第六章 フォスターの苦悩
【セントラル・コア】
次の週もフォスターはセントラル・コアを見てまわっていた。
ここの人たちはみんな、仕事に真剣に取り組んでいるように見えた。エリア34にいる連中とは動きが違った。
ジュリアが「エリア98を支えている人たち」と言っていたのがよくわかった。
そろそろノードにでも寄ろうかと考えていたところ、ひとつの建物に目を奪われた。
四階建ての建物で、外壁は淡い灰色のパネルで覆われている。大きな窓が規則正しく並び、道路側に面した壁だけは全面がガラスになっていた。
──学校もあるとジュリアは言ってたな。
フォスターは校庭が見えるところへ足を運んだ。
数人の子供がボールを追いかけていた。隅には樹木や芝生もあり、人工的に整えられてはいるものの、普通の学校と大きく変わらない。
──このエリアに子供がいるのか。
エリア98では家族を持つことは禁止されていると聞いた。
なら、ここにいる子供たちはいったいどこから来たんだ?
フォスターは校庭から離れ、校舎を回り込むようにして表門の方へ向かった。
門の近くには、校内から聞こえてくる子供たちの声が少しずつ大きくなっていた。
やがて正面玄関が開き、数人の子供たちがまとまって出てきた。
子供たちは二、三人ずつ連れ立って歩いている。手にした端末を覗き込みながら話している者もいれば、笑いながら肩をぶつけ合っている者もいる。
服装はそれぞれ違っていた。
制服らしいものはなく、シャツやジャケット、スニーカーなど、思い思いの格好をしている。それでも奇抜なものはなく、フォスターにはどこにでもいる子供たちのように見えた。
校門の外へ出ると、子供たちはそれぞれ別の方向へ散っていった。
そのとき、ひとりの少年が歩きながら端末を落とした。
小さな端末が舗道に当たり、乾いた音を立てて滑っていく。
少年は気づかず、そのまま歩いていった。
「おい」
フォスターが拾い上げた。
「落としたぞ」
少年が振り返った。
十三歳くらいだろうか。短い髪に、細身の身体。白いシャツに濃い色のパンツという簡素な服装で、まだあどけなさの残る顔をしていた。
少年は戻ってくるとフォスターの持っている端末を見た。
肩に掛けているショルダー・バッグを探る。
「君のだろ?」フォスターは端末を少年に差し出した。
「ありがとうございます」少年は少し困ったような顔をして端末を受け取った。
「君、この学校に通っているんだろ? 家族と一緒に暮らしているのか?」
「いえ、家族は別のエリアで暮らしています」少年はフォスターをじっと見て言った。
「君ひとりで暮らしているのか?」
「はい。以前は家族と一緒にいたのですが、僕がここの審査を通ったので……」
「両親はよくOKしたな」
「未成年がここで暮らすと、家族に援助金が出るんです。僕には弟や妹が四人もいて、父も母も働いていますが給料が足りなくて……援助金が送られて家族は喜んでくれてます」
「そうか、そいつは親孝行だな。でも、いつか親元に帰るんだろ?」
「母はいずれ自分たちのもとに帰って家族を支えてほしいと言っています。父も持病があるのでそう願っていると思います」
少年はそう言ったあと黙り込んだ。
「何だ、君は帰りたくないのか?」フォスターは少年の顔を覗き込むようにして言った。
「家族が住んでいるエリアはとても粗雑で、お金を持っていないと人として扱ってくれないようなひどいところなんです。
ここは洗練されていて、どんな人も尊重されています。僕はこの夢のような生活から離れたくないと……でも、家族のことも大切にしたいし」少年はずっと足もとを見ながら言った。
「よくわかるよ。家族をこっちに呼べないしな」
「だから、もっともっと勉強して努力して、自分で家族が安心して暮らせるエリアをつくれる、エリア長になりたいんです。そこで家族を呼んで、みんなで幸せに暮らすことが僕の夢なんです」
「そいつあ、素晴らしい夢だな」
「でも、それにはもっともっと勉強しないと。優秀な人がいっぱいいるから……」
「毎日を楽しみながら精一杯やるんだ。どう転がろうと後悔しないためにな」フォスターは少年をまっすぐ見据えた。
「引きとめて悪かったな。オレはもう行くよ」
