最終章 自由の選択の果て
【エリア34 UDRA】
エレナはレジデンスを出たあと、UDRAへ向かった。
都市災害対応機構──かつてリアムが働いていた場所だった。
エリア34の行政区画にあるUDRAの建物は、外から見るとそれほど大きくはない。だが、入口を入ると、壁面のディスプレイに各地の災害情報や都市インフラの稼働状況が表示されていた。
エレナはインフォメーション・デスク へ向かった。
「すみません」
女性が顔を上げる。
「はい。ご用件は?」
「以前、こちらにリアム・フォスターという職員がいたと思うのですが」
女性は端末を操作した。
「フォスターさん……」
画面を確認する。
「はい。所属記録があります」
「彼と同じチームだった方に、お話を伺いたいんです」
「どういったご用件でしょうか?」
エレナは一瞬、言葉を選んだ。
「彼のことを、もう少し知りたいんです」
受付の女性はエレナの顔を見た。
「フォスターさんの……?」
「はい」
少し間を置いて、女性が尋ねた。
「どなたか、お名前はわかりますか?」
「それがわからないので、伺いに来ました」
女性は再び端末に目を戻した。
「フォスターさんと同じ部署にいた職員を検索しますね」
しばらくして、画面を見ながら言った。
「何人かいますが……」
指を動かし、記録を確認する。
「アレックス・ウォーカーという方がいます」
「その人は、今もここに?」
「いいえ。半年前に退職されています」
「半年前……退職後の連絡先はわかりますか?」
「個人情報ですので、通常はお教えできません」
「そうですよね」
エレナがうなずく。
すると受付の女性が、もう一度端末を確認した。
「ただ……退職者の現在の連絡先が登録されている場合は、本人の許可があれば取り次ぐことができます」
「お願いできますか?」
「少々お待ちください」
女性が連絡を取る。
エレナは自分の端末をバッグから取り出す。
女性がしばらくして、顔を上げた。
「アレックス・ウォーカーさんは、今、ご自分で店をやっているそうです」
「店?」
「地ビールを扱っているBARだそうです」
エレナは少し意外に思った。
「それは……どこにあるんですか?」
女性が住所を表示した。
「その人に、話を聞くことはできますか?」
「連絡してみます」
女性はもう一度、アレックス・ウォーカーに連絡を入れた。
「……はい。営業前なら時間が取れるそうです」
「何時ごろでしょう?」
「夕方の四時ごろなら、店にいるそうです」
エレナは自分の端末に送られ表示された場所を確認した。
「わかりました。ありがとうございます」
エレナは礼を言い、UDRAを後にした。
外へ出ると、午後の街を人々が行き交っていた。
エレナは立ち止まり、端末に表示された店の情報をもう一度確認した。
リアムと同じ部署にいた男。
その人なら、何か知っているかもしれない。
エレナは端末を閉じ、ゆっくりと歩き出した。
【CRAFT BREW BAR】
エレナはUDRAから教えられた住所を頼りに、店の前まで来た。
小さな看板に、
CRAFT BREW BARと表示されている。
ガラス越しに中を覗くと、カウンターの奥で男が何か作業をしている。
三十代半ばくらいだろうか。短く刈った茶色の髪に、少し無精ひげを残している。細身だが肩幅があり、いかにも体を使う仕事にも慣れていそうだった。
エレナはドアを開けた。
「こんにちは」
男が顔を上げた。
「エレナ・ハートさん?」
「はい」
「どうぞ。ちょうど終わったところだ」
店内にはカウンター席が並び、奥にはいくつかテーブル席がある。
壁には各地の醸造所のロゴやビールのラベルが飾られ、カウンターの後ろには何種類ものビールサーバーが並んでいた。
アレックスはカウンターの中から出てくると、エレナの前まで歩いてきた。
「アレックス・ウォーカーだ」
そう言って、右手を差し出した。
「初めまして」
エレナは一瞬ためらったあと、その手を握った。
アレックスは笑って手を離し、奥のテーブル席へエレナを促した。
「そこ、座って」
エレナが腰を下ろす。
「飲み物は?」
「え?」
「せっかく来たんだ。何か飲むだろ?」
「それじゃ……ビールを」
「了解」
アレックスはカウンターへ戻った。
棚から一本のボトルを取り出す。
「うちのおすすめ。エリア12の小さな醸造所で作ってるやつだ」
栓を抜く。
「苦味は強くない。飲みやすいと思う」
グラスを二つ用意し、そのひとつにビールを注ぐ。
泡がゆっくりと立ち上がった。
アレックスはグラスをエレナの前に置いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
アレックスは自分の分をグラスに注いだ。
それを持って、エレナの向かいに座る。
エレナはグラスに手を伸ばした。
アレックスがビールを一口飲む。
エレナもグラスに口をつけた。
「リアムのことだよな?」
エレナは顔を上げた。
「ええ……」
