
「研究内容もそうだが、あの男の考え方そのものが危険なんだ。自分の考えこそが正しいと思い込んでいる。そのためなら、他人を巻き込むこともためらわない」
フォスターは黙って聞いていた。
「エリア長は、ヴェインが何かを企んでいると考えていた。ただ、研究所に強制的に踏み込むだけの理由がなかった」
「だからオレを使ったのか」
オヤジは頷いた。
「おまえがヴェインのところへ行けば、何か出てくるかもしれない。そう考えた」
「それで、あの研究所へオレを誘導した」
「すまん」
オヤジはそう言って頭をかいた。
「いきなり、あんな危険な目にあうとは思ってなかったの」
ジュリアが下を向いたまま言った。
「フォスターさんに埋め込まれたニューロ・リミッターには音声を記録できる機能も備わっています。我々はヴェインのしっぽを掴めればと……まさか、あんなことになるなんて」
エリオットが申し訳なさそうに言った。
「これで、なぜこのエリアにオレが招かれたのかが、よくわかったよ」
フォスターは何とも言えない気持ちになっていた。
「オレたちは確かにエリア長の部下だ。命令には従わないといけねえ、だがな……」
「私たちはみんな、あなたのことが好きなのよ。だから絶対に死なせないと決めてたのよ」
ジュリアの目は少し潤んで見えた。
「私もあなたには嘘の話をしました。でも、あなたに話した気持ちだけは本当なんです」
エリオットもそう言って唇をかんだ。
フォスターはしばらく黙っていたが、椅子に腰を下ろして言った。
「ヴェインはどうなるんだ?」
「おまえとの会話はすべて記録されている。反逆罪として裁判にかけられるだろう。もう表には出てこれないだろうな」
フォスターは何も言わず、右腕の包帯を見つめていた。
その後、フォスターは五日間、医療施設に留められた。
右腕の治療だけなら、もっと早く済んでいた。
だが、銃創の状態を調べるだけでなく、ニューロ・リミッターの作動状況や身体への影響についても、いくつもの検査を受けさせられた。
検査が終われば、また別の検査が待っている。
フォスターには、それが少し鬱陶しかった。
その間、一度だけローウェルエリア長が見舞いに来た。
ベッドの脇に立ったローウェルは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべていた。
「大変な目にあったねえ」
フォスターは黙ってローウェルを見た。
「腕の具合はどうだい?」
「問題ありません」
「それはよかった」
ローウェルは安心したように頷いた。
「それにしても、何であんな所へ行ったのかね?」
フォスターの眉がわずかに動いた。
「……」
ローウェルは不思議そうな顔をしていた。
「危険な場所だという話もあっただろう?」
「知りませんでした」
「そうか。まあ、君も災難だったね」
フォスターはローウェルの顔を見つめた。
言ってやりたいことはいくらでもあった。
だが、オヤジに頼まれていた。
──くれぐれも、エリア長の策略だったことは知らないことにしてくれ……
「心配かけてすみません」
フォスターはそれだけ答えた。
ローウェルは満足そうに笑った。
「いやいや。何か困ったことがあれば、いつでも言ってくれたまえ」
そう言って、部屋を出ていった。
フォスターは閉じた扉をしばらく見つめていた。
【セントラル・コア】
五日目の午後。
ようやく退院の許可が出た。
右腕にはまだ包帯が巻かれているが、日常生活には支障がないという。
外へ出ると、さわやかな風が頬を撫でた。
フォスターは空を見上げた。
このエリアに来てから、もう一か月近くになる。
そして明日の朝には、ノクターンへ戻らなければならない。
その日のうちに、フォスターは三人に別れを告げることにした。
最初に向かったのは、ホットドッグ屋だった。
店先に立つオヤジは、フォスターを見るなり目を細めた。
「出てきたか」
「ああ」
「腕は?」
「大丈夫だ」
「そうか」
オヤジは笑った。
だが、その笑顔にはどこか寂しさがあった。
「明日の朝には、ノクターンへ戻る」
「……」
しばらくして、オヤジが言った。
「なあ、フォスター。控訴してみたらどうだ?」
「控訴?」
「刑を取り消せる可能性が、まったくないわけじゃねえんだろ?」
フォスターは首を振った。
「気持ちはありがたい。でも、いいんだ」
「そうか……」
オヤジは、それ以上言わなかった。
「世話になったな」