「あの……もしかして、リアム・フォスターさんですか?」
「ああ、よく似ているって言われるよ」
フォスターは少年に背を向けその場を立ち去った。
夕方の街には、仕事を終えた人々が行き交っていた。歩道を走るパーソナル・モビリティが、静かな音を立てて通り過ぎていく。
ここでは、誰もが自分の選んだ生活を送っている。
少なくとも、そう見えた。
フォスターは小さく息を吐き、再び歩き出した。
空腹を覚え、近くのフードコートに入った。
温かい料理とビールを注文する。
空いている席を見つけ、フォスターは腰を下ろした。
やがて料理が運ばれてきた。
フォスターは箸を取り、黙々と口に運ぶ。
ふと箸を止めた。
ビールのグラスを手に取る。
一口飲み、目を閉じた。
少年の声が、耳の奥に残っていた。
【BAR ノード】
扉を開ける。
控えめな照明と、静かな音楽。
カウンターの向こうでは、マスターがグラスを磨いていた。
「いらっしゃいませ」
マスターが顔を上げた。
「いつものを」
フォスターがカウンターの席に腰を下ろす。
マスターは何も言わず、棚からボトルを取り出した。
氷を入れたグラスに琥珀色の液体が注がれる。
フォスターはグラスを受け取った。
一口飲む。
「……リアム?」
フォスターは声のしたほうを振り返った。
そこにエレナ・ハートが立っていた。
肩にかかるくらいの柔らかな髪。きちんと整えられているが、どこか無造作なところがある。明るい色のブラウスに細身のパンツという、飾り気のない服装だった。
フォスターは何も言わずエレナを見ていた。
「やっぱりリアムだ!」
エレナは嬉しそうに笑った。
「久しぶり。まさか本当に会えるなんて」
「……久しぶりだな」
フォスターの返事は淡々としていた。
エレナはそんなことを気にする様子もなく、カウンターの中にいるマスターへ顔を向けた。
「すみません。白ワインを一杯ください」
「かしこまりました」
マスターがグラスを用意する。
エレナはその様子を見ながら、フォスターの隣の椅子を引いた。
「座っていい?」
「ああ」
エレナは腰を下ろすと、フォスターの顔を覗き込んだ。
「あなた、全然変わってない」
「そうか?」
「うん。もっと疲れてるかと思ってた」
「疲れてはいるよ」
「そういう意味じゃなくて」エレナが笑う。
ワインが運ばれてくると、彼女はグラスを受け取り、一口だけ飲んだ。
「それにしても……」
エレナは改めてフォスターを見た。
「なぜ、すぐ会いに来てくれなかったの?」
「……」
「だって、ここに来てから三週間以上経ってるんでしょう?」
「そうだな」
「私、ここにいるって分かってたでしょう?」
「そうだったな」
「だったら、どうして?」
「君には君の生活があるだろう」
エレナはしばらく黙って彼を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「相変わらずね……そういうところ」
エレナは呆れたように笑った。
「でも、よかった。元気そうで」
「君も元気そうだ」
「うん。私は元気よ」
エレナは嬉しそうに答えた。
「ねえ、リアム」
「何だ?」
「せっかく再会したんだから、もっといろいろ話しましょうよ」
「何を?」
「あなたがここで何をしてるのかとか。どんな暮らしをしてるのかとか」
エレナは身を乗り出した。
「それで、ここでは何をしてるの?」
エレナがワインを一口飲んだ。
「何もしてない」
「何も?」
「オレはゲスト扱いだからな。仕事をする必要もないし、決められた予定もない」
「じゃあ、一日中好きなことをしてるの?」
「そういうことになる」
「へえ……」
エレナは少し羨ましそうに言った。
「私なんて、相変わらず仕事ばかり。ここへ来ても結局同じよ」
「ここでも情報分析の仕事を?」
「ええ。GAAのエリア98支部で働いてるの」
「そうか」
「この街で起きていることを調べたり、住民の動向を分析したり。前のエリアでやっていたことと、そんなに変わらないわ」
「忙しいのか?」
「それなりにね。でも、前ほどじゃない」
エレナはワインをもう一口飲んだ。
「この街、かなり自由でしょう?」
「自由?」
