第十章 死刑執行
【エリア98 入域ゲート】
フォスターは、エリア98行政庁舎の地下搬送口にいた。
目の前には、一台の黒い輸送車が停まっている。
その横に、ローウェルが立っていた。
「お別れだね」
「世話になりました」
「んん、何て見送ればいいのか……」
ローウェルは神妙な顔を見せた。
フォスターは少し笑って首を振った。
護衛官が近づいてきた。
「時間です」
フォスターは輸送車へ向かった。
後部ドアが開く。
フォスターが乗り込む。
ドアが閉まった。
輸送車がゆっくりと動き始めた。
ローウェルは、その後ろ姿をしばらく見送っていた。
スペンサーが隣にやってきた。
「行きましたね」
「ああ」
「不思議な男でしたね」
「そうだな」
「でも、これほどうまくいくとは思いませんでした」
「そうだね。彼は見事に役割を果たしてくれたよ」
ローウェルは目を細め、静かに息を吐いた。
【NEWS】
それから半年後。
リアム・フォスターの死刑が執行された。
そのニュースは、ほんのわずかな時間だけ報じられた。
「マレー博士殺害事件で死刑判決を受けていたリアム・フォスター氏の刑が、本日未明、執行されました。関係当局によりますと、刑の執行は予定どおり行われ――」
キャスターは淡々と原稿を読み上げた。
しかし、そのニュースはすぐに終わった。
「続いて、本日発表された新たな統合管理AIについてお伝えします」
画面が切り替わった。
そこには、巨大なデータセンターの映像が映し出されていた。
「GAAは本日、次世代型統合管理AI『オルフェウス』の正式運用を開始すると発表しました」
画面には、複数のエリアを示す地図が映し出された。
「オルフェウスは、これまで各エリアが個別に管理していた交通、医療、エネルギー、食料供給などの情報を統合し、エリアを越えた包括的な管理を可能にする画期的なシステムです」
キャスターの声が続く。
「GAAは、このシステムによって、より安全で効率的な社会の実現が可能になるとしています」
フォスターの死刑執行は、関係者だけでなく、一般の人々にとっても、ばつの悪い、気まずいニュースだった。
フォスターがひどい目に遭えばいいと思っていた者はいた。しかし、まさか本当に死刑が執行されることになるとは、誰も考えていなかった。
各メディアも、GAAが発表した新たな統合管理AI「オルフェウス」を好意的に取り上げ、大々的に特集していた。
【エリア34】
エレナはひさしぶりにエリア34に来ていた。
フォスターと暮らしていたレジデンスを訪れるためだった。
フォスターは身寄りがなかったため、刑が執行されたあと、様々な手続きをエレナが引き継ぐことになった。
一緒に暮らしていたレジデンスの契約を終了し、部屋にある残置物も業者に片付けさせるつもりだったが、念のため部屋を確認しておこうと考えた。
レジデンスのエントランスを抜け、エレナはエレベーターに乗った。
壁面のディスプレイに、居住者向けの案内が静かに流れている。
エレナが行き先を入力すると、エレベーターはほとんど揺れることなく上昇を始めた。
しばらくして、目的の階に着いた。
扉が開く。
静かな廊下に出る。
エレナは歩きながら、並んだドアを見ていた。
以前は何度もこの廊下を歩いた。
それなのに、ずいぶん遠い場所に来たような気がした。
フォスターと暮らしていた部屋の前で足を止める。
エレナは端末を取り出し、解錠操作をした。
小さな電子音が鳴った。
ロックが外れる。
ドアを開ける。
部屋の中は静まり返っていた。
窓から差し込む午後の光が、リビングの床を細長く照らしていた。
エレナは中へ入り、ドアを閉めた。
室内には、まだ生活の気配が残っていた。
ソファの上にはクッションが二つ並んでいる。
壁際には小さな収納棚があり、その上には端末や充電器が置かれていた。
キッチンには食器が何枚か残っている。