「こっちこそだ」
フォスターは店を出た。
* * *
次に向かったのは、ジュリアのところだった。
「明日ね」
「ああ」
ジュリアはしばらくフォスターを見つめていた。
「……控訴はしないのね」
「みんな同じことを言うな」
「だって、死ぬ必要なんてないじゃない」
フォスターは苦笑した。
「ありがとう。君の演技は素晴らしかったよ」
「フォスター……」
ジュリアは精一杯、息を飲み込んだ。
「さよなら」
「さようなら、フォスター……」
* * *
最後にエリオットの整備工場へ向かった。
エリオットは作業の手を止めると、フォスターを見た。
「もう明日なんですね」
「ああ」
「……何て言ったらいいか」
「ありがとう」
「元気でって言うのもおかしいですね」
エリオットは少し困ったように笑った。
フォスターはエリオットの肩を軽く叩いた。
「さよならだ」
フォスターは整備工場を出た。
そのあと、フォスターは学校へ向かった。
以前、ここで出会った少年のことが気になっていた。
自分には、もう何もしてやれない。
それでも、最後にもう一度、あの少年の顔を見ておきたかった。
学校に着くと、校庭には誰もいなかった。
静かな校舎から、ときおり子供たちの声が聞こえてくる。
授業中なのだろう。
フォスターは校門の前に立ったまま、校舎を見上げていた。
しばらく待ってみた。
だが、子供たちが出てくる気配はない。
フォスターは小さく息を吐いた。
「……仕方ないな」
校門を離れる。
一度だけ振り返った。
あの日と同じように、四階建ての校舎はただ静かに佇んでいた。
フォスターはそのまま歩き出した。
すっかり日も暮れ、フード・ラウンジで軽く食事をしてノードへ足を向けた。
【BAR ノード】
ノードの扉を開けると、店内にはほとんど客がいなかった。
カウンターの奥で、マスターがグラスを磨いていた。
フォスターに気づくと、顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
「いつもの頼むよ」
フォスターはカウンター席に腰を下ろした。
マスターが棚からウイスキーのボトルを取り出す。
グラスに大きめの氷をひとつ入れ、琥珀色の液体を静かに注いだ。
マスターは静かにグラスをカウンターに置いた。
フォスターはグラスを手に取った。
琥珀色の液体をしばらく眺める。
それから、ゆっくりと口をつけた。
冷えたウイスキーが喉を通っていく。
フォスターは黙ったまま、グラスをカウンターに戻した。
「いよいよ、明日ですか?」
マスターが手を止めて言った。
「ああ。あんたにも世話になったな」
「とんでもございません。どうでした、このエリアは?」
「ここへ来るまでのオレは、自分の見たものが本当にそうなのか信じられなくなっていたんだ。オレは今何を見ているのか不安で仕方なかった。だが、ここへ来て、いろいろな人に会って……
」
フォスターは言葉を切りウイスキーを一口あおった。
「いろいろな人の想いというか、情熱みたいなものに触れて、これだけは信じられると思ったんだ」
マスターはじっとフォスターを見つめていた。
「ここへ来た甲斐があったよ。あんたにも会えたしな」
「ようございましたね」
マスターはまたグラスを磨き始めた。
翌朝。
フォスターがノクターンへ戻る日が来た。
エリア98行政庁舎の応接室では、ローウェルが窓の外を眺めていた。
その背後には、大きなテーブルとソファが置かれている。
ドアが開いた。
副長のノア・スペンサーが顔を出す。
「ローウェルエリア長、コリン・ラドフォード氏がお見えです」
「通してくれ」
「はい」
スペンサーが下がると、すぐにひとりの男が入ってきた。
コリン・ラドフォード。
「久しぶりですね、エリア長」
「そうだね、ラドフォード君」
ローウェルは振り返った。
「約束のインタビューだ」
「ええ」
ラドフォードは応接室を見回した。
「ひとつ、お願いがあります」
「何かな?」
「フォスターとは、二人きりで話をさせてもらえませんか?」
ローウェルは少し眉を上げた。
「二人きり?」
「はい」
「それは、どういう理由だ?」
「今日は記事にするためのインタビューじゃない。彼が本当に何を考えているのか。それを聞きたいんです」
ラドフォードはローウェルをまっすぐ見た。
「誰かが同席していたら、本音は出てこないでしょう」
ローウェルは応接室の天井に視線を向けた。