「ええ。何をするかも、どこで暮らすかも、どう生きるかも、自分で決められる」
「そうだな」
「あなたは、どう思った?」
フォスターはエレナを見た。
「何が?」
「エリア98のこと」
エレナは笑顔のまま続けた。
「ここに来て三週間でしょう? 実際に暮らしてみて、どう感じたのかなって」
「……さあな」
「それでも、何か思うでしょう?」
「そうだな……」
フォスターはグラスを眺めた。
「みんなそれぞれに精一杯やってるんじゃないかな」
「ここのやり方は理想的だと思う?」エレナはフォスターをじっと見て言った。
「そんなことオレにはわからないよ」フォスターはウイスキーを飲み干してマスターにもう一杯頼んだ。
「あなたはマレー博士の考えに耐えきれず、あんなことをしたのじゃないの?」エレナはフォスターの方を見ずに小声で言った。
「何だって?」フォスターは前に置かれたウイスキーを手に取りエレナを見た。
「私のせいじゃないんでしょ?」エレナもワインを飲み干してマスターに追加を頼んだ。
「そのことなんだが、記憶がないんだ。気がついたら血まみれのマレー博士が目の前にいた。それ以前のことが思い出せないんだ……」
「いつから記憶がないの?」エレナはワインを受け取りフォスターを見つめた。
「よくわからない。ずっと眠れてなかったんだ。頭がぼーっとしていて夢の中を生きている感じだった」
「私もあなたが人を傷つけるなんて信じられなかったわ」
「気がついたら、オレは確かに銃を握っていた。引き金を引いた感触が手に残っていた。オレは間違いなくマレー博士を撃ったんだ」
「それって心神喪失じゃないの、控訴すべきだわ。少なくとも死刑判決だけは覆せるわ」
「……」
「リアム、命が惜しくないの?あなたは、まだ若いのよ」
「ありがとう。でもそんな気はないんだ……」
「リアム!」突然に込み上げてくるものを抑えきれず、エレナは息を飲み込んだ。持っていたハンドバッグから小さなカードを取り出す。
「もう行かなきゃ……気が変わったらここに連絡して」エレナは立ち上がりカードをフォスターに差し出した。
フォスターはカードを受け取りエレナを見上げた。
「あなた、いつもそうね。何も言ってくれない……でも、それがあなたなのよね。わかってるつもりだった」
「すまない。君には何て言ったらいいか……」
「もう会えないかもしれないわね」エレナはフォスターをじっと見つめた。
フォスターが立ち上がりかけたが、エレナは背を向け歩き出した。
「さよなら……今度は本当のさよなら…ね」
エレナはフォスターを残し店を出た。
客はフォスターひとりになっていた。
フォスターはマスターからウイスキーのグラスを受け取ると、ふと尋ねた。
「マスターは、災害に出くわしたことはあるのかい?」
「は?」
マスターは怪訝そうにフォスターを見返した。
「大きなやつさ。トンネルの崩落とか、大地震とか、大きな川の洪水とか」
「そこまで大きなものには、まだ……」
「そうか」
フォスターはグラスを口に運んだ。
「オレは以前、UDRA(都市災害対応機構)にいたんだ。建物や道路、橋梁の安全性を調べたり、被災地のライフラインを復旧させたりする。災害対応技術官ってやつさ」
マスターは仕事の手を止め、黙ってフォスターを見た。
「大災害になれば、人命救助にも駆り出される。崩れたビルの鉄骨とコンクリート壁に挟まれた作業員。倒壊したエレベーターの下敷きになった乗客。浸水した地下施設で、防水扉と壁の間に取り残された人たち……」
マスターが、ごくりと喉を鳴らした。
「何度も見たよ。数え切れないほどな」
フォスターはグラスを傾けた。
「災害で死んだ人間には、何の因果も物語もないんだ」
静かにそう言って、また一口飲んだ。
「昨日まで、自分には関係のないことだと思っていた人間が、突然巻き込まれる。
家族と夕食を食べていたやつも、仕事から帰る途中だったやつも、恋人との約束を楽しみにしていたやつも……」
「でも、大勢の方々を助けられたりもしたんでしょう?」マスターは静かに言った。
「オレたちのチームは優秀だった」フォスターは残ったウイスキーを飲み干した。
「でも、オレたちにできることは、ほんのわずかだったんだ」