冷蔵庫の中身はすでに処分されていたが、調理台には使いかけの調味料が並んでいた。
エレナはゆっくりとリビングを見回した。
「……こんなだったわね」
誰に言うでもなく呟いた。
フォスターがここで暮らしていた。
朝、ここから出ていき、夜になると戻ってきた。
そんな当たり前の時間が、もう二度と戻ってこない。
エレナは視線を逸らし、部屋の中を確認し始めた。
収納棚を開ける。
衣類や日用品が残っている。
どれも業者に処分させる予定のものだった。
エレナはひとつずつ確認しながら、必要なものがないか探していった。
寝室にも入った。
ベッドはきれいに整えられている。
枕元には、フォスターが使っていた端末が置かれていた。
エレナはそれを手に取ったが、しばらく眺めたあと、元の場所に戻した。
「……これは、いいか」
再びリビングへ戻る。
そのとき、テーブルの上に一冊の本があることに気づいた。
エレナは足を止めた。
近づいて手に取る。
表紙を見て、目を細めた。
マレー博士の著書だった。
エレナはしばらく、その本を見つめていた。
フォスターがこれを読んでいたのだろうか。
それとも、何か別の理由でここに置いていたのか。
エレナには分からなかった。
本をバッグに入れる。
そのあと、部屋の中をもう一度見回した。
ふと、棚の隅に一枚の写真があることに気づいた。
手に取る。
そこには、若いフォスターが写っていた。
UDRAの制服を着た仲間たちと肩を並べ、全員が笑っている。
エレナは写真を裏返した。
何も書かれていない。
写真もバッグに入れた。
それ以外に持ち出すものはなかった。
エレナはバッグを閉じた。
もう一度だけ、部屋を見渡す。
「……さよなら」
小さく呟いて、ドアへ向かった。
玄関で靴を履く。
ドアを開け、外へ出る。
そして、ドアを閉めた。
エレナが廊下を歩き始めた、そのときだった。
「……あの?」
声がした。
振り返る。
四十代くらいで細いフレームの眼鏡をかけた男が立っていた。
髪は長めだが白いものが少し混じっている。
薄手のシャツに黄色いカーディガンを羽織っていた。
「隣に住んでいる、セオドア・ブレイクです。あなたは、フォスターさんと暮らしていた……」
「ええ、エレナ・ハートです」
「そうですか。私がここへ来た時は、すでにあなたはここを出られたあとだったと思います」
「そうですか……」
「いえ、あのフォスターさんのこと……なんて言ったらいいか」
「お気遣いありがとうございます」
「今日は?」
「ここを引き払うので、部屋を見に来ました」
「そうですか?実は私も近々ここを出るんですよ」
セオドア・ブレイクはうれしそうに言った。
「書きためていた小説なんですが、取り上げてくれる出版社が見つかりまして、かなりいい条件を出してくれるというんですよ。
思い切って、もっといい環境のところへ引っ越すことにしました」
「そうですか」
「しがない文芸翻訳家で、徹夜続きの毎日でしたが、そんな生活ともおさらばできます。
そうそう、夜中にスカイテラスでよくフォスターさんとも顔を合わせましたよ」
「リアムと?」エレナは目を見開いた。
「ええ、仕事が一段落したあと、いつもヴェイパー・スティック(電子タバコ)をやりにいくのですが、フォスターさんもおられましてね……」
「リアム……フォスターの様子はどうでした?」
「それがですね、どうにも不健康そうでして、目の下にひどい隈をつくってましてね。『眠れないんですか?』って声をかけたんですよ。
普段、私は人と関わらない方なんですが、この時やってた仕事に手応えを感じてまして気持ちに余裕があったんですよ」
エレナはブレイクの言葉に釘づけになっていた。
「フォスターさんは私の顔を見て『眠りたくないんだ』って言ったんですよ。最初は聞きまちがえたと思いました。
『よかったら眠れる薬ありますよ』って言うと『眠れない、眠ったらあいつが現れる』ってひとりごとみたいに言うんですよ。