「あいつとオレは同じチームで、あいつがチームをまとめるチーム・コーディネーターで、オレはアシスタント・コーディネーターをやっていた。いいチームだったんだ」
「リアムがなぜ、仕事をやめてしまったのか…それが知りたいんです」
「……そうか。あんた、リアムと暮らしてたんだよな。オレたちがやっていた仕事には秘匿義務があって家族にも、その詳細は言えないんだ」
「そうだったの……」
「昔はUDRAの救助活動を、逐一メディアが報道してたんだ。でも、それがあまりに批判めいたものだったから、UDRAがストを敢行して救助活動を拒否したんだ。それで法律ができてUDRAの活動に関してはいっさい報道されなくなった」
アレックスはグラスのビールを飲み干し、新しい黒ビールの瓶を取り出して栓を抜いた。
今度はラッパ飲みして、ひとつ息を吐いた。
「二年くらい前だったかな。エリア34で、大きな災害が起きた。地震だ。君も知ってるだろう?かなりひどかった。建物がいくつも倒壊して、道路もあちこちで寸断された。UDRAのチームはほとんど全部が現地に入った」
「私は駐車中の車の中にいて、かなり揺れましたが、無事でした」
「ああ。君が無事だったって聞いたとき、フォスターはかなり安心してたよ」
「そうだったんですか?」
「でも、自分で会いに戻ることはできなかった。救助が終わるまで、現場を離れられなかったからな」
アレックスはグラスを置いた。
「最初は五人で別々に動いた。担当区域を手分けして、生存者を探すんだ。見つけたら場所と状態を連絡して、その中で緊急性の高いところに全員で集まる」
エレナは黙って聞いていた。
「そのとき、フォスターとオレがひとりの男を見つけた。四十代くらいだった。倒壊した研究施設の中で、腰から下を大きな梁に押さえつけられていた」
「生きていたんですね」
「意識ははっきりしてた。怪我もひどくはなかった。だけど、自分じゃ動けない。梁をどかすには、かなり時間がかかりそうだった」
アレックスは瓶を傾けた。
「その男がな、オレたちに向かって、自分は医学者だと言った」
「医学者?」
「ああ。子供たちがかかる、まだ治療法のない病気を研究しているってな。それで……」
アレックスは一度言葉を切った。
「治療法が、もうすぐ見つかるんだって言った」
「もうすぐ……」
「そう。だから、自分を先に助けてくれって、何度も頼んだ」
エレナは少し身を乗り出した。
「自分が死んだら研究が止まる。研究を続けられるのは自分しかいない。自分が助かれば、たくさんの子供を救えるかもしれない。そんなことを必死になって訴えてた」
「リアムは……どうしたんですか?」
「そのとき、別の場所から連絡が入った」
アレックスの声が少し低くなった。
「十七歳の女の子が見つかったんだ。倒壊した建物の下敷きになってた。腹部を強く圧迫されていて、出血もひどかった。意識はあったが、時間が経てば危ない状態だった」
「それで……」
「オレたちは、その子を先に救助することにした」
アレックスはそう言ってから、少し間を置いた。
「男は、フォスターに何度も言った。自分を先にしてくれってな」
「……」
「自分の命だけの話じゃない。自分が死ねば研究が止まる。治療を待っている子供たちがいる。だから頼むって」
アレックスは瓶をテーブルに置いた。
「でも、オレたちは少女のところへ向かった。
一刻を争う状態だった。男のほうは、少なくともまだ意識もあったし、すぐに死ぬような状態じゃなかった。救助隊なら、危険なほうを先に助ける。それが普通だ」
「それで、その女の子は?」
「助かったよ」
アレックスは苦笑するように口元を歪めた。
「五人で必死になって救出した。なんとか助け出して、医療班に引き渡した。そのあと、全員で男のところへ戻った……」
エレナが息を呑む。
「男は死んでいた」
店内の音が、急に遠くなったようだった。
「その日の夜、オレたちは五人でビールを飲んだ。もちろん、死んだ人間がいるから、馬鹿騒ぎしたわけじゃない。ただ……少女を助けられた。それだけはよかったって、みんなで乾杯したんだ」
アレックスは瓶を強く握りしめた。
「……しばらくして分かったんだ。あの男が言っていたことは、本当だった」
「本当に医学者だった?」
「それだけじゃない。かなり優秀な研究者だった。その病気の治療法を、本当にあと少しのところまで追い詰めていたらしい」
エレナの顔から表情が消えた。
「男が死んだあと、研究チームは解散した。ほとんどひとりで研究を引っ張っていたらしい。研究を引き継げる人間もいなかったんだ」
「……その病気の子供たちは?」
「治療法を待っていた家族は、みんな希望を失った。でも、それだけじゃなかった」
アレックスはそこで黙った。
しばらくしてから、低い声で続けた。
「それから一年くらい経った頃だった……オレたちが助けた、あの少女が死んだ」
「……え?」
「友達とのパーティーで、違法ドラッグを使ったらしい。それで、死んじまった」
エレナは言葉を失った。
アレックスは黒ビールを一口飲んだ。