目立たない位置に、小さなカメラが設置されている。
──この部屋の映像と音声は、私の執務室でも確認できる……
「よかろう。ただし、約束の時間までだよ。フォスター君は今日、ノクターンへ戻ることになっているからね」
「分かっています」
応接室のドアが開いた。
フォスターが入ってきた。
右腕にはまだ包帯が巻かれている。
ラドフォードは立ち上がった。
「フォスターさんですね」
「ああ。あんたは?」
「コリン・ラドフォード。ジャーナリストです。もう引退してますが……今日はよろしくお願いします」
ラドフォードが手を差し出す。
フォスターはその手を見た。
そして、ゆっくりと握った。
「こちらこそ」
二人は手を離した。
ラドフォードがソファを指した。
「どうぞ」
フォスターは黙って腰を下ろした。
ラドフォードも向かいのソファに座る。
テーブルを挟んで、二人が向かい合った。
「一か月過ごされてどうでした?」
「……いろいろあったが来てよかったと思っているよ」
「何か感じませんでしたか?」
「何か?」
「ここに住んでいる人間に共通したイメージですよ」
「そうだな、それぞれに張りつめたものというか、情熱みたいなものは感じたよ」
「情熱ですか……私は今でこそ富豪の仲間入りをしてますが、貧乏育ちの叩き上げでしてね。このエリアの人間を見ていると反吐が出るんですよ」
「……」
「ここの住民の共有しているもの、それはいわゆる“選民意識”ってやつでね、このエリアにいることにがすべてだと考えている連中ですよ」
「そうかな、オレはそうは思わなかったが……」
「『自由な選択』なんてものを掲げているが、そんな子供のお遊びをやってられるのもGAAからの資金提供があるからでね……その資金ってのは、どっから出てるんです?ほかのエリアから絞りあげた金でしょ?新しい時代が来たと喜んでいるが、私に言わせりゃ新石器時代以降、同じことを繰り返しているだけだ……いや、申し訳ありません。こんな話をするつもりじゃなかった」
ラドフォードは軽く咳払いをして続けた。
「時間がないので、私から話させてもらいます。あなたに関する記事や裁判での記録など、大体のものは目を通させてもらいました。
どれを見てもマレー博士への殺害動機はわからない、記憶にないという答え。これはもう、あなたのことを調べ、こちらが推測するしかないと思いました。
あなたはマレー博士のことを昔から知っていた訳じゃない。同居していた女性が興味を持ち始めたあたりから知ったに違いない。
同居していた女性はマレー博士の思想に影響されエリア98に移住してしまう。このことにショックを受けマレー博士を恨み殺害するというのは、どう考えてもあり得ないことだ。
なら、マレー博士殺害の動機は何なのか?マレー博士が死ぬことによって、あなたに利益が生じないとするなら結論的にそれは恐怖しかないと私は思いました」
ラドフォードはじっとフォスターを観察しながら言葉を続けた。
「マレー博士があなたに与える恐怖とは何なのか?マレー博士は“自由なる選択”を掲げていた。つまり、あなたはこいつに慄いていたに違いないと思いました。
だとすると、それはあなたのこれまでの生活の中であった出来事が関係していることになる。簡単に言うとトラウマってやつです……」
フォスターは固まったように耳を傾けていた。
「私はあなたの経歴を調べ、あちこち聞いてまわりました。で、あなたが最後に在籍していたUDRA(都市災害対応機構)で何かがあったと確信しました。
どうです?何か心当たりありませんか?」
フォスターの目が一瞬、大きく開かれたが、すぐに閉じられた。
「何か、あったような気がする。でも、もう思い出したくない」
ラドフォードはしばらくフォスターを見つめていた。
時間はもうなかった。
「UDRAに行きましたが門前払いでしたよ。あそこはメディアの世界でもタブー視されているところですからね。
仕方ありません。私がやったことはここまでです。まあ、いろいろと考えさせられましたよ……あなたに、もうこれ以上何も聞きません。ここまでにしましょう」
ラドフォードは立ち上がりもう一度手を差し出した。
「実はね、胃に悪性の腫瘍が見つかりましてね……これから再検査に行かないといけないんですよ。やっと人生を楽しめると思ったのにね」
フォスターはその手を握って軽く握手をした。
ラドフォードはフォスターが何か言うのを待たずに部屋を出ていった。