何か、危ない薬でもやっているのかと気味が悪くなりましてね。それから何度か見かけたんですが、段々とひどくなっていってるようで気にはなってたんですよ」
「……」
「それから間もなくあの事件が起こりましたので、あの時フォスターさんが言っていた“あいつ”というのは、もしかするとマレー博士のことだったんじゃないかと思いましてね。
でも、だからといって私にはどうしようもないですし……」
「ありがとうございます。私、急ぎますので、お元気で」
エレナはその場を離れ、エレベーターに乗った。
ディスプレイの「1F」に触れる。
扉が閉まると、壁にもたれて目を閉じた。
──やっぱり私は、リアムのことを何もわかっていなかった。
──彼は追い詰められていた。ひとりきりで……
【RESTAURANT AND BAR アステリア】
店内は少し照明を落とし、壁面には大きなディスプレイが設置されている。そこには夜の街を思わせる抽象的な光がゆっくりと流れていた。
テーブル席のほか、壁際にはソファを備えたボックス席が並んでいる。
電子音を混ぜたジャズが、会話の邪魔にならない程度の音量で流れていた。
仕事帰りらしい客たちが、酒を飲みながら食事を楽しんでいる。
「ちょっと待ってエレナ」
テーブルには、牛肉のグリル、チキンの香草焼き、野菜の鉄板焼き、フライドポテト、それにチーズと生ハムまで並んでいた。
ナタリーはフォークで牛肉を切り分け、大きな口を開けて頬張った。グラスのビールでそれを流し込む。
ナタリー・モーガンは、GAA情報分析局・エリア98支局の支局長で、エレナの直属上司だった。
だが、二人は同い年で気が合い、プライベートではファースト・ネームで呼び合う仲だった。
肩まで伸びた栗色の髪を後ろで無造作にまとめている。化粧はしているが、仕事中のようなきちんとした印象はない。
白いブラウスの上に濃紺のジャケットを羽織り、袖を肘までまくっている。
「私、今聞きまちがえたみたい。もう一度最初から言ってくれる?」そう言ってビールを飲み干しボーイに声をかけ赤ワインを注文した。
「GAA情報分析局をやめてエリア34に戻ろうと思ってるの」 エレナも軽く白ワインに口をつけた。
「……聞きまちがってなかったのね。それであとの方も、もう一度聞きたいわ」
ナタリーはエレナをにらみながらボーイから赤ワインを受けとった。
「エリア34でリアムの子供を産んで育てるの」
エレナもナタリーを見つめた。
「意味がわからないんだけど……本気なの?」
「リアムはUDRAにいたの。危険な仕事だから生殖細胞をGAA生殖資源保存センターに保存することが義務付けられているの」
「それで?」
「遺伝的親族形成申請をして、その審査に通れば凍結保存されている精子で体外受精してリアムの子供を産めるの」
「それは彼に頼まれたの?」
「リアムはそんなこと言わないわ。言うわけない」
「何よ、それ!あなた自分の言ってることわかってるの!」
「よく考えて決めたのよ」
「エレナ、あなたはGAA直属のキャリアなのよ。あと二年もすれば本部に行けるのよ。子供を産むなんて考えられない」
「そんなこと、どうでもよくなったの」
「何言ってるの。そんなのって女にとって最悪の選択じゃないの。いつも言ってたじゃない。『子供を産んで育てるなんて、それしかできない女にやらせりゃいいって』」
「私はそこまで言ってないわ……」
「でも、賛同してたじゃないの。どういうことよ」
ナタリーは赤ワインを飲み干し、またボーイを呼んで追加を頼んだ。
「私はリアムのことを全然わかってなかった。彼はひとりで苦しんでいたのよ」
「それと子供を産むことと、何の関係があるのよ」
「リアムは自分を責めていた。ずっと自分のことを……」
「どういうことなの?エレナ」
「リアムがUDRAにいた時、同じチームにいた人に会ってきたの」
エレナもボーイに追加の白ワインを頼んだ。