「オレたちは、あの時、少女を助けた。それは間違ってなんかいなかった。でも、その少女は一年後に死んだ。
一方で、オレたちが助けることができなかった医学者は、本当にたくさんの子供を救えるところまで来ていた。だが、その可能性が、そこで絶たれてしまった」
「リアムはそれを……」
「あいつは、りっぱなリーダーだった。誰もあの時のことを責めるやつなんていなかった。だが、あいつは…あいつはスクリーンに映っている希望を失くした親子たちをずっと見ていたんだ」
エレナは崩れそうになる体を、右手を椅子について支えた。
リアムの最後の顔が浮かんだ。
「それから、何日かあとにあいつは仕事をやめた。誰も止められなかったよ。声さえもかけられる状態じゃなかったんだ」
「知らなかった……」
「時間を置いてまた復帰できればと思っていたところに、あのマレー博士の事件が起こって、訳がわからなくなってしまった。でも、もう一度会って話したかったよ。残念だ……」
最初の客が何人か入ってきたのでエレナはアレックスにお礼を言って店を出た。
──リアムは自分を責め続けていた。
そんなとき、私がマレー博士に影響され、エリア98へ行ってしまった。リアムはマレー博士に興味を持ち、著書を買って読み始めた。
それから、夢にマレー博士が現れるようになったんだわ。
きっと、マレー博士の言葉は、あの頃のリアムの心に深く入り込んだ。
自分があの日に下した選択を、何度も何度も突きつけられたのかもしれない。
そして……あまりにも苦しかったから、その記憶そのものを心の奥へ押し込めてしまった。
だから、夢の中で何が起きていたのかを、リアム自身も覚えていないのかもしれない。
もしかすると、マレー博士が生きているかぎり、リアムはあの日の選択を責められ続けると思ったのかもしれない。
だから、あんなことを……。
【エリア98行政庁舎 エリア長室】
「──それは全然構わないのだがね、生殖資源保存センターというのは、どういうところなのかな?」
ローウェルは穏やかな表情をつくりながらエレナに尋ねた。
「希望する人や義務化された組織で働いている人たちの生殖細胞を保存し管理しているところです」
エレナはまっすぐにローウェルを見て答えた。
「それで、君はえーと何だったかな?」
「遺伝的親族形成申請です」
「ああ、その申請に対して、私の意見書が欲しいということでいいのかな?」
「ええ、ぜひお願いしたいんです。遺伝的親族形成申請に対する審査はとても厳しいと聞いています。ローウェルエリア長の正式な意見書をいただければ審査もスムーズに進むと思うんです」
「まあ、私にできることなら何でもするつもりだがね。それを申請するということは、つまり…何だね…」
「凍結保存されている精子で体外受精して子供を産むつもりです」
「いやあ、驚いたね。まさか君がね……君はGAA直属の情報分析官だったね?」
「ええ……」
「やめるつもりなのかね?」
「ええ、エリア34に戻ります」
「うーん。GAA直属というのはエリート中のエリートだよ。いずれ本部へ行けるだろう。GSC(世界最高評議会)への道も遠くないんだよ。それがどれほど素晴らしいことかわかっているのかね?」
「ローウェルエリア長」
「……何だね?」
「それは男にもできることですわ。私のやろうとしていることは、もっと素晴らしい世界です」
ローウェルはしばらくの間、黙り込んでいたが、やがて軽く二度ほど頷いて言った。
「よくわかったよ。さっそく今日のうちに意見書を送っておこう」
「ありがとうございます」
「君の相手となる男は誰なのかな?」
「それは、子供が生まれるまでは言ってはならない規則になってるので…申し訳ありません」
「いやいや、君が選んだ男だ。間違いないだろう」
エレナはローウェルに何度も感謝の言葉を述べてエリア長室を出た。
入れ替わりにスペンサー副長が入ってきた。
「あの女、何を言いに来たんです?」
「いや、大したことじゃない。しかし、この時代においても女というのはまったく不可思議な生きものだ」
「はあ?」
「マレー博士が、もし生きておられたら、そちらの方の解明もお願いできたろうに……」
【ルシエール岬】
海から冷たい風が吹き上げていた。
空は薄い灰色に曇り、遠くの水平線は霞んでいる。
断崖の下では、波が岩にぶつかって白く砕けていた。
その音が、風に乗って途切れ途切れに聞こえてくる。
人の姿はない。
エレナ・ハートは、断崖の上にひとりで立っていた。
厚手のコートの襟を片手で押さえながら、じっと海を見つめている。
もう片方の手には、マレー博士の著書があった。
──リアム、私は生まれてくる子供に自分の想いをぶつけたりしないわ。じっと見守って、助けなければならない時だけ精一杯サポートするつもりよ。あなたも、きっとそう言うでしょう?
リアム……あなたの人生を絶対に否定させないわ。
見守っていてね、リアム……
エレナは沖へ向かってマレー博士の著書を思い切り投げた。
完
ありがとうございました。明日の20時に新しい作品を公開します。
よろしくお願いします。




